第五章4-33 エンチャンティング・チューン(魅惑の調べ)
モンラッシェ共和国の民衆は、突如上空に現れた禍々しい大悪魔に驚愕する!
「なっ…… 何だ?あれは!? あ、悪魔だ! 悪魔が現れたぞ―――!!!」
誰もその悪魔が、先ほどまで皆の知っていた『民主的共和制』を率いる『オリガ』だった事を知らない。
シトリと契約してしまった人々も、上空の悪魔とまさか自分が契約しているなどと、少しも思いもしない。
『オリガ……』 ただ一人アレクセイだけが……
オリガだったシトリを想う。
そしてそこに三騎の竜騎士が現れ、大悪魔シトリに向けワイバーンの炎と氷のブレスを吐く!
ディック、グラン、ナターリア達は、シトリを牽制しながら周りを飛び回る。
シトリに標的を絞らせず、そして逃げ出す自由を与えないように。
ディックとグランは、ワイバーンの炎と氷のブレスに自分達の魔法も織り交ぜて攻撃を仕掛ける。
ナターリアの『スターチス』はブレスの攻撃は出来ない。
だがナターリアは先日の『立ち合い』での教訓から、スターチスに『強弩』を装備させていた。
『弩』とはクロスボウと同様の横倒しにした弓に弦を張った物。
『強弩』はその弩をさらに強力にした、城壁などに設置する両手で弦を引く強力な武器だ。
強弩は兵器として強力だが、その大きさから機動力に欠ける。
馬に乗せるには強弩は大きく、荷車に乗せて移動させるくらいが限度だった。
しかしワイバーンの大きさならば、十分強弩を装備させる事が可能になる。
さらに自由に空を飛び回り、制空権を支配すれば驚異的な兵器と化す。
アキレアとロベリアのブレスを避けたシトリの翼をナターリアの強弩が穿つ!
ディックとグランの炎と氷のブレスと魔法のコンビネーションが厄介なだけに、全く速度の違う強弩がそこに放たれれば、避ける事は難しい。
一本、二本と強弩から放たれた矢が、シトリの翼に突き刺さる。
『くっ! 煩わしい!』 強弩の攻撃にシトリが呻く……
強弩の攻撃は強力だが…… それだけで落ちる程、大悪魔シトリは軟ではない。
特に悪魔と言う存在は、物理攻撃に耐性が強い。
「ディック…… 勝算は有るの?」
「…………。 シトリはあの風体から炎に強い耐性があるとは思えない。 それにペデスクローがある程度のダメージを与えてくれている。 イフリートの超火力を使えば行けると思う」
「じゃ~ イフリート様で一気に――……」
「問題はシトリの属性『色欲』だ、多分魅了系の何かを使ってくる! ディケムの装備がレジストしてくれればいいが…… まだ確信を持てない。 もし切り札を使った俺が魅了された場合…… 最悪の事態になりかねない」
「…………」
そしてディックはさらに臍を嚙む。
こうやって戦闘中に作戦を立てるために三人の動きが止まり、集まること自体が大きなロスだ!
今までディケムの『言霊』を使っての戦闘が、どれほど凄い事だったのか、恵まれていたのかを思い知らされる。
特に駆け引きの多いい戦闘ではその効果は絶大だ。
『言霊』があれば、今のように戦いの最中手を止める事も無い。
しかも戦場で聞こえるように言葉を交わせば、情報が相手に伝わる危険性がある。
戦闘中の連携だって、『言霊』が有れば簡単に出来るようになる。
しかし、ディックの切り札はいつもイフリート、シルフィードを呼ぶ選択肢はない。
シトリの属性『色欲』を警戒して、積極的に攻めに行けないディックだったが、牽制の為に放つ自分の『火炎球』に驚いていた。
いつの間にか火力がかなり上がっていたからだ。
「これは…… ララから聞いてはいたけど、装備に付与されている属性加護のお陰か!?」
ディケムお手製の『八属性のオリハルコン装備』がディックの魔法の威力を上げている!
さらに、『火竜の加護』を賜った事で、火属性魔法の威力はさらに上がっている!
ディックが牽制用に放った何気ない『火炎球』がシトリを勘違いさせた。
『この魔法使いは、ワイバーンに乗り少々厄介だが、考え無しに切り札の最大火力の『火炎球』を撃ってしまう程度』なのだと。
―――ならば!
シトリが切り札を切る!!!
≪――――μαγευτική – μελωδία(魅惑の調べ) ――――≫
シトリから薄紫色のオーラの波動が広がって行く!
「マズい!!! グラン! ナターリア! 離れろ――! あの波動に―――……」
ディックの叫びは既に遅かった。
もし『言霊』があれば瞬時に回避も可能だっただろう。
しかし、グランもナターリアも薄紫色の波動に呑み込まれる!
そして……
波動はモンラッシェ王国全てを覆いつくす。
「ばっ! ばかな!! こんな大規模な魔法あり得ないっ!!」
それは、戦闘力があまり高くない『シトリ』が大公位たる由縁。
『魅了』という直接ダメージを与えない魔法だからこそ成し得た奇蹟。
だがそれでも、国全体の広域を、国全体の人々の数に魅了をかけるなど普通は大公位の大悪魔とて不可能だ。
それを可能にしたのは、この国の住民半数以上と既に契約を成立させた、シトリだからこそ出来た事、地道な下準備が有ればこそ成し得た力業だ。
シトリと契約した人々は、既に『魅了』にかかっているも同然。
さらにその人々を起点とし、シトリは『魅了の波動』を共鳴させた。
『魅惑の調べ』は驚異的な広範囲の魅了を実現させたが……
もちろん例外もある。
その広範囲の魔法ゆえに強力なレジスト耐性を持つ者にはきかない。
この街で言えばペデスクローやメフィストはその部類だ。
この魔法を見た、メフィストは素直に感嘆する!
「シトリ…… これほどの切り札を持っていたとはすばらしい!!! とても美しい魔法です! 素直に感嘆し賞賛致しましょう! さぁ『赤の王!』どう致しますか!? このままでは『ヘルズ・ゲート』が開く前に、シトリによってこの国、そしてあなたの大切にしている女性は終わってしまいますよ!」




