第七章54 腐敗瘴気の霧
―――フュエ王女視点―――
高台の公園から、万の数を超す民衆の群れが見えます。
個の時は臆病ですが、群れを成せば大胆な行動に出る民衆。
万を超すデモ隊の声が王都中地鳴りの様に響き渡り、高揚感を助長し熱気が感染していきます。
『弱き民を救え! 民あってこその国だ!』
『民なくして王などありえない!』
『無能な国家評議会は解散せよ!』
興奮が最高潮に達したデモ隊が暴徒と化し王城を目指し雪崩れて行きます。
先頭にはどこから持ち出したのか城門を壊す兵器、破城槌も見えます。
まるで生き物の様に動く群衆の群れがとうとう王城門にたどり着いた時。
破城槌が城門に衝突しました。
衝突音など遠く離れたこの高台に聞こえてくるはずもない……
なのに確かに私達は『ドンッ』と言う鼓動のような音と振動を感じました。
⦅今のはナニ?⦆
その一度だけ打った心臓の鼓動のような音は、生物としての恐怖を心から呼び覚まします。
私だけじゃない…… 他の皆も城をジッと見据えその手が震えています!
しかし暴徒と化し、群集心理で理性的思考が低下し興奮が最高潮に達した群衆は、その異変に気付く事が出来ませんでした。
そして……二度目の破城槌が城門に叩きつけられるその時
輪っか状の雲が『ドンッ』と鼓動を打った!
先程は『鼓動を打った?』だったのが、今度は確実に皆鼓動を聞いたのです!
それはまるでお腹の中に宿った生命の鼓動を聞いた時の感覚……
次の瞬間――水風船が弾けた様に輪っか状の雲が爆ぜ、霧が王都を流れて行きました。
それはほんの一瞬の出来事でした、その霧に『触れた者』『触れなかった者』の差は只の偶然。
ですがその差は残酷なまでに明確な違いとして現れました!
霧に触れた者は一瞬にして腐敗の奇病を発症したのです。
私も一瞬にして押し寄せた霧に呑まれました…… ですが九属性オリハルコン装備の防御のお陰で難を逃れることが出来ました。
そして私の後ろに偶然居たアマンダとヴァンも、川の水が岩に当たり割れる様に霧が割れ難を逃れることが出来たのです。
しかしヴァンの後ろに居たセシリアは、割れた水が再び合流するかのように霧に呑み込まれてしまいました。
そして霧が通り過ぎた後には……
奇病に感染したセシリア、シャルマ、フローラが地面に臥していました。
―――マリア視点―――
ブランに命を救われたマリア・バルコスと娘のローラはバルコス邸に戻っていた。
奇病に侵され末期症状だった二人が元気な姿で帰り、両親は大いに喜んだ。
しかし困惑したのは婿養子としてバルコス家に入った夫、マリアが戻った時には既に次の妻を迎え入れ、マリア亡き後の現当主として贅の限りを尽くしこの世の春を謳歌していた。
「マ…マリア…… お前なぜ戻って来た!?」
マリアの夫は、ブランのほんの少しの気まぐれで人生を転げ落ちる事になった。
だが……流石にこの男にも非が無かったとは言えない。
いくら妻と子の死が確定していたとしても、せめて喪が明けるまでは悲しみに暮れる夫を演じ切るべきだった。
「あらあなた。 妻と娘がまだ死んでも居ないのに、婿養子のあなたが新しい妻を迎え入れるとは……ほんと愚かな人ね。 これは――このバルコス家と縁を切ったと言う事で良いのですね!?」
「そ…そんな……」
「ちょっとあなた……これはどう言う事!? 私をバルコス家当主の正妻にしてくれるって約束だったじゃない!」
由緒正しいバルコス家当主の正妻とは思えない女の品の無さが際立つ。
「マ…マリア。 俺は既にバルコス家の当主の座を譲り受けたはずだ! 今更決定を覆す事など出来はしない!」
「そんな事……私ならどうとでも出来るとあなたは知っているでしょ? バルコス家の名はそこら辺の建前だけの飾り貴族では無いの。代々力有る者がこのバルコス家を導いて来たから今日の地位が有るのよ。 機を見ることも出来ず欲望に流され既に新しい妻を迎えてしまった浅はかなあなたに勤まるほどこのバルコス家の家名は安くないわ!」
マリアが怒気を含んだ声を上げた時、マリアの右耳に付けていたピアスが光り出す。
娘のローラが付けている同じピアスも光っている、ブランへの服従の証だ。
すると邸宅内にもかかわらず霧が流れ込んでくる。
霧は建物を透過し、命ある者を飲み込む。
だがブランのピアスを付けているマリアとローラを霧が避ける。
そして偶然その陰に居た両親も霧に呑まれる難を逃れた。
しかし霧が通り過ぎた後には……
奇病に侵された元夫とその新しい妻が床に伏せていた。
「あぁ……これが主たるブラン様の力! 私はブラン様に守られている―――!!!」
感極まったマリアの忠誠はここに極まった。
―――トリーノ視点―――
トリーノは幼馴染のセルシアを愛していた。
セルシアの頼みなら何でも聞けた。
セルシアの為なら何でもできた………
そのセルシアが奇病の看護で日に日にやつれていく。
『どうしてこうなった?』
『セルシアがこんな目に合うのは国がおかしいからだ!』
『セルシアを護れるのは俺しかいない!』
トリーノの想いがデモ隊の思想と合致してしまう。
トリーノは何の迷いも疑問も無くデモ隊と一緒に王城へ向かった。
そして破城槌が城門に叩きつけられた時……
トリーノは僅かに残った理性を取り戻す。
『違う! こんな事をしてはダメだ!』
しかし大きなうねりとなった動きがトリーノ一人の力で止まる筈もない。
トリーノの抵抗虚しく二度目の破城槌が城門に叩きつけられた。
そしてそれは起きる………
腐食の霧が民衆を吞み込み、万を超える民衆が奇病に侵された。
トリーノが奇病に侵されなかったのは只の幸運だっただろう。
しかし自分達の行動が、多くの民衆を奇病に汚染される引き金になった事をトリーノは自覚していた。
そして…… 呆然自失で中央病院へと戻ったトリーノは愛するセシリアが奇病に侵された事を知る。
「あぁああ……… あぁあ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”――――!!!!」
いくら悔やみ泣き叫んでもセシリアの奇病は治らない。
奇病に侵されたセシリアもシャルマもフローラも……
必至に看病しているクレアスもフュエもリサも………
皆この大惨事の引き金になった暴動にトリーノが参加した事を知っている。
でも誰もトリーノを責める事はしなかった。
もちろん暴動にトリーノ一人が参加して居なかったとしても、結果は同じだっただろう。
しかしトリーノは自分が犯した罪を許せるはずが無い。
自分が最も愛する人が、自分の軽率な行動で取り返しの付かない事になってしまったのだ。
せめてトリーノは皆に罵って欲しかった。
『お前のせいでセシリア達はこうなったんだ!』と攻めて欲しかった!
しかし心が闇に押し潰されそうなトリーノを気遣える者は誰も居ない。
そんな余裕の有る者など、今この国のどこにも居る筈も無い……




