第一章32 アルザス渓谷の戦い2
ラローズ視点になります。
魔族軍とのアルザス渓谷を巡る戦闘で、小康状態が続いたある日、事態は動き出す。
その日は両軍開戦してから、初めて魔族軍から攻め込んできた。
いつもは前面に出てこないデーモンスライム兵を前面に、しかも十個ほどの中隊に分散して攻め込んできた。
なぜ、主戦力のデーモンスライム兵を分散させて攻めてきたのか?
このアルザス渓谷は、谷と言ってもとても広い、戦力を集中させると狭くて混雑し数が生かせなくなる場所では無い。
さらに、魔族軍になにか勝利を急がなければならない事変が起きたのでは無ければ……
普通なら戦力のリソースを集中する事がセオリーだ。
では何故分散したのか……、カヴァ将軍が無能なのか……、 いや違う。
初戦の奇襲にあれほどの采配を見せた、カヴァ将軍が無能なはずがない。
ならばなぜ……、おのずと答えは見えてくる。
人族の精霊魔法師が少ないことに気づいたのだ……、細かく分散させたデーモンスライム兵の被害状況で、精霊魔法師の数がおおよそ把握できてしまう。
確信を得るため、ダメ押しで確かめているのだろう。
「ラス! とうとう魔族軍に気づかれたわ。 人族軍に精霊魔法師がほとんど居ない事を」
軍議に集まった将軍たちが、目を見張る!
「今日の攻撃は確認だけ、早ければ明日から総攻撃に出て来るはずよ!」
今現在、我々は精霊魔法師が多くいる様に偽装し、相手をけん制し、辛うじて前線を維持している状況だ。
もしデーモンスライム兵の総攻撃が始まれば、前線は一気に崩壊するだろう。
「ここまでか……」
ラス・カーズ将軍のつぶやきに、他の将軍たちもうなずく。
この戦場に来た騎士たちは、皆覚悟が出来ている。
ディケム君達の事を知り、人族の滅亡を回避できる希望があるのなら……
自分たちの家族を守れる希望が有るのなら……
ここで玉砕してでも、必ず時間を稼ぐ!
二年前は連合軍で挑み大敗退したが、二年間の時間を作ることが出来た。
今回は、シャンポール王国軍のみだが、ラローズと言う切り札が居る。
最低でも前回同様二年は時間を稼いで見せる!
それが皆の総意だった。
翌日、予想通り魔族軍の総攻撃が始まった。
「デーモンスライム兵が一気に来たぞ―――!!」
「タンク隊前へ! 魔法師はタンク隊に補助魔法を! 急げ――!」
「正念場だ! 持ちこたえろ!!」
死を覚悟した死兵は驚くほど強い。
魔族軍は、勝利を確信しての総攻撃、圧倒的有利に驕っていたのだろう。
人族軍の思わぬ猛反撃に、魔族軍は大打撃を受ける。
だがしかし、死を覚悟しての特攻、無理矢理上げた士気での善戦も、長期戦になれば続かなくなる。
地力の差が徐々に鮮明になり、緊張が一度途切れてしまえば、総崩れになる。
次第に戦況は悪化していった………
そして…… 私たちは全てがカヴァ将軍の掌の上で踊らされている事を思い知らされる。
「ラス! 北の防衛ラインが突破されそう! 一度引いて立て直せない?」
「無理だ、これ以上防衛ラインを崩したら、なし崩しに蹂躙される!」
「敵部隊、後方に出現! 挟み撃ちにされます!」
「ッ――っな、なに! このままでは全滅する! 後方退路は死守しろ!」
⦅ッ――え? なに? 後方から敵って、何が起きているの?⦆
「敵襲! 北から新手の敵が現れました!」
「敵襲! 南からも新手の敵が現れました!」
後方だけではない! 右方向からも左方向からも敵がなだれ込んでくる――!
気づいたときには全方向を敵に囲まれていた!
⦅――なぜ!? 協力し合わないはずの魔族軍が援軍?!⦆
数だけは圧倒していたはずの人族軍が、魔族軍に四方を囲まれていた。
戦いは敵の情報を綿密に把握し、敵の予想を裏切り、相手に理不尽を押し付けた方が勝つ――
我々人族軍は、個の強さ、戦略、智謀、数、全てにおいてカヴァ将軍に上をいかれたのだ!
魔族軍の援軍の総数はもう分からない……、だけれども全方向を囲まれた、我々人族軍にはもう打つ手は無かった。
ッ――もう駄目!! ディケム君あとは………
――その瞬間!!
目の前に、大きな水の壁が出来上がる!
「ッ――なに!?」
驚き周囲を見回すと、人族軍を守るように水の壁が私たちを囲んでいる。
そして…… 水壁越しに水竜に乗った少年が向こう側に見える。
「ディ…ディケム君―――! なぜ?!!」
「ラローズ、まだ生きておるな!」
突然現れたウンディーネ様が、私の肩に座る。
「ッ――あっ! ウンディーネさま! な…なぜディケム君をここへ?」
「まぁ見ていろ! ディケムが道を開いたら、お前らは邪魔だ! 全員撤退じゃ!」
「え?………」
そして、ディケム君の呪文を唱える声が聞こえる――!
≪―――εκρηξηπάνωκαικάτω(天地爆裂)―――≫
⦅な、なに? この呪文…… 私はこんな呪文聞いたこと無い⦆
ドオオオ――ン!! ズッ――ガガガガガガッ―――!!
水壁の向こうでは、信じられない光景が広がる!
魔族軍が居る地面が裂け、灼熱のマグマが噴き上がる! まるで灼熱地獄!
しかし、私たちが居る水壁の内側は不自然なほど穏やかだ……
「………これが魔法なの?」
地形すら変えてしまう威力と規模………
それは今まで私が知っている魔法ではなかった。
たった一つの魔法で、数千は居る魔族軍が地割れに落ち、マグマに燃やされ壊滅していく。
その噴出するマグマは、デーモンスライムをも一瞬で焼き尽くす。
「これは…… ただのマグマじゃない? 精霊の属性が付与されている!」
すると、地割れの中からマグマと一緒に一〇体の火の上位精霊【サラマンダー】が飛び出す!
「ッ――なっ! サラマンダー様ですって!?」
地割れから逃れ、噴出したマグマから逃げまどう魔族軍を、サラマンダーが追撃をかける。
デーモンスライムは人族の天敵だったが、精霊サラマンダーは精霊の中でも特にデーモンスライムの天敵だ!
先ほどまで完全に詰んでいた人族軍だが、一人の少年の登場で、戦況は一気に変わる、信じがたい光景だった。
「ウンディーネ様、なぜディケム君とサラマンダー様が一緒に?」
「先ほど、ディケムのやつが、サラマンダーに契約させよった! ディケムのヤツ、とんでもないのう…… 妾と相性最悪のサラマンダーを従属させよった!」
「……すごい………」
そして西側の、退路方面の魔族軍が一掃されると、西側の道幅だけ水が噴き出しマグマを固めていく。 退路の道が出来上がったところで、西側の水壁だけが消える。
「今じゃ――! 全軍に伝えろ、退路は確保した! 全軍一斉に引け!」
「ッ――えっ! でも………あっ、はい―――!」
「ラス! ウンディーネ様より伝令! 全軍即時撤退―――!」
「分かった! 全員速やかに撤退だ! 全軍即時撤退―――!」
子供一人を戦場に残して、大人が逃げるわけには………
などと考えたが、どう見ても私たちは足手まといだ。
速やかに全軍撤退し、少し離れた場所で戦いを見守る。
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