第八章43 空城の計
俺達がグスタフ将軍と会って丸一日。
そのたった一日でガレドの街の住民の首都バーデンへの移動が始まった。
驚くべき速さだ……
本来俺達が到着する予定だったのは明日。
ベルハルト達の予定より、二~三日は事が早く進んでいるだろう。
移動は俺達がここに来たとき使った隠し裏道を使い、鬼神族に悟られぬよう粛々と行われている。
そして軍関係者と戦える者は住民の移動が完了するまで鬼神族を引き付ける為にここに残っている。
俺達もグスタフ将軍より住民と一緒に移動する事を提案されたが、ブルーノが残ると言い出したので残る事にした。
それにしても。
グスタフ将軍はベルハルト達の玉砕作戦に協力を渋っていたと聞いたが……
この撤退劇の手際の良さを見れば、結局はそれ以外無いと腹を括って準備していたのだろう。
住民も協力的な事からこれが皆の総意だと言う事だろう。
彼らの潔さにディックも顔を濁らせ悔しさを口にする。
「ディケム…… 最終作戦はどうにかならないのか?」
「基本的には……どうにもならない。 俺達は、本当はここには居ない只の傍観者だ。出来る事は少ない」
「………………ん? 基本的には?」
俺の少し含みを込めた言い方に、一刻間を置いたディックが訊ねてくる。
「俺達が介入しても大義がが得られる何かが起これば…… 可能性はある」
「何か起こる可能性が有ると言う事か?」
「ギーズからの言霊報告だと、きな臭い噂が幾つかある。 この期に及んでドワーフ族も一枚岩じゃ無いと言う事だ。 だがそれもただの噂話…… ギーズも他種族の中では勝手良く立ち回れないのだろ。 情報の確証が薄い現状では、今のままドワーフ族の作戦に従い、もし何か事が起こったとき柔軟に対応する他ない。 ディックも心に留めておいてくれ」
『何か起こるかもしれない』その言葉を聞き、ディックの顔が少し明るくなった気がする。
しかし本当は問題が起こる事はあまり好ましく無い。
事件で生じる偶然に賭けるのは愚策と言っても良い。
事が良い方向に転ぶとは限らないからだ。
だが今の詰んだ状況に何か変化を起こすには、それに期待するしか無い事も事実。
……困ったものだ。
翌日。
今もガレド住人の脱出は昼夜問わず続いている。
全ての住人が街から出て行くまで、まだ二~三日はかかりそうだ。
だが―― 二~三日で完了する事が脅威と言える。
これだけ早く住人が移動できるのは、これが引っ越しではなく脱出だからだろう。
過分な荷物を持っていたとしても、この後さらに首都バーデンからも脱出し、遠く離れた城塞港湾都市ポートブレアまでたどり着かなければならない。
鬼神族に追われながらの逃走劇は、大きな荷物など持っては逃げ延びられない。
ガレドから出ていく人々は皆、最低限の物だけを持って脱出している。
住人の脱出が続く中、軍の作戦も開始された。
『我々はこれより、住民の脱出が完了するまで総動員で鬼神族との戦闘に当る。 みな心して掛かれ―――!!!』
グスタフ将軍の激励にドワーフ軍の士気が上がる。
それから程なくして、破壊されていたガレドの街へ通じる唯一の階段の修復が鬼神族によって完成する。
それを機に銅鑼が鳴り響き、鬼神族軍が押し寄せる―――
そしてそれを待ち構えていたドワーフ軍が城門前で迎え撃つ。
戦場は階段の上手に陣取るドワーフ族が有利。
さらに階段幅は細く四人程が並べる程度、そこへゴーレムを配置し壁を作り後ろからドワーフ兵が槍、矢、魔法で攻撃している。
一兵一兵が魔神族に匹敵する一騎当千の鬼神族とは言えども、この布陣では苦戦を免れない。
またこの急傾斜で一段一段の落差が大きい階段の作りもガレドを守る為に良く計算されている。
この急傾斜の階段の下手に回った鬼神族は事実上、最前列の横並びした四人以外は戦えず、後ろに並ぶ兵は前の兵の背中しか見えず死兵と化している。
そこへ更に追い打ちをかけるようにガレドの正門、崖に作られた窓からも矢、魔法、熱湯が放たれている。
あの崖に無数に作られた芸術的窓は、繊細な彫刻を施された飾り窓の様に思えたが……
窓から降り注ぐ熱湯や矢の軌道を見れば、その目的が防衛の為に計算されて作られた事は否めない。
その日の戦いは――
籠城側、ドワーフ族の一方的な戦いとなったが、その激しい戦いは一日中続けられた。
そして夕陽も迫ろうという時刻。
前衛の鬼神族兵を数人残した後ろの階段が土魔法で崩された。
取り残された鬼神は退路を断たれ、動揺したところを呆気なく倒された。
そして崩れた階段下にひしめく鬼神族の軍勢は、唯一ガレドへと通じる道がまた閉ざされた事でこの日の襲撃の幕を引いた。
その日の夜は――
鬼神族はまたコツコツと階段の修復を行っている。
ドワーフ族からそれを邪魔する事は無い。
そして翌朝。
階段の修復が完成した鬼神族がまた銅鑼を鳴らし押し寄せる。
その軍勢をドワーフ軍が迎え撃つ。
また激しい戦いが繰り広げられたが――
戦闘は昨日と同じ場所、戦闘内容も昨日とほぼ変わらず同じだった。
そして昨日と同じ夕陽も迫ろうという時刻。
前衛の鬼神族兵を数人残した後ろの階段が土魔法で崩された。
この戦闘は三日間続けられた。
不毛とも思えるこの消耗戦、だが鬼神族側はこの戦いを続けるしかない。
籠城戦は圧倒的に籠城する側が有利。
攻城側の兵力は守備側の十倍以上必要とされ、大ダメージを覚悟で挑むものだ。
他の攻め方としては長期の兵糧攻めも有るが……
この戦争の主戦場は首都バーデン、ガレド攻めを任された指揮官は早くガレドを攻め落としバーデン攻めに合流しろと言われているのかもしれない。
既に鬼神族軍本営が首都バーデンを取り囲んでいる今、ガレド攻め指揮官の焦りが戦闘に見える。
そしてドワーフ側も、あえてこの消耗戦を受けているようだ。
圧倒的有利と言えど、ドワーフ軍の被害もゼロではない。
籠城戦だけを考えれば、大規模に階段を崩してしまった方が良い。
だがあえて翌日に階段の修復が完了する程度に調整している。
そして戦闘が始まって四日目。
ガレド全住民の脱出は既に二日前に終わっている。
残るは軍関係者だけだ。
この日の戦闘の終わり、いつも通りの階段の崩落が起こったのだが……
結果、階段はいつもより大規模に崩れた。
大規模に崩れたのだが、それは意図してではなく偶然崩れてしまったかの様に。
今、ガレドの城壁・街には数えきれない旗が立てられている。
そして暫く消えないような篝火も各家に焚かれている。
住民が誰一人居ない廃都と化した筈のガレドの街に灯りが灯り、各家からは煙が昇り人の営みが感じられる。
そして堅く閉ざされていたガレドの城門は開かれ、自由に入ることが出来る。
「全軍撤退だ―――!!!」
グスタフ将軍の号令が小声で告げられる。
「撤退だ――!」「撤退だ――!」「全軍撤退だ――急げ!」「撤退だ――!」
号令を受けた兵士たちも次々と伝令が静かに伝わって行く。
その速さは目を見張るものが有った。
そして全兵士に伝令が伝わると同時に撤退が一気に始まる。
その速さは住民の比ではない、数時間でガレドからドワーフの影は全て無くなるだろう。
俺達もブルーノに付き添い、グスタフ隊と共にガレドを後にした。
ガレドからバーデンへと続く隠し通路は念入りに土魔法で埋められ、きれいに痕跡も無くしていた。
「なぁディケム。なぜグスタフ将軍は最後にわざわざ城門を開けて出て行ったんだ? 時間を稼ぐなら閉じていた方が少しでもマシだろ?」
「多分『空城の計』とでも言いたいのだろ?」
「空城の計?」
「あぁ、撤退前の四日間あれほど激しい戦いを繰り広げたんだ。 それが今度は一転『自由に入って来い』と言わんばかりに門が開けられていたら―― 普通敵は罠を疑いそう簡単には入れなくなる。 だがもし城門を固く閉ざしていたとしたら、士気が上がった鬼神族が意気揚々と城門に襲い掛かる。 守る兵士が一人も居ない城門など一瞬で破壊されてしまうだろう」
「なるほど……」
「もちろん気付かれるのは時間の問題だけど……この戦いは勝利する事が目的じゃ無い。少しの間時間を稼げれば良いだけだから」
「三日間ワザと階段の崩落を小規模にしたのも、四日目の大崩落を偽装する為。 あえて激しい消耗戦を行ったのもこの『空城の計』の為か……。 グスタフ将軍はあの厳つい容姿からは想像できない計略家だな」
「あぁ、頼もしい限りだ」




