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「風の街エレジー」  作者: 時枝 可奈
39/51

38 「集獣」

 

『これが天罰か』

 和明はそう思ったという。

 大切にしようと己に誓いを立てたばかりの円加に対し、肉体に影響を及ぼす程の精神的な傷みを与えてしまった、これが罰なのだと。

『死んだフリなんぞしよるから、ほんまに死ぬんじゃな』

 口の中に広がる血と砂利を、唾と一緒に吐き出した。地面にうつ伏せに倒れ込んだ和明には、もはや体を起き上がらせる力すら残されていなかった。

 和明の身体から三メートルも離れてない場所で、空き家の塀に背中を預けて座り込む幸助の姿があった。首や手首に和明のつけた手形が赤くくっきりと残されている以外、和明とは違い唇を切った程度の軽傷である。地面に尻を付けて疲れたように座り込むものの、煙草をくゆらせるその顔には余裕すらあった。

「お前、善明か?」

 と幸助が言った。

 和明は答えなかった。会うた事あるやろ、今まで誰やと思うとったんじゃ、と腹の中では愚痴りながらも言い返す気力がない

「親父元気にしよるか」

「…関係ないやろ」

 和明の返事に、幸助は嘲笑った。

「関係ないんはお前じゃぁ。何をしゃしゃり出よんじゃぁ、くそガキの分際で」

 和明は正直話をしたくなどなかったが、喋っていないと意識が飛びそうだった。

「出て来とうて出とん違うやろ。ならなんでお前ら、友ちゃんを狙うんじゃ」

 倒れたまま指一本動かさずに言う和明の問いに、幸助は黙った。そして溜息と一緒に煙草の煙を吐き出すと、

「いっつも、寸手の所で邪魔が入る」

 と嘆いた。

「さっきもそうや。ワシ、お前が一番分かりよろうが刃物使うんが得意での。あのおなごかて伊澄の倅が邪魔せなんだらもう殺れてた。その前かて、東京の路地裏で後ろから一捻りしよる寸前、後ろっから伊澄の倅に首根っこ掴まれてや。あいつだきゃあ、ほんまけったくそ悪い」

「だからなんで友穂狙いよんじゃ!」

「ピクリとも体動かんくせして何を粋がっとんよ」

「何で平助を刺した!」

「邪魔やからや」

 和明の背中がぐうっと浮き上がり、そしてまた腹から地面に落ちた。

「取り消せ」

 と和明は言った。

「何をや。邪魔なもんは邪魔なんじゃ。静子は可愛がってるみたいやったけどの、ワシは、あいつは好かんな。なんであんなガキになってもうたんやろ。いらんわあ」

「取り消せェ!」

「何を泣きよんじゃ気持ちの悪い。平助の心配する暇あったらとっとと気合入れえよ。別にお前の命なんぞどうでもええけどな。親父殺りに行く前に倅の首持っていったらさぞかし面白いやろなーて。…お前の命なんぞ、その程度や」

「なんでお前がウチの父ちゃん殺すんや」

「質問ばっかりやのお、口だけ番長。そしたら早よせえよ。こっちは待ったっとんねん。お前が回復すんのん、待ったっとんねん。明緒の倅がこの程度のわけないんじゃ、早よせえや!」

 明緒とは和明の父親の名前である。

 父親を殺すと言われて黙っていられる和明ではなかったが、体中を刃物で切り付けられ血を失い過ぎたためか、どれほど怒りが膨れあがろうとも体が言う事を聞かなかった。

「池脇と、神波はどこにおるん」

 と、動かない和明を冷ややかに見つめて幸助が聞いた。

「知らん」

「せや。どっちか一方でもええわ、居所教えてくれたらお前の命は助けたるよ。親父は殺すけど。さてどうする。どっち売る?」

「アホけ」

 和明は即答し、

「殺そか?」

 そう言って幸助が立ち上がった。

「頼む友ちゃんだけは助けてくれ!あいつは関係ないやろ!」

 振り絞るような声で和明は懇願した。幸助は短く笑い、

「無理や。俺が一番殺したいのはあのおなごやもん」

 と答えた。

「なんでじゃあッ!」

 和明は必死で両手を地面に付けて体を持ち上げようと足掻いた。

 和明を見下ろしながら、幸助は鼻から溜息を零す。

「なんでこないな事になったかのう、せっかく実の親父をこの手にかけた言うのによお、今井のじいさん恨むでえ。もう、ワシが生き残るにはそれしかないんよ。あのおなご殺して、この先お前らの家が続いて行く事をなんとしても阻止する。その上で、仕事を分け合いあの男と和解する。それしかないわ。…ああ、それしかない」

 羽をもがれた虫のように両手両足をバタつかせていた和明の動きが、幸助の言葉を耳にした途端ピタリと止まった。

 路地裏で銀一が出会った不審者が幸助であったと知れ、そして西荻平左殺害の犯人が幸助であったと知れた。それも幸助本人の口からその事実は語られ、さらには藤代友穂、善明明緒を殺すと宣言された。怒りに満ちた和明の心を落し潰さんばかりに、黒く冷たい恐怖が次々に圧し掛かって来た。

『これが天罰か? こんな事が許されてええのか?』

 和明が唇を噛み締めた、その時だった。

「おー、おー、おー。絶景やのう」

 声と共に近づいて来る足音が、和明の背後から聞こえて来た。

「誰やお前」

 と幸助が言った。

 和明はなんとか頭を動かして、足元に目を凝らした。

 路地の向こう十メートル程先に、しゃがみ込んで自分達を観察する、笑顔の男が見えた。

「…ペケか?」

 和明が呟く。

「何回言うたら覚えるんじゃ。俺の名前は、ペク・ミョン、うおおお!」

 ペケが名乗り終える前に、幸助が走り出した。

 幸助は和明の背中を踏んで通り過ぎ、有無を言わさぬ速度でペケに襲い掛かった。ペケは驚きの声を上げはしたものの、しゃがみ込んだ姿勢から咄嗟に両足を開いて低く身構えた。その顔には笑みすら浮かんでいた。

 何故この時ペケが現れたのか和明には分からないし、何故ペケが『やる気』なのかも分からなかった。確かなのは、自分をこてんぱんにやり込めた善明和明が目の前で転がされている姿を見ても尚、若いペケの自信を折る事は出来なかったということだ。

 幸助は飛び上がって両足を揃え、地面と平行になる程の勢いでドロップキックをお見舞いする。ペケはにんまり微笑ったまま体を捻ってかわすも、その瞬間眉間に皺を寄せて大きく姿勢を崩した。

 ペケの身体の向こう側へ着地した幸助の手にはいつの間にか小型のナイフが握られており、既にその刃には血がついていた。

 ペケは右肩を押さえてよろめき、「あー」と愚痴を零すような声を出した。

「そういう感じなぁ」

 とペケは言い、腹立たしそうに地面に唾を吐いた。

「男なら拳で来いや、じいさん」

 言いながらペケが大振りの回し蹴りを放つと、幸助はその場から動く事もせずにペケの足を脇腹で受け止め、空いた手でナイフを振り上げた。

「ちょい!」

 ペケが飛び上がってもう片方の足で幸助の胸を蹴った。なんとか距離を取ったものの、ペケの顔から笑みは消えていた。

「逃げろボケ」

 と和明が言った。

 その瞬間ペケが踵を返して和明に駆け寄った。そして和明の身体を掴んで抱え起こすと、

「逃げろちゃうがな、お前もやるんや!ホレ!」

 と言って立たせた。

 和明は急激な立ち眩みにふらつきながらも両足で立ち、隣のペケの腕を掴んだ。

「帰れやお前、なんでおるんじゃ」

「おしゃべりは後!」

 ペケは苦笑しながらそう言い、パン!と手を打ち鳴らした。

「よいしょ!」

 言いながらペケは走り出し、構える事なく突っ立っているようにしか見えない幸助に殴りかかる。幸助は余裕のある動きでひらりと交わし、目の前に体を寄せたペケに向かってナイフを滑らせた。ペケはギリギリで刃先をかいくぐり、左手で幸助の服を掴んで右アッパーを鳩尾に突き上げた。

 幸助は「ふ」と息を吐いただけでそれに耐え、振り上げたナイフをペケの頭頂部に突き立てた。その寸前和明が体当たりし、ぐらついた幸助の左手首を両手で掴んで握り締めた。

「ふぎ」

 と和明は唸り声を上げ、全力で幸助の手首を締め上げる。和明の鼻から血が流れ、幸助の手首の血流が止まり、一瞬でナイフが落ちた。

「け」

 と和明が言った。「行け」なのか「ペケ」なのかは分からない。しかしペケは呼応するように、勢い込んで右アッパーを連打した。何発打ったか分からない。しかし幸助はびくともせず、冷ややかな目でペケを見下ろしていた。

「人間じゃ、ない感じ?」

 思わずペケがそう漏らす。

 和明が目を見開いた。

 その瞬間幸助が全身を振って、自分の身体を掴むペケと和明の手を振りほどいた。ペケは何故自分の手が離れたのか分からず思考が停止する。しかし和明は、直前自ら両手を離していた。

 そして次の瞬間、和明は両手の親指を幸助の喉仏にめり込ませて首を締めにかかった。

 この日初めて、幸助の顔が青ざめた。しかしそれは、ペケも同じだった。

「あ、お、おい、あかんて!殺してまうぞ!」

 和明の握力を持ってすれば、両手であれば人の首を素手で折る事も可能だった。幸助が膝を折り、和明が更に力を込めて覆い被さる。

「あかん!」

「俺は人殺しになってもええ」

 覚悟を決めた声で和明がそう言った。

「誰に何を言われてもええ。守りたいもん守れるんならこいつを殺す。俺一人が腹括ってそれで万事解決しよるなら、例え人殺しと謗られようが俺は一向に構わん!」

 和明の親指の爪が、幸助の首の皮を突き破って血が流れた。

 スン、と幸助の右腕がバネのように跳ねて、ペケの腹にナイフが刺さった。

 前触れもない一瞬の出来事に何が起きたか分からず、

「俺?」

 ペケはそう呟いて、後方によろめいた。

「死ね」

 全身を戦慄かせて和明は囁き、一瞬緩めた両手に残された力の全てを込めた。

 カチャリ。突如として音が聞こえ、幸助の背後から小柄な男が現れた。

「お? …おじいか?」

 目を見開いて和明が呟いた。

 幸助の背後から顔を見せたのは、行方の分からなくなっていた成瀬刑事であった。

「遅うなったのう、ボンクラ。大手柄じゃ」

 成瀬刑事は読経を思わせる声で低くそう言い、次いで「三島!」と声を張り上げた。

「確保ー!」

 どこからか声が聞こえ、手錠を振りかざした三島が走り込んで来た。三島の背後には二人の制服警官が付き従い、まるで先頭を行く三島は私服警官のようだった。

「遅いわい、じじい」

 と嘆いて、腹部を押さえたままペケが仰向けに倒れた。

「手錠はもう嵌めたんじゃ、はよ縄持ってこんかい!」

 三島を叱責する成瀬刑事の声に懐かしさすら感じ、見下ろした幸助が完全に失神しているのを確認してようやく、和明は両手の力を緩める事が出来た。成瀬刑事の登場があと三十秒遅ければ、和明は間違いなく人殺しになっていただろう。




「芥、という苗字の男がおった。ずっと俺らの、頭領とでも言おうか、そういう存在やった」

 翔吉の視線は俯き加減であったが、その目は恐らくちゃぶ台も、銀一の差し出した怪文書も見ていなかった。この時の翔吉の年齢からすれば、三十年以上も前の話である。

 二度と戻れない遠い場所を見つめながら、翔吉は語った。

 十代の頃から、翔吉はかつて「芥」という名の男と行動を共にしており、その男に付き従い所謂『汚れ仕事』を請け負って来た。しかしその汚れ仕事を行う理由は義憤でも、当然なし崩しでもなく、依頼を受けて金銭の発生するれっきとした仕事としてであった。そしてその発注元はなんと、『国』であるという。

「俺らが始めた仕事やない。俺が産まれる前から、じいさんが産まれる前からあったのかもしれん。ただ、正直言えば俺も芥も、その仕事をずっとやめたかった」

 その仕事がどのような内容であったのか。銀一は翔吉の口から聞かされていなかったが、あるいは殺人であった可能性も否定出来ないと、後に本音を語った。

「当時は一年に、一度か二度、その程度の頻度しか仕事はないのやが、一年間なんとか食うていけるだけの報酬を貰えた。芥がその仕事を上から貰ろて来て、俺か、芥と二人でその仕事をやる。個人的には全て金の為やったが、若かった俺はすぐに嫌気がさしたし、何度もやめたいと申し出た。芥は、そのたんびに『分かってる、俺もそうや。もうやめたい』そうやって頷きよるが、そんな簡単な話やなかったんじゃ」

 翔吉は、断言する。

「『黒』を生んだのは、この赤江なんや」

 さらには、国である、とも語った。

 時代によってその名を変え、しかし本質を違える事なく連綿と生き永らえてきた『黒の団』。それはかつて身分制度の弊害や諸々の事情により食いつめた者達が、時の権力者の要請を受けて荒事を引き受ける内に形を成していった、その末裔達である。

 最初はたった一人であったという。その最初の一人である者の家系が『芥』であり、やがて芥は自分の手足として人を使う事を御上から許されるようになった。そして使役される側の家系が生まれた。その二番目の家系の名を『ウル』、と翔吉は呼んだ。

「赤江というのはその芥とウルを筆頭に、俺らの先祖を外の目から守る為に作られた村で、もともと山しかなかった場所に無理やり集落を切り開いて発展させてきた。ただ、現状お前らも見て分かる通り、発展しすぎるわけにはいかんと御上が考えた結果が、これや。赤江が所謂部落であるいうのは、芥や他の人間の出生を見ればほんまやが、国がこさえた村であるというのもまた、ほんまや。俺はそう聞いて来た」

 翔吉が二十代になり、やがて転機が訪れる。

 この時代、古来より受け継がれて来た『黒』という稼業は既に芥や翔吉だけのものではなく、他に三つの家系がその名を背負っていた。

「それが西荻、今井、そいで、志摩や」

 家系で言えば一番の古株は芥であったが、家を存続させている当代の年齢的な話で言えば、当時の最高齢が西荻平左。次いで今井正憲、志摩、そして芥はこの四家の当代の中では一番年下であった。

「今から三十年も前の話や。年功序列があったとは言え、一番上の西荻ですらそない年を食うてるわけやない。俺も芥もやめたいとは思うてたが、そもそも引退を切り出す程老いてるわけやなかった」

 問題は、「芥」というその名前であった。当時『団』でも『巣』でもなかった『黒』はその名を『芥部衆』と言い、『黒』とは所謂暗号や符牒のような呼び名として使われていたそうである。彼らはその名の通り、長い期間「最初の一人」であった芥の名を冠していた。芥は己が歴史を盾に他の三家(西荻、今井、志摩)を率いているわけではなかったが、当然、衆の中から抜けて良い家だと思われているわけでもなかった。暴力団のような厳しい戒律はなかったものの、元来ルール自体がないだけに、芥の足抜けの意向には各家が混乱と戸惑いを見せた。

「誰もが生まれた時から決まってた自営業みとうなもんなんじゃ。自分の代でそれを終わらせるという発想がそもそもない。そういう意味でも俺は、運が良かったのかもしれん。同じ年、同じ街に生まれた、あいつらがおったから」

 あいつらとは、池脇竜仁、神波成吾、善明明緒の三名である。

「あいつらは幼馴染である事以外、俺や芥の家とは直接関係がない。いや、この街におって無関係とはいかんかもしれんが、少なくとも俺と同じ仕事をやった事は、それまで一度もなかったはずなんじゃ」

 『芥部衆』四家の中から芥が抜ける。それはつまり他三家の仕事が増えるという事で、「上手くすれば今以上に財を成せる。気が遠くなるほど長い期間、後暗い仕事をさせて来た以上、今更御上も俺らを咎められはせんし、四家が三家になった所で口減らしなった程度にしか思いよらん」。芥は他三家をそう説き伏せて、なんとか足抜けを実行に移そうと尽力してくれたそうだ。

 所が、国から信用の厚かった芥に対し、それならばと最後の大仕事が依頼された。内容はこの時、翔吉の口からは語られなかったものの、かなり大がかりで危険な仕事だったようだ。そこに芥の足抜けを踏み止まらせようとする国側の意志が含まれていたか、それは今となっては誰にも分からない。しかし翔吉によれば、それまで経験してきたどの仕事よりも『気持ちの悪い』『規模の大きな』内容であるらしかった。

 そこへ最初で最後の手助けを買って出たのが、翔吉の親友である池脇竜仁、神波成吾、善明明緒なのである。だが、

「その仕事の最中で、芥が死んだ」

 仕事として、当初要求されていた依頼内容は達成することが出来たそうだ。しかしその代償として、これまで無関係であった幼馴染達を汚れ仕事に巻き込んだ挙句、翔吉の前に立って共に生きて来た男が命を落とす結果を招いてしまった。

「それまで御上は俺らの足抜けを随分と渋っていたような様子やったのが、芥が死んで俺に価値などないと判断したのやろう。芥自身が己の後継ぎを用意せなんだ事もあって、その後俺に仕事が回される事はなくなった。ただの一度もや。俺はそれで構わん、望んでた事や。ただ、芥がこれまでやって来た事に対する評価も綺麗さっぱりなくなってしまったように思えたのは、別に悲しくはないが、虚しい気持ちにもなった。もちろん人に誇れる仕事やない。それでも、誰かにとっては重要な意味のある仕事なんやと、自分に言い聞かせて俺達は生きて来た。それはやっぱり、虚しいもんやった」

 国から正式に、これまで通りの仕事が依頼される事はなかったものの、他の家からは何度も手を貸せという催促を受けていたそうだ。皆口には出さないものの、最初の者である芥の云わば『端団』的な存在だった翔吉の能力を欲していたのは疑いようがない。

「そこから先の事は、俺は知らん。金に目が眩んで同じ道に戻るまいと決めた。絶対に関わり合いをもたんと己に誓いを立てた。たった一度とは言え俺の為に手を汚したタツ(竜仁)らの為にも、真っ当に生きると決めたんじゃ。勝手な言い分やと承知の上やが、義理だてせんなん芥はもうおらん。せやから、この街を出る事はかなわんかったが、それでも今の貧乏暮らしが俺にとっては許される最高の日常なんや」

 と場で食肉加工の仕事に従事するようになった後、地元のヤクザや他県から攻め込んで来る暴力団構成員と揉めることは数多くあれど、金銭を得て他人に暴力を振るったことは一度もなかったと、翔吉は語った。

「あれから大分と年を食うた。その後もこの街に根を張り、他の家が仕事を続けてる事はもちろん知っとる。ただ、俺が語れるとするなら自分の話だけで、今あいつらが何をどう考え、どう生きてるかなんぞ俺は知らんし知りたくもない。一年前、お前が刺される前、西荻の親父が刺されたのはなんでやと言うてたな。理由なんぞ分からんが、ただこれだけは言える。西荻も、今井も、志摩も、俺も、いつ殺されても仕方のない人間なんじゃ」

 銀一と友穂は、翔吉の話に最後まで黙って耳を傾けた。口を挟み、余計な脱線を招かなかったおかげで理解は容易かった。しかし、翔吉の語る過去の出来事を何一つ受け入れる事が出来なかったという。

 銀一は思った。

 自分の父親こそが黒だったのか。

 西荻平左を殺し、松田三郎を殺し、今井正憲を殺し、榮倉刑事を殺し、平助を襲い、ケンジとユウジを殺し、銀一を刺し、友穂を襲い、そして未だその正体を掴ませぬ『黒の団』の、かつての一員だったのか。

 翔吉ははっきりと、志摩もそこに名を連ねていると言った。

 志摩太一郎と響子の父であり、幼い響子を毒牙にかけ続けた非道なる畜生と、かつては肩を並べていたというのか。庭師の仲間だったとでもいうのか。

 銀一は目を閉じ、込み上げる感情と涙を表に出すまいと歯を食いしばった。

 友穂はただ静かに息を呑み、となりで僅かな震えを感じさせる銀一に少しでも寄り添うべく、心を側に置いた。

「この紙を見た時、思い出した事がひとつある」

 と、翔吉は言った。怪文書を手に取り、片手で握りつぶした。

「芥が死んで、俺が関わり合いを断った事を良く思わん男が一人だけおった」

 翔吉の言葉に銀一は答えず、続きを待った。

 友穂が唇を噛み、彼女の怯えた手が無意識に銀一の腿へと伸びた。

「この紙の意味は、おそらくそれじゃろうな」

「持って来たのは、志摩やぞ」

 銀一がようやくそれだけ言うと、息子の目を見据えて翔吉は頷いた。

「問題はこれがこのままの意味やとは思えん所や。おそらくこれは、自分が何者かを知らしめるために書いただけで、あいつが表に出て来よるなら誰に危険が迫ってもおかしいない。お前、友穂と二人だけでここへ来たんか。他の連中はどないした、どこにこる」

 銀一は少なからず衝撃を受け、隣の友穂を見た。

 怪文書に関して言えば、何故翔吉達の名が書かれているのかだけを考えるあまり、自分達の身に危害が及ぶかもしれないという思いには及ばなかった。だが、これで納得がいった。

「バラバラにやけど、全員赤江に向かってる。ただ、さっき西荻幸助に会うた。友穂の事を思うて和明が一人で足止めしてくれよる」

 翔吉の形相が変貌し、勢いよく立ち上がった。

 やがて銀一は翔吉に力一杯殴り飛ばされ、玄関の戸を突き破って表へ転がり出た。

 後から慌てて追いすがるリキの制止を振り切り、ハンマーを持って和明を助けに行くと翔吉は喚き始めた。

 銀一は幼馴染達を信じると言い、一つでも多くの真実を掴むべく翔吉から話を聞かなくてはいけないのだと、思いの丈を叫んだ。翔吉はしかし聞き入れようとせず、あまつさえ倒れたままの銀一を踏み越えようとした。

 友穂が言った。

「おじさん。銀一を刺したのは、幸助さんなんですか? もしそうなら、私も行きます」

 翔吉の動きが止まった。

「この胸に渦巻くドス黒い感情は一体なんやろうと思いよりました。今それがはっきりと分かりました。もし、この人を刺したのが幸助さんやと言わはるなら、行って、私が殺します」

 翔吉は悲しみを浮かばせた力強い目で、殺意を口にする友穂を見下ろした。

「…いや、幸助やない」

 と答えた。

銀一が立ち上がり、手の甲で切れた口端を押さえた。口中に溜まった血をまとめて地面に吐き出し、銀一は言った。

「志摩を黒やと言うたな。そしたら太一郎と一緒におった、俺を刺したあいつもそうなんやな。俺らはあいつの事を『庭師』と呼んどるが、確かにあれは幸助さんやない。背格好が違いすぎる。あれは、太一郎と響子の親父なんやろ?」

 翔吉の言う通り志摩家が『黒の団』であり、一連の事件に必ず父親が関わっているはずだと断言した響子の言葉が正しければ、おのずと答えは導き出される。そう確信した口調で銀一が尋ねると、翔吉は一瞬眉を曇らせ口を開きかけた。だが次の瞬間目を丸くし、

「なんじゃ?」

 そう言った。銀一は思い直し、

「ああ、まあ、『庭師』いうのは忘れてくれ。勝手にそう呼んどっただけや。あの時一瞬だけ見た黒ずくめの男。逃げられたとはいえ、父ちゃんも藤堂さんと二人で見よったんじゃろ」

「…」

「あれが志摩の親父なんじゃろ?」

 銀一の問い掛けに、翔吉は何度も瞬きを繰り返した。

 明らかに、息子の話が理解出来ていなかった。その証拠に、翔吉は苦笑にも見える恐ろしい笑みを口もとに張り付かせてこう言った。

「何を言うとるんじゃ。違うに決まっとるやろ」








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