第七章1 不和
長かった学校の春休みもそろそろ終わる。
俺たちは今年魔法学校の三年生に上がる。
この頃の学生の感情は様々だ。
三年生は今年から上級生となり、下級生との交流も増え、導かれる立場から導く側に代わる。
新入生は、これから始まる学生生活に期待に胸を膨らませている。
だが、一貫していることは、魔法学校は軍事訓練学校と言う事だ。
ソーテルヌ総隊隊員は去年も大きな実戦に駆り出されていたおかげであまり実感はないが、まっとうな学生生活を送っている生徒は四年間の学校生活が終わってしまえば、強制的に軍人として実戦に投入される。
そこは確実に『死』と隣り合わせの場所だ。
人族が滅亡寸前と言われていた『アルザスの奇跡』戦役以前は、ほとんどの若者が学校を卒業した十六歳で命を落としたと聞く。
今年はその『アルザスの奇跡』戦役から約五年。
今では『人、魔神、エルフ』の三種族同盟も締結され、五年前のように『十六歳で必ず戦争で死ぬ』とまでは言われなくなったが、やはり今でも『死』と言うものが身近な事は変わらない。
エルフ族を事実上従属させ、人族は『強種族』の仲間入りを果たしたと言われているが……
その現実はシャンポール王国だけが力を蓄え、他国は『最弱種族』と言われていた時と内情はあまり変わっていない事は周知の事実だった。
そんな国際情勢が無意識に人々の深層心理に根付いてしまっているこの世情で、シャンポール王国以外の他国の学生、とりわけ四年生は確実に追い詰められていた。
あと一年で学生生活が終わってしまえば、必ず実戦に投入される。
『自分はあと一年しか生きられないかもしれない』と……
現実の『死』と言うものを身近に感じだすこの学年では、近年常勝のシャンポール王国の学生と、度重なる戦争で疲弊したダメージから回復しきれない他国学生との間に、確たる格差が出来てしまっていた。
その格差によるヘイトが如実に表面化してしまったのが、今年の魔法学校入学式で行われる『代表挨拶』の『在校生代表』と『新入生代表』の選考だった。
魔法学校の最も有名な校則は『学校は治外法権』。
学校内では身分の上下は無い、唯一の権力者は『先生』と言うものだ。
だがそれが建前だけと言う事は誰でも知っていること。
現に、俺たちが入学した時の『在校生代表の挨拶』は四年生の優秀な生徒ではなく、三年生のジョルジュ王国ルーミエ王子(現国王)だった。
それが今年は……
例年だと四年生に在籍しているモンラッシェ共和国のグラン嬢が『在校生代表の挨拶』を務めるものだと誰もが思っていた。
モンラッシェ共和国は『人族同盟』に加盟し、グラン嬢は正式な生徒となったのだから。
しかし選ばれたのは、グリオット侯爵家のオリヴィエ嬢。
そうシャンポール王国ミュジニ王子の婚約者が代表に選ばれたのだ。
この発表にシャンポール王国学生と他国学生との間に、確実に溝が深まった事は確かだ。
もしオリヴィエ嬢が、皆が認める程の優秀な生徒だったら……
『治外法権』の校則を順守した英断とされ、これほど他国の反感を買うことは無かったかもしれない。
しかしオリヴィエ嬢の成績は、あまり好ましいものではなかった。
ミュジニ王子と婚約中とはいえ、まだ一貴族の令嬢が王族と同等の大統領令嬢を押しのけて代表に選ばれるなど……
『シャンポール王国の貴族は、他国の王族位よりも上だと言いたいのか?』と大騒ぎになってしまった。
そして悪いことに、今年新入生代表挨拶は……
シャンポール王国フュエ王女だ。
オリヴィエ嬢の件がなければ、成績優秀者のフュエ王女が新入生代表に選ばれることは普通だった。
しかし、人の感情は『それは別』と簡単に割り切れる程、単純ではない。
在校生、新入生、両代表がシャンポール王国から選ばれた事が、大きな反感を買うことになってしまった。
そんな各国同士がギスギスしている入学式目前のある日。
「なぁディケム。 なぜ『在校生代表の挨拶』がオリヴィエ嬢になったんだ? さすがに俺もおかしと思うんだ」
食事中にディックが俺に聞いてくる。
自分もかかわる事なだけに、フュエ王女は口をつぐんでいる。
「ただの予想だが…… フュエ王女が『新入生代表』に選ばれたからじゃないのか? 今回の『王位継承選定の儀』で、完全にミュジニ王子は厳しい立場となった。 だから少しでもミュジニ王子も、婚約者のオリヴィエ嬢も、フュエ王女に劣っていない事を見せたかったのだと思う。 オリヴィエ嬢の父君、野心家で知られるグリオット侯爵あたりが考えそうな事だ」
「たしか、ミュジニ王子も戦士学校の四年生として代表に選ばれていたな。 それは王族が選ばれていた今までと変わらないから気にならなかったけど…… さすがに魔法学校には今年グランが居る。 オリヴィエ嬢が選ばれるのは誰が見ても不自然だろ」
俺がニヤッと笑うと……
「べ、別にグランだから言っているんじゃない! こんな下らないことで他国と変な確執ができるのは良くないと言ってるんだ!」
「まぁそうだが…… これは俺たちがどうこう出来る話じゃない。 それに学校は治外法権、学生がギスギスしたところで、同盟国同士の関係がおかしくなる事は無い」
「そうだろうけど…… 小さな禍根でも積み重なりいつか取り返しのつかない事にならないとは限らないだろ?」
「まぁな。 今俺たちに出来ることは、他の学生と一緒に学内でいち生徒の立場でこの問題に取り組む他ない。 人の感情、しかも国同士の格差が原因の根にあるこの問題は非常に難しい」
「あぁ、まずは新学期に学校に行って雰囲気を見てみるしかないか」
「だな……」
「ねぇディケム。 代表挨拶と言えば、今日マール宰相に呼び出されてたけど、陛下とも面会してフュエ王女の事話してきたんじゃないの?」
ララが突然話の内容を自分の事に変えてきたので、フュエ王女が少し『ビック』と反応している。
「あぁ。 今マール宰相が必死に尽力してくれているらしい。 陛下も早くフュエ王女を王宮に戻したいようだが…… 正直まだ現状は芳しくないようだ。 万が一が有ってはならない事だから『もうしばらくはソーテルヌ邸でかくまってほしい』と言われたよ」
「そう…… 家族で憎み合うとか悲しいね」
「正直俺も王宮ではフュエ王女を完全に守れる自信は無い。 ここに居てもらった方が安心だ。 それから陛下は今起こっている『代表挨拶』の問題も危惧なさっておいでだった。 学校内は権力が介入できない聖域だからな、そこでフュエ王女を守れるのは俺達しかいない」
「うん!」
「フュエ殿下。 私は陛下から『くれぐれも娘をよろしく頼む』と王としてではなく、一人の親として懇願されましたよ」
俺の話を聞いてフュエ王女は少し顔を曇らせる。
フュエ王女は陛下を避けている気がある。
フュエ王女の出生は、俺がオネイロスと繋がった時に意図せず知ってしまった。
アンヌ女王は義母にあたり、ミュジニ王子とは異母兄妹なのだと。
そして多分、実母はあの人の娘なのだろう……
もちろんこの話は誰にも話していない。
俺が知っていることもフュエ王女は知らない。
陛下とフュエ王女の間に、行き違いや過ちは有ったのだと思う……
たとえ国王といえども一人の人間だ、愛する人を失えば間違う事もあるだろう。
でも今は陛下がフュエ王女をとても愛していることは、二人を傍で見ていればわかる。
だがフュエ王女は表面上取り繕ってはいるが、本心では陛下に心を閉ざしたままだ。
二人と深く関われば関わるほど二人の関係のいびつさ、痛々しさを感じてしまう。
だがこれは二人の問題だ、他人が立ち入って良い話ではない。
いつかフュエ王女が陛下を許す時が来る事を俺は願っている。
そんな様々な人の思惑と感情が渦巻く新学期がもうすぐ始まる。