第七章34 オリヴィエ嬢の誘惑
ネフリム事変から数日後。
俺は各隊の報告書と関係者の聴取報告書を読みながら考えに耽る。
今回の事変、ネフリムを使っての国落としはその強引なやり方と結末を見れば、最初から失敗する事を前提として動いていたと考えた方が良いのではないだろうか?
そう仮定してみると……
最初はルカ教とミュジニ王子は同調していると思っていたが、双方の思惑は相異なると見た方が自然だ。
ミュジニ王子達はシャンポール王都を消滅させたいと願っているはずが無い。
だがフュエ王女は排除したい。
するとネフリムを顕現させたいルカ教を利用して、フュエ王女の排除を目論んだと考えると辻褄が合ってくる。
ミュジニ王子がもし今回は失敗しても良い程度に考えていたのだとすると………
此度の天使降臨により王都住民に不安を植え付けさせた。
そして現状ボーヌ王国が同盟離脱し宣戦布告をしている事を鑑みれば………
『王都守護者』の俺は軽率にシャンポール王都から動けなくなったと言っても良い。
するとミュジニ王子の本命は次の策になると言う事か?
⦅全くやっかいな⦆と思っていると伝令使より急報が届く。
「ディケム様―― 急報です! フュエ王女及びシャルマ嬢、フローラ王女、アルバリサ王女が突然姿を消したと言う事です!」
「ッ―――!!!」
―――フュエ王女視点―――
少し時間は戻ります。
シャンポール王都に天使降臨す。
その噂は人族の国々を駆け巡りました。
天使降臨…… その言葉だけを聞けば、他国の信仰心が熱い人々は歓喜するかもしれません。
しかし事変のおり王都にいた人々の多くは、あの天罰の光景を目の当たりにし、今でも天使と聞けば恐怖を呼び起こすトラウマを植え付けられてしまいました。
そして各国の軍部もこの話題で持ちきりになりました。
それは長い歴史の中で、天使が降臨し天罰を下され、滅びなかった国など無かったからだそうです。
私としてはディケム様の名声が更に上がった事は嬉しいのですが、天使降臨までの色々な事があり過ぎで、今だに心の整理が付かない…… と言った現状です。
ですが、だからと言って私たち仲良し四人組の関係が変わるわけはありません。
私達仲良し四人組はどんな困難にも打ち勝つとハイエルフのアルコ様と約束したのですから。
今日は朝、リサがやっと目を覚ましたとエメリーから報告を貰いました。
その事をシャルマに話し、学校が終わったあとフローラを誘い、一緒にリサのお見舞いに行く予定です。
エメリーが少し心配していましたが、ディケム様から今回の事変で『眠りの封印』を施されたリサは暫く暴走する事は無い、という言葉も貰えましたので問題ありません。
そんな放課後を楽しみにしていた私ですが……
休み時間に思わぬ人と話す事になってしまいました。
それは午後の授業で使う資料を取りに職員室へ向かう途中でした。
人気の少ない廊下を歩いていると、私は聞き覚えのある声に呼び止められたのです。
「フュエ王女殿下。 お元気そうで何よりです」
「なっ! オ……オリヴィエ・グリオット嬢! あなた……」
私を呼び止めたのはミュジニ王兄殿下の許嫁。
グリオット侯爵家令嬢オリヴィエ様でした。
当然私は身構えました、あの天使事変での仕打ちを忘れた訳がありませんから。
「あら~ フュエ王女殿下、そんな怖い顔で睨み付けるなんて…… まさか私に怒っていらっしゃるのですか? もしかして殿下は何か勘違いをしていらっしゃるのではないですか?」
「なにを今更白々しぃ………」
「フュエ殿下。 此度の天使降臨と言う歴史的事変、我らシャンポール王国の守護者ソーテルヌ公爵様はやはり見事退けてくれました。 私は必ずやソーテルヌ様ならばこの大事もはね除け、その勇名を世界に轟かせてくれると信じておりましたよ」
「あ、あなたいったい何を………」
「簡単な事です。 フュエ殿下には申し訳ありませんでしたが、ルカ教の『国落とし』計画を知った私は手遅れになる前に一計を案じ、四人の王女様に協力して頂く事でルカ教幹部のボノスをおびき出しソーテルヌ様に討ってもらった…… と言う事です。 現実、ルカ教の『国落とし』は準備不足もあり失敗し、アルバリサ王女には『眠りの封印』が施されました。 いつ破裂するとも分からなかった二つの癌が一気に片付いたのですから、良かったでは無いですか」
「そんな…… 白々しい………」
オリヴィエ嬢の言葉は信じられないけど、たしかに言っている事は間違っていない。
でも…… あのディケム様との食事会で浅慮の為醜態を晒したオリヴィエ嬢が、こんな手の込んだ策を立てられるのかしら?
「そ、それで…… 今日、私の前に現れたのは何の用でしょうか? 会ったのは偶然では無いのでしょ?」
「はい。 まぁ此度の件はフュエ王女を初め他の三王女からも恨まれていても仕方がないと想っております。 策が……策だっただけに。 ですが今話した成果を考慮して頂き少し私とお話をして頂きたいのです」
「…………。 な、なんでしょう? 話だけなら聞きます」
「ありがとうございます」
私は警戒心を最高レベルまで引き上げ、オリヴィエ嬢の話に耳を傾ける。
「ではフュエ王女殿下。 あなた様はシャンポール王国の秘宝【ヒュプノスクリス】に選ばれました。 率直に伺いますが、そのあなた様は王兄殿下であらせられるミュジニ殿下を差し置き、シャンポール王国の国王になられるおつもりですか?」
「その話ですかオリヴィエ嬢…… その件についてはまだ私にはわかりません。 【ヒュプノスクリス】に選ばれる事は次代の国王を決める儀式、父上がまだご健在の今、決めるには早計ではありませんか?」
「そうですか…… しかし否定はしないのですね? ですが……あなた様は【ヒュプノスクリス】には選ばれましたが、まだこの国の……あなた様の一番の重要なお役目であるソーテルヌ公爵様に見初められる事、それが成されておりません。 お役目を果たせていない状況であなた様が次期国王を名乗る事、私はこれを認めることは出来ません」
「オリヴィエ嬢…… そ、そのお役目は今頑張って……」
「フュエ王女殿下。あなた様はわが国の最大の盟友国である、魔神国の太守ラトゥール様から『お披露目の儀』のおりにソーテルヌ公爵様の隣に立つ資格を問われたそうですね。 今のあなた様にはそれが無いと」
「それは………。 な、なにが言いたいのですか?」
「フュエ王女殿下、私は別にあなた様を否定しているのではございません。 『今のあなた様では……』と言う話です。 ですからラトゥール様にも認められる、良い功績を上げる策をお教えしたいと思ってあなた様に会いに来たのです」
「ラトゥール様にも認めて頂ける功績が有るのですか!!?」
「ええ。 同盟から離脱するしかなかったボーヌ王国の異変、これをご存じですよね?」
「はい…… ボーヌ王国の異変の事は少しだけ聞いています。 ですが……『離脱するしかなかった』とおっしゃられたと言う事は、同盟離脱はボーヌ王国の本意では無かったとおっしゃるのですか?」
「はい。 ですがボーヌ王国は今、長年に渡るロマネ帝国との内密な共同研究に失敗し、深刻な『腐食の呪い』に侵されている状況なのです。 このままにして置けば滅びの未来しか無いでしょう」
「そ……そんな!?」
「ですがもし、このボーヌ王国を『腐食の呪い』から救うことが出来れば、多くの人々の命を救い、ボーヌ王国に大きな貸しを作り、ボーヌ王国も同盟に復帰する事でしょう。 なんなら殿下の推薦でお友達のアルバリサ王女を次期国王に押す事も可能になると思います」
「リサをっ……国王に!!! で、でもボーヌ王国はいま同盟離脱だけじゃ……」
「はい、ですが私が手に入れた情報では…… 宣戦布告は結局建前だけ、国が病気で瀕死の時に戦争など出来る筈がございません。 あの布告はボーヌ王国国家評議会の暴走だと推測できます。 ですから民衆を救い味方に付けアルバリサ王女を立てられれば…… 義も全て此方にあります、戦わずしてボーヌ王国を落とせるはずです」
「戦わずしてボーヌ王国を……」
「はい。 それにこの奇病から国民を救う任務は白魔法師のあなた様にはうってつけだと思うのです。 フュエ殿下なら必ずや成し遂げられると私は確信しております」
「白魔法師の私なら……」
「ですが…… この任務の一番の目的はラトゥール様に認められる事です。 大切な事は決してソーテルヌ公爵様の助けを求めてはならないと言う事。 リスクを伴う任務だからこそ、成功すればラトゥール様も認めてくれると言うものです。 ですがもし話してしまえば必ず反対されこの任務は無しとなり、アルバリサ王女も帰る国を失う事でしょう」
「リサの為にも…… ディケム様には秘密にしろと言う事ね?」
「はい。 フュエ王女がボーヌ王国を救って見せれば。 ラトゥール様もお認めにならない訳にはいかない。 そしてアルバリサ王女も喜び、ソーテルヌ公爵様だってきっと…… 勝利は手を伸ばせば直ぐそこにあります。 いま行動を起こさないのは愚者だと思いませんか?」
「ラトゥール様が認めて下さる! そしてディケム様も………」
「はい。 もう一度念を押しますがフュエ王女殿下。この件に関しては決してソーテルヌ公爵様の力を借りてはなりません。 あなた様ご自身で解決してこその功績となるのですから」
オリヴィエ嬢の怪しいまでに美しい微笑みが私に向けられる。
すると……
私が使い魔として学校に連れて来ている猫の『シロ』がオリヴィエ嬢に対し、全身の毛を逆立てて威嚇をする。
「ちょっ…… ど、どうしたの? シロ」
ネロと夢から一緒に出てきてしまったこの猫はいつも寝ているばかりなのに……
どうしてかオリヴィエ嬢には警戒し威嚇をしている。
その珍しい行動に私は目を瞬かせる。
「まぁ……躾けのなっていない畜生ですこと。 だから頭の悪い獣は嫌いなのです!」
シロに威嚇され気分を害したオリヴィエ嬢は、『決してソーテルヌ卿に相談してはなりませんよ』と念を押して去って行きました。