24 「従暗」
春雄が、そっと響子の背中を撫でる。
前提として、全ては可能性の高い推測の域を出ないという事。そこを踏まえて聞いて欲しいと前置きした上で、響子に代わって春雄が語り始めた。
春雄がまだ東京で自分の部屋を借りる前、社寮に寝泊りしながら造船所での労働に従事していた頃、何かと会社に口を利いて世話を焼いてくれたのが、時和会とは同系列で東京に組事務所を構える暴力団・酒和会の花原茂美であった。茂美はこの時点ではまだ花原ユウジのしつけ役を任されおり、ユウジが赤江に戻る十五歳になるまで、手の付けられない悪童相手に悪戦苦闘していたという。気性の荒さを買われて時和会に拾われたとは言えまだ子供と言える年齢であり、心の寄り所もないユウジにこなせる仕事は雑用くらいのものだった。ケンジと離れて暮らすようになってからのユウジはほとんど誰にも手が付けられず、前歯がなく活舌が人より悪かった彼は他人との関わり合いを避けてますます屈折して行った。
春雄は春雄で、赤江にいた頃起こした傷害事件を機に肩身の狭い思いを味わうようになり、やがて東京という遠地で再会したユウジとは、お互いの背負った空気に引かれ合うものを感じた。同郷であり年の近い春雄は数少ないユウジの話相手として、花原茂美から重宝がられたのだ。
「お前しつこいぞ」
そう言って和明が、銀一の顔目掛けておしぼりを投げた。
春雄の話を聞きながら、いまだに怒りの治まらない目をした銀一が睨み付けていたのだ。銀一が眉間に深い皺を刻み、空いた小皿を摘んで投げ返した。それが和明の首筋を掠め、壁に当たって砕けた。隣席のサラリーマンが一斉に息を呑む。
「なんじゃあ、お前コラァ!」
叫んで和明が立ち上がる。
「ええんじゃ!」
春雄が力強く和明の上を引っ張った。
「お前らにもそうじゃ。俺は今までユウジらとの関係を黙ってた。それ所か、銀に対しては聞かれてもないのに自分からウソまでついとる」
「ウソォ?」
和明がしゃがみ込んで、春雄の横顔を睨んだ。
「銀と二人で平助の家に行ったあの日や。朝早うに銀の家に顔出した。そん時、全くあいつらとは付き合いなんかないように話をして聞かせた。俺の職場に顔を出したケンジとユウジを見てほんま度肝抜かれてよお、そんな話をしたと思う。…焦りがあったんやと思う。銀が怒るのも無理はない」
春雄が東京の造船会社で修業を始めてしばらく、今度はせっかく距離の縮まったユウジが赤江に戻る事となった。春雄が十六、ユウジが十五の年だ。
しかしユウジは赤江に戻ってからも、何度となく東京の花原茂美のもとを訪れるようになった。その際必ずケンジを同伴していたのが印象的で、片付けて欲しい厄介な問題事はないかと茂美に聞いていたそうだ。「ガキのくせしていっぱしの極道気取りよ。一番の厄介事はあいつらじゃねえか」とぼやきながら、茂美は嬉しそうに笑っていたという。
そして必ずと言っていい程、ついでと称して春雄の前にも顔を見せるようになっており、普段口数の少ないユウジは決まって「なんかないか、なんかないか」と繰り返し聞いたそうだ。
「俺が響子から話を聞いたのは、ユウジが赤江に戻って二年程経った後や。あいつらの悪名は花原からよう聞こえて来たわ。あいつら根無し草みたいに時和系列全部回って仕事しよったから、東京でもちっとは知られる顔になってたよ。喧嘩の腕と逃げ足の速さだけは名うてのヤクザにも引けをとらん言うて噂なって、当時京都で幅利かせてた朝鮮学校の生徒を相手に三十人ぐらいしばき倒したかなんかで、国際問題になりかけたんじゃあ言うて花原の親父も得意気やった。…なんかないかぁ、て、ユウジよう言うとった。評判だけ聞けば人殺しも避けて通る極悪コンビのくせしやがって、そういう律義さも併せ持つ、あいつの人間臭いとこが、何とのう眩しかった」
「そやから、この人には悪気なんかなかったと思いますよ」
少しだけ話し辛そうな顔をした春雄の後を、響子が引き継いでそう言った。
「…何がや」
と竜雄が響子の顔を、下から覗き込んだ。
響子が微笑んで顔を上げると、弾かれたように全員が春雄を見やった。
「分かってる、俺がアホやった」
と春雄は言った。
「お前…。自分の女が地獄見よる話を無関係の他人にバラしたんか!」
と銀一が声を荒げた。すると、
「そんな事私はどうでもええんです!」
またもや響子が応戦する。
「私にしてみたら、銀一さん達にまで隠したまんまでいてくれて、ずっと一人で抱えて働きよった春雄さんには感謝せなあかんくらいです! 相手がユウジさんやからとか、そういう事はもうどうでもええんです。私は春雄さんを苦しめる為に話したわけやないもの。この人がそれを誰に聞かせた言うたかて、春雄さんを責めたいとはこれっぽっちも思いません」
銀一達の反応を待たずして、春雄が言う。
「誰かに喋るつもりなんかなかったし、喋ったらあかん事なんは俺が一番よう分かってる。けど、響子から話を聞いてしばらく、たまたま顔出したユウジに『何かあったな』とすぐ見抜かれた。そうなるとあいつはテコでも動かん。何があったのか言うまで帰らんと抜かしよった」
その日はたまたま、常にユウジの隣にいるはずのケンジの姿がなかった。別件で手こずり合流が遅れていただけの、ちょっとしたタイミングのズレでしかなかったが、久し振りに春雄はユウジと二人きりで話をし、そして響子の身の上話を聞かせた。
ユウジは響子に対し、志摩太一郎の妹程度の知識しか持ち合わせていなかったが、赤江にいる事は当然知っていた。ユウジは別段慰めのような言葉も言わなかったが、黙って耳を傾けるだけの存在が春雄には有難かった。
それから程なくして、響子が東京の春雄の元へ駆け落ちする。春雄が十八歳、響子が十四歳の時である。
「響子の父親から追手が掛かったんは、ユウジ達から聞いた。俺達がその追手なんやけどなあ言うて、ケンジ、舌ビラビラさせて笑ろとった」
春雄の話を黙って聞いていた和明が、ふと何かに気付いたように顔を上げて銀一を見た。銀一はテーブルの上に視線を定めたまま、口を開こうとはしなかった。
「俺はあいつらに向かって土下座した。手ついて、頭下げて、見逃してくれと頼み込んだ。そんな事が通用するヤワな相手やと高をくくったわけやない。それしか思いつかんかった。…そやけどケンジは俺の前にしゃがみ込んで、背中をポンポン叩きながら言うた」
「おい待て、何やその話」
堪え切れずに和明が口を挟んだその瞬間、
「黙って聞け!」
と春雄が怒鳴り声を上げた。それまでどれだけ責められても言い返さなかった春雄が、この時ばかりは烈火の如く吼えた。
「…ケンジは言うた。『ワシらこれから極道の世界拳一つで生きていかにゃならんもの。今ここで狂犬相手にしよるのは賢こないわ。ただ今回だけよ。ユウジの面倒見てくれた恩を今ここで返す。神波春雄には手を出すな、そう言うといたるわ』。ユウジは最後ににっこり笑うて、『何も心配すんな』と、そう言うてくれたんじゃ」
春雄の肩が震えた。抑えきれない涙が春雄の頬を伝う。
銀一達にとってはしかし、驚愕以外何ものでもない衝撃の内容だった。
ケンジが放ったという言葉には聞き覚えがあった。しかしその言葉は本人の口によって、全く違うシチュエーションとして語られた筈なのである。
一年前、赤江の隣町にある『イギリス』という名前のキャバレーだった。和明の仕事場である漁港での死闘の後、時和会藤堂に伴われ訪れたその店にて、春雄と響子の駆け落ち騒動に話題が及んだ際、追手として放たれたケンジはこう証言している。
『春雄君とはやりおうてない。と言うかあん時は会ってもないわ。俺らは春雄君に辿り着く前に、素性の知れん奴に襲われたんじゃ。一瞬やったわ。多分背後からやと思うけど、不意打ちでガツンと一撃顎に食ろうて二人とも一発KO。相手はもしかしたら二人やったかもしれん。それぐらい、俺もユウジも反応でけんかった。地べたに這いつくばって完全に意識がなくなる寸前、あかん、これは死ぬと思った。その俺の耳元で声が聞こえた。『神波春雄には手を出すな。志摩響子を東京に置いて帰れ』
確かにケンジは、そう言っているのである。
「…ウソやったんか、あれ」
と和明が言った。
「ケンジの機転やった」
と春雄は言った。
「とりあえずは響子を連れて帰らん言い訳をその場凌ぎのウソで通しただけやったけど、藤堂が『黒』が相手かもしれんと早合点してくれたのが幸いやった。裏ではあいつらなりに何か勝算があったんかもしれんが、何にせよ新たに誰かが連れ戻しに来る事はなかった。ただ、ええか悪いか分からんが、監視がついた」
春雄の話に響子は頷き、
「その点に関してはおそらく、太一郎兄さんのおかげもあったと思います」
と言った。
「おかげと言うべきかは分かりませんね。ただ、疎遠にはなってましたけど、私が逃げる決心をした動機の中には、兄さんに裏切られた思いも含まれてます。それを知って、何か便宜を図ったのやろうと思います。それはそれで、相当の覚悟が必要やったと思います」
「どないなっとんじゃ…」
と思わず竜雄が漏らした。溜息とともに出た本音だった。
あの時『イギリス』での話し合いの場では確かに、ケンジ達を倒した相手は『黒の巣』ではないかという推測がなされた。以前藤堂の右手の親指と、成瀬刑事の足の指を奪った『黒いずくめの男』と同一人物、あるいは関係者の仕業でないかと話しあった。その時点では当然、ケンジとユウジは自分達の話がウソであると分かっていた事になる。
全ては春雄と響子を守る為についた、ウソだったという事になる。
「あいつら」
銀一が悔し気に奥歯を噛んだ。
だが合点がいかないのは志摩の動向である。ケンジとユウジが実際には春雄と会っており、口裏を合わせて春雄達を見逃したと言うのなら、その裏で行方を眩ませていた志摩は何をしていたと言うのか。
響子の話が本当だとして、志摩が春雄達の為に便宜を図ったとしてもそれはケンジ達が東京から戻り、響子の奪還に失敗したと宣言した後でなければ辻褄が合わない。ケンジ達の東京行きと時を同じくして姿を消した志摩は、何の目的で、どこで何をしていたのか。
あの日『イギリス』では、志摩こそが『黒の巣』の人間ではないかという疑いも出た。ケンジ達をKOしたという者の存在があってこそ浮上する志摩の共謀疑惑が、ここへ来て根底から揺らいでしまいかねなかった。実際に銀一達が目の当たりにした不可解な行動を思えば、すべての疑惑をなかった事には出来ない。しかし素人ながら筋の通っていると思われたこれまでの推測に、綻びが生じた事だけは確かだった。
「そしたら響子が言いたいのは、その、あれか」
と竜雄は言ったが、意味のある言葉を口に出来なかった。だがその思いは伝わったらしく、響子は前を向いたまま頷き、
「一年前皆さんが襲われた時、兄さんがそこにいた事にももちろん何か意味があるのやと思います。更に言えば、ケンジさんとユウジさんが何者かに意図的に殺されたのであれば、それは私を見逃して下さった事と無関係やとは思えません」
と答えた。竜雄はこめかみを指で掻きながら、
「ただそうは言うても、あいつら日本中敵だらけみたいなもんやからな」
と言った。知っている、と言いたげな顔で響子は頷く。
「春雄さんもそれは言うてました。あるいは竜雄さんが仰るような、その、敵というのか何なのかが大勢やって来て、ケンジさんとユウジさんを襲ったとします。…せやけどこれを言うてええのか分かりませんが、ケンジさんとユウジさんの体はまるで、私なんかではとても直視できないような、ボロボロの状態やったと聞きました。ヤクザ同士の争い事で、果たしてそのような殺され方が、あるでしょうか」
響子が疑問に思うのも無理はなかった。暴力団関係者の殺し方ではないと、銀一達ですら思った程だった。ヤクザにとっての殺しとは、基本的には見せしめと報復である。見せしめとはこの場合、相手組織や特定の個人に対するアピールである。確実に仕留める事が第一優先であり、目的をもった拷問や特定の依頼による仕事でもない限りは、必ずしも陰惨さを求める必要はない。その点、ケンジとユウジの殺され方は酷かった。実際現場検証に立ち会った成瀬刑事も、「二人を始末する事よりも、命を破壊する事が目的やったように思えてならん」と呻いた程だった。
「ヤクザではない、と」
確認するように竜雄が言うと、響子は無言で頷き、それに、と言った。
「銀一さんがあないな事になって、いよいよ太一郎兄さんの話を私に黙ってられんと皆さんが考えた時、私が初めに思い浮かべたのが、父でした」
響子の言葉に、友穂は無意識に背筋を伸ばした。
「皆さんの話の中に何度か出て来た、『庭師』」
響子が言った瞬間、
「知り会いか!?」
と和明が上体を前のめりにして尋ねた。
「実際に見たわけやないのでこれも推測でしかないですけど、それが父やと思います」
…え? 春雄以外全員の目が響子に釘付けになった。
「一件普通の、どこにでもいる、捉えどころのない顔。せやけど、いざ怒った時のあの人はそら、例えようもない程怖いです。うちの稼業は暴力団やないですけど、表の人間ではないのやろうという事は、幼い頃から薄々は感じてました。子供の頃、お父さんのお仕事何?って兄さんに聞いたら、兄さん笑って、『日本最強の何でも屋や』と言うてました。意味は分かりませんでしたが、その響きは何とのう格好よく聞こえて、私も釣られて笑ってました。もしその『庭師』が父で間違いないなら、兄さんが事件の周辺に絡んでいる理由は説明が付きます」
「ほな、え、俺らが『黒誠会』(黒の巣)やと思って『庭師』と呼んでたあの男が、響子の親父なんか!?」
竜雄が言い、和明は信じられないという顔で口もとに手をあてた。
この話を聞くのは、銀一も竜雄達と同様初めてだった。一瞬にして記憶が蘇る。
あの時、西荻家の敷地で門扉を挟んで向かい合っていた志摩と庭師が、実の親子だったとでもいうのか? もしそうなら、難波が戻って来たと自分達に報告すべく庭師が駆け戻って来た際、銀一の名を叫んだ事の辻褄は合う。
「もしも俺が一度でも響子の親父に会ってたら、こんな事にはなってないのかもしれん」
後悔を滲ませてそう言った春雄を見つめながら、銀一はある事を思い出していた。
時任建設の若い衆と揉めた、全ての始まりの日だ。喧嘩の仲裁に入って来た志摩は銀一の顔を見るなり、こう言ったのだ。
『春雄はどうしたん。おらんで良かったのぉ』
志摩には初めから分かっていたのだ。自分の父親が西荻事件に関わっている事。そして響子の側にいて、父親の顔を知っているかもしれない春雄が赤江に戻って来ていれば、これから行う計画に変更の必要性が出てくる事を、初めから分かっていたのだ。
物凄い音を立てて、銀一が座敷の畳をぶっ叩いた。
友穂が体全体をビクリとさせて、蒼ざめた。
「すみません」
響子が頭を下げる。自分を刺した犯人が響子の父かもしれぬと分かって激高した、銀一はそう思われたのだ。銀一は我に返って「いや」と呟き首を振った。
「友穂姉さんも、本当にごめんなさい」
尚も頭を下げてそう言う響子に、友穂は僅かに口端を上げて、
「なんでよ」と言った。「まだ何も決まった話じゃないのやろう? 警察に捕まって犯人でしたと分かったわけでもないし、やめようよ、そういうの」
友穂のそれは暗に、犯人だったら許さぬと言っているようにも取れて、響子は言葉を返せずに深く項垂れた。
重苦しい沈黙を嫌い、春雄が言う。
「一年経って今更なんやて思うかもしれんけど、響子と親父の関わり合いをずっと伏せて来た以上、黙ってるしかなかった。俺らは警察でも探偵でもない。いきり立って犯人捜しをするべきでもない。少なくとも銀のリハビリが終わらんうちは、当てずっぽうで言える事やなかったんじゃ」
春雄の言葉は確かに筋が通っていた。しかし頭では納得出来てもどこか腑に落ちない苛立ちが皆にはあり、誰一人頷きも返事もしなかった。そしてその苛立ちの源には、いまだ味わった事のない衝撃が横たわっており、気持ちの整理が追い付かなかった。
「響子はずっと気にしてた」
と春雄は続ける。
「ケンジとユウジが、俺達の為にウソをついたことはもちろん有難い。俺自身、あいつらの優しさに甘えさせてもろうた。お前らを信用してないとかそういう事やなしに、そもそも響子の話は誰にも知られん方がええわけやし、志摩やあいつの親父が絡んでるならこれ以上巻き込まん方がええと俺も思った。ずっと黙ってたのはその為や。ただ…」
そこまで言った春雄の声質が変わった。
「俺が一番気にしてたんは、俺から話を聞いて響子の駆け落ちを見逃してくれたユウジ達に、何か良くない事が起こるんやないかと、響子がそう考えてる事やった。それでもあの二人は本職が手に負えん程の喧嘩師や。そっち方面での危機管理も素人とはわけが違う。だから、安心しとった。…しとったんやけどな…」
ヤクザが相手ならばケンジとユウジが殺される事はなかった、というのは暴論かもしれない。恐ろしく腕っ節が強いと評判の二人ではあったが、もちろん人間なのだ。隙を突かれて不意打ちを喰らう事は職業柄十分考えられる事で、竜雄の言うように各地で恨みを買ってもいた。極道の世界で命を張って来た以上、いつか殺される側に回るかもしれない事は、ケンジ達自身覚悟の上だっただろう。
しかし項垂れた響子と、言葉を詰まらせた春雄はそう考えてはいなかった。
黛ケンジと花原ユウジは善良な真人間ではなかった。だが二十歳の若さで死すべき二人では、絶対になかったのだ。
春雄が全てを語り終えたのか、話を続けられなくなったのかは分からない。両肩を震わせて俯く彼を前に、誰もその先を促す事は出来なかった。
「俺も、今でも信じられんわ」
と、和明が言った。
「ケンジもユウジも、どっかからふらっと顔出して来そうやもんな。…竜雄くんー、和明くんー、ええやないのおー、やったろうやんけぇ!」
和明が冗談めかして言ったケンジの口真似が、堪えていた春雄の柔らかい部分を突いた。
竜雄が鼻をすすり、銀一は奥歯を噛んだ。涙に震える声で、春雄は言った。
「あいつら、響子の話は、結局誰にも言わんまま逝きよった。翔吉さんから連絡もろうて赤江に駆け付けて、銀の容態とあいつらの死を聞かされた時、俺はなんちゅうことをしでかしたんやろうと思った」
顔を上げられぬまま話す春雄を見つめて、響子が苦しそうな表情を横に振った。
「春雄さんのせいやないです」
「もしも、ケンジとユウジを殺ったのがほんまに響子の親父なら、あいつらに話して聞かせた俺の…」
滂沱の涙と共に吐き出される春雄の告白を、ぱあんという乾いた音が止めた。
和明が春雄の頬に放った平手打ちである。
「お前何言いよるん」和明は言う。「それ以上言いよったら春雄、俺が本気でお前をブチ殺すぞ」
「和明さんやめて」
泣きながら響子が止めに入ろうとする。
「気持ちは分かるがよ」と竜雄が言い、響子の手を取って制した。「春雄は絶対にその先を言うたらいかん。響子、お前はちょっと、こいつを甘やかせすぎやなぁ」
「そんな事ない!」
「そんな事ある。男は泣いたらいかんのじゃ。惚れた女の前で泣いてええのは、ガキが生まれた時だけやと、相場が決まっとる」
和明と竜雄が春雄の言葉を止めたのは、彼が何を言おうとしたのかが分かったからだ。
事実関係は問題ではない。しかしケンジとユウジを殺したのが響子の父親だと仮定すれば、その理由は響子を奪った春雄にあるかもしれず、その事を知りながら奪還命令に背いたたケンジとユウジの偽りがバレた事が原因なのかもしれない。それはつまり、響子を虐待し続けた父親の嫉妬と逆恨みの刃であり、そうなればもはや響子自身も無関係でいられなくなる。事実かどうかではなく、そんな風には響子に考えて欲しくなかった。和明と竜雄の胸には、そういった思いがあった。
「…え、何の話?」
と、和明が絶妙の間合いで突っ込みを入れる。
「あれ、違ごた?」
と竜雄は照れ笑いで後頭部を掻いた。
「竜雄さん、ちょっとだけ、手が痛い」
響子が小声でそう言い、
「すまん!」
と竜雄は握った手を放し、満面の笑みを浮かべて謝った。
…男前やな。
銀一にだけ聞こえる声で友穂がそう言い、彼の膝に手を乗せた。
銀一は竜雄や和明、涙を拭いて顔を上げる春雄を見つめ、苦笑いを浮かべて首を傾げた。




