第五章4-50 閑話 火の神殿の巫女ナージャ2
私は将来のガモワ様との生活を夢見て、【巫女】としての責務に精進していた。
それはとても大変だけど…… 【神主】がガモワ様だと思えば苦労も和らいだ。
それからの数年は私にとって、忙しくもとても幸せな時間だった。
その時が来るまでは……
幸せな時間は、時に人を狂わせる。
ゲンベルクは、肥沃な土地、きれいな水、観光資源の温泉、類を見ない壮大で巨大な神殿。
多くの人々を惹きつけ、多くの富が集まり、ゲンベルクの民は幸せを謳歌した。
その幸せが、【火竜】の恩恵のもとにある事。
ここがかつては、誰も近づかない火竜山の麓、毒ガス立ち込める不毛な地であった事を、多くの人々が忘れてしまったのだ。
そしてその事件は起きる。
【巫女】になって数年、ナージャは誰もが羨む美しい少女に成長していた。
しかし巫女は神アジ・ダハーカに仕える者。
誰も手を出してはいけない。
幸福を享受し堕落した者たちは、自分の欲望を抑制できなくなっていた。
どうしても美しいナージャを自分のものにしたいと……
ゲンベルクでも有数の富豪の子供達が集まり、禁忌を侵す。
【巫女】【神主】の掟などまやかしだ!
【アジ・ダハーカ】などただの作り話にすぎない!
【火の宝珠】など、何の意味も無いただの石ころなのだ!
神殿より【火の宝珠】持ち出しても、何も起こらなければ、それが証明されるのだと。
その愚か者どもは盗賊を装い【火の宝珠】を神殿より盗み出したのだ。
「ナージャ! 大変だ!!! 盗賊にアジ・ダハーカ様の宝珠を盗まれた!」
「そんなっ! 直ぐに宝珠を取り戻し、神殿に戻さなければ!!! 巫女の伝承には、【火の宝珠】を失えばアジ・ダハーカ様が呪いにより自我を失いゲンベルクの国は亡ぶとあります!!!」
「――なっ! くっ…… これは宝珠を守る役目の【神主】たる私の失態!!! 皆! まだ盗賊はこの国の中に居るはずだ! 直ぐに探し出すのだ―――!!!」
しかし、時は既に遅かった――
【神の呪い】の浄化効力を持つ【火の宝珠】が盗み出された事により、この地で神アジ・ダハーカと崇められた【火竜】が、呪いに浸食され眠りから目覚め狂いだす。
火竜の加護を賜ってからは一度も噴火する事の無かった火竜山が火を噴く。
火竜が地殻を揺らし大地震が起きる!
地は裂けマグマが噴き出し、水は枯れ、至る所から熱水と毒ガスが噴き出す。
大量のマグマが四方からゲンベルクの街に迫る。
「なっ! これではもう…… ナージャ! 何か方法は無いのか!!!」
ガモワの問いかけに、ナージャは首を横に振る事しかできなかった。
「ガモワ様。 火山に四方を囲まれたこのゲンベルクの地は、すぐに溶岩に囲まれてしまいます。 もう逃げる事も叶いますまい」
「し、しかし! このまま皆で諦めて死を待てと言うのか?!」
私は一度、ガモワ様の胸に飛び込み胸に顔を埋める。
突然の事にガモワ様は驚いていたけれど…… 優しく受け止めてくれた。
そして私は決心を固めガモワ様に告げる。
「ガモワ様! このままではゲンベルクの民は全滅です。 私は今代の巫女。 神官たちとここに残り【アジ・ダハーカ】様を一刻鎮めてみせます。 ガモワ様はゲンベルクです! その隙に民を導きこの地からお逃げください!!!」
「なっ! 何を言っているナージャ! この状況では巫女も神官も民も皆同じだ。 一緒に逃げるのだ」
「ガモワ様!!! 【アジ・ダハーカ】様の怒りを鎮めなければ、この地から皆を逃すことさえ出来ないのです。 それが出来るのは巫女と神官だけ! さぁ時間がありません、お行きください! あなた様はあなた様の仕事を全うしてくださいませ!」
「だ、だが…… ナージャ、私は其の方がいなければ……」
「――ガモワ様! あなた様は私が愛したお方! 民を導きゲンベルクを再興出来るのはあなた様以外には御座いません! さぁお行き下さい!!!」
「ッ――! ナージャ! 必ず迎えにくる。 決して死んではならぬぞ! この聖木の下で待っていてくれ、一緒に暮らすと約束したのだ! 必ずだ! 何年かかろうと必ず其方を迎えにくる!!!」
「はい。 聖木の下でお待ちしております」
聖木の下……
そこは何度もガモワとナージャが二人で過ごした、思い出の場所。
ナージャのお弁当を二人でよく食べた、ナージャが一番好きだった場所。
この状況の中、ガモワとナージャの約束など、ただのその場限りの口約束だと誰しも笑うだろう。
しかしナージャにとってこの約束が彼女の全て、生きる希望だった。
この絶望的な状況下で、生にしがみつき、最後の最後まで生きる事を諦めない理由。
だが其れはとても残酷なことでもある。
不可能な約束は時に人の魂をそこに縛り付けてしまう。




