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エルフの少女エリン

 お腹が空いた。 


 赤色の空……ぼやけていく視界に、次第に聞き取りにくくなっていく音。

 ずきりと全身が痛むたびに体は赤い液体を噴出し……その痛みよりも勝る空腹が私の頭を埋め尽くす。


 お腹が減って……お腹が減って……お腹が減った。


 馬に轢かれて頭を打ち、自分の体重よりも重い荷物につぶされてお腹と右手に感覚がない。 雇い主であった男は去っていき……私は死ぬんだと何となく理解をした。


―――荷物運びだ―――


 そういわれて運ばされたのは、自分の三倍ほどの重さの荷物。

 だけど久々の外……太陽の光が見れると知ってその仕事を受け入れた。

 

 だけど、うれしいはずの太陽はとても目に痛くて……気が付いたら体は宙を舞っていた。


 間抜けな死に方であり……そしてこんな時でさえもお腹が空いたなんて考えしか脳裏をよぎらない自分に幻滅をする。

 お金が必要でここに来たのに……お父さんとお母さんのためにここにきたはずなのに。

 気が付けばずっと、自分のことだけで精いっぱい。


「っくっふっ」


 痛みの質が変わり、私の体は大きく痙攣をした。

 脈打つような痛みは和らいでいき、同時に空腹も引いていく。

 この分なら、こっそり隠し持っていたポケットの中のパンは必要なさそうだ。


 そんな考えと共に私はゆっくりと目を閉じる。

 朝を迎えるためではなく……終わりにするために。


 だけど。


「もし? そこのお嬢さん……助かりたいですか? いくら払えます?」


 そんな怪しげでやかましい声が……私の眠りを妨げたのだ。


                    ◇


 少女は眼を開け、目前に立つカソックを着た胡散臭い男と視線が交差する。

 ぼやけた眼でもわかるほど胡散臭い笑顔を浮かべるその男に、少女は何となくだがこの男はろくでもないことを考えているということを察した。


 だが。


「……お金ない……これしか」


 それが悪魔のささやきかもしれないと気付きながら、少女はつぶれていない方のポケットからパンを取り出して男に渡す。


 きっとシンプソンに対しては取るに足らないものだろう。


 笑われて立ち去られてもおかしくはない……彼女の持つ全財産。

 

 しかし、シンプソンは満足そうにうなずくと。


「素晴らしい……十分すぎますよ」


 そのパンを受け取ると、まるで金貨の袋を受け取る様に瞳を輝かせる。

 

「うそ?」


「あなたにとってこのパンは持てる財の全てであったことでしょう。 今までそれだけの価値をささげた人はいませんでした。そして価値というものが人により異なるということをあなたは本能で理解をしている。 気に入りました! あなたにはお金を稼ぐ資質があるようですねぇ!」


 笑いながらそのカビの生えたパンをほおばるシンプソン。


 契約は成立……全財産をささげた少女に対し、神父は己の使命を全うする。


 息をのむ声や、悲鳴に近い声……あざけるような声がその空間を埋め尽くす。


 だがシンプソンはそんなことを気にする様子はないまま。


 奇跡を唱える。


「我がささやきは祈りとなりて折り重なり詠唱となる」


 息をのむ音が町を震わせる。

人々は一様におぞましいものを見るようにシンプソンを見やり、中には目を伏せるものまで現れる。

何かの冗談だと嘲笑を浮かべる者も中にはいたが、天の羽衣。魔力で編みこまれたヴェールがエルフの少女の体を包み込むと、血色を取り戻す少女の顔色と対照的に青ざめていく。


 白昼堂々、神に近きこの町の中心で異端が行われている。

 驚愕と恐怖の入り混じった状況ににぎやかだった町はいつの間にか静まり返っており、シンプソンの詠唱と折り重なるヴェールの絹擦れの音のみが昼間の町に響く。


やがてこの驚愕は畏怖になり、敵意へと変貌をするだろう。

だがそれがわかっていながらもなお、シンプソンは関係ないと言いたげに詠唱をつづけた。


「そなたは天にて享楽に染まるのか、そなたは地にて狂乱にまみれるか」

 

 失われたはずの臓器が、ぱっくりと割れた額が、零れ落ちた血液でさえも、時間を巻き戻すかのように消えていく。

 「この祈り届けばそれに答えん、享楽・狂乱を忘れ、今またこの地にて栄光を刻むことを望みたまえ、忘却の彼方へさった望みを思い出し、生への渇望を見出したまえ」


 傷がふさがり、ようやく誰かが蘇生を止めようと走り出すがもう遅い。


「この願い届くなら己の望みを、念じよ!」


 少女は目を覚ます。


ここに神の膝元にて異端は完成した。


「御加減はいかがですか?」


「あったかいし、痛くないし……お腹もすいてない」


 信じられないような表情をするように全身を見回す少女に、シンプソンは親指を立てて微笑みかける。


「空腹についてはサービスです、一時的ですがね」


「あ、ありがとうござ……」


「例には及びません。 代金を払ったあなたに正当な仕事をしたまでです。さて、元気になったところ大変申し訳ございませんが、ビジネスのお話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」


「ビジネス?」


「お仕事のことです」


「お仕事? でも私、自分の仕事の途中で」


「戻る必要ないわよあんな奴! さっさとどっか行っちゃうし!」


 蘇生の終了と同時に、腹立たし気に二人のもとにやってくるクレイドル。

 安心をしたのか、うっすらと瞳がうるんでいるようにも見える。

「あの、この人は」


「私の連れです。 悪い人ではないのでご心配なく。 それと彼女の言う通り、先ほどまであなたを雇っていた方は実際あなたを解雇すると言って行ってしまいましたよ? まぁ戻ればまた雇うでしょうが、せっかく奴隷から解放されたんです、あまりお勧めはしませんねぇ。 そも、エルフ族は肉体労働に向いていません」


「で、でも私仕事がないと……お金が、必要なんです」

 

 お金が必要。 そう語る少女の言葉にシンプソンは好都合と言わんばかりに口元を緩め。


「では、私にやとわれてみませんか?」


 そう再度交渉をする。


「え?」


「内容はあなたならそう難しくはないはずです」


「……どんな内容ですか?」


「簡単です、私たちをここから逃がしてください、どうにも穏やかではない様子なので」


 その言葉に、クレイドルとエルフの少女はあたりを見回し、依頼の意味を理解する。


 そこには、異端を目の当たりにして殺気立つ住人の姿。

 

 その手にはどこから取り出したのだろうか、男性は剣や斧、女性は包丁を手にしている。

 声を荒げ威嚇をすることも、警告をすることもなくただただゆっくりとシンプソン達に近づく人々だが、ぼそぼそと聞こえる「異端者」という言葉が、人々が高い殺意をもってシンプソンと少女、そしてクレイドルに近づいていることがわかる。


「あ、あれれー? どうしてみんな手に凶器をもって私に向けてるのかしら……みんな目が座ってるし、じりじり詰め寄られるのすごい怖いっていうか……まじで殺されちゃいそうな気がするというか‥‥…あ、あはは。 まさか蘇生魔法かけたってだけで殺されたりなんかはしない……わよね?」


「しますよ?」


「あ、あははー。するんだーそっかー。人助けして処刑とか……カルト教団か!? ていうかこれも全部私がやれって言ったことになってんの?! 私ただのサイコパスじゃない!」


「まぁ、実際のあなたもたいがいですが」


「喧嘩売ってんのかコラァ!?」


 その実殺意を向けている相手こそ彼らが信仰をささげる女神そのものなのであるが、そんなこと彼らが知る由もない。

狂信とはまさによく言ったもの、シンプソンは心の中でよくここまで教会も洗脳をしたものだと感心をしながらも、となりで慌てふためく女神の人畜無害さに微笑ましさすら覚える。


「あ、あの、ごめんなさい、私のせい…」


「ではありません。私は神の御前にて公正に契約を成立させました。 彼女についてはお気になさらず。 私もここの彼女もあなたのせいだとかけらも思っていませんよ。そんな事よりも交渉を続けてもよろしいでしょうか? 時間もなさそうです」


「あ、え? そ、そうなんですね? えと、逃げるとなるとどこまで?」


「そうですねぇ。 この町に詳しくはないので行き先しか告げられませんが、彼らを振り切って町の外れにある馬屋に向かってください。 まず、最初の契約はそれで行きましょう。できますか?」


「えと、そ、それなら出来そうです」


 エルフの少女はちらりと裏路地へと視線を移す。

 すでに頭の中に逃走経路が浮かんでいる様子であり、おどおどとした表情の中でも逃げ切れるという自信が見える。


「契約成立ですね。 では前金です」


 満足げにシンプソンは袖から金貨を取り出し少女に手渡す。

 太陽の光を反射し黄金色に輝くそれを初めて見たのか、一瞬少女は理解が追い付かないというような表情をしたのち。


「ふわっ!? こ、これ金貨じゃないですか!?」


 そんな素っ頓狂な声を上げる。


「き、金貨!? どうしちゃったのよあんた! 守銭奴じゃなかったの?」


「本当に失礼なこと言いますねクレイドルさん。 私使うべき時の払いは良いんですよ? あとそれに、成功報酬でリンゴ食べ放題もお付けいたします。 お腹が空いているとのことでしたから」


「り、リンゴ!! あ、あの! ぜ、ぜひやらせていただきます!」


 少女はリンゴという単語によだれをたらしながら金貨を握り締める。


「では契約成立です。 案内をお願いします」


「わかりました、それではこっちへ!」


「ほら行きますよクレイドルさん!」


「へ? ちょっ……うわあぁちょっと、引っ張らないでよ!!?」


 少女の掛け声と同時に、シンプソンはクレイドルの手を引いて裏道へと駆け出す。


「裏路地へ逃げたぞ!」


「回り込んで囲い込め!」


 シンプソン達の行動に、男たちの声と騒がしい足音が響き渡るも、エルフの少女はそれを気にする様子もなく迷いなく曲がりくねった裏路地を走り抜けていく。


「……あれ? 追いかけてこない?」


 お世辞にも足が速いとは言えないクレイドルと神父シンプソン。エルフの少女も先導をしてはくれているが、二人のことを気遣ってか走る速度は抑え気味だ。

だというのに裏路地の外からは大声は響くものの、後ろを振り返るとそこには町の人間の姿はなく、クレイドルは不思議そうに首をかしげる。


「裏路地には基本人間は入ってきません。 人間以外が住む穢れた場所なので、クレイドル教の人間は立ち寄らないんです。 なのでおそらく出入り口で待ち伏せをするつもりなんだと思います」



「穢れた場所って……」


「私たちにとっては好都合といった所ですね」


「ええ、出口をすべて塞がれる前に包囲網を突破できれば追いつかれることはありません」


「ですが逆を言えば、包囲されてしまえば袋のネズミと」


「ええ、ですので悠長にしている時間はありませんが、裏路地の構造については私の方が詳しいので、突破は容易です」


「それは頼もしいですねぇ……それに引き換え」


「きゃぁああ!? し、シンプソンゴキュブリ!? ゴキュブリいるし、ちょっ、と、飛んだあああぁ!」


 背後で響き渡る叫び越えと、ゴキブリに追いかけられながら泣きべそをかいて走るポンコツ女神。


 なぜ、自分はこの女神が利用できるなどと思ってしまったのかという後悔がシンプソンの脳内を闘牛のように駆け回り。


「……もしかしたら……これは利用されたのは私の方だったのかもしれませんねぇ」

 

 そんな予感をシンプソンは思わずこぼすが。


「いいいいいやあああああああああぁ!? ゴキビュリイイイィ!」


 その声すらも、クレイドルの悲鳴によってかき消されたのであった。

                    ◇


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