第五章4-51 閑話 火の神殿の巫女ナージャ3
神殿では、神官たちがアジ・ダハーカを鎮める為に御祈りを捧げている。
巫女であるナージャは一人、神殿奥【火竜】が眠っていた【神の寝所】へ急ぐ。
普段ならば目を瞑る大きな赤い竜が寝るその寝所には――
今は、全ての者を憎むように金色の目を見開き、猛り狂う【火竜】がいる!!!
死をそのまま体現したような、その真っ赤な巨大な竜を前にすれば、誰しも死を覚悟し、怖気づき動けなくなるだろう。
だがしかし、今のナージャに恐怖も迷いも無い。
なぜならナージャの働きに、愛するガモワの命がかかっているのだから。
「アジ・ダハーカ様!!! どうかお怒りをお鎮め下さいませ!!! 我々ゲンベルクの民はアジ・ダハーカ様と共にある者! 必ずや宝珠を持ち去った罪人を見つけ出し、【宝珠】を御前に取り戻す事を誓います!」
ナージャは持てる命一杯の魔力を絞り出し、アジ・ダハーカに祈りを捧げる。
するとナージャの全てを賭けた祈りが奇跡を起こす。
憎しみの怒りに我を忘れていた火竜が微かに反応する!
「…………。 巫女…… ナージャ……か?」
「はい。 アジ・ダハーカ様! 意識が戻られたのですか?」
「巫女よ……よく聞け! 我ら神代の竜は神の呪いを最も強く受けている。 【宝珠】はその呪いを浄化する為の物。 宝珠を盗まれた今、意識を保っていられる時間は少ない」
「そ、そんな…… アジ・ダハーカ様! せめて民だけでも逃げられる時間を作って頂けないでしょうか?!」
「既に自我を失った我が地殻を砕いてしまった。 もう直ぐにでも火竜山は大規模な爆発を起こし、この街も全て飲み込むであろう」
「そんな…… 何か方法はありませんか?」
「我が意識を保てるのは後ごくわずか。 その時間で、巫女の魔力と神官の魔力を全て我に注ぎ、我が結界を張れば少しの間だけ、この地から民が逃げ出せる時間を作れるかもしれぬ」
「では! お願いできるでしょうか!?」
「だが…… 結界を張るお前と神官たち、足の遅い年老いた者達は逃げられぬぞ?! 我はこのまま深い溶岩の底、地の底にて神の呪いから遠ざかり眠りにつく。 お前たちは、他の民と離れ我と共にここに残る覚悟は有るのか?」
ナージャは少しだけ苦悶する。
このまま地の底でガモワ様と一緒に……
しかし直ぐに首を振り、アジ・ダハーカに願う!
「致し方ございません。 地の底で全領民が生きていく事は難しい事でしょう。 ですが現神主ゲンベルクのガモワ様ならば、他の地へ逃げ延びる事が叶えば、必ずやゲンベルク国を再興してくれる事でしょう!」
「そうか…… 相分かった! 時間が無い。 お前の望み、民を逃がす時間を作ってやろう!!!」
巫女のナージャと神官たちは、持てる全ての力(魔力)をアジ・ダハーカに注ぐ。
するとゲンベルクの町すべてを覆う赤く輝く巨大な結界が立ち上がってゆく。
そこに溶岩が四方から押し寄せる!
だが、溶岩は結界の中には入ってこられない。
ガモワは一つ所に民を集め、天に祈る…… いやナージャに祈った!
――すると突然!
溶岩の海が割れて行く!
溶岩の海を割るように結界の道が立ち上がってゆく!
「みな今だ! ナージャ達が作ってくれたこの道を急いで進むのだ!!!」
町を覆う強固な結界とは違い、溶岩を割る結界は、明らかに簡易的……
直ぐに崩壊してしまう事は誰が見ても明らかだった。
若者たちは、急いで割れた溶岩の道を走ってゆく。
しかし、足の遅い老人たちは動かない。
ガモワは老人達に頭を下げる。
「皆、すまない……」
「ガモワ様、良いのです。 早くお逃げください。 我々年老いた者はここに残り、奇跡を起こしてくださった巫女様の供を致します。 我々の子、孫をどうかお願いします」
「あぁ、確かに頼まれた。 そしてどうか、神官たち…… ナージャを頼む!」
「はい。 こちらも頼まれました」
ガモワは若者を率いて、割れた溶岩の海をひた走る!
二時間、三時間…… どれほど走ったか分からない、ただ立ち止まれば死が待つだけ。
弱音を吐く者など居なかった。
そしてようやく、溶岩の海の終わりが見える!
みな最後の力を振り絞り、駆け抜けて行く。
ほとんどの民が無事に走り抜け、力を使い果たし地にへたり込んでいた。
すると――
少し遅れて数人の着飾った富豪らしき青年達が走ってくる。
その子供たちの親、ゲンベルクでも有数の富豪たちが必死に叫ぶ!
「お前達、どこに行っていたんだ! 早く急げ! もう結界が持たない!!!」
「た、助けてくれ! し、死にたくない―――!!!」
――あと少し!
富豪の青年達が割れた溶岩の海を抜け切れると思った……その時!
結界が砕け、青年達は溶岩に呑み込まれていった………
『そ、そんな――!!!』 青年達の親は泣き崩れる。
民衆の先頭でその光景を見ていたガモワの足元に、大きめの石の玉が転がってくる。
今の溶岩に呑み込まれた青年達が持っていた物だ。
ガモワはその玉を拾い上げる。
⦅ッ―――!!! こ、これは…… 【火の宝珠】!!!!⦆
⦅宝珠を盗んだのは盗賊を装ったこの青年達だったのか!⦆
怒りに震えながらガモワは思う。
これはアジ・ダハーカ様の神罰!
【火の宝珠】を盗み出した者をアジ・ダハーカ様はお許しにならなかったのだと。
そして大切な人を失ったガモワは富豪たちを糾弾したかった……
『お前たちの甘やかした教育の結果が、この大惨事だ!!!』と。
『私の大切なナージャを返してくれ!!!』と……
しかしガモワは言葉を飲み込む。
既に咎人は罰せられた。
これ以上の不毛な争いは必要ない。
【火の宝珠】を盗み出した咎人が、富豪たちの子供と知れれば、人々の恨みが富豪たちに集まる事は必定。
今はゲンベルク再興の為皆で一致団結しなければならない。
ゲンベルク再興こそ、ナージャが私に託した願いなのだから。
ガモワはこの事を自分の胸のうちだけに収める事にした。
安全な高台に民を避難させ、ガモワは元ゲンベルク国があった場所を望む。
目前には地獄のような光景が広がっている。
溶岩が地を埋め尽くし、四方の火山は同時に噴火し山は崩壊していった。
この絶望の光景を見て、街に取り残された人々が生き延びていてほしいと、
希望を持つほうがおかしい。
だがそれでもガモワは願わずにはいられなかった。
愛する人が生きていてくれることを―――
ゲンベルクの地の溶岩が固まり収まるのに数十年の年月が経ったと云う。
ゲンベルクの民を避難させ、山脈の中腹に新たな王国を築き上げたガモワは、民を救ったナージャ達神官を英雄として奉った。
そして何度もナージャ達が眠る地を訪れたと言う。
しかし黒く固くかたまった溶岩の底、沈んだゲンベルク神殿へ辿り着くことはできなかった。
生涯独身を貫いたガモワ。
死ぬ間際、最後に発した言葉は……
『ナージャ、必ず其方を迎えに行く――』だった。
享年九〇歳。
ゲンベルク王国の初代国王ガモワはこの世を去った。
それから一〇〇数十年の月日が流れる―――
一人の少女が、神殿の聖木のもとで眠る老婆に駆け寄り、話しかける。
「ナージャおばぁちゃん! 眠っているの?」
もう……
とうの昔に光を失った老婆からは返事はない……
人の寿命は長くても一〇〇歳ほど。
しかし嘘か実か分からないが、この老婆はこの聖木の下で二〇〇年、ある人との約束を守り続け、ずっとその人を待ってるのだと言う……
ガモワ様……
私は今も貴方との約束を守ってここで待っています。
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ナターリアが神殿広場にある一際大きな木の下の人骨と一緒に転がる服装品を調べている。
「ナターリア! どうした? なにか見つけたのか?」
「すみません…… 少しだけ時間を下さい」
そうディックにことわり、ナターリアは聖木の下の遺骨に話しかける。
「ナージャ様、長い間お待たせしました。 ガモワの血縁の末裔ナターリアと申します。 ガモワの約束を果たしに参りました。 ガモワは代々ナージャ様との約束を忘れた事はございません。 そしてナージャ様が命を賭してゲンベルクの民を救って下さった事、我らゲンベルクの民は片時も忘れた事はございません。 長い間巫女としてのお役目に縛ってしまいお詫びいたします。 どうぞ、もぅお休みください」
すると、遺骨の指にはめられていた指輪がするりと、ナターリアの手に落ちる。
ナターリアは遺骨に手を合わせて、ディックのもとへ駆けて行く。
「お待たせしました! ディック様。 この遺骨が付けていた指輪の【国章】は―――………」
ディックのもとへ駆けだしたナターリアは、ふと立ち止まり聖木へ振り返る………
そしてそこに何かを見たようにクスッと笑い、またディックのもとへ駆けていく。
⦅長い間ご苦労だった、ナージャ⦆
⦅ガモワ様…… ずっと……ずっとお待ちしておりました。 私、頑張ったのです! 褒めてくださいませ!⦆
⦅あぁ。 よくやった、ありがとうナージャ。 これからゆっくりと其方の話を聞こう。 やっとこれから、ずっと一緒に居られるのだから⦆
⦅はい! ガモワ様♪⦆




