第八章37 ゲヘナの炎
―――マディラ視点―――
私は今、ラトゥール様のお付きでポートブレアの城壁改修工事に立ち会っています。
同じ側近のトウニーは、ポートブレア南、ボーヌ王国側の城外で難民受け入れの為キャンプの設営に奔走しています。
そんな時、私とラトゥール様が工事中の城壁の上でドワーフ領を見渡していると――
「ッ――!?」
「ラトゥール様? どうかなさいましたか?」
何かを察知したようなラトゥール様を見て、私は訊ねました。
「『ゲヘナの炎』のパスが開いた……」
⦅え……!?⦆
「!? ゲ、ゲヘナの炎と言いますと…… ディック様がモンラッシェ共和国事変のおり取り込んだと報告書に有った地獄の力 ……ですか?」
「そうだ。 あの事変のあと我々は『ゲヘナの炎』を検証し、まだ我々には過ぎた力と判断し封印したのだ。 そのパスをディケム様が今開いた」
「ッ―――なっ!」
ゲヘナの炎……
地獄の力と聞くと私は怖くて怯えてしまいます。
そんな未知なる力を人が扱うなど……
封印なさったディケム様の判断は正しかったと私も思います。
でも…… ラトゥール様は今とても嬉しそうな顔をしていらっしゃる。
⦅あ…いやあれは――⦆
⦅ディケム様との繋がりを感じられた喜びの方かもしれません……⦆
「ラトゥール様。 ……と言う事は今、ソーテルヌ閣下が封印した『ゲヘナの炎』を使わなければならない状況下にあると言う事ですか?」
「……そうなるな。 あえてあの力を今使うと言う事は……たぶんドワーフ族領のどこかに天使が降臨したと考えた方が良い」
「ッ――!? て、天使降臨! ……ですか!?」
私はあのネフリム事変での天使の力を思い返し震える。
そしてあれほど嬉しそうな顔を見せていたラトゥール様の表情が一転曇る。
しばしの沈黙。
そして私の緊張が最高潮に達した時、ラトゥール様の呟きが聞こえてくる。
『もぅ! 私はまたこの大事な時にディケム様の側に居られないッ!』……と。
その癇癪とも言える呟きがどことなく可愛くて、私の緊張が少しだけほぐれました。
ほんと、ラトゥール様はディケム様が大好きです。
―――アンドレア視点―――
今、私達はドワーフ族領の首都バーデンを取り囲む、鬼神族軍布陣の後方に居ます。
なぜか鬼神族の軍師と認められているイ・シダール先生は、鬼神族から絶大な信頼を得ており、鬼神族の上位の方でも勝手を許されない独自のテントを許されています。
テントの中では私達は驚くほど自由を許されています。
『制約』で縛られた私達が反意を示す事が出来ないからでしょう。
そして、私達四人はもう一人の捕虜レギーナさんの面倒も見なければなりません。
「あ~あぁ~~~ あぁ、ああああ――……」
「レギーナさん。 どうしたのですか? 水を飲みたいのですか?」
赤子が何かを求めるように、レギーナさんが手を伸ばし何かを求めている。
あのディケム先輩を首都バーデンへ入城させる為の戦いで、レギーナさんは致命傷を負ってしまった。
イ・シダール先生の計らいで辛うじて命は取り留めたものの……
傷が癒えた今もレギーナさんの記憶は戻らず、行動は幼児以下の廃人のようです。
⦅妻のこんな姿をもしベルハルトさんが見たら……⦆
まだ男の方と付き合った事もない私には、愛する人が壊れてしまったときの感情は分からない。
今は戦う力を失ったレギーナさんを守り、記憶が戻ってくれる事を願い面倒を見ているけれど、もしこのままレギーナさんが回復しなかったとしたら……
本当に今のレギーナさんをベルハルトさんに送り届ける事が最善だと言えるのだろうか?
今のレギーナさんは一人で生きては行けない。
そんなレギーナさんをもしベルハルトさんが捨てたとしたら……
そんな恐ろしい未来を私は想像してしまう。
こんな残酷な現実は知らない方が良いのではないか?
愛した妻のこの姿を受け入れられず、もし冷徹な決断を下すとしたならば……
ベルハルトさんの心も壊れずに済むのだろうか?
そんな考えが頭の中をグルグル回り、結局答えは出ない。
何も言わないイ・シダール先生が、そんな人の残酷な決断を楽しんで見ているのではないか? ……と思えてならない。
私達がレギーナさんの面倒を見ていると、『食事を持ってきた』とテントに女鬼神兵の声が響きました。
その女性の鬼神兵の指示に従い、後ろに続く男の鬼神兵がテキパキと食事を運び直ぐにテントから出て行きました。
そして女性の鬼神兵だけが残りレギーナさんの様子をじっと見ています。
『な…なんでしょうか……?』
と私が恐る恐る質問すると、その女性の鬼神兵は答えました。
「すまない、私はルプシーと言う。 実は戦場で彼女の勇姿を見たのでな。 戦場での彼女は女だと言うのに素晴らしい戦士だった、敵ながら尊敬していたのだが…… 今の状態が不憫でな」
『戦場でレギーナさんの勇姿を見て尊敬した』
私にはその言葉が理解できませんでした。
生死をかけた戦場で対峙した敵に尊敬の念を抱くなんて……
その女性の鬼神兵は『良くなるといいな』と言ってテントから出て行きました。
ここに来てから私の価値観はどんどん崩れていく。
憎んでいた敵、全て悪だと思っていた敵も接してみれば私達と全く同じ、優しい人も沢山居た。
なぜ敵ながら尊敬し合えるのに殺し合わなければいけないのか?
また私の頭はグルグルと答えを出せない迷路に迷い込んでゆく。
数日後、私達はイ・シダール先生に連れて来られ、誰も居ない崖の上に居ました。
そこにはとても不思議な丸い水の幕のような、大きな鏡の様な物が浮いています。
その不思議な鏡を見て『う~うぅぅぅ~~~』とレギーナさんが手を伸ばして触ろうとしています。
「これは何ですか先生?」
「今、君たちの先輩ディケム君とディック君が鉱山都市ガレドに行っているのですよ」
『『『『はぁ~?』』』』私達は驚きました。
ディケム先輩たちは首都バーデンから一歩も出ていない筈。
「まぁ~なぜディケム君達が鉱山都市ガレドに居るのかは面倒なので割愛します。 君たちは現実だけを把握してください。 そしてこれからディケム君達の戦闘が始まるので君達にも見せようと思って連れてきました。 見たくないですか~?」
「見たいです!」「見せてください」「見るに決まってるだろ!」「……うん」
私達の返事を聞いて、満足そうにイ・シダール先生が『では!』と鏡に手を当てると――
鏡に波紋が広がり、波紋が収まった時にはそこに映像が映し出されていました。
映像に映し出されたディケム先輩とディック先輩はダンジョンの様な地下の広場に居ます。
そして今対峙している敵は……!?
その敵を見た私達は思わず声を漏らす。
『あ…あれは――!』
『そんな……』
『な、なんで地下に天使なんて降臨してんだよ!』
『………………』
私達は愕然としました。
この前シャンポール王都に天使が降臨した事は、シャンポール国民にとって記憶に新しい。
あの存在感と破壊力。
『御使いの天罰』が下り、滅亡しなかった国は人族史上シャンポール王国が初めてだったと聞きました。
そんな理不尽な存在など、普通人が生まれて一生のうちに一度でも出くわす確率など皆無な筈だ。
それなのに…… 今映像にはまた天使と対峙しているディケム先輩が映っている。
「なぜ…… また先輩は天使と戦っているのですか!?」
「そんなのあり得ない! 天使なんて普通神話の中の存在でしょ!?」
「そう。史実では数百年に一度降臨するかどうかだった天使が、またあなた達の目の前に降臨してしまいました。 この意味が分かりますか?」
「…………」 「…………」 「…………」 「…………」
誰も黙ったまま答えられませんでした。
でもそのとき、私の頭に口に出してはいけないその言葉が浮かんでしまったのです。
『か……!?』私はその言葉を言いかけて――直ぐ飲み込みました。
「なんだアンドレア!」 「わかったのかよ先輩!」 「…………?」
でも私は怖くてその言葉を口にする事ができません。
そんな私を見てイ・シダール先生が『フフ』と笑い言いました。
「アンドレアさんは合格ですね。 他の三人も、もっと考えて自分でその答えにたどり着きなさい」
私の頭に浮かんでしまった言葉を聞かずともイ・シダール先生は正解だと言う。
その時の私は酷い顔をしていたのでしょう。
恐怖と不安……そして絶望。
幼子が信じていた親に裏切られ捨てられた時、こんな顔をするのかもしれない。
そんな私達の会話を余所にディケム先輩達の戦いは続いている。
どう見ても攻撃があまり通じない天使に先輩たちは苦戦しているように見える。
しかも最初に顕現した天使が他の天使を呼び、十一対二と数でも圧倒的不利になっています。
『『『『ディケム先輩―――!!!』』』』
私達が叫んだとき、ディック先輩が顕現させていたイフリート様の炎が漆黒に変わる!
「ッ――!?」 「なに!?」 「なんだあの黒い炎は!?」 「…………?」
その光景を見て私達は驚くだけでした。
でもイ・シダール先生だけは目を見開き笑っています……
「フフフフフ……そう、それですよ! その力は私には決して手に入れられないもの。 そして私の目的には必ずその力が必要なのです。 さぁ見せてください! その神をも燃やし尽くす力を――! フハハハハァ――――――!!!」
それまで私達に教えるように話していたイ・シダール先生が……
今は興奮のあまり我を忘れ叫んでいる。
そして私達の事など忘れてしまったかのように、イ・シダール先生に変化が起きる―――!
『『『『ッ―――!!!!?』』』』
鏡の映像を凝視し、私達に背を向けるイ・シダール先生の背がほのかに輝きだす。
そして―― その背中には光り輝く天使と同じ翼が透けて見える……!?
「イ……イ・シダール先生? あなたはいったい……」




