サッハーとの夜
「カンパーイ!」
機嫌よく治った腕でグラスを鳴らすサッハー。
傷跡一つ見当たらず、麻痺一つなく動くその腕はまさに奇跡であり。
初めて体験をした奇跡を確認するように、サッハーは酒が届くたびにシンプソン達とジョッキを重ねる。
「本当に、お前は恩人だよシンプソン! お前はおいらの神様さ!」
気が付けばテーブルの上には大量のジョッキが並び、エリンの周りには平らげられたシチューの木皿がいくつも積み重ねられている。
値段にするとおよそ銀貨三枚分。
これがただの奢りであれば通常は顔が青くなってもおかしくはないのだが。
サッハーは愉快気に笑うと気にする様子もなくどんどんと料理の追加注文をする。
「ははは、恩人だなんて大げさですよサッハーさん。 腕を治すぐらい誰でもできることです。 それよりも」
酒が回っているのか頬の鱗が赤らみ始めたサッハー、その様子を見計らうと、シンプソンはさりげなく声色を変えて話題を切り替える。
「サッハーさん、見たところなかなかの武人とお見受けしますが、そのような方が腕を斬られるとは、迷宮とはそんなに危険地帯なのですかねぇ」
その言葉に、サッハーは何かを悟ったような表情をし、幸せそうにライ麦のパンをほおばる少女を見る。
その質問は単純に迷宮という場所の危険度と……人間以外の種族が挑む際に降りかかる差別という危険度の両方について問いかけられていることをサッハーは理解し、低く唸る。
シンプソンの心配はもっともだ。
奴隷として、そして劣等種として迫害や差別を受けている人間以外の種族。
しかし劣等と扱われていても人であることに変わりはなく、身の安全はー―人間ほどではないが――法律により守られる。
エリンの時のように、事故であれば、もしくは事故に偽装できれば罪に問われることはないものの。 司法機関が機能していない田舎でもない限り白昼堂々殺人を行えば間違いなく決して少なくない罰金刑が貸せられる。
それゆえに、ある程度にぎわった街であれば奴隷とはいえよほどのことが無い限り命の危機にさらされる機会は少ないし、他種族を嫌う人間であってもむやみに襲い掛かるということもなく、ガルムの町も幸いにそんな司法機関が機能をしている町である。
だがサッハーの例があったように、迷宮という場所であればその限りではない。
危険地帯である迷宮に司法機関が入り込むことはなく、たとえ殺害の事実があったとしても事故として扱われる場所。
そこにエリンというエルフの少女が入り込み襲われる可能性は当然のことながら考えられる。
当然シンプソンもそんな輩が迷宮にいないと楽観視をしていたわけではなく想定の範囲内である。
だがそれが日常的に行われているのであるならば話は別であり、場合によっては迷宮攻略の手順を変更しなければならなくなると危惧したのだ。
一瞬サッハーは自分の斬られた腕を見た後。
「まぁ、確かに下の階に降りるほど魔物の強さは上がっていくのは確かだな。 俺も基本は五階層あたりで引き返すんだが……敵が強いからというよりも体力切れが原因なのがほとんどだな。五階層まで行くとほとんどが死に体さ、道中休憩なしで戦い通しだからな。他人を襲おうなんて考える奴はそうそういねえ。いるとしたら迷宮一階層や二階層あたり。ローグの集団が弱り切って戻ってきた奴らを襲うってのはよくある……まぁだから帰り道を考えて無茶な行軍はしない方がいい」
「あなたの腕もローグに?」
「いいや、これをやられたのは四階層さ……いきなり問答無用で腕をぶった切ってきやがった。十年潜っていて初めて見た顔だからな……あいつはきっと特別だ」
「なるほど、リザードマンだからと言って特別狙われたりということは?」
「ねぇな、ローグのやつらは弱ってるのを狙う、むしろ俺みたいな見た目のやつは警戒して襲われにくい。駆け出しのころは2~3度襲われたことはあるが、それでもほかに比べりゃ少ない方さ」
「なるほど。 リザードマンは体力と耐久に秀で、水も食料もわずかな環境でもひと月は生きられる種族だとお聞きしていますが。 そんなあなたでも迷宮では手いっぱいになるのですねぇ?」
「まぁな、いとまなく戦い続けるんだ。 キャンプを張れば多少休息はとれるかもしれないが、魔物の襲撃を考えたら熟睡なんてしてられねえ。 人間だって死体を持ち帰れなきゃ生き返れないし、アンデッドなんかに成っちまったらもはやどうにもできねえからなぁ」
「……アンデッド」
不安げにエリンはクレイドルのそでを掴むが、クレイドルは大丈夫とささやいてその手をそっと握る。
「一階層からは魔物は多いのですか?」
そんなエリンの様子をシンプソンは横目で確認するも、一つうなずいて質問を続ける。
「いいや? 迷宮一階層はエントランスホールみたいなものさ。建物も外見は立派だが上に上るんじゃなくて、宝は地下に眠っている。 いわば神殿みたいなもんだろう。まぁだからこそ地下に行けば行くほど迷宮はどんどん広くなっていく」
「ふむ、構造としては四角錐に近い構造をしているということですね?」
「そうだな。まぁ、迷宮にかけられた神代の魔法のせいでそんな単純なもんじゃあないが、形はそんな感じだろう」
「なるほどなるほど……ではエントランスとなっている一階層なら危険はないと?」
「罠はあるけどなぁ、一階層はほとんど冒険者たちに魔物が狩り尽くされているから危険はほとんどないなぁ。 その代わりローグが潜んでらぁ。 二階層になるとスライムやオークがちらほら出始めるがぁ、迷宮の噂を聞きつけてやってくる腕利き共にとっちゃ足止めにもならないっていった所さぁ……そういう意味じゃぁ、今は迷宮よりも奥にある遺跡の方が危険だなぁ」
「遺跡? 迷宮付近にも魔物が出没しているのですか?」
「あぁ、どうにも最近コボルトが迷宮奥の遺跡に巣を作っちまったらしい。 連れの中でも何人かが、遺跡方面にコボルトが歩いていくのを見たってやつがいらぁ。 まぁ、遺跡っつっても戦争で何もかも焼けちまって建物以外なんもねえんだが、のんきに遺跡観光なんてして襲われると厄介だなぁ。コボルトは単体では弱いが繁殖力だけは兎並みだからなぁ、巣に入り込んじまうと俺でも始末におけねぇぞい?」
「ふぅむ、確かにそれは私たちにとっては致命的ですねぇ。なにせ我々戦闘能力はゼロですから」
肩をすくめるシンプソンに、クレイドルとエリンはうんうんと頷く。
「おいおい、それで迷宮に入るつもりなのかぁ? 悪いことは言わねえぞ? 自殺行為だ」
「そうかもしれませんねぇ、ですがそうじゃないかもしれません」
サッハーは呆れたように無謀な挑戦をする新米冒険者を引き留めようと説得をするが、シンプソンは不敵な笑みをもって返事をする。
細くなった瞳は妖艶にゆらりと揺れたような錯覚を覚え、サッハーはその瞳を見ると自分の発言がただのお節介であったことに気が付いた。
冒険者として長く活動をするサッハーは決して賢人と呼ばれる部類の人間ではないが、夢見る無謀者と、道化を演じる知恵者を見分けられる程度には経験を積んでいる。
当然のことながら、怪しく光るシンプソンの瞳は飢えた知恵者の物。方法も理屈もわかりはしないが、サッハーも予期しえないような方法でシンプソンは迷宮攻略をもくろんでいるのだということを直感で感じ取る。
「……なるほどね、自殺願望者ってわけじゃなさそうだぁ。 それならこれ以上はなんも言わねえよぃ」
そんなサッハーの様子にシンプソンは満足げに微笑むと。
「話の分かる人は好きですよ、あぁそうだ、ちなみに先ほど神殿とおっしゃっていましたが……その建物回りというのはどうなっています?」
次にそんな質問を投げかけられ、サッハーはいぶかし気に首をひねる。
「周り? そうだなぁ、入り口は一つしかねえが……あまり周りがどうなってるかまでは知らねえなぁ。 というのも、この辺りいたるところにまだ地雷原が残っててなぁ。多少正面入り口付近と遺跡方面に続く道は地雷の撤去は進んでるが、道を外れたらすぐさまどかんさぁ」
「ふぅん……戦争の名残はまだまだ消えてないってことね」
「そういうことだなぁ……だからまぁコボルトもそうだが、遺跡に近づくなって言うのは地雷が危険だってぇのもあるなぁ」
「あ、あの……聞いても、その、いいですか?」
親切にいろいろと教えてくれるサッハー。
そんな彼の話を先ほどから黙って聞いていたエリンが、不意に割り込むように質問を投げかける。
結果として話を遮るような形になってしまったが、それでもサッハーは気を悪くする様子もなく笑うと。
「あたりまえよぉ、同じ亜人同士、仲良くしようやぃ?」
そういってエリンへと向き直る。
「ありがとうございます。 えと、そしたら質問なんですけど、迷宮の周りや遺跡には、水辺はありますか?」
エリンはその言葉に一度嬉しそうにはにかむと、そんな質問を投げかける。
「あん? 水辺?」
シンプソンの時と同じく、予期していなかった質問に、少しばかりサッハーは記憶を手繰り寄せるような表情をする。
今まで一度もそんな事気にしたことはなかった、といった様子であるが、しばらく考えたのちに。
「いんや、迷宮の周りにも遺跡の方も、泉は枯れ果ててるし、川もなかったはずだなぁ、だからこそ草木の一本も生えねえ砂と石だけの土地さぁ」
「そ、そうなんですね。 遺跡の場所とか、地形についても教えていただけますか?」
続けざまの質問に、サッハーはまたも難しい表情をすると。
「えーと、遺跡の場所はこの道をまっすぐ行った先に迷宮があるんだがぁ、そこを通り抜けてまっすぐ抜けていくと遺跡があるんだぁ。 たださっきも言った通り地雷原を抜けなきゃならんからなぁ、遺跡に行くにはぐるりと回って遺跡に続く道があるが、この前の土砂崩れでそれもふさがっちまってる。 遺跡に向かうならぁ地雷原を超えていくしかねえがぁ、まぁ遺跡には何にもねぇからなぁ。 行くメリットはなんもねぇよぃ」
「成程、魔物が住み着いていようが遺跡にはもともと何もないから、討伐隊も派遣されないということですね?」
「そういうことだよぃ……この町は周りが山と切り立った崖に囲まれているが、遺跡と地雷原はその崖の周りを三日月形に伸びている。迷宮はこの町と遺跡の丁度真ん中にポツンと立っているといった所だなぁ。 まぁ、地雷原と迷宮から離れるように、この町を立てたんだから当然と言えば当然だがなぁ」
「すごい地形ですねぇ」
「そうだな、実質この遺跡は周りを切り立った崖に囲まれているせいでなぁ、第二次部族戦争のときにアルバート派の陣地に使われた。 攻めに難く守りに安い……追い詰められてたアルバート派の奴らにとっては最後の砦ってやつだ。事実、この砦を落とすのにレオナルドは相当手を焼いたって話だな」
「なるほど……しかしながらその恵まれた地形も、核撃魔法を前には為す術もなかったということですか」
「あぁ、神父様はとっくにご存じだったか。 そういうことよ、その時、何もかもが吹き飛んじまった土地にただ一つ残ったのがこの迷宮というわけさ。 この世において伝説級の殲滅魔法メルトウエイブを受けてなお、傷一つない神殿と地下迷宮。 それはまさに神の城というわけさ」
「心躍りますねぇ、それはお金の匂いがします」
「そうだろう? 実際に多くの冒険者がどえらいお宝を発掘して帰ってくる。 ここはまさに神様の宝物庫さ。めぼしいお宝は第三階層まで行かないと取り尽くされてるだろうが、それでも挑戦する価値は十二分にある」
「ふふふっ、ふふっ、最高じゃないですか……あぁ、うずうずしますよ」
にやにやと笑いながら不気味に笑うシンプソン。
まだ見ぬ宝とお金の存在に興奮冷めやらぬといった様子であり、その様子に。
「お前気色悪いな」
サッハーは正直な感想を述べた。
「気にしないで、金の亡者だから」
「で、でもいい人なんですよ?」
そんなサッハーに、二人のフォローが入るものの、気色悪いという部分を訂正するものはいなかった。
「ま、まぁ、悪い奴じゃねえことは何となくわかる。 リザードマンの勘は当たるんだ」
「ほぅ、あなたはやはり人を見る目がありますねぇ。 どうですか? あなたさえよろしければ私とお金儲けをしてみませんか?」
目を光らせ、今度は右手を差し出すシンプソン。
その姿に一度サッハーは驚いたような表情を浮かべるが、すぐに首を左右に振る。
「お誘いはうれしいが、俺にも仲間がいるからなぁ。 一緒に育った兄弟だぁ……あんたらに恩はあるが、兄弟を捨てるわけにはいかねぇよぃ。 今は俺を残して迷宮巡りに行っちまってるが、戻ってきたら探索再開だ」
その言葉にシンプソンは粘ることはなく、すぐに右手を戻し、それは仕方ないですねと静かに笑う。
「それは残念です。あなたとはとてもうまくやっていけそうな気がしたのですが。 ヘッドハンティングをするだけの条件を今の私たちは提示できそうにもありまんからねぇ」
表情こそ穏やかだが、その言葉の端々からは口惜しさが零れ落ちており、しつこくはないその残念そうな表情にサッハーは朗らかに笑みを零す。
「へへっ……なぁに、引き抜きなんてしなくたって恩人への恩はリザードマンは忘れねぇもんさ。何か困ったことがあったらおいらが力になるさぁ。 亜人のおいらをなんのためらいもなく誘ってくれて、うれしかったよぃ。 本当さぁ」
「ふふふ、迷宮においては強さよりも多様性が求められます。偏見はお金儲けの邪魔でしかないのですよ」
「……あー、難しいことはよくわからねえが」
「ふふふっ、わからなくてもいいですよ。 さて、難しいお話はこれまでにして、これからは楽しい時間と参りましょうか。ここで出会ったのも何かの縁。その縁を確固たるものにするために、ね?」
「おうさ! おいらとしても難しい話よりもそっちの方がありがてえ!」
「乾杯ね乾杯!! あっははは、酒場はやっぱこうじゃないと! じゃんじゃん酒をもってこーい!」
テーブルの上に立ち上がり、酒瓶を振り回すクレイドル。
ガルムの町に着いた初日。
結局夜が更けるまでシンプソン一行は、サッハーと共に酒を飲み明かしたのであった。