第七章76 王女を守護する者
その部屋の前に立ち中を見ると、まるで幾層もの薄い氷のヴェールに隠された光景が広がっていた。
その部屋の奥にはベッドに寝かされたフュエ王女の姿が見える。
ブランはゆっくりとヴェールを一枚ずつめくり部屋の中へと進んだ。
部屋の中に入ると――
ベッドに横たわり眠るフュエ王女、そしてその横にはフュエ王女が可愛がっていた白猫が、王女を守るように座っている。
ベッドに横たわるフュエ王女は既に凍りついている様子は無く、ただ眠っているように見えた。
ブランがフュエ王女に駆け寄ろうとしたとき――
目の前に結界が張られた。
だがブランはその結界を、カーテンでも開けるかのように軽く開く。
『………………』 フュエ王女が可愛がっていた白猫がブランを睨みつける!
白猫がゆっくり立ち上がると、その額にもう一つの眼が現れた。
そして呪文を詠唱する。
≪――διαστασιακή-απομόνωση(次元隔絶)――≫
ブランとフュエ王女の間に物理では壊す事の難しい『次元隔離結界』が展開された。
『――――――』ブランは白猫を睨みつける。
『――――――』白猫もまたブランを睨みつけ、口を開く。
「ねぇ、フュエの思い人よ。 僕は【ヒュギエイア】という。 君はずっと前から僕の存在に気づいていただろ?」
「あぁ。 お前が今回フュエ王女を守ってくれたんだろ?」
「………それは違う。 むしろ今回彼女を危険にさらしたのが僕だ。 フュエは何もしなければ氷の牢獄に閉ざされることも無かった」
「だけど彼女は目の前で次々と人々が死んでいく様を見て…… 何も出来ない自分が耐えられなくなったのだろ? だからお前が力を貸して壊れそうな彼女の心を護った」
「それが分かっていて…… なぜ君は彼女をこの地に送り出した? 君は彼女が友達とこの地を訪れることは分かっていただろう? 阻止しようと思えば君なら出来た、なのに君はそうしなかった。 なぜだい?」
「…………」
「答えられないのかい。 彼女の心の支えは自分だと知っているのだろ? それなのに君は…… 彼女は君が来てくれないかもしれないと不安がっていたよ」
『…………』ディケムはヒュギエイアの言葉に何も言葉を返せなかった。
もちろん言い訳は色々ある。
――フュエ王女が自分で選んだ選択を否定してはいけないと思った。
――過保護過ぎればフュエ王女の成長を妨げてしまう。
――フュエ王女には色々な経験を積んでほしい。
………だがヒュギエイアが言いたいことはそんな事では無い筈だ。
「私の力は戦う為の物ではない。 だから本気で君と戦えば私は君には勝てないだろう」
『そんな筈はない』とディケムは思っていた。
確かにヒュギエイアの力は戦う為の物ではないかもしれない。
しかし本気で戦えば、ディケム本体ですら勝ち筋は見えない……と。
「だけどね…… それでも君が彼女を悲しませるのならば、僕はフュエを君には渡さないよ!」
そのとき『シロ……』と小さな声が聞こえてくる。
怒気を強めるヒュギエイアとブランはベッドに横たわるフュエ王女をみる。
フュエ王女が目覚めたようだが……
彼女は目を閉じ寝た姿のままだった。
「シロ……」
「フュエ! 目が覚めたのか?!」
「シロ…… ディケム様を困らせないで……」
フュエ王女はこの部屋に居るのがブランだと見えていない。
だがもしかすると仮死状態から完全に解けていない事が、逆にフュエ王女の感覚を研ぎ澄まし、ブランの中のディケムの存在を感じ取ったのかもしれない。
「私は良いのです。 ディケム様が振り向いてくれなくても、私がお側に居たいのです。 私は…… ディケム様が来てくれただけで嬉しいのです……」
「フュエ…… 君は本当に不器用な子だな。 こんな奴を好きにならなければ、君はいくらでも幸せになれるのに」
「フフ…… シロ…… ありがとう……」
「フュエもう良い! 喋らなくていい…… 君は膨大なマナを使い、その直後氷に閉じ込められたんだ。 今は体力も無いだろう。 せめて哀れな君を僕が守ってやるから」
ディケムは思う――
俺は……
ヒュギエイアの言葉に何も言い返せなかった。
俺はフュエ王女の事を嫌ってはいない。
むしろこの荒んだ世界で、彼女の無垢でピュアな優しさは大好きだ。
だけど俺はララとラトゥールを愛している。
フュエ王女を、彼女たちと同じくらい愛せるのか?
今の俺にはフュエ王女を『愛せる』と断言する事が出来なかった。
ヒュギエイアの言う通り、俺は酷い事をしている。
明確に拒絶する事をせず、彼女が俺に愛想を尽かすのを待っている。
本当に酷い男だ……
でもいつかフュエ王女を、ララとラトゥールのように愛せる日が来るかもしれない。
だからそれまでは、俺はフュエ王女の気持ちを安易に受け入れる事は出来ない。
……と。
「フュエの思い人よ、今は彼女の体力を回復する事が急務だ。 とりあえず君に彼女を任せるが…… 僕は彼女の側から離れない。 僕はずっと君を監視して君から彼女を護る。 それが嫌なら力で僕を滅すると良い」
ヒュギエイアがそう言うと――
フュエ王女とブランを隔てていた『次元隔絶結界』が解除された。
『わかった、彼女の側で俺を監視していてくれ』とブランは言い、
ベッドに横たわるフュエ王女を抱きかかえ立ち上がった。
フュエ王女を抱えるブランの横には、白い猫がぴったりと後をついていた。




