9.人の営みが消えた地で。(前)
さて。
この地表にて繁栄する種族の中で、人類種が貧弱な部類に含まれることは疑いようのない事実であろう。
長髭族のような頑強さも、耳長族のような長寿と知恵も、鬼族のような腕力も、悪魔族のような魔術適性もない。
ならば人類種が、今日まで絶滅せずに存続している理由はなにか?
それはただただ地道な努力により積み上げてきた技術力。
夥しい戦死者と、思考錯誤の末に編み出された戦術。
信条や文化さえ捻じ曲げて他種族と交流する外交力と、他種族から学ぼうとする進取の精神。
これを以て貧弱な人類種は、他種族との生存競争に打ち克ってきた。
だがその人類種がどう足掻いても届かない高みにあるのが、竜種であった。
一撃で物理的・魔術的防御を無効化し、戦列を崩壊せしめるブレス。
戦鬼ですら歯牙にかけない体格と、格闘能力。
全身に纏うのは、弓矢は勿論のこと生半可な魔術も通用しない竜鱗。
生態系の頂点は紛れもなく竜種であり、竜種最強のレッドドラゴンともなれば恒星の表面温度を遥かに超える火焔を吐く。
個体数が少ないうえに休眠時間が長いからこそ、人類種をはじめとする劣等種たちは文明を築けているのであって、仮に彼らが破壊衝動に目覚め、積極的に活動するようになってしまえば、地上から文明はたちまち消え失せてしまうだろう。
ただ今回、ゲルハルトたちが討伐せんとしているのは、竜種の中でも最弱とされる劣等種――レッサードラゴンであった。
体高は約1.5メートル、体長も馬ほど。
竜種を最強たらしめるブレスを吐くこともない。
竜種というよりは、大型の肉食獣に毛が生えたようなものである。
ただし繁殖力が強く、よく群れるために素人に駆除は難しいとされる。
が、前述の通り、他の竜種より遥かに劣弱。
1対1の勝負であれば、銀剣級冒険者でも容易に屠れる相手であった。
◇◆◇
辻馬車で半日以上。
距離にして約70㎞北西の位置に、件の農村はあった。
辻馬車の御者に対して相場より多めの報酬を支払い、3人が村の入り口に降り立ったときには、すでに日は地平線のすぐ直上にあり、そろそろ夕闇がその深さを増して、一帯を塗り潰そうとし始める頃だった。
「まず村長さまへご挨拶に参りましょう」
シーナの先導に、ふたりは続く。
橙の夕陽に照らし出されるのは雑草に覆われた畑や、滅茶苦茶に破壊された家畜小屋。
視線を巡らせば、農村の内と外とを分ける害獣除けの柵が、ところどころ破れていることに気づく。
(この村、だいじょうぶかな)
寂れていて、活気のない村。
それがシーナの農村に対して、シズクの抱いた第一印象であった。
彼女もまた元を質せば、貧しい農村の出身だ。
だがしかし、彼女の出身の農村は貧しくとも生活をより良くしようという活気があった。
大人たちは日が沈むまで子守をしながら働き、子供たちはそんな大人たちとともに仕事を手伝う。
村の周囲には常に自警団の人間が立って見張りにあたっていたし、特に狼や猪といった害獣を寄せつけないための柵の修繕は、住民総出で行う関心事だった。
畑の雑草を放置したり、破れた柵を直さなかったり、ということはありえない。
「村のみんなは? 柵くらい直したほうが……」
遠慮がちに提案するシズクだが、それを遮るようにシーナは言う。
「どうやら村の方々のほとんどは、隣村へ避難したみたいですね。私が出発する前にはそんな話も出ていましたから」
「ふうん」
シズクは腑に落ちない表情で、相槌を打った。
納得はできない。農村の住民にとって田畑は、食い扶持を稼ぐための場所であり、唯一無二の財産である。
他に産業があるならともかく、そう簡単に放棄して離れられるものではない。
村長は人の好さそうな初老の男であり、ゲルハルトとシズクを歓迎してくれた。
もちろん口先だけの態度ではない。
村の集会所を宿泊先として自由に使っていいと約束をしてくれた上、食事や討伐に必要な物品を提供すると申し出てくれた。
「いや、必要ない」
だがしかし、村を訪れてからいつになく無口になっていたゲルハルトが、この時ばかりはきっぱりと断った。
「俺たちは食料も水も持ちこんでいる。この村の人々が必要とする食料を分けてもらうには忍びない。宿泊先は馬小屋か、住民が棄てていった家屋で十分だ」
「いえ、そのような……」
強い語調で言い切るゲルハルトに対して、村長は慌てた様子でもう1度、食料や村の集会所を提供する旨を申し出る。
ゲルハルトは「要らない」と取りつく島もない。
最初から議論するつもりがない様子であった。
それでも村長は食い下がるので、「それでは」とゲルハルトは意地悪そうな表情を浮かべた。
「村の共同井戸を使わせていただきたい」
「……村の井戸は現在、枯れておりまして」
村長は満面の笑みを崩さずに申し訳ありません、と謝罪した。
「もし水が必要とあらば、私どもの方で提供させていただきます」
「いや。井戸が枯れている以上、水は貴重。近場の水源から汲んでくるのも大変だろう。やはり必要ない。それでは」
「えっ、えっ」
シズクとシーナが呆気にとられていると、ゲルハルトは踵を返して、さっさと村長の邸宅を後にした。




