八章50 弱い心
―――ララ視点―――
ウ、ウソでしょ……
怖くて…… 私は降臨した主天使を直視できない。
それでも感じる肌を突き刺すプレッシャーに体がガタガタと震え出し、体を抱え込んでも震えは止まらない。
全身から冷や汗が吹き出し危機感知が鳥肌を立たせる。
ギーズとディックを見ると、二人も歯を食い縛って必死に耐えている。
「ねぇディケム大丈夫なの!? あんなの本当に召喚しちゃって大丈夫なの!!? 本当にゲレオルク王弟殿下の言う事聞いてくれるの!?」
私は恐怖に呑まれ筋違いの癇癪をディケムにぶつけてしまった。
ディケムからは『わからない』という不安な言葉が返って来るだけだった。
でも―――私が縋る様にディケムの顔を見ると…… えっ? 笑ってる?
あの存在を前にしてディケムは自分では気づいて無いかもしれないけど、確かに笑っている。
その様相が私を落ち着かせると同時に冷静さを取り戻させ……… そして同時に落ち込ませた。
もしここにラトゥール様が居れば、ディケムの隣に並んで同じ様に笑うのかな?
悔しいけど…… 今の私は笑いたくても笑えない。
私はディケムの隣に立つラトゥール様の幻覚に嫉妬した。
ディケムのあの顔を見れば、この場に居ないラトゥール様が支えになっている事は明白だ。 女の勘がそう告げている……
私はディケムのすぐ側に居るのに…… なのに足手まといでしかない。
心の内に悔しさと、切なさと、情けなさが渦を巻く。
歯を食い縛り『強くならなきゃ!』と頬を叩き自分を鼓舞した。
辛うじて逃げ出したい心は抑え込む事が出来たけど……
それでも私はまだ恐怖に完全に打ち勝てていない。
虚勢でもあの主天使を前に怖くて笑えない。
私だって毎日必死に訓練して少しは強くなったと思う。
マナの事だって『凄く上達したな!』ってディケムに褒められる様になった。
勿論ディケムやラトゥール様に比べれば全然まだまだだけど………
マナの事が少し分かるようになったからこそあの天使のヤバさが分かる。
あれは絶対に呼んではいけない天使だった。
何も理解していないドワーフ軍は今、呑気に歓喜に湧き上がっているけど、必ずしっぺ返しが来る!
ゲレオルク殿下の陣営が騒いでいるのも多分不味いことが起きたんだと思う……
事前のディケムとディックの話し合いでは『降臨した天使を、タイミングを見計らって討つ!』
なんて言ってたけど…… ねぇディケム本当にあの天使と戦うの?
あれはちょっと無理だと私は思う……
―――そう思った途端、立ち直ったはずの私の心はまた恐怖に呑み込まれてしまった。
降臨した天使は初め鬼神族に向かって炎を放ち、一瞬にして鬼神族の大隊規模を滅してしまった。
その威力を見てドワーフ軍はさらに歓喜に湧いた。
あの攻撃が自分達に向くなんて一抹も考えていないようだ。
それから天使の攻撃は二度三度続き鬼神族軍に壊滅的な大ダメージを与えた。
このほんの僅かな時間で、さっきまで圧倒的優位を誇っていた鬼神族軍は壊滅状態に陥り、今は蜘蛛の子を散らすようにバラバラに逃げ惑っている。
逃げ惑う鬼神族軍を見て、ドワーフ軍は『起死回生の好機を得た!』と反転攻勢の構えを見せる。
そんな時……… 一人のドワーフ軍大隊長が天使に向かって叫んだ。
「良いぞ、良いぞ天使ぃ―――! その力で鬼神族を全て滅してしまえ―――い!!!」
戦場は鬼神族兵が逃げ惑い阿鼻叫喚の状態に陥っていた筈――
………なのに何故かその大隊長の言葉だけが戦場に響き渡った。
『え………?』
自分の声が戦場に響き渡った事に当の大隊長も驚いている。
そしてその声を聞いた天使の動きが止まり、本当の静寂が戦場を包み込んだ。
「あ…ぁ…… て…天使……様………?」
ギロリ! と天使に睨まれた大隊長は言葉を改めるが既に遅かった。
天使はそのまま大隊長を踏みつぶし方向を転換し、今度は鬼神族もドワーフ族も関係なく襲い掛かってきた。
「うわぁあああ――― どうなっている?」
「なぜ天使様が我々にも襲い掛かって来るんだ!?」
「ゲレオルク王弟殿下! ゲレオルク王弟殿下―――! お助けてください!!!」
兵士たちは口々に天使を呼び寄せたゲレオルク王弟殿下に助けを求めたけど、その願いがかなえられる事は無い。
従属の鎖を引きちぎられノックバックを起した王弟殿下は重傷を負い、既に戦場から退場しているからだ。
戦場は鬼神族もドワーフ族も敵味方関係ない、一方的に天使から蹂躙される正に地獄絵図の様相を呈していた。
「ね、ねぇディケム……… どうするの?」
ディケムは難しい顔をして、既に秩序を無くした戦場を見ている。
自業自得とは言え、ディケムがこのままドワーフ族を見捨てるとは思えない。
それにノーム様との約束と鍛冶師ブルーノさんも助けなければいけない。
⦅でも正直私は……あんな想定外の格上天使とディケムに戦ってほしくない⦆
ヒドイと言われても良い。
だってこれはドワーフ族と鬼神族が自分達で招いた自業自得の結末でしょ?
それをなんでディケムが尻拭いしなきゃいけないの?
他人の為になんでディケムが危ない事しなきゃいけないの?
お友達になったベルハルトさんも大切だけど、やっぱり私はディケムが一番大事!
私がディケムの背中に『行かないで!』と言おうとした時……
あっ……! 主天使ハシュマルが全てを滅する大技を発動した。
雲一つない空、その空に太陽とは別の光りが広がった。
天を…… 全てを無に帰す凶悪な光が空を覆て行く!
その凶悪な光は急速に光を増し、既に臨界を迎えようとしている。
「み、御使いの天罰――――――ッ!!!!」
これが発動すれば膨大な命が一瞬で失われてしまう。
時は私達に考える間すら与えてくれない。
―――ダメ!
このままじゃディケムは戦いに行っちゃう!
「ギーズ、ディック! 直ぐに協力して結界を―――………」
私が二人にそうに叫んだ時―――
既に、私の前に立っていたディケムの背中は遠くに飛び出していた!
「ディケム―――!!! お願い! 待っ…て………」
でもディケムは私を振り返りもせず行ってしまった。
私の言葉だけが虚しく響いている……
ディケムに私の言葉は届かなかった。
「ララ…… 今回の天罰は俺達じゃ無理だ、前の比じゃない。流石は主天使と言ったところだ。 ディケムも俺達じゃ荷が勝ちすぎると思ったから何も言わず飛び出したんだろう」
「そうだよララ、僕達にはまだアレを防ぐ結界なんて準備も無しでとても作れない。 出来る事はディケムのサポートだけだよ」
二人の言葉に私はキッと睨む。
「………ララ。 気持ちは分かるけど今は戦争中だよ冷静になるんだ。 それに現状ディケムがドワーフ族を見捨てて逃げるとは思えない。 ララだってそんなディケム見たく無いだろ?」
「ううん……私はそれでもディケムに逃げて欲しい! だってあんな上位の天使と戦ったらいくらディケムだって……… ディケム死んじゃうかもしれないよ! 私はそんなの嫌だよ! 二人はなんで平気なのよ!!!」
泣き叫ぶ私にディックが『落ち着けララ!』と一括した。
「………どうやらララは今天使の精神干渉に掛かっているようだな! 『恐怖』状態に陥っている。 ララ、お前はソーテルヌ総隊近衛隊の癒し手だぞ!しっかりしろ! 白魔法師の責務を果たせ!」
えっ……!? 私は今『恐怖』状態に陥っている?
確かに天使は自然と人々を畏怖させる精神干渉を使うと聞いた事が有る。
でも白魔法師の私は、いつも事前にバフ(強化)魔法を怠ってはいない……
それは部隊の要はヒーラーだからだ。
回復できなくなればその部隊は真っ先に落ちる事になる。
だから戦闘のセオリーとして真っ先に敵が狙うのもヒーラーだ。
そんな事は基礎の基礎、言われなくても分かっている。
「ララ! 気を強く持つんだ! この天使の精神干渉はバフでは防げないようだ、自分の心で抗うしかない」
えっ!? ………そんな。
正直、私は白魔導士の特性が有ったから、今まで皆と同じ様に心を強く見せられていただけ。
強化有りきの私の心は、本当は弱いままだ……
「大丈夫だララ、君の心は決して弱くない! 今は天使の精神干渉に隙を突かれただけだ!」
そんな事言われても…… どうすればいいの?
私はディケムが居なけりゃ何も出来ないよ……
「ララ見ろ! この天を覆う『御使いの天罰』の光りは遠く、ポートブレアからでも見えるはずだ。 この光を見たラトゥール様は今にもディケムの元へ駆けつけたと思っているに違いない。 『行きたくても行けない……』ラトゥール様はそんなジレンマに歯を食い縛って耐えているんだぞ! それなのに側に居るララがそんな事じゃダメだろ!?」
「ララ! この戦いはディケムにとっては通過点でしかない。 ディケムの目的に俺達は最後までついて行くと誓ったじゃないか! こんな通過点の主天使ごときに心が折れていたら、ディケムは心配で俺達を側には置けなくなってしまうぞ!」
「うぅ………」
ディケムがピンチの時に側に居られないのは嫌だ……
ラトゥール様はどんな気持ちでこの空を見上げているのだろう。
そうだ、私ももっと強くならなきゃディケムの側に居る資格が無い。
私は今一度強く頬を叩き気合を入れた。
そしてディケムの隣でディケムを見つめて笑うラトゥール様を想像した。
『ラトゥール様には負けたくない!』そう強く願った時―――
心に覆われたガラスが砕け散ったような気がした。
も、もしかして……
私の嫉妬心は主天使の精神干渉より強いのかしら?
「ディック、ギーズ……ありがとうもう大丈夫。 私も頑張れる!」
「あぁ! じゃディケムが後方の憂いが無い様、俺達も動くぞ!」
「うん」「うん」
私達はディケムが後顧の憂い無きよう、後方支援に動く事にした。




