第八章5 アンドレア・ハリングナー
私の名前はアンドレア。
名門ハリングナー伯爵家の娘に生まれ、その名に相応しい淑女となるよう育てられました。
一流の教育、一流の作法、一流の芸事、一流の……
私は一流を知り一流の貴族となり、ハリングナー伯爵家の名声、価値を高めて行く事が私の使命。
上級貴族の両親から掛けられる期待こそが私の喜びであり自慢でした。
優秀な兄妹親類も数多く居ましたが私は誰よりも優秀でした。
ハリングナーの名を継ぐのは私。
私にこそハリングナーの名は相応しいと思っていました。
そう育てられて来たのに……
八歳の鑑定の儀で私の運命は変わってしまった。
期待に胸膨らませ家族親族が見守る中、私の鑑定の儀は行われた。
そして―――
鑑定で告げられた才能は『精霊魔法師』。
精霊魔法師はレアな才能だけど、精霊と契約する事は自殺と同義、不可能だと言われている。
いわば精霊魔法師はハズレの才能。
その一瞬で、両親の興味が私から無くなっていくのが分かりました……
私は、私の才能を知った時の両親の失望した顔が今でも忘れられない。
⦅ウ、ウソ……嫌ヨ!⦆
⦅お父さま、お母さま―― どんな才能でも私は私よ!⦆
⦅お願い…… 私を見てよ!!!⦆
その日、私はハリングナーの名を継ぐ夢を失った。
それでも私はハリングナーの名に相応しくあるよう、せめて勉学に励みました。
その努力の甲斐が有り、座学では同学年でも誰にも負けない成績を残しました。
でも…… 両親の興味が私に戻る事は有りませんでした。
そんな私にさらなる転機が訪れました。
私が九歳の時『アルザスの奇跡』と後世に語り継がれる戦役が起こったのです。
人族の天敵、カヴァ将軍を討ち取ったのは精霊使いの少年だと聞きました。
その報を聞いて『もしかしたら両親の興味が私に戻るかもしれない!』そんな希望を抱きましたが、叶う事はありませんでした……
それでも私に一縷の望みを与えてくれました。
魔法学校に通えばその人に会えるかもしれない。
その人に会えれば私は救われるかもしれない!……と。
私が魔法学校に入学を果たしたとき。
その英雄、ディケム・ソーテルヌ様は既に陛下より世襲貴族を与えられ、辺境伯爵位、さらには王都守護者に任命され、とても私が気安く話しかけられる立場の人では無くなっていました。
そんな時私は、四年F組のエミリア先輩と三年F組のマルケ先輩がラローズ先生の仲立ちでソーテルヌ様に紹介されたのだと噂を耳にしたのです。
私はすぐにラローズ先生の元を訪れ『私もソーテルヌ様に紹介してほしい!』と願い入れました。
その時、私が先生に聞かれた言葉は『あなたは人族の為に自分の命を懸ける覚悟は有るのですか?』でした。
その質問に私は即答できませんでした。
いえ、その時私は『はい』とは決して言えなかった。
なぜなら私の一番は『人族』では無く『ハリングナーの名』だったからです。
そんな私を見てラローズ先生は言いました。
「今はもう、精霊魔法師が無謀な賭けに命を懸けるだけの差し迫った脅威は無くなったのです。 ですからあなたの様にまだ精霊魔法師の適性が育っていない人、覚悟が出来ていない人を彼に紹介する事は出来ないわ。 私が紹介すれば、彼もそれ相応の対応をあなたにしなければいけませんからね」
『あなたにはまだ、精霊魔法師としての適性も覚悟も無い』私には言われたその言葉の意味が理解できませんでした。
そして、ラローズ先生の紹介を取り付ける事が出来なかった私は、ならば自分一人でもソーテルヌ卿に会いに行こうと心に決めていたのです。
そんな時です……
あの恐ろしいエルフ族の事変が起きたのは。
王都上空に突然落ちて来た巨大な隕石。
王都の民全てが絶望し死を覚悟しました。
そして私も立ち尽くし必死に神に祈っていた事を覚えています。
あの絶望的なエルフ戦役をソーテルヌ様は勝って見せたのです。
精霊魔法師の適性? 覚悟?
もし私があの時、精霊様と契約していたとして……
あの隕石を前に私はソーテルヌ様の隣に立つ事は出来たのか?
いや、多分私ならハリングナー家を守るため、ソーテルヌ様とは逆に走っていたでしょう。
この時私はラローズ先生の『あなたにはまだ早い』と言う意味を少しだけ理解しソーテルヌ様の所へ行けなくなったのです。
その後もソーテルヌ様は『暗黒竜事変』を治め、ソーテルヌ総隊を創設し、ジョルジュ王国事変、モンラッシェ共和国事変などを治め。
次々と功績を上げられ――
侯爵位、公爵位となられ、さらに私などが直接話しかけられない方となってしまわれたのです。
そんな悶々とした毎日を送る私と、同じ悩みを持つクラスメイトが居ました。
アーロン・フェザートン。
フェザートン子爵家の御子息で、私と同じ精霊使いの才能です。
彼は勉強も魔法も私程優秀では有りませんでしたが、人をまとめる才能に置いては私も一目置く存在でした。
「なぁアンドレア。 君はラローズ先生にディケム先輩の仲立ちをお願いしたのだろ?」
「えぇ、でも今の私では精霊魔法師としての適性も覚悟も足りないそうよ」
「精霊魔法師としての適性と覚悟? 君が足りないんじゃ僕なんて話にならないな……」
「いえ、多分私はハリングナー家に相応しい魔法師となる為に力を欲している。 それではダメと言う事だと思うわ」
「なぜダメなんだ、それだって十分な理由だと僕は思うが…… 僕の理由なんて『戦争で死にたくない』ただそれだけだ」
「私はエルフ事変の時思ったの。 あの時隕石が王都上空に落ちてきたとき。 私が精霊魔法師だったとしたら、ハリングナー家を守る事よりも民を優先してソーテルヌ様の隣に立つ事は出来たのか? ……と」
「…………」
「ねぇアーロン。 この前ソーテルヌ総隊精霊部隊の方たちが精霊様との契約に成功したと、大きな話題になったでしょ?」
「あぁ、学生でも四年生のマルケ先輩はファイア・エレメント、そして三年のリグーリア先輩はなんと中級精霊のニンフと契約したって! 凄いよな」
「精霊魔法師の最終目標の一つは精霊様と契約を交わす事。 人と契約した精霊様は契約者が死ねば自分も死んでしまう、精霊様と契約を交わす事とは命を背負うと同義。 精霊様からしたら人間社会の格式を一番の優先と考える私は、命を預けるに値しないと言う事でしょう。 たぶんあなたの『戦争で死にたくない』の方がマシだわ、今のままの考え方では私は精霊様との契約に失敗する」
そんな話をアーロンと話していると……
後ろから不意に『ふふぅ~ん。 良いわね~ 悩んでいるわね~ アンドレアさん』とラローズ先生に声をかけられました。
「「っ――先生!」」
「確かに貴族社会、それも上級貴族として育ったあなたに生き方を変えろと言うのは難しい話でしょうね」
「は、はい……」
「ところであなた達も知っての通り、先日無事に私が預かるソーテルヌ総隊精霊部隊の全員が精霊様と無事契約することが出来ました。 これで私も安心してお腹の子に専念できると思ったのだけど…… あなた達の事をこのまま放って置くのも気になるのよね。 と言う事でいい機会だから彼に紹介してあげても良いわよ」
「っ――えっ!!! 彼って――ソーテルヌ先輩の事ですか!?」
「うん、そうそう。 ちょうど一年生にも二人程、精霊魔法師の才能の子がいるのよ、まとめて一緒にディケム君に全部放り投げちゃおうかなと思ったのだけど…… どぉ?」
「で、でも良いんですか? わ、私はまだラローズ先生から出されたお題に答えられていません」
「うんそうね。 だからここから先は自己責任になるわ。 ディケム君の所に行けば、そこはもう軍の預かりとなる。 学校では失敗してもやり直しが利く事が多いけど、軍での失敗は死に繋がることが多い。 勿論、直ぐ総隊に入れる訳でもないから、あなた達を学生として見てくれると思うけど…… 死なないと言う保証は有りません。死んでも自己責任です。 先の天使事変でもソーテルヌ総隊に所属する学生は最前線で戦ったのですから」
天使事変……
人類史上一度も滅亡を免れなかった『天罰』から王都を守り、天使を撃退した歴史的事変。
あの時の圧倒的な天使の力が思い浮かぶ。
ゴクっと、隣のアーロンが唾を呑む音が聞こえる。
私も冷や水を浴びた様に体がすくむ。
アーロンは死にたくないから精霊魔法師になりたいと言う。
でもソーテルヌ総隊の精霊魔法師は、学生の内から死の危険が有る戦場に駆り出されている。
人族領で一番安全な場所は、ソーテルヌ先輩の居る場所と領民に言われているけど……
人族領で一番危険な場所も、ソーテルヌ先輩の居る場所と言う矛盾。
でも……
危険を先延ばしにするより、学生の内から沢山の経験を積んだ方が、その後生き残れる確率は上がる。
これは軍事学校に通う者達の常識です。
重視する点は、その経験を密度の濃いものと出来るかどうか?
ソーテルヌ先輩の下で、無駄な経験など有るはずもない。
これは絶対に逃しちゃいけないチャンスだ!
私がそう結論付けるより先に、アーロンが『是非お願いします!』と返事をした。
「わ、私もお願いします!」
アーロンより返事が遅れた事が悔しい……
こうして自分の心のありようも定まらないまま、私はラローズ先生の仲立ちでソーテルヌ先輩に会えることになりました。
ラローズ先生の気まぐれなのか?
それともソーテルヌ先輩が私達を受け入れられる環境が整ったのか?
どちらにしても、私はこのチャンスをモノにしたい。




