女神の窮地と守銭奴神父
「やっぱりクレイドル様だ、それにシンプソン神父まで!」
興奮をするような声に視線を移すと、そこにはシンプソンよりも色の明るいカソックを身に着けた少年の姿。
「おやおや、私も随分と有名になりましたねぇ。ところで、あなたは?」
「あ、も、申し遅れました! 私、第二信徒の任を仰せつかっております。コルゼウスと言います。シンプソン様のお噂はかねがね」
礼儀正しく挨拶をする少年に、シンプソンは恥ずかし気にほほをかく。
クレイドル教会には信徒による階級制度を導入しており、大司教から下に司教を含む八段階の階級が存在する。
第一信徒はクレイドル教を信奉する民全てと考えられているため、協会所属の僧侶の中で最も位が低いのは第二信徒となり、ほとんどが教会に所属して一年未満の新人である。
ちなみにシンプソンは元第七信徒であり、クレイドル教会の中で三番目に位の高い位置にいたため、教会内で彼の名を知るものは少なくはない。
「それはそれは、お恥ずかしい限りですねえ。 所でコルゼウスさんは町の見回りですか?」
「ええ、最近は犯罪が増えているようですから、しかし驚きました。 常に神の座より私たちを見守ってくださるクレイドル様が、こんな場所にまで足を運ばれるだなんて」
「え、ええ……確かに私は生命と死をつかさどる神ですが、全知全能というわけではありません。この世の状況、人々の憂いや悩みは、自らの足で歩み、耳で聞き、この目で見なければ知ることは叶いません。 あの高い塔の上にいるだけでは、あなた達の声は聞こえませんからね、こうしてこっそり様子を見に来ているのです。 人々を驚かしてはいけませんので、お願いしますできるだけ声量を落としてください」
「なるほど!! はい!! わかりました!!」
うるせえぇ!
と、心の中でクレイドルは叫ぶも、その声は腹のうちから出ることはない。
あくまで平静を保とうと言葉を選ぶクレイドルであったが、その頬からは滝のように汗がだらだらと流れ落ち、笑顔も微笑みとは程遠くぎりりと握られた拳がきしむ。
必死に心の中でお願いだから騒がないでと叫び続けてはいるものの、あこがれの存在を目の前にした若者にそのような思いは通じることはない。
「そういえば! めが……もごっ」
そんな様子にシンプソンはあきれ気味に声を上げようとしたコルゼウスの口をふさぎ、人差し指を口の前に立てる。
「……あまり大きな声を出さないように、このフードの意味わからないわけではないでしょう?」
その言葉に初めて女神の渋い表情に気が付いたのか、コルゼウスは声を落ち着かせる。
「申し訳ございません。 つい、初めてクレイドル様にお会いできたので」
「神を信じる者にとって、これに勝る興奮はないはず、仕方ないでしょう。私もそうでした」
勿論嘘である。
「第七信徒であるシンプソン様でもそうなんですね。 ところでクレイドル様、随分と大荷物ですが。もしかして町の見回り以外にも目的があるのですか?」
興奮が収まり、冷静になったのかコルゼウスはクレイドルの背に追われている天幕と空間圧縮魔法の施された旅行用の魔道具トーマスの大袋に視線を移す。
「え!? あわわわ……あの……え、えぇと」
突然訪れた二度目の窮地。 嘘をつけないクレイドルはまたも同じように慌てふためくも、それを見かねたようにシンプソンは口をはさむ。
「察しがいいですねぇ。その通りです。クレイドル様はこれより少しこの町から離れます」
「えぇ!? 一体どうして!」
「ちょっ!? あんた何言って!?」
一瞬、売られたのかとあわて詰め寄るクレイドル。
しかしシンプソンは向き直るとコルゼウスに見えないようにウインクで「任せてください」と合図を送る。
その表情はなんだか楽し気だ。
「いいじゃないですかクレイドル様、彼は見習いとはいえ教会の所属です。巡礼の秘匿は協会所属の人間には適用されませんから問題はありません」
「巡礼? 巡礼というと、クレイドル様ゆかりの地を巡るというあの?」
「えぇその巡礼です。来年に控えたアルムハーン王国との終戦百周年記念祭。 その成功を祈願して女神自ら各地四柱神へと参じるのです」
「そ、それは随分と長い旅ですね……国境を最低でも、えーと5回は越えなければ」
「大掛かりでいて時間のかかる荒行です。さらにはそれを内密に行われなければならない。 お供が第七信徒である私一人だけという意味も分かりますね?」
「な、なるほど……無事をお祈りしております! シンプソン様、クレイドル様!」
熟れたベリーよりも真っ赤な嘘ではあるが、コルゼウスは感激したように瞳をキラキラと輝かせ、シンプソンは大げさに懐中時計の時間を確認する素振りをとる。
「おっと、こんな時間です、では我々はそろそろ……馬を待たせておりますので」
「は、はい! お気をつけて! お引止めしてしまい申し訳ございませんでした」
「いえいえ、いいのですよ。それでは」
そういいそっとコルゼウスの前に手を出すシンプソン。
さもあたりまえのように差し出されたその手ではあったが、コルゼウスとついでにクレイドルもはてと首をかしげる。
「えと、シンプソン様……その手は」
恐る恐る、といった様子で問いかけるコルゼウス。それに対しシンプソンはまたもやにっこりと笑顔を作り。親指と人差し指を丸めて円を作る。
「神が巡礼へと参られるのですよ? 敬虔なる信徒のするべきことは一つだと思いますけどねぇ?」
要約・金よこせ。
「あっ……あぁ! そうですよね! 旅のご無事を……少ないですが、良き道のりでありますように」
少ないですが……という言葉とは裏腹に、コルゼウスの懐から取り出されたのはまるでネズミを丸呑みしたカエルのごとく膨れ上がった革袋。
手に乗せられた際にずっしりという音が響きそうな金貨の山をシンプソンは受け取ると、満足げに鼻を鳴らす。
クレイドルは眼を白黒させながらも、丘に上がった魚のように口をパクパクさせてその光景を見つめており、驚きのあまりに声が出ない状況というのを、見事にも体現をして見せていた。
「その敬虔さに女神クレイドルはとても満足していらっしゃいますよ。それではくれぐれも」
「承知しております。それでは シンプソン様、クレイドル様」
満足げな様子で帰っていくコルゼウスをシンプソンは手を振って見送り。
「私……自分の信者だまして、お金……貰っちゃった」
少年が通りの角を曲がって見えなくなったところでクレイドルはようやく小さく言葉を絞り出した。
後悔と懺悔……しかしながらその言葉を聞き届ける神父はだました張本人であり。
導くどころかだまし取った財布の品定めにご執心だ。
「ふむ、銅貨と銀貨が目立ちますが、ざっと金貨10枚分とでもいったところでしょうか。 これもクレイドル様、あなたの得のたまものでしょうかねぇ?」
シンプソンは満面の笑みでたぷたぷと金貨袋を手のひらで優しく弄ぶ。
当然のことながら罪の意識は欠片も見られず、クレイドルはシンプソンへと詰め寄った。
「ちょっとあんた……アルムハーンなんてガルム地方の正反対じゃないの! 巡礼になんて行く予定ないわよ? 大嘘もいいとこじゃない!?」
「だからいいのでしょう? 口止めもしましたし、あなたの行き先がばれるころには私たちはガルム地方です。もしあの人たちが告げ口をしたとしても、追っ手は反対側の地方に向かうという寸法ですよ」
「それはそうだけど……女神が人をだますなんて」
「騙してなどいませんよ、後回しにするだけです。なにもガルム地方に骨を埋めるつもりでもないでしょう? 用事を終わらせた後に巡礼をすればいいんですよ」
「口の減らない」
「方便と言っていただきたい。 そんな事よりも言うことがありませんか?」
「うぐっ……確かに不本意だけど助けられたのは事実だわ……その、ありがとう。その善行に免じて、嘘で人からお金をせしめたのは不問としてあげる。でもなんで急に助けてくれたのよ?」
「困っている人を助けるのは神父の義務でございますので、体が勝手に」
「嘘だ! 流石に私でもわかるわよそれは! あなたはそんな人間じゃないわ」
「出会って間もないというのに神父酷い言われよう。 一応言っておきますけれども神父にも心はあるんですよ?」
「正直に白状なさい! さもないとこのゴッドハンドが最短距離であなたの鼻柱をへし折るわよ?」
「ちぇ……わかりましたよ、言いますからその物騒な拳しまってください」
「やっぱり裏があったのね」
「裏というよりかは、まぁそうですねぇ……目的地が同じだったので、一緒に行動をした方が得かなと思っただけですよ」
「目的地が同じ? ということはあんたもガルムの町に用事があったの?」
「そうですね、奇しくも目的地は同じだったわけなのです。 そこでですね、先ほどのお話の続きなのですがどうです? ここはひとつガルムの町まで一緒に行きませんか?」
「随分と変な風の吹き回しね。金貨百枚は後回しでいいの?」
「ええ、情報を売るにしても少しばかり時間が必要ですし、ガルムの町からでも情報は売れます。 ならばひとまずは共に向かいましょう。 その間にどうなるかはあなたの交渉次第ですよ。 神父として神に一人旅をさせるというのは心苦しいものがありますからね」
「あ、ありがとう……ってちょっとまって。 あんたもっともらしいこと言ってるけど、あそこで私が連れ戻されたらお金にならないから助けただけでしょ!?」
「………ばれましたか」
「とりゃあ!!」
神父の厚い胸板に女神の拳がねじ込まれるように突き刺さる。
顔面を狙わなかったことは、助けてもらった恩からの慈悲であったが。
そも格闘術の心得もない小柄な少女の拳が、巨漢であるシンプソンの厚い胸板に刺さったところで大したダメージがあるわけもなく。
ぽすんという音がむなしく響き、じんと非力さを非難するかのように女神クレイドルの五指には痛みが走った。
「気が済みました?」
「ぐっ……なんて固い胸板なのよ!?」
「あなたが非力すぎるだけですよ女神様……正直ここまでとは、感服いたしました」
「バカにされてる私! 女神なのに!?」
「まぁまぁ、非力は罪ではありませんし? ただ道中は魔物も出ます。 あの塔のてっぺんからでは馬の手配もままならなかったことでしょう。 【女神、魔物の餌になる】なんて新聞の見出しを見るのも後味悪いですし、それならば利用……もとい共に行動をした方がよいかとも思ったんですがねえ」
「利用って言った! 今利用って言ったわよね!?」
「どちらも同じことですよ。 それでどうします? 先も言った通り馬も手配してありますし一緒に行きますか?」
「ぐぐぐぐ……と、とりあえずはガルム地方まで一緒に行くまでだからね。その後どうするかは私の自由よ?」
「ええ、それで構いません。 ではしばしの間仮契約です」
「契約?」
「契約中はあくまでお互いの関係は対等です。ガルムの町までですがよろしくお願いしますよ、女神様」
差し出された手に、クレイドルは一度困惑をする。
人を作り、人を導き、最後まで人のためにこの世界に残った女神。
崇め奉られることはあろうとも……今まで誰一人並び立とうとするものはいなかった。
だからこそ、初めて対等だと言われたクレイドルが感じたのは、不敬に対する怒りではなく、温かさであった。
「対等……そうね、対等って言うならクレイドルでいいわ。シンプソン。女神なんて言われてたら身分ばれちゃうし」
「そうですか、それではクレイドルさん。 これからよろしくお願いします」
そういって神父はクレイドルに握手を求め、恐る恐るクレイドルもその手を取る。
この契約がすべての始まり。
この後、二人は世界を大きく変えてしまうことになるのであるが、女神も神父もそんなことに想像すらもしていなかった。
いやあるいは……シンプソンにいたっては、そこまで計算ずくであったのかもしれなかったが……その点はどうでもよいことであろう。
「さて、それでは足は用意してありますので参りましょうか」
「そうは言うけどシンプソン。 急に一人搭乗者が増えても困らないの?」
「なに、一人や二人積み荷が増えた程度では、目くじらは立てられませんからご安心を」
「……積み荷?」