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中編

 猫は人の意志に敏感である。生き物としてのネコの在り方とは異なるその特性は、とはいえ所詮は敏感止まりであって、サトリのように考えていることを言葉として捉えられるわけではない。細かなことは本人の口から聞くしかないのだが、結局このどこかから落ちてきてバラバラになったメタル者から聞き出せた事は、それほど多くはなかった。

「安物とはいえ、そこそこしたんだけどねぇ」

 ただ、どこから落ちてきたのかは本人の口から聞くことができた。聞いていたメタル者は皆妙な顔……あるいは妙な雰囲気になっていたが。

「外壁に貼り付いてりゃあの虫も寄ってこないってわけだ」

 傘の声は嬉しそうだ。

「……登りませんからね。それに……」

 ドクターのところに運び込まれていたメタル者は使えるパーツはほとんど残らなかったらしく、落下の衝撃だけでそこまで壊れてしまうものか、猫は疑っている。勿論闇医者が残ったパーツを売りさばいた可能性も捨てきれないのだが。そして、ギリギリ生きているといえる程度の小さな部品になり果てたそれに、会話ができるだけのユニットを付けてはみたものの、まともな会話にはならなかったのだ。

「カラクリの塊みたいな子供があの壁を登る、まあやろうと思えばそれは可能だろうけどねぇ」

「そんな抜け道があるとも思えねぇし、第一」

「登ったからといって何が変わると言うものでもない、はずなんだけどねぇ」

 発声ユニットを通して吐き出される言葉はあまり意味を伴っていなかったが、どうも自由になる、今の生活を捨てる、というのが言いたいのだ、と猫は理解した。

「ふぅん」

猫が近くのビルの看板に目をやる。そこから視線をゆっくりと上に上げていく。

「登ったら、何かが変わると」

目を細める。

「何者かに、吹き込まれた……?」

傘を傾け、真上を見る。顔が雨に濡れる。

「落ちてくるのがわかっていた……?」

実際登れたのはタクシーよりもずっと低いところまでだろうと猫は考える。

「そういえば」

ふと思い出したように猫は傘を戻すと、傘に向かって話しかける。

「天邪鬼、とか言ってたね。少し前に」

「ああ、言ったな。なんかほら、人の顔の見分けがつくとかつかないとか言ってたときだ」

猫がヒゲを引っ張りながら遠い目をする。

「何か姫を唆して木から飛び降りさせるお話、あったよねぇ」

「うりひめこ?」

傘が間髪入れずに答えてきた。

「それそれ、それだ」

猫はまだヒゲを引っ張っている。

「天邪鬼、あまのじゃく、うーん」

何かが引っかかっているようだ。猫の脳裏に浮かんだのは、つるっとした円筒のメタル者。

「子供たちの中にあって、あれは異質ではある……」

シンプルを究めるかのようなボディは、メタル者の方向性とは真逆である。

「話を聞いておけば良かったかな……?」


 暫く円筒形のメタル者に出会うことはなかったが、その間にも何人か飛び降りがあったらしい。生身に近い体の者もいて、現場はそれなりに大惨事だったという噂も広まっていた。広報バルーンには建物の壁に登るなという警告も表示されているが、雨に煙って見えはしない。そしてこれは猫には気づきようも無いことだが、ネットワークに直接配信される広報データにはその警告は含まれていなかった。壁を登るという行為そのものをあまり知らせたくないという思惑もあったのかもしれない。

「あいつなぁ……」

 猫は何故かよく会う面発光素子で飾り立てたメタル者から話を聞いていた。相変わらず、ただぶらぶらと歩きながらである。

「なんで俺らとつるんでるのか、俺も知らねえんだよ」

 今は黄色で統一されたイルミネーションを盛大に点滅させながら、しかし声には戸惑いが含まれている。

「悪いやつじゃない、と思う」

話を聞きながら猫はひげを指でつまみ、伸ばす。

「見ての通り、シュミは俺らとぜんぜん違う」

何を話せばいいのか、何を話したいのか、本人にもわかっていない様子でただその音声は発せられていた。それを猫は遮らない。

「いつだったかなぁ」

すうっとイルミネーションの光量が落ちる。話は続く。

「本当にいつの間にか、俺らの中に混ざってたんだよな」

多分遠い目をしているのだろう。レンズのフォーカスが動く音がする。たとえ体の構造がヒトと異なるモノになっても、生身の身体性を捨てても、ふとした拍子に生身の人間と同じような動きが出てくる。それを猫は目を細めて見ていた。猫にはそれが、ヒトにもともと備わった動きなのか、受け継がれた文化のようなものなのかはわからない。ただ、懐かしい生身の人間たちと同じような仕草に、少しだけ心が動かされた気がした。

「俺らのネットワークにつなぐことも滅多にない」

「……なのによくつるんでいる?」

傘が雨をはじく小さな音の下で猫が疑問を口にする。グループのローカルネットワークは、メタル者のような所謂不良達に限らず様々な単位のグループで作られ、情報の共有に使われる。管理権限ではすべてが見られるとか、生まれては消える膨大なローカルネットワークのすべてのトラフィックがどこかにアーカイブされているとかいった都市伝説もあるが、誰もあまり気にすることなく便利に使っている。そしてそこに繋がないというのは、グループに属して行動する上では不便しかないはずだ。

「誰かが教えたわけでもなく、集合場所にいつの間にかいる、そういうことが結構ある」

光量を落としたイルミネーションの上を、表面張力が限界を迎えた水滴が崩れて流れ落ちていく。猫はそれを目で追っている。

「不思議なこともあるもんだねぇ」

「そう、不思議なんだよな。不思議な奴なんだ」


「理由や理屈が在ると思うのが、そもそもの間違いなのかねぇ」

傘立てに傘を少し乱暴に投げ入れると、猫は一つ目小僧(サイクロプス)の扉を推した。

「俺らみたいなのも、いるんだしな」

傘の声を背中に受け、その後で扉の閉まる音を聞く。

「久し振りだね」

マスターの大きなレンズが正面から猫を捉える。その後ろには、どこまでがマスターなのかわからない複雑な機械が鎮座している。

「そうだったかね」

応えながら猫がいつもの席に座る。

「バイオ素材のオイルは劣化が早いからね」

「なるほど、それはすまなかったよ」

何度も廃棄したのだろう。その数がそのまま猫の訪れなかった期間を表すことになる。他にそんなものを注文する客はいないのだから。しかし謝罪の言葉に、マスターはそれ以上何かを言うでもなく、皿に入れた油を猫の前に音もなく置いた。

「マスターは」

猫の指が皿の縁をなぞる。

「正しく時の流れの中に居るのだね」

小さく口に出したそれは、他人に聞かせることを意図していなかった。勿論店内の暗さがマスターにとって意味を成さないのと同様に、この店内で発せられた音はどれだけ小さくてもマスターには全て伝わっているだろう。お互いにそれは承知の上で、見えないことになっているもの、聞こえないことになっているものには触れない。ここはそういう場なのだ。

「ま、つまりは永いんだ」

今度はちゃんと声に出す。そして顔を皿に寄せ、舌を出す。

「永い、確かにね」

「マスターはさ」

猫が顔を上げる。

「上に行きたいと思ったことはあるかね」

「それは、偉くなりたいとか金持ちになりたいとかそういった」

「いや、そういう喩えではないよ」

マスターの言葉を遮る猫。店の暗がりの中で、猫が上に顔を向けた。勿論そこには天井しかない。

「ああ、すまない、わかってるよ」

この町の上。言葉通りの上の方には様々なものがあると言われている。一部の施設はエレベーターを備えていて、ドローンやバルーンより高いところに上がることができるし、タクシーなんかも飛んでいる。そのさらに上は管理区域であるとか、天候の制御エリアであるとか、あるいは貴族がいるのだとか、あやふやな話がささやかれる程度である。

「興味を持ったことがない……んだと思うな、きっと」

マスターは断言を避けた。迷いなのか、遠い記憶の彼方のことはもう藪の中、ということなのか。

「ここにいて、酒を出す。酒じゃないものを頼むかわった客もたまにいるがね。そういうのがずっと続いて、それがこの体であり、この店であり、自分自身なんだ」

マスターの体がどこまであるのか、猫は知らない。もしかしたらマスターも知らないのかもしれない。

「だから、時の流れの中に、正しく居るのかどうかは、自分ではわからないなぁ」

ふっ、と息を吐く猫。

「永いから、かね」

マスターの大きなレンズに視線を戻す。綺麗で大きなガラスと、その奥にある機構が、猫には見えている。

「ならば、そう居られないのは、若いからかね」

在りたいように在り、振る舞いたいように振る舞う猫には、その辺りのことがどうにもわからない。

「居られないのかい」

「居られないのがいて、妙なことを吹き込んだのがいる……」

マスターの問いに応えながら、ヒゲをつまみ、のばす。

「そういうことなんだろうね」

猫は、きっと今の自分はすっきりした顔をしているのだろう、と思った。それはきっとマスターにも見えているのだろう。勿論マスターはそれに関して何も言わなかった。そういう店だった。

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