7.冒険者をはじめよう。(前)
(の、のみすぎたかな)
シズクはホテルのベッドの中で覚醒すると同時に、頭痛と肩の凝りに襲われた。
押し寄せるのは後悔の念。
昨夜は羽目を外し過ぎたかもしれない。
よくよく思い返してみると祝勝会の終わりあたりからチェックインまで、記憶がすっぽり抜け落ちてしまって――。
「え゛っ?」
そこで寝ぼけ眼をこすったシズクは、かつてない衝撃に襲われた。
「ちょっ、ちょっとなんでキミがいるのさ!」
わずか数センチ先に、ゲルハルトの顔がある。
慌ててベッドから抜け出ようと上半身を起こし、立ち上がろうとするシズク。
だがしかし、寝起きで急に動いたのが悪かった。
彼女はバランスを崩して、今度は寝転ぶゲルハルトに覆いかぶさるように倒れてしまう。
「あほーっ!」
不本意な形でゲルハルトと密着する羽目になったシズクは、すぐさま起き上がることもできずに悪態をついた。
混乱のあまりぐるぐる目のシズクが、ゲルハルトの脇腹をぽかぽかとパンチする。
だが一方の、ゲルハルトは心底うんざりした声色で「あのさあ」と声を上げた。
「言っておくが昨夜シングルで同じ部屋にしようって言ったの、シズクだからな」
「はあ?」
呆然として聞き返すシズクに対して、ゲルハルトはジト目で昨夜の出来事を説明した。
祝勝会がお開きとなったとき、明らかにシズクは飲み過ぎていた。
そのためゲルハルトは放っておけず、近場で部屋を取ってやろうと、彼女をこのホテルのロビーまで送ってやったのだ。
ここまではいい。
ところがロビーでシズクがごね始めたのである。
「先輩冒険者としてアドバイスしておくけど、必要のないお金は使わないようにして、節約することが重要だよ」
だからシングルベッド付の部屋に、ゲルハルトも一緒に泊まり、宿泊代を節約すべきだと彼女は主張したのだった。
なるほど確かに支出を抑えるという観点では筋が通っている。
だがしかし、モラルの面から言えば問題があるだろう。
当然ながらゲルハルトは固辞したが、シズクは頑として譲らない。
そして端から見れば、これは痴話喧嘩にしか見えないらしく、受付の係や周囲の客からは、「こいつらよそでやってくんねえかな」と言いたげな視線を向けられてしまい、ついにゲルハルトは折れた。
とはいえ彼には腹立たしさもあり、床で寝るつもりはなく――結果、今朝のような状態になったというのが顛末であった。
「最悪だよ……なにやってんのさ、昨日のボク……」
なんとかベッドから離れて、水差しの中身を全て飲み干す勢いで水を飲む彼女だったが、いくら後悔しても昨日の過ちを取り返すことはできない。
青い顔の彼女を見ながら、ゲルハルトはさて、と思考を巡らせた。
(王国軍第11師団が到着するまでに、1週間ないし2週間待てと戦女神はおっしゃった。その間、この街で何をするべきか)
実は邪神復活阻止あるいは撃破を最優先に動いている直近の周回では、この街に滞在することはほとんどない。
まごまごしていると先日同様、私掠伯の軍勢の侵攻に巻き込まれて足止めを食う。
そのため、ゲルハルトは逆行転生直後はすぐさまこの街を離れ、魔族の領域により近い南東の街『エンタプライズ』に移動し、そこを冒険の拠点とすることが多かった。
「ちなみにキミ、これからどうするの」
ぼうっと考えていると、シズクに話を向けられた。
別に添い寝しただけで勢い余ってやらかしたわけでもないということが分かると、シズクの立ち直りは早かった。
やれやれ、と思いながらゲルハルトは自分自身に確認するように、ゆっくりとした口調で答える。
「しばらくはこの街で冒険者稼業をしようかと思う」
別に金に困っているわけではないが、他にやることがなかった。
「うん、それがいいんじゃないかな」
どこか嬉しそうに口元を綻ばせるシズク。
が、このあとチェックアウトの際、シングルの部屋からふたりで出たところを他の冒険者に目撃されたり、受付の係に「昨夜はお楽しみでしたね」などと声をかけられたりしたシズクは再び羞恥に襲われるのであった。
◇◆◇
「ふん」
『はじまりの街』より東方に魔領西部辺境伯を自称する、私掠伯の居館はある。
その居館の主にして、人類か魔族かは問わず、ただ他者から掠奪することをライフワークとする怪物の私室は、金貨、宝石、服飾品、絵画、古本、武具、高価かつ貴重な品々が無造作に床に投げ出され、あるいは壁を埋めている。
八つ裂きにした長髭族の工房から奪い取った机に脚を載せたまま、私掠伯は「損害を報告せよ」と部下に対して尊大に命じた。
「はっ」
部屋の隅、彼の秘書を務めるアークデーモンは、床に乱舞する高級な品々に触れぬよう、細心の注意を払ってひざまずくと口を開いた。
「我が旅団主力は敵の火焔魔術を受けて壊走。重魔術中隊もまた魔術戦に敗北し、100名以上の死傷者を出しました。旅団長の高級悪魔は行方不明――おそらく戦死したものと思われます。空挺部隊は降下自体には成功したものの、街中にて全滅いたしました。生き残って撤退した者はごく僅かです」
「……」
バチバチ、と魔力の塊が弾ける音が部屋中に響いた。
秘書のアークデーモンの額に、汗が滲む。
彼は眼球だけを動かし、机に脚を投げ出したままの主を盗み見た。
お気に入りの白銀製の甲冑を身に纏い、騎士兜を被った主の表情は分からない。
だがしかし、秘書は自身の主が奪うことを好んでも、奪われることは好まないことをよく知っていた。
「俺から、俺様からそれだけのものを奪ったか。多くの費用と多くの時間をかけた我が旅団将兵を奪うとは――これは、“奪い返す”必要がある」
冷徹な声色で私掠伯はそう言い放つと、次の瞬間には椅子に立てかけていた長剣を抜いている。
「ちょうどいい。この魔剣ドレッドノートの試し斬りをしてみたかったところだ」
彼が刃紋を鑑賞する魔剣もまた、他者を殺害して掠奪したものだった。
掠奪を最上の歓びとし、そして奪った物を実際に使用することが次なる歓び。
纏う白銀製の甲冑も、騎士鎧も、首からかける宝飾品の類もすべて、彼が相手を殺して得たコレクションである。
「俺から奪うほどのニンゲンがあの街にいる、意趣返しでその者の魂を奪うのも面白い」
「閣下、お言葉ですが敵はかなりの手練れかと。重魔術中隊の生き残りに聞くところ、相当腕の立つ魔術士単騎にやられたようですから」
「わかっている。威力偵察を出そう」
同時に私掠伯は、慎重でもあった。
奪うことだけでなく、奪われないようにする立ち回りを身につけている。
彼は事前にさらなる戦力を街のそばへ派遣し、自身の旅団を葬った存在について情報を収集することを決めていた。
そもそも今回、目ぼしい貴重品もなさそうな街へ攻撃を仕掛けたのは、自らの保身のためであった。
近隣の魔族領主たちはみな、邪神復活のための贄集めに精を出しており、私掠伯は邪神復活に興味がないものの、周囲に同調することで自領と権力の保全をもくろんだのである。
(だが)
とはいえこのとき、私掠伯にはさほどの警戒心はなかった。
(所詮は人類の魔術士、八つ裂きにしてくれる。もしかすると魔力を増幅するような類の貴重な物品を所持しているかもな)
ちなみにゲルハルトは109周回目で初めて私掠伯の殺害に成功し、それ以降約400回近く私掠伯を討伐している。
それを思えば、私掠伯の余裕の態度は滑稽を通り越して、悲哀すら感じさせるのであるが、残念ながら彼に自身の運命を知る術はなかった。
◇◆◇
次回投稿は翌日(11/30)の午後9時です。