第六章36 それぞれの個性
『ラトゥール VS 王女達』の緊迫した空気を変えるように舞踏会場に音楽が流れだす。
ダンスの時間の始まりだ。
俺はフュエ王女ではなくラトゥールに手を差し伸べ踊りに誘う。
魔神国大使として敬うのは元より、ここでパートナーとしてもラトゥールを一番に位置付けた方が下手な争いを避けられると思ったからだ。
だけど一番の理由は『純粋にラトゥールと踊りたい』そう思ったからだ。
自慢ではないが、俺はラトゥールとの踊りには自信がある。
前世も入れればどれだけ二人で踊ったことか。
俺とラトゥールは舞踏会場全体を使って踊る。
会場中のペアが、ただ俺たちのダンスに魅了され立ち尽くして見ている。
この会場のどのペアも俺たちの踊りに合わせて踊れる者などいない。
いや踊らせない、俺はラトゥールと踊っているこの時を心から楽しんでいる。
この時間だけは誰にも邪魔されたくない。
俺とラトゥールはこの舞踏会場の来賓を魅了し支配する。
だが楽しい時は直ぐに過ぎ去ってしまう。
音楽の終わりと共にラトゥールとの時間が終わりを告げる。
俺はわがままを言ってこのまま踊り続けたい衝動に駆られるが……
この場の空気を理解して、理性的に動けるラトゥールは流石だ、誰にも見られない様に耳元で『ダメですよ』と俺を軽く嗜め、次にダンスを待つ王女達の元へ俺を誘導する。
別れ際、俺を諌めておきながらラトゥールは、温もりから離れて行く事を惜しみながら、絡めた指を最後の一本まで感触を確かめるようゆっくりと解いて行く。
二人が完全に離れ、お辞儀をしたところで舞踏会場に万雷の拍手が湧き起こる。
そして拍手の中、ラトゥールは俺以外とは踊らないと、そのまま来賓席へと下がっていった。
俺の前にはそうそうたる顔ぶれ、各国の王女達が並んでいる。
だが、どう考えても俺が次にダンスを誘うのはフュエ王女だろう。
俺がフュエ王女の前に進み出ようとした時……
フュエ王女がララの背中を押す。
『えっ?!』 少しよろけるようにララが俺の前に飛び出す。
「ララさん。 今は悔しいですが二番目は貴女です。 ですがいつか必ず自分の力でそのポジションは頂きますから」
「ちょっ! フュエ殿下! そんないきなり――……」
ララもさすがに各国王女がずらりと並ぶ中、それを押しのけて自分が踊るとは思っていなかったようだ。
だが、驚き戸惑うララの手を俺は強引に引き寄せ、踊り始める。
ララとのダンスは先程のラトゥールとの妖艶なダンスとは全く違う。
言っては申し訳ないがララの踊りはド素人だ。
先程『お披露目』を済ませたばかりのフュエ王女よりも酷い。
だがそれでいい。
テクニックや表現を追求したダンスも有れば、純粋に踊りを楽しむダンスが有っても良い、本来ダンスとはそう言うものだ。
あとは前世で培った俺の経験でそれとなく見えるように導いてやればいい。
俺はララをエスコートし、純粋に楽しんで踊る。
その隙だらけのダンスに、周りで見ていたペアも俺達に合わせて踊りだす。
ラトゥールとのダンスは例えれば研ぎ澄まされた刀のようだ。
誰にも立ち入る隙など与えない。
その空間は二人だけで完成されている。
ララとのダンスは、ラトゥールとは逆に隙だらけ、他のペアと一緒に踊り。
皆で楽しんで、皆でその世界を作って行く。
さきほど『お披露目』を済ませたばかりの素人ペアも、ダンスが苦手なペアも、みな楽しそうに参加してくる。
本人は天然だが、ララにはそんな雰囲気を作り出せる力がある。
誰しもが笑顔になり、舞踏会場の雰囲気が華やいでいく。
ここで踊る全員がパズルのピース、全員が揃って初めて完成された絵画となった。
ララとのダンスが終われば、先ほどのラトゥールとは違う興奮が舞踏会場を包み込む。そして全体が参加したという一体感で、幸せな温かい拍手が沸き起こった。
次に俺の前に居るのはフュエ王女。
さすがにシャルマ嬢もフローラ王女も、三番目はフュエ王女に譲ったようだ。
俺は意地が悪いが、この状況で純粋にダンスを楽しんでいた。
研ぎ澄まされたラトゥールとの踊り。
皆で楽しむララとの踊り。
次は…… フュエ王女はどんなダンスを見せてくれるのか?
『お披露目』のダンスは、いわば個性を殺した団体としての見世物。
フュエ王女の個性を知るには、やはり二人きりで踊るしかない。
フュエ王女と手を握り、腰を密着させる。
ダンスの基本スタンスだが……
その密着度にフュエ王女は『ぽうっ』と頬を赤らめ恥じらいを見せる。
『いやさっきもエスコートしただろ!?』と突っ込みたくなったが、団体と個人では恥じらいのスイッチが違うらしい。
音楽が始まると、さすがにフュエ王女も恥じらうどころではなくなる。
今回はジャズっぽいお洒落な曲。
ダンスは初め、ゆったりとした流れるような動きから始まる。
初心者のフュエ王女にはこれから始まる早いリズムへの心準備によさそうだが、
ゆったりとしたリズムだからこそごまかしも効かない。
俺もエスコート役として、暴走しないようにフュエ王女の個性をじっくりと見て踊る。
そんな……
自分を抑え込んでいた事がいけなかったのかもしれない。
俺は失念していた、精霊達は音楽が大好きな事を。
フュエ王女が、このダンス特有のステップで跳ねる。
次に俺がステップを踏んだ瞬間ッ――! 足元に何かが弾けた!
会場の空気が一瞬止まる……
弾けた何かが会場中に広がり、色とりどりの精霊『オーブ』となった!
弾けた色彩のオーブたちは俺とフュエ王女の周りを飛び回り、音楽に合わせて一緒に踊り出す。
『なんだ、これは……』
『凄い!凄い!凄い―――!!!』
『精霊様だ…… きれい』
観客たちは驚き目を見張り、その光景をただ茫然と眺めている。
そして唖然と立ち尽くしていた他のダンスペアたちも、『精霊オーブ』の中で楽しく踊るフュエ王女を見て、勇気を振り絞り踊り始める。
すると……『精霊オーブ』達も踊り出したダンスペアに合わせて楽し気に踊り出す。
⦅これは、どう言う事だ?⦆
⦅俺を起点に精霊は顕現しているが…… 他の誰かが干渉している?⦆
不可解な現象だが、俺を起点に顕現した精霊達は、俺の制御下にある。
とりあえずコントロールに問題は無い事から、俺はこのまま様子を見る事にした。
舞踏会場は『驚き』と『歓喜』と『感動』で収拾がつかない状況だが……
もうこうなってしまったら『どうとでもなれ』と俺も踊りを楽しむことにした。
強引に精霊を消しても良いが、フュエ王女のこの嬉しそうな笑顔を見てしまったら……
それは無粋と言うものだろう。
とりあえず俺は、ラトゥールに目配せをする。
ラトゥールは『かしこまりましたと』とララ、ディック、ギーズに目配せをして、今起きている現象を注視して、何か問題が起きたときには早急に対処できる体制を整える。
壁際を見ると、ララ達四門守護者の指示で護衛騎士達も動き出す。
舞踏会場の観客達は、感動こそすれパニックにはなっていない。
俺がダンスを続けている事から、危険は無いと安心しているのだろう。
それにここは『イグドラシルの麓、精霊達の楽園』と形容されるシャンポール王国だ。
この国で精霊を見た事が無い者など居ない。
そして現に、いま顕現している『精霊オーブ』から悪意などは一切感じない。
その楽し気なマナは、精霊達がただ純粋に無邪気に遊んでいるとしか思えない。
その事はマナが見えない人達でも、容易に感じ取れる事だろう。
だが、外国からの来賓客は皆目を見張り、驚きで唖然としたまま固まっている。
常日頃から精霊と慣れ親しんでいるシャンポール国民の様には、簡単には受け入れる事が出来ないようだ。
その驚きは大人になればなるほど大きいようで、特にジュリュック・モンラッシェ大統領の慌てようは、申し訳ないが少し面白かった。
だが彼らも、シャンポール国民の楽しげに精霊達と遊ぶ姿を見て徐々に変わってゆく。
遠目にシャルマとフローラも最初は狼狽していたものの、次第に恐る恐る精霊に近づき、直ぐに笑顔で『精霊オーブ』と踊り出す姿が見える。
そんな中、誰よりも楽しそうに踊るフュエ王女が、俺につぶやく。
「ディケム様! わたし『ソーテルヌ邸の夜宴』に招待された時からずっと、『もう一度あの夢のような光景を見たい!』そう願っていたのです! 今日は本当にありがとうございます!!!」
満面の笑みでフュエ王女が俺に礼を言う。
⦅…………。 この微かな違和感。 この干渉、フュエ王女か?⦆
そしてそのまさに夢のような時間は終わりを告げる。
音楽はフィナーレに向かい激しく場を盛り上げてゆく。
音楽に合わせてダンスもハイテンポになり――
音楽の終わりと共に、舞踏会場の真ん中で、俺とフュエ王女が決めポーズを取る。
すると、舞舞踏会場中を飛び回っていた『精霊オーブ』も弾けるように消えて行った。
その光景に目を奪われなかった者など居なかっただろう。
しばらく舞踏会場に静寂の時間が流れる。
そして一人の拍手が響くと…… 舞踏会場に割れんばかりの拍手と歓声が鳴り響いた。