2.はじまりの戦い、はじまりの街とシズクを救え。(前)
ゲルハルトにとっての『はじまりの街』は、四方を街壁で囲んで外敵への備えと為し、出入りは東西に設けられた門でのみ行われる。
その東門は、容易く破られた。
そもそもこの街壁と東門は、本格的な攻城戦を想定していない。
言うなれば内と外とを分ける境界線であり、あるいは賊や少人数の外敵を寄せつけないための設備。
西部辺境伯軍の重魔術中隊による魔弾の制圧射撃と、戦鬼による戦鎚の一撃に耐えられるはずがなかった。
「魔族の数を報せッ!」
「か、数が多すぎる! 1000、2000――わからん、とにかく多すぎるんだ!」
「敵先鋒来るぞッ、密集しろ! おい、に、逃げるな!」
破られた東門を前にして、恐慌状態に陥る自警団員たちへ獣人の群れが殺到する。
自警団員の青い制服は瞬く間に茶褐色の集団に呑みこまれ――物言わぬ肉塊へと引き裂かれた。
血液と脳漿を啜り、他と競うように肉を食らう怪物たち。
いち早く味方を見捨てて逃げようとした自警団員は腰を抜かし、失禁してそのさまを見ることしかできない。
「勝てるわけがねえ、勝てるわけが……」
後ずさりながら、彼は俺もああなるんだ、とだけ思った。
その1秒後。
今度はその茶褐色の集団が、薙ぎ倒された。
疾風、暴風、大旋風――血に飢えた鎌鼬が、無防備に過ぎる畜生どもを食い破る。
「汝、邪悪吹き荒らす嵐! 弱き者の前に疾く駆けつける刃――ヴィルベルヴィントッ!」
魔剣ヴィルベルヴィントの秘められた力が開放される。
邪神には全く通用しない超常の風刃も、低級の魔物にとっては回避不能、致命の一撃。
続いて魔剣ヴィルベルヴィントの主が、斃れ伏す怪物たちの中心に降り立った。
そして殺意と膂力に満ち満ちたゲルハルトは、凶刃を大上段に構え直し、東門を潜り抜けて現れる人外どもを見据える。
次の瞬間、その剛腕で東門を完全に破壊し、街壁の一部を突き崩して押し入ったオーガが、ゲルハルト目掛けて吶喊した。
「汝、邪悪を轢殺し、焼殺し、火刑となす異界の火車」
が、対するゲルハルトは臆することなく、微動だにせずに詠唱する。
「――顕現せよ、【爆裂火輪】」
彼の頭上に完成するのは、轟轟と火焔を噴く巨大な鋼鉄の車輪。
そしてそれは次の瞬間、地獄の業火を噴き上げながら疾走し、迫るオーガを轢き殺し――それだけに留まらず、街壁の外にまで飛び出して、待機していた怪物たちを薙ぎ倒し、その炎で焼き殺した。
それの走路に残るのは体液をぶちまけて絶命した肉塊と、灰燼と化す死骸のみ。
見たこともない攻撃魔術を前に、唖然呆然とする魔物たち。
それを掻き分けて、最前線へ出た西部辺境伯軍の最精鋭――重魔術中隊のリザードメイジたちが戦列を組む。
「第3、4小隊はそのまま障壁を展開。第1、2小隊は斉射用意、構えッ」
手には、魔法杖。
その狙いは当然、ゲルハルト。
「充填、撃ぇ――!」
「汝は全てを拒絶する堅き守り――」
ゲルハルトとリザードメイジたちの視線が交錯した瞬間、命令は下された。
重魔術中隊の2個小隊約100名による【雷撃】の一斉射撃。
青白い稲光は石畳の街路を砕き、街路樹を焦がしながら、ゲルハルトに襲いかかる。
が、彼にとってはその雷撃――邪神のそれよりも遥かに対策を講じやすかった。
リザードメイジたちはその眼を疑った。
生身の人間なら一撃で感電死する100発以上の雷撃は、みなことごとく魔力によって編まれた防壁に弾かれる。
「馬鹿な、出鱈目だ!」
重魔術中隊による雷撃の乱打は、即席の防壁など容易く打ち砕く。
だがしかし、このときゲルハルトが完成させていたのは、あらゆる物理干渉と魔術的攻撃を防ぐ防御魔術【絶対防御】。
魔王級攻撃魔術を防ぐために彼が習得した魔術的防御を、平のリザードメイジたちの攻撃魔術が破れるはずがなかった。
「第2射――」
「【魔弾】」
第2射を放とうとする重魔術中隊に対して、ゲルハルトは攻撃魔術の初歩の初歩、【魔弾】を撃ち出した。
が、ゲルハルトが放った魔力の礫は、重魔術中隊第3、4小隊約100名による魔術障壁に防がれてしまう。
これが魔術士による集団陣形の利。
1発や2発の攻撃魔術ならば、容易く防御できる。
「臆するな、第3、4小隊は続けて魔術障壁を展開し続けろ」
「第1、2小隊、充填め――」
命令を下す指揮官級のリザードメイジは次の瞬間、目を疑った。
それは奔流、と言っても差し支えない。
ゲルハルトの左掌から放たれるのは、100発、200発、1000発の魔弾。
防御のために100枚以上展開した多層魔術障壁は瞬く間に削り取られ、ひび割れて砕け散る。
そして無防備となったリザードメイジたちは、魔力の弾雨に晒されて、そのまま薙ぎ倒された。
重魔術中隊の戦列は瓦解し、残るのは無力化され苦悶する100名以上の魔術士たち。
(難しい)
一方でゲルハルトは、苛立っていた。
本来ならばこの程度の敵勢、【悪果焼滅】で一掃できる。
が、僻地で戦う邪神戦とは異なり、ここは人口密集地だ。
そのためにその最大火力を、存分に振るうことができないでいる。
先程の【爆裂火輪】でさえ、コントロールを違えば、街壁の敵を蹂躙した後に再び街中へ突入させてしまう危険があった。
(戦闘開始からすでに3分。この程度の敵を相手取るには、時間をかけすぎている。さてどうするか)
僅か3秒だが、互いに次の手を思案する睨み合いの時間が生まれた。
「ほう」
突如として沈黙が破られる。
轟、と火焔の鞭が魔物の屍山血河を撫でて、瞬く間に蒸発させた。
深緑の僧衣に身を包んだ、2本角――。
「高級悪魔か」
ゲルハルトは魔力を集積しつつ、再び魔剣を握り直した。
アークデーモンの強さは、魔王級の2ランク下。
魔族の中では実戦部隊の指揮官を務めることが多い悪魔であり、苦戦する敵ではないが、油断してかかれるほど気楽な相手でもない。
ゲルハルトにとっては。
「う、そだろ……なんでここに、アークデーモンが」
ゲルハルトの後方で動けないままの自警団員は、恐怖の呻き声を上げた。
アークデーモンとは、一般的な人類では到底勝ち目がない怪物だ。
最精鋭冒険者たちのパーティでもなければ、立ち向かうのは文字通り自殺行為である。
その彼は、圧倒的強者の余裕を滲ませながら、笑みさえ浮かべて目の前の冒険者に問う。
「その実力、貴様は勇者級か?」
「否。勇者級とは人類神に選定され、祝福され、その神力を代行する決戦存在を指す。俺は違う」
「そうか。だが、ただの人類がその魔術的技量にまで到達し得るはずがない。名を名乗れ」
アークデーモンの問いかけにゲルハルトは一瞬戸惑い、しかし正直に答えた。
「黄銅級冒険者、ゲルハルト」
「黄銅級、だと? ふふふ、冒険者管理委員会における最底辺ではないか」
「名と実の不一致もままある、ということだ。貴様のようにな、アークデーモン」
「ほざけ、人類」
悪魔は嘲笑いながら、謡いはじめた。
人間が詠唱するのも、同時であった。
「汝、生命呑みこむ破滅の劫火――」
「汝、邪悪呑みこむ清浄の業火――」
アークデーモンほど高位の敵が相手となると、【魔弾】のような無詠唱の攻撃魔術では、彼の詠唱を止めることはできない。容易く抵抗されてしまうだろう。
故に、ゲルハルトも相手の破滅的魔術に応じざるを得ない。
一方で、アークデーモンは目の前の敵に驚きを禁じ得ない。
(馬鹿な、人類種がこの魔術を使えるはずがない――)
お互いの左掌に生まれた火球は、赤、黄、白と移り変わり、眩く白熱する。
そして完成するのは、小規模の恒星。
「顕現せよ、【破滅火球】」
「顕現せよ、【破滅火球】」
魔力を爆発的に燃焼させて現れた表面温度6000度のふたつの火球は、超音速で真正面から衝突し、その莫大な熱量を周辺に解き放った。
瞬間、ゲルハルトは即席の魔術障壁を展開し、自身と街中を防御する。
他方、アークデーモンは魔術障壁の展開が間に合わない。
魔力操作の地力の差が出た格好だ。
眩い白光が過ぎ去った後、立っているのはゲルハルトとアークデーモンのみ。
その周囲に居合わせた魔物たちは大熱量の直撃を浴びて即死――どころか、蒸発した。
「きさま、にんげんか」
肺まで焼かれたアークデーモンは、息も絶え絶えにゲルハルトに問う。
彼が「ああ」と首肯した瞬間、旅団を指揮する高級悪魔は斃れ伏した。
「逃げろ、逃げろ」
「高級悪魔があっけなくやられるやつだ。駄目だ、勝てるわけがねえ」
「黄銅級なんざ嘘っぱちじゃねーか……緋鋼級でもおかしくねえぞありゃ!」
それを見た生き残りの魔物たちはそれと同時に、方々(ほうぼう)へ逃げ始めた。
本来、敵前逃亡は重罰に処せられるが、いまは罰する指揮官自身が倒れているために関係がない。
高級悪魔を倒す人間など、平の魔物が束になってかかっても勝てるはずがないと彼らは判断したのだった。
魔物の統率など、こんなものだ。
指揮を執る悪魔や高級魔族が潰されれば、戦意など瞬く間に霧散する。
(終わりか。随分と呆気ない)
ヴィルベルヴィントを納めるゲルハルト。
だがすぐに彼は、高空に潜む殺気に気づいた。
(空挺強襲ッ!)
夜闇に紛れて上空にまで侵入していた上級悪魔と、下級悪魔から成る強襲空挺部隊が、市街全域へ降下を開始する。
彼らの目標は、西門とはじめとする街の要所を占領し、この街の人間を逃げられなくすることだろう。
そしてみなことごとく殺害し、邪神復活の贄にしようというのだ。
ゲルハルトは、来た道を全力疾走で駆け戻る。
シズクが危ない。