3.はじまりの戦い、はじまりの街とシズクを救え。(中)
駆ける男は、幻視する。
冒険者として名を挙げるためにこの街を訪れ、右も左もわからない男に、お節介気味だがしかし、親切にしてくれた少女を。
突如として襲いかかってきた暴虐を前に、身を挺して庇ってくれた少女を。
満身創痍になりながら、最後まで魔物の前に立ち続けた少女を。
(いつの間にか、忘れていたな)
彼女を救いたいという純真な気持ちを、だ。
いつの間にか彼女を救っても無駄だと諦め、邪神を倒すことだけに傾倒していた。
もちろん今日救っても、彼女はいずれまた誰かを救おうとして死ぬだろう。
だがそれは、今日救わない理由にはならないのではないか。
◇◆◇
赤い表皮と四本腕を持つ外道、下級悪魔が家々の屋根に降り立ち、逃げ惑う人々の背中へ飛びかかる。
瞬く間に戦場となる街中。
逃げ場を求める市民の流れは自然、西門へ向かう。
だがしかしその西門には、さらなる絶望が立っていた。
青い表皮に覆われた筋骨隆々の怪物。
羊頭の上級悪魔の群れが、西門を守備する自警団員らを亜音速で街壁に叩きつけ、まるで水風船でも破裂させるかのように殺害していく。
「弱い弱い弱い弱いッ!」
カカカと嗤う悪魔たちは次々と【火球】を完成させて、人を、街を、生活を焼いていく。
「畜生ォ、ちく――!」
防盾と手槍を手に、最後まで立ち向かおうとした自警団員が上級悪魔の剛腕でその脳天を割られて、脳漿と肉片を飛散させながら絶命した。
この街に正規軍は駐屯していないため、この瞬間に悪魔に刃向かえるのは、偶然居合わせた十数名の冒険者だけであろう。
それも駆け出しの黄銅級を除いた、銀剣級以上の中堅となれば、数名しかいない。
(助けなきゃ)
その中のひとり、銀剣級冒険者シズクは愛剣を以てまず1匹――単独でいたレッサーデーモンに斬りかかっていた。
確かな手ごたえ。頭蓋骨を叩き割り、刃がその中身に食いこむ感触。
悲鳴を上げるレッサーデーモンの頭部に、さらに彼女は2度、3度と刃を振り下ろし、それを単なる死体に変えた。
「だ、だいじょうぶかい」
悪魔の死骸、そのそばにはうずくまる幼児。
パニックで泣き叫んだまま、動けない。
やむなくシズクは、その子を抱きかかえようとして――背後の攻撃に応じた。
振り下ろされるレッサーデーモンの凶爪をその刀身で受け止め、反射的に蹴りで彼の膝を破壊する。
ぎゃあ、と悲鳴を上げてたたらを踏んだ悪魔の頭部に剣を振り下ろし、新たな死骸を再び生み出す。
だがしかし、崩れ落ちる下級悪魔の死骸の向こう側に、シズクは死の顕現を見た。
「上級悪魔、だね」
思わず苦笑い。
グレーターデーモンと言えば、銀剣級や金翼級の冒険者が複数人でようやく撃破できる相手だ。
翻ってシズクは、単騎。
「逃げぬのか」
「悪いけどキミひとり、逃げる必要がないよ」
「虚勢か。まあいい、その勇気に敬意を表しよう。人間」
そして死ね、と【魔力噴射】で急加速する悪魔。
進行上の物体すべてを破壊する圧倒的暴虐が、シズクと幼児を巻きこむ――前に、彼女は泣き叫ぶ子を素早く抱きかかえて、脇へ飛んだ。
石畳の石材が抉れ、破片が弾け飛ぶ。
路肩でシズクが立ち上がって剣を構え直すのと、攻撃を回避されたグレーターデーモンが獲物に向き直るのは、ほぼ同時であった。
シズクが吶喊する。
勝ち目はないが、少しでも幼子から上級悪魔を遠ざける狙いがあった。
だが彼我の実力差は、隔絶している。
1秒後には蒼い尾がシズクを吹き飛ばし、そのまま彼女は街路樹の幹に叩きつけられた。
「銀剣級か金翼級か知らんが、単騎の剣士職が悪魔に勝てるとでも。思い上がるな、下等種」
よろよろと立ち上がる剣士に引導を渡そうと、魔力の集積を始める上級悪魔。
が、しかし彼は不意に殺気を感じとり、頭を巡らせた。
その視線の先には茶褐色のコートを纏い、一振りの剣を携えた男。
「殺されにきたか、人間」
「殺しにきた、の間違いだ。人外」
「だめだ……だめだ、きみ! 逃げろ! 黄銅級が勝てる相手じゃないよっ!」
剣を杖に立ち上がるシズクの絶叫に、グレーターデーモンが嗤う。
「ほう、最底辺が上級悪魔に刃を向けるか!」
「10秒後。その最底辺に惨殺され、哀れ骸を曝すのがグレーターのお前だ」
「ほざけえ」
憤激した上級悪魔が魔力を吐き出しながら殴りかかる。
対するゲルハルトは、それに合わせる形でカウンター気味に剣を振るう。
次の瞬間、4つに解体された肉塊は亜音速でゲルハルトの脇を通り過ぎ、その背後の家屋に突っこんでいった。
「10秒もかからなかったな。……大丈夫か」
「なんだ、きみ。強いじゃないか。でも、ありがとう」
少しふてくされた表情をみせながら、礼を言うシズク。
心配には及ばず、どうやら重傷を負ったわけではないらしい。
その証拠に彼女はすぐさま、路肩で泣き腫らす幼子を抱きかかえてみせた。
やはり人助けか、とゲルハルトは眉をひそめたが、いま彼女と議論している場合ではない。
「行こう、シズク」
「どこに行くんだい?」
「冒険者管理委員会事務所は無事だ。そこに冒険者や魔術協会、神教連合の関係者、生き残りの自警団員たちが集まって、防戦を続けている。その子をそこまで連れていく」
「そんなところ、この子にとっては危険だよ」
「西門は連中に抑えられた。魔物どもを殺し尽くすまで、この街に逃げ場はない。冒険者管理委員会事務所が一番安全だ。そこを反撃の拠点とする」
「な、なるほど……」
言うが早いか、彼らは走り始めた。
結局のところ、本来のふたりは似た者同士なのかもしれない。