第六章71 家族
【王位継承選別の儀】では王祖シャンポール以来、誰一人として主人と認めなかった宝剣『ヒュプノスクリス』がフュエ王女を選んだ。
だがこれは、ただ次代の王としての権利を得たと言う事だけだ。
今すぐに『王となる』と言う事ではない。
そしてもちろん『ヒュプノスクリス』がそんな事を考えて選んだのではない。
シャンポール王家が勝手にそう決めているだけのこと。
フュエ王女が何か不始末でも起こせば、その権利も喪失するだろうし……
とうのフュエ王女が女王を望まなかったとしても…… 同じだろう。
そしてこの場にいるアンヌ女王、ミュジニ王子、オリヴィエ嬢の反対もあり、暫くフュエ王女が『ヒュプノスクリス』に選ばれた事は秘匿とされる事となった。
確かに今『ヒュプノスクリス』の事を公表すれば、正当な王はフュエ王女だと担ぎ上げる貴族が現れ、現政権までも危ぶまれる危険性は否定できない。
それに王祖以来『ヒュプノスクリス』が主人を得なかった事もあり、代々の王はこの宝剣の存在をあまり表に出さなかった。
そのため『ヒュプノスクリス』の事は伝説上の話し程度にしか人々は知らない。
俺でも『王位継承選別の儀』が本当に行われている事を初めて知ったほどだ。
まぁそれはそうだろう。歴代の王は『自分が選ばれなかった事』を自分から進んで話す者などいない。
それが国王ともなれば王権の弱みにもなりかねないからだ。
正直、俺には民を思う王であれば誰が王になろうがどうでもいい話しなのだが……
とうの本人達はそんな事は言っていられない事も理解は出来る。
俺としては『ヒュプノスクリス』が次代の主人を選ぶまで、フュエ王女の所有が認められた事だけで満足だ。
まぁ実際は……
所有を認めるも何も『ヒュプノスクリス』はフュエ王女以外には触れられないという事と……
元の場所に置いて行こうとすると、この洞窟をモヤが埋め尽くし『一緒に連れていかなければ帰さない』と言わんばかりのオーラを放ってきたのだ。
⦅子供か!!!⦆
そんな訳で今回の『王位継承選別の儀』において、突如『ヒュプノスクリス』の導きにより、フュエ王女が宝剣の主となった。
しかし―――
この誰も予想もしなかった事態に王族の家族関係が真っ二つに割れ、お家騒動に発展する事となる。
≪フュエ王女の王位継承を認めたくない派≫
アンヌ女王、ミュジニ王子、ミュジニ王子の許嫁オリヴィエ嬢
≪容認派≫
シャンポール陛下、マール宰相、ソーテルヌ王都守護者
シャンポール陛下とマール宰相は代々の家訓を守ることを主張し、フュエ王女の王位継承権を押した。
そして俺は誰が王になろうがどうでも良かったのだが……
『ヒュプノスクリス』に認められたフュエ王女を認めなければ、なぜ代々この『王位継承選別の儀』を行ってきたのか分からなくなる。
『ミュジニ王子も参加したではないか?』と主張したのだが……
フュエ王女の婚約者として認識されている俺の主張は公平な立場でない者の意見とされてしまった。
⦅まぁ…… そうなるだろうな⦆
そんな訳で俺はマール宰相に頼まれ、フュエ王女を俺の邸宅、ソーテルヌ公爵邸に一時避難させる事になった。
『いくら何でも家族同士でそこまで物騒な話にはならないのでは?』
と思ったのだが、マール宰相から『貴族の恐ろしさ』を諭された。
いま冷静を欠いているミュジニ王子派が強行に及ばないとは言え無い。
そして最も危険なのは次期女王の座を狙っていたオリヴィエ嬢の実家、グリオット侯爵家の動向が最も危ないのだと言う。
いくらこちらに正義があると言っても、死んでしまえば負けになる。
生き残った者がいくらでも真実を変えてしまう事は歴史が証明しているからだ。
まだ未成年の為、自分の派閥を作れていない少数派のフュエ王女には、この国に安全な場所は無い。
だが唯一王族ですら手を出せない場所が一箇所だけある。
そう、俺の家ソーテルヌ公爵邸だ。
俺は理不尽な権力に従うつもりはない。
そしてこの邸宅には危険人物は入れない。
ここ精霊の領域ソーテルヌ邸の結界は俺の身内に悪意を持つ者を排除する。
「フュエ殿下はこの部屋をお使いください。 このフロアにはララとラトゥールの部屋もあります。 王国の何処よりも安全です。 安心してお寛ぎください」
「はい。 ありがとうございます」
「エメリー、ジェーン、エマ。 フュエ王女の隣の部屋を使ってくれ。 王女の身の回りの事は任せたぞ」
「はい、ありがとうございます。 ソーテルヌ卿。この度のフュエ殿下への丁重なるお心遣い感謝いたします」
「フュエ殿下。 少し時間が経てば王宮も落ち着くでしょう。 マール宰相が何とかしてくれます。 きっとミュジニ殿下もアンヌ女王も時間が経てばわかってくれる事でしょう。 家族なのですから」
『はい』と小さく答えたフュエ王女は、俺の使った『家族』と言う言葉に希望など持っていないようだった。
「フュエ殿下、荷物を少し片付けたらテラスにでも来ませんか? 私はこの後ララ達とお茶の約束をしているのです、殿下もご一緒にいかがですか? できれば私たちに『宝剣ヒュプノスクリス』を見せて欲しいのです。 勿論気が向いたらで結構です。 お疲れでしょうから夕食までゆっくりされても構いません」
「行きます! 今はディケム様のお側にいたいのです」
かわいそうに…… 怯えてしがみつく子猫の様に震えている。
一番心を許せる筈の家族に命を狙われているかもしれない恐怖。
どうしてこうなったと言うのが本心だろう。
俺がいつものようにラトゥール、ララ、ディック、ギーズ達とテラスでお茶をしていると、部屋を片付けたフュエ王女が歩いてくる。
後ろにはエメリーだけが控えている。
後の二人は引き続きフュエ王女の部屋を整えているのだろう。
フュエ王女には基本、俺か四門守護者の誰かが随行しない限り本館以外には出歩かないように言っている。
勿論このテラスも自由な立ち入りは禁止だ。
これはフュエ王女の護衛のためでもあり、この精霊の楽園は人の常識は通用しない。
たとえ下級精霊だったとしても怒らせれば危険だからだ。
王族だろうと平民だろうと精霊から見れば人族の身分など関係ない。
「ディケム様、皆様お待たせ致しました」
フュエ王女を俺の隣に座らせ執事のゲベルツに紅茶を頼む。
暫く談笑し、フュエ王女が落ち着いたところで本題に入る。
正直、王位継承に関しては俺達は専門外だ。
マール宰相もフュエ王女の身の安全だけを俺に頼み、それ以外の貴族同士の根回しに付いては何も言ってきていない。
たいして期待していないのだろう。
餅は餅屋と言うやつだ。
俺たちの本題は、この『ヒュプノスクリス』だ。
舞踏会での出来事にこの『ヒュプノスクリス』が関係していると踏んでいる。
フュエ王女がテーブルに『ヒュプノスクリス』を置く。
さすがはアーティファクトの短剣だ、その存在感は凄まじい。
『ヒュプノスクリス』は眠りの短剣。
『ヒュプノス』とは眠りの神。
『クリス』とは非対称の独特な形の短剣のことを言う。
眠りの属性を持つこのアーティファクトは怪しい薄紫色に刀身が染まっている。
王家の宝剣に相応しい妖艶な雰囲気を漂わせるとても美しい短剣だ。
皆、その美しい短剣に感嘆させられたが、特に未だ自分のアーティファクト武器を持っていないディックとララは魅入られていた。
「ディックとララはフュエ王女に先を越されたな。 自分の得物は命を預ける最も大切な装備だ。早く自分に呼応してくれるアーティファクトを探す事だな。 ディケム様の側近には必要な事だと心するが良い」
「はい」 「はい」
ラトゥールがディック達とそんな話をしているとき、俺は『ヒュプノスクリス』を念入りに調べる。
⦅少し違和感はあるが……⦆
⦅違和感は属性を持つ武器特融の感覚か?⦆
『眠りの短剣』ならば『眠りの属性』を持っている事は当然だろう。
しかし夢魔などの悪魔が宿っている感じはしない。
「この『ヒュプノスクリス』からは悪魔などの悪意は感じられないな。 まぁそもそも悪意があれば俺の結界に入る事は出来ないしな」
するとウンディーネが顕現し俺に忠告する。
「ディケムよ、油断は禁物じゃぞ。 もし此度の件が悪魔ではなく精霊の仕業だったとしたら、お前の結界を抜けられる穴となるかもしれん。 そもそも悪意などと言うものは人族の概念に過ぎぬ。 精霊には基本悪意と言う概念は無い。 子供が無邪気にオモチャを壊す様に、精霊は悪意無く人に悪さをする場合がある」
「今回の件は悪魔ではなく精霊が関わっていると?」
「分からん。 だが可能性から外して考える事は危険じゃ」
「わかりました」
一人会話についていけないフュエ王女に俺は今までの経緯を話した。
今まではフュエ王女を王宮から連れ出す事は出来なかったので話さなかったが、今回は幸か不幸か俺の邸宅に避難させる事ができた。
この環境なら、フュエ王女には知っておいてもらった方が守りやすい。
話を聞いたフュエ王女は、俺が王宮に警備のために入った真相に納得し改めて俺に礼をした。
この日の調べ事はここまで。
一度皆解散してフュエ王女には部屋に戻ってもらう。
そして夕食の時間。
本館の来客用の豪奢なダイニングテーブルで贅沢なディナー……
ではなく、いつも通り俺の家族が住む別宅で、ルルが中心になって作ってくれる田舎料理を家族、幼馴染、ラトゥールと囲む。
そこにフュエ王女を招待した。
「フュエ殿下、本当なら豪華なディナーを用意するべきなのでしょうが…… 暫くここに滞在するのでしたら、一度はご一緒したいと思いまして。 雰囲気や料理がお口に合わない場合は遠慮なくお申し出ください、本館ダイニングに別の料理を用意いたします」
「はい。 ですが私もこちらでご一緒したいです」
フュエ王女は満遍の笑顔で答えてくれた。
普通なら王族をこんな片田舎の家族料理でもてなすのはおかしな事だろう。
だが俺には勝算があった。フュエ王女は酒場の雰囲気を素直に楽しんでいた。
彼女はどんな料理を食べるのかよりも誰と食べるのかを大切にしている。
俺の母フィローとルルが中心に料理を作っている。
そこにララとラトゥールが加わって手伝っている。
その光景をフュエ王女が目を丸くし驚いている。
「なんだフュエ嬢、私が料理をする姿は意外か? 愛する人に手料理を食べて貰いたいと思うのは当然ではないか?」
「は、はい……」
今までのラトゥールとフュエ王女のやり取りを知っていれば、フュエ王女の困惑も頷ける。
「お前はそこで座っていて良いのか? 私もここに来るまで料理をした事がなかったが、今はルルに色々教わって一通り作れる様になったぞ!」
「ラトゥール様は最初まな板まで切ってしまって困ったものでしたよね」
一般市民のルルが、あの怖いラトゥールをからかっている。
それはフュエ王女には信じ難い光景だっただろう。
「あ、あの! 私も一緒にやらせて貰っても良いのですか? 私も皆さんと一緒に料理をしても……」
「当たり前だろう? ディケム様がお前をここに連れてきたのだ。 ディケム様の唯一の弱点はご家族だ。 そのご家族に会わせて貰ったのだ。 喜ぶと良い」
そんな深い意味はなかったのだが……
母さん、ルル、ララ、ラトゥール、そしてフュエ王女が楽しそうに台所に立つ姿はとても暖かい雰囲気が漂っていた。
「ほら男どもはお皿とか運びなさい!」
ルルの一言で俺たちもワチャワチャと食事の準備を始める。
母さんと父さんも『本当に良いの?』と最初はフュエ王女とどう接して良いのか戸惑っていたが、最後はララ達と同じ娘を扱う様に接していた。
その日の夕食は、おもてなしなどとはとても言えない騒がしい夕食となった。
それでもルルに怒られる俺、ディック、ギーズ、ララを見て、フュエ王女は嫌なことなど忘れた様に腹を抱えて笑っていた。
夕食を終え、フュエ王女を部屋へエスコートする。
「ディケム様。 今日はありがとうございました」
「いえ、こちらこそ礼儀を知らない家族ですみません」
「素敵なご両親様でした。 あの暖かい雰囲気に憧れます。 あの…… ディケム様は毎日、今日の様にご家族とお食事を取られているのですか?」
「はい、仕事で時間が作れない時以外は必ず家族で食べる様にしています」
「そうですか…… 仲の良いご家族なのですね」
「はい」
「わ、わたしも…… 私もあんな暖かい食卓でいつも食事をしたい…… です」
「特別扱いされませんが大丈夫ですか?」
「も、もちろん……です。 それが良いのです……」
「では殿下がこちらにいらっしゃる間は、毎日一緒に食事を致しましょう」
「わ、私なんかが…… 本当に毎日ご一緒してもいいのですか?」
「もちろんです」
⦅なぜか今日のフュエ王女は自分を卑下する言い方をする……⦆
⦅まぁ、実の家族とあのようになっては仕方ないことか⦆
フュエ王女を部屋の前まで送り届けると。
『ディケム様!』と別れ際にフュエ王女に呼び止められる。
「ディケム様、この頃わたし怖い夢を見るのです。 ですからその…… お願いがあります!」
「私に叶えられることで、常識的なことでしたら」
俺の了承の言葉を聞くと……
『では!』と言いながらフュエ王女がペンを取り出して、突然俺の手のひらにインクで『何かの絵』を書き込だす。
「は? フュエ王女…… なにを? ブタですか?」
「ネコです―――!!!」
「ディケム様! お願いです。 今晩はこのマークを消さないで頂けないでしょうか?」
「は、はぁ……」
フュエ王女の唐突な行動の意味が分からなかったが……
『これで王女が安心して眠れるのでしたら』と絵を消さない事を約束した。
そして別れ際に――
『お願いです。 私を見つけてください……』
そう言い、フュエ王女は自分の部屋に入っていった。
⦅『見つけてください……』ってどう言う意味だ?⦆
結局フュエ王女の『絵の意味』も『言葉の意味』も分からなかったが……
俺は、掌の「ネコの絵』を消さずに眠りについた。