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10.人の営みが消えた地で。(後)

前話に若干加筆しておりますので、ご確認いただければ幸いです。




◇◆◇

 結局、ゲルハルトとシズクは適当に見繕みつくろった空き家に泊まることになった。

 自分の診療所に泊まっては、とシーナは提案したが、ゲルハルトは村長の時と同様にそれを拒絶した。

 その態度からは苛立いらだちさえ感じられる。

 この数日間ずっとゲルハルトと行動を共にしてきたシズクからすれば、解せない。


「なにか理由があるのかい?」


 空き家に荷物を置くと同時に、シズクは聞いた。


「……」


 ゲルハルトは無言のまま、だがしかし虚空から鞘に収まったままの剣を引き出す。

 そしてシズクに対して、「付いて来い」とハンドサインを出した。

 灯火のない暗い室内を渡り、そのまま空き家の裏口より外へ出る。

 しんと静まり返った村内。

 月は出ているが夜闇は濃く――そして虫の音すら聞こえない。

 足音を消して歩むゲルハルトにならって、シズクもまた歩み出す。


「ここだ、見ていろ」

「井戸?」


 数分歩いて、ゲルハルトが歩みを止めたのは村の外れにある共同井戸の前であった。

 おそらく以前までは村人たちが利用する貴重な水源だったのだろうが、いまは村長がれていると先程言ったとおり、開口部は分厚い板が打ちつけられている。

 現在は使われていないことは明白であった。

 だがしかし、ゲルハルトは迷うことなく剣を振り上げたかと思うと、次の瞬間には開口部をふさぐ板目掛けて、その鞘の先を叩きつけた。


「なにを……」


 突然の奇行に驚いたシズクは、彼を制止しようと腕を伸ばす。

 だがゲルハルトは瞬く間に2撃、3撃と音もなく打撃を加え、ついに板を叩き割った。

 途端に板の割れ目から吐き出されるのは、黒い煙――否、はえの大群。


「うわっ」

「ちっ」


 ブゥンと羽ばたく死肉漁りどもは、次の瞬間には発火して灰となる。

 と同時に、ふたりの鼻をくのは腐臭と血液の臭い。

 最初から確信を持っているゲルハルトは当然ながら、銀剣級冒険者として修羅場をくぐってきたシズクもまた、ああと思った。


「……死体、だね」


 ゲルハルトが指先に光源を作ると同時に、シズクは板の割れ目から井戸をのぞきこんだ。

 彼らの嗅覚と想像は、正しかった。

 井戸の底から積み上がっているのは、うじの湧いた腐乱死体。

 見ていて気持ち良いものではない。

 シズクはすぐに視線を切り、腰に吊るした剣のつかに手をかけた。


「なるほどだね」


 寂れた村、消えた村人、塞がれた井戸。

 何のことはない。この村はすでに何者かの襲撃を受け、不可逆的な被害をこうむり、そして皆殺しにされた村人たちはこうして隠蔽いんぺいされた。

 村長は――否、もはや彼が本物の村長かわからないな、とシズクは思う。

 村長に化けたなにか、はこちらに対して害意を持っているかもしれない。


「キミ、どこまで推理できてる? 村長の正体」

「さあ……だが、それを話している場合ではなさそうだ」


 遠雷のごとく響き渡る、畜生の絶叫。

 シズクは反射的に剣を引き抜き、外敵に備えた。

 井戸の中に積み上げられた遺体が、レッサードラゴンの被害者だとは彼女は夢にも思わない。

 この村は未知の脅威が潜む死地だということを、すでに理解していた。

 が、しかし、その3秒後。

 彼女の視神経が捉えた脅威は、その想像を遥かに超えていた。


「グリーンドラゴン」


 見上げる巨躯。

 急降下で民家を踏み潰し、地を踏みにじり、咆哮ほうこうする影。

 全身をけばけばしい蛍光の緑鱗りょくりんに包まれ、その瞳は金色に光る。

 そして呼吸いきする度に漏れる吐息は、人畜を容易く殺害する神経ガス。

 劣等種レッサーでは到底あり得ない本物の怪物。

 名実ともに竜種を名乗るに相応ふさしい絶望が、そこにいた。


「レッサードラゴンって、ひどい冗談だね」


 シズクが笑い飛ばすと同時に、彼女とゲルハルトはそれぞれ左右に分かれて走り始めていた。


 この行動の意図するところは逃走ではない。

 亜音速飛翔が可能な竜種に対して、逃走という選択肢はありえない。

 逃走ではないとするならば、当然これは攻撃の予備行動。

 運悪く竜種と対峙した冒険者たちは、まず二手に分かれることを基本の立ち回りとしている。


 走り出したネズミに苛立いらだち、咆哮。

 グリーンドラゴンの視線は、シズクから切れてゲルハルトを追う。

 これだ。竜種という絶望を前に、非力な人類種が編み出した戦術はただひとつ。

 分散し、攻撃し、離脱する――竜種のブレスによる全滅を防ぎ、の破壊的な格闘攻撃を回避しながら、ダメージを蓄積させていくにはそれしかない。


風雨ふうう神に請願せいがんす、けさせよ!」


 ゲルハルトを視線で追い始めたグリーンドラゴンの左側面。

 信仰する神の力を借り、虚空を踏んで駆けるシズクは飛びこんだ。

 狙いはただ一点、脚裏のけん

 一閃。シズクが放つ刃は夜闇を斬り、確かにその先にの腱を捉えていた。


「ちぃ――っ」


 だが、弾かれる。

 刃は確かに表皮を破り、薄い肉を断った――しかしその刃は、鋼鉄の如き筋肉の束を食い破るには至らなかった。

 ちら、とシズクは視線を上に持ち上げる。

 グリーンドラゴンの首は、未だにゲルハルトの方向を向いている。

 ならば繰り出すは二の刃、三の刃。

 しかし、届かない。

 人類種の金属工学が産み出した鋼鉄製の刃は、竜種が有する強靭な筋繊維を断つには至らなかった。

 それどころか腱とかち合ったところから、刃がこぼれていく。


「これが、」


 竜種か、とシズクが言いかけたとき、足下の矮小わいしょうなる存在に気づいたか、グリーンドラゴンが視線を落とした。

 まずい。

 シズクは風雨神の加護を得たその足で地を蹴り、爆風とともにバックステップ。

 と、同時に攻逃こうとうスイッチ。


「死ね」


 後退するシズクとは反対側から、殺意に満ち満ちたゲルハルトが駆けこむ。

 鞘から抜きはらったのは、夜の闇を映した漆黒の剣。

 剣速もさることながら、闇に紛れて刀身が見えない。

 1秒後、痛烈な悲鳴混じりの咆哮が響いた。

 金属光沢のない刃は、その巨大な腱を半ばまで断った。


「まだまだ」


 ゲルハルトが刃を払い、刀身に付着した鮮血を散らす。

 と、同時にグリーンドラゴンは大きく息を吸いこんでいた――ブレスの予備動作。

 まさに呼吸と同様の軽さで、の竜は霧状の神経剤を足下めがけて吐き出した。

 その毒性はわずか1ミリリットルの溶液でさえ、人間を死に至らしめるほど。

 死を撒き散らす黄緑おうりょく毒煙どくえんは、朦朦もうもう立ち昇る。


 グリーンドラゴンは、猛毒性の霧の中で喉を鳴らした。

 彼が勝利を確信していることは、明らかであった。

 これまで出遭ったあらゆる外敵は、すべてこの毒霧の前ではみな無力であったからだ。

 人類種よりも遥かに長い竜種の生、豊富な闘争の経験――だがそれが、彼の慢心を呼んだ。


 横殴りの強風――毒の霧が晴れた。


「もらった」


 高気圧を纏ったシズクが風を踏み、一挙翔け上がる。

 その先には竜眼。

 そして寸分違わず、シズクは刃毀れした剣の切っ先をその巨大な瞳に突き立てた。


 衝撃、激痛、失明。そして屈辱。


 暴れ回るグリーンドラゴン、対するシズクは彼の眼窩がんかに突き刺したままの愛剣から手を放し、虚空を落下していく。


「シズクッ、これを使え!」


 丸腰になった空中のシズクに、ゲルハルトが鞘に収まったままの剣を投げる。


「ありがと」


 風を踏んで空中で姿勢を立て直したシズクは、着地と同時に鞘を払った。

 ほとばしるのは恒星を連想させる力強い白光はっこう

 そしてシズクは渾身の力と次こそはという祈りをこめて、斬撃を繰り出す。

 それに応えるように光を曳く刃は、今度こそ確かにグリーンドラゴンの腱を断った。


「終わりだ」


 バランスを崩し、頭を垂れたグリーンドラゴン目掛け、今度はゲルハルトがぶ。

 やはり視認が困難な漆黒の刀身――その切っ先がグリーンドラゴンの竜鱗を容易たやく破り、頸椎けいついを破壊した。

 どう、と斃れる巨躯。

 着地と残心し、剣を鞘へ納める矮小な影。

 勝者は誰が見ても明らかであった。

 生態系最強を誇る竜種は、僅か数分で銀剣級の人類種ふたりに大敗を喫したのであった。


「……なんだか呆気ないね」


 シズクは正直な感想を漏らした。


「やるじゃないか、シズク」

「いや、相性がよかっただけだよ。風を操る加護がたまたま有利に働いただけで。実際、悪魔とは相性が悪くて苦戦するしね」

「運も実力の内」

「……褒めるのがうまいね」


 へへ、とひとしきり照れたシズクは、斃れ伏したままの竜種から愛剣を引き抜くと、その代わりに白光を放つ剣をゲルハルトに返そうとする。

 だがゲルハルトは「いや」と断った。


「どうやらまだ、一仕事ありそうだ」


 見やれば、離れた民家の裏から人影が現れる。


「その宝剣を置いて去れ!」


 現れた影はふたり。

 ひとりはシーナ。

 そしてもうひとりはシーナの首に腕を回し、短剣を突きつけている村長という組み合わせ。


「その女が持つ宝剣を早く置いて去れ! シーナを殺す、早くしろ!」


 ゲルハルトとシズクは、固まった。


(馬鹿か?)


 というのが、ふたりの偽らざる感想であった。

 シーナからのレッサードラゴン討伐依頼を請けて来てみれば、胡散うさん臭い村。

 そして待ち構えていたのは、劣等種レッサーよりも遥か格上のグリーンドラゴン。

 状況で考えれば、村長もシーナもグルと考えるのが自然ではないか。

 にもかかわらず村長は、いけしゃあしゃあと自作自演。

 シーナを人質にして、シズクが握る剣を要求している。


(それとも、本当にシーナは村長と組んでいるわけではない?)


 さすがに相手がそこまで馬鹿だとは思えないので、シズクは戸惑う。

 が、1秒後には思考を断ち切り、そしてふたりは走り始めていた。

 シーナが無実だろうが村長と組んでいようが、関係ない。


 彼らは邪悪と交渉する気はまったくなかった。

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