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「風の街エレジー」  作者: 時枝 可奈
12/51

11 「殴蹴」

 西荻家の門扉に手をかけ、敷地内の庭が目に入った瞬間、銀一は難波の名前を絶叫した。

 全身が赤黒く変わり果てた難波の姿が見えた。

 裏山へと続く屋敷の脇道を、難波は幼子程の頼りない速度で歩いていた。

 両腕で己の体を抱き、大きな体は震えて縮こまり、左足を引き摺っている。

 銀一達に気が付いた難波は少しだけ歩く速度を速めたようだが、気持ちばかりで実際にはほとんど変化は見られない。

 銀一達は急いで駆け寄ったが、誰も声を掛けられなかった。

 両目は腫れて塞がり、唇は裂け、頬骨は黒ずみ、全身が刃物による裂傷とみられる傷で血を吹いていた。昨晩銀一と山へ入った時に来ていたシャツは所々が破け、至る所に血が染みついている。この街で堂々たる体躯を誇る労働者は多いが、時和会の藤堂とこの西荻の用心棒難波が頭一つ抜けて大きかった。その難波が、今や見る影もなく小さく委縮してしまっている。

 銀一は歩くのも辛そうな難波をせめて座らせようと、腕を掴んだ。

「あかん!」

 そう叫んだのは春雄だったか、和明だったか。

 銀一が難波の手首を手前に引いた瞬間、彼の腕の隙間からズルリと内臓が零れ出た。

 場所が腹部の為恐らくは腸だ。しかし体にこびり付いていた血と絡み合いながら出て来たおかげで、一見何が出たのか分からなかった。と場で毎日牛豚の内臓を扱う銀一ですら、鮮血や綺麗な内臓を見慣れている分、時間と共に黒く変色した血や傷口が余計に惨たらしく見えた。

 和明が無言で踵を返して走り去った。おそらくは屋敷に救急車を呼びに行ったと思われる。

 銀一が懸命に腸を難波の体内へ押し込んだ。すると難波は地鳴りのような呻き声を上げて、口から血を滴らせた。

 春雄が難波の背後に回り、両脇に自分の手を差し込むと力任せに後ろへ引き倒した。銀一は難波の体に馬乗りになり、真上から腹の傷を両手で抑え込んだ。三十分や一時間前に出来た傷ではない事は明白だったが、漂ってるく便の匂いからその傷は内臓にまで達していると分かる。難波は常人ならとっくに死んでいてもおかしくない傷を抱えたまま、主の屋敷へと戻ってきた。銀一も春雄も、掛ける言葉すら見つからないが、泣きそうな程感動していた。

 難波が銀一の服を掴んだ。

「じっとせい!」

 銀一はその手を掴んで引き剥がした。

 難波が血走った目で銀一を睨みつけ、震える右手、二本の指を銀一の鼻先に持ち上げた。

「銀、何か言おうとしとんやないか」

 と春雄が言った。

「なんじゃ!難波!なんじゃ!言うてみい!聞いたるぞ!言うてみい!」

 銀一は難波の右手首を掴んで、彼の顔を覗き込んだ。

「み、あ」

 と難波は言った。

「みあ。み、あお」

「…見た? な、何かを見たんか!? 何を見たんじゃ! お前をやったんは誰じゃ!」

「み、あ。うう、い…あ」

「誰を見た!何を見た!難波!」

「ううう、うううう、ぐうああああ」

 最後の絶叫はもはや言葉ではなく断末魔だった。

 難波の口から血が迸り、銀一の掴んだ右手首がガクガクと震えた。待て、行くな、と何度も銀一達は叫んだ。

 難波は銀一の目を見ず、その向こうの空を見つめているようだった。

 眉間に張り付いていた険が不意に取れ、優しい表情を浮かべたかと思うと、難波はそのまま息を引き取った。

 戻って来た和明が、事切れた難波を見て叫んだ。

「何でじゃ!どうなっとるんや!何でじゃ!」

 春雄は放心したような顔でへたり込み、何も言えずにいた。

 銀一も同様に、左手で難波の腹を押さえ、右手で彼の手首を握ったまま動けないでいた。

 二人とも共通して言えるのは、恐怖で固まっているわけではない事だ。特に春雄などは職場の環境上、怪我や事故による人の死を何度も間近で見て来た。人間の死が衝撃だったわけではないのだ。難波の死に様が、あまりにも唐突過ぎたのだ。

 狭い街の住人同士だから、難波の事は子供の頃から知っている。十歳近く年が上の筈だが、ハンデの事もあって幼く見える分、後年は銀一達にとっては親しみやすい友人のように感じていた。情緒が安定していなかった難波の子供時代はあまり他人と接する事がなかったらしいが、西荻家の用心棒として住み込みで働くようになってからは、いつも平助の側に張り付いていたおかげで銀一達と話す機会も増えた。会話は上手く成り立たない事がほとんどだったが、それは上手く言葉を発音出来ない生まれ持っての障害が原因であって、難波が馬鹿だからではない事を、銀一達は大人になってから知った。

 その難波が、突然死んだ。

 西荻平左に始まり、バリマツこと松田三郎、今井という警察官に続き、この街で四人目の殺人事件の被害者だ。いまだ行方が分からない西荻幸助の安否も懸念されるし、病院へ運ばれた平助は命に別状がないとは言え、大きな括りで見れば彼も関連事件の犠牲者なのかもしれない。

 救急車とパトカーのけたたましいサイレンの音が、麓から聞こえてくる。集まって来る音が一台や二台ではない。四ツ谷組の構成員がゴロゴロ転がっているのだ。冷静に見ればただ事ではない。

 しかし銀一達は誰一人そちらに意識を向けようとはしなかった。出来なかった。難波が目の前で死んだ。殺されたのだ。もしかしたら、難波の代わりに転がっていたのは自分だったかもしれない。銀一はそう考えて、目をぎゅっと閉じた。




 二日が経過しても、巷では時和会と四ツ谷組の抗争話が、世間話の筆頭として住民の口に上っていた。

 西荻幸助の失踪と、用心棒難波の死はまだ公にはされていない。難波殺しの犯人の手掛かりが全くない以上、いたずらに住民を不安がらせる事はないとう配慮だったが、このまま何の手掛かりも得られずに時間だけが過行くようであれば、情報を提供して公開捜査に切り替えられるだろう。と、春雄が榮倉から聞いて来た。

 難波の死後、銀一達は一人ずつ警察に呼ばれて事情聴取を受けた。

 自分と体を触れ合わせたまま逝った難波の死から立ち直れていない銀一は、難波の死の原因どころか無関係としか思えない話まで延々と問い詰められて、どん底に気落ちしたまま帰路についた。

 しかし休日を利用して帰省している春雄は、もう二、三日もすれば東京へ戻らねばならない焦りもあって、自分からあれこれ質問して担当の刑事を閉口させた。事情聴取と言っても任意で話を聞かれ、資料作成に使われるだけだ。本来ならこちらが事件について何を質問しようが、警察が答えるえわけがないし、向こうにはその理由がない。

 だが春雄は口が達者だった。本来お喋りな人間ではなかったが、相手の心理を突く事に長けていたのだ。例えばこうだ。

「西荻平左が殺された日、お前はどこにおった、何をしとった」

 と刑事が聞く。すると春雄は、

「一年前ですね。東京におりました、仕事しとったと思いますわ。ただね、刑事さん。僕思うんですけどね、あれはただの殺しやないですよね。だってね、いくら憎かろうが、老人を屋根から放り投げるなんて真似は、今日日親の仇でもしませんよ。いくら僕が東京におって色んな人間の生き様を見てきたとは言うてもですね、あんな酷い殺しはちょっと見た事ないですわ。刑事さんどないです? ねえ、そう思いません?」

 といった具合に、聞いていない事までベラベラとよく喋った。聞けば、ただの感想である。しかし事件について誰もが思う疑問点を突いてくる為、一瞬は刑事も情に訴えかけられ、気を緩めてしまう。

「そ、そんなん今聞いてないじゃろ、なんじゃあ、お前は。そしたらは、バリマツの事、どんだけ知ってるんや?」

 と刑事が聞けば、

「そら、ヒーローでしたわ。刑事さんも職業柄苦々しく思うてはったでしょうけどね、そんなん全部取っ払ってあの男の生き様みてくれはったら分かりますわ。刑事さん正義感強そうな顔したはりますけど、僕らに言わせたらバリマツもそうやったんですよ。あの人も、僕らみたいな差別されて生きてきた人間と似たような環境の人ですわ。学が無い分社会に向かって暴力で歯向かったのはいかんかったにせよ、でも、あれはあれで、僕らみたいなボンクラにしてみたら一種の正義の旗ですよ、ほんまに」

 と答える。

「うるさい!お前は何じゃほんまに! ベラベラと!」

 と刑事は怒るのだが、心のどこかでは共感している部分もあって、複雑な表情を顔に浮かべていた。やがて、顔見知りを装い春雄が榮倉の名を出すと、春雄の演説につき合いきれなくなっていた刑事が「それなら担当を変えてやる」と席を立ったわけだ。

 ここまでが、春雄の計算である。相変わらず眉毛をへの字にしながら現れた榮倉から、春雄は色々な話を聞き出した。

「そもそも、不思議やと思わんかった?」

 春雄の切り出した問いに、榮倉は早速好奇心をくすぐられる。

「何を」

「今井って警察官と、西荻のじいちゃんが繋がってる事」

「いや。街の巡査長やからな。西荻は言うてみりゃ赤江の権力者や。言い方は悪いが、そこのトップと地元の警官が仲ええのは、昔からどこでもある話よ」

「ほおん。殺される少し前に、幸助さんの所へ来てるんやけど、それでも?」

「よう知ってるな。それはちょっと妙やなとは思うけど、別に不思議とまでは言わんな。たまたまにしては気味が悪いなあて、その程度やな。それかて今思えばこそであって、実際当日は交番勤務の後輩に、西荻へ行くと言付けて巡回に向かってるからな。隠し立てしてコソコソ何かをやりよったとか、そういう話ではないんよ。問題は幸助がおかしなった方よ。今井が警察官である事よりも、今井が何を吹き込んだのかっちゅう事の方が、重要やわ」

「なんか聞き出せた?」

「お前見とったやろう、俺らが摘まみ出される所」

「なるほどな。俺がこないだの、あいつ、銀一いうんやけど」

「先生んとこの息子やろ? 貫禄あるなあ、あいつ」

「せやろ。翔吉の倅!いう感じするやろ」

「喧嘩、強いんか?」

「それこそこないだ見た通りよ」

 先日の、四ツ谷組を相手にとっての大立ち回りである。本来なら暴行傷害の現行犯だが、当時は警察組織にも義理人情が法律の手前に来る昭和な一面が、ままあった。成瀬は銀一達に対して、守ってもらったなどと思ってはいなし感謝もしていないが、形だけでも貸し借りを作るのが嫌で、不問にする事であの場で清算したつもりでいるのだ。

「そうは言うけどこっちはご老体抱えて、色々気を使わなあかん場面でもあったしやな、そこまでぐーっと銀一ばっかり見てないがな。まあまあ、他の人間らとは違うなと思うたよ。それはお前も含めてな」

「それはどうも、ご丁寧にお褒め頂いて。ただ銀一と、こないだはいてなかったけど池脇竜雄っちゅう男がおるんやけど、この二人はまあ、えげつない喧嘩しよるよ。ステゴロで言えば今の世代ダントツで強いんちゃうか」

「竜雄てあの長距離(トラック)乗ってる? 竜仁さんが親父さんか?」

「…なんなん。榮倉さんて、赤江のファンなん?」

「なわけあるか。竜仁さんも有名やで。あの人昔県警の柔道大会に招かれてな。まあ強いのなんの。ただ当時はあの人が赤江出身やて知らん人間も多くてや、どんどん勝ち進むんはええけど途中で出自がバレてもた。そんなもん周りの目もあるさかいどぎつい差別はようせんけど、内心面白く思わん連中も上にはようけおったわけだ」

「成瀬みたいな奴やろ。よう聞く話やわ。わざと負けろ、あとで金やるわーってな」

「呼び捨てすな。金やる言うだけマシや、そんなん。でも竜仁さんはそんなもん聞き入れへんし、何言われてもお構いなしや。決勝でもズバーン相手を投げ飛ばして一本勝ち。ただしその場で帯も柔道着も全部脱いで、『反則してすんません、ほな、帰ります』いうて裸で帰ったんや!」

「わははは!」

「最高やろ。いまだにファン多いで、うちの中でも。ただなあ、そうかあ、息子はやっぱりごんたくれか」

「そんなもん街の人間全員がそうよ。上品な人間なんかおらんて。まあ、…昔はおったけど、今はおらんな」

「あいつは? あの細っこい男前。成瀬さんとしばきあいしてたな」

「和明か? あいつは二、三本頭のネジないからな。腕力ではそら銀やら竜雄に及ばんけど、いざ喧嘩始まったらイの一番に殺しに行きよるんはあいつや、和明や」

「お前、俺が警察の人間やて忘れてないか?」

「聞くからよ、そんなもん」

「ただお前知らんかもしれんけど、昔から赤江の若い連中で一番要注意人物やったんは、春雄、お前やぞ」

「ウソ言え」

「ほんまやで。お前昔、時和系列の親分刺してるやろ…」

「…なんで知ってるん」

「だからお前、俺刑事やで?」

「昔の話よ、やめてくれ。俺武勇伝とか喋る輩嫌いなんよ。恥ずべき事やと思うわ」

「なんも言えいうとらんがな。とっくに調べはついてるさかい、今更どうでもええわ。言うて十二、三歳の頃やしな。ただまあ、そういう事よ。今の世代でまたなんかやらかしよるとしたら、狂犬・神波春雄が一番やばいと言われとった。実際は東京行ってしもたから、マークは外したけどな」

「ほおん」

「そんなお前となんでまた先生の倅が、今頃んなって西荻に? あっこの息子とも友達なんか? あ、そこで今井の話聞いたんか」

「友達言うか、街の似たような年の連中はほとんど喧嘩ばーっかやり合ってきたよ。そういう仲。腐れ縁というか、そんなん」

「呼ばれたんか? それとも自分らから首突っ込みに行きよったんか?」

「さっき言うた竜雄が西荻の倅から相談受けとって、よう分からんから、何があってんて、それだけ聞きに行ったんよ。まさかあんな事なる思わんて」

「倅て幸助か? その息子か?」

「ああ、平助。殺されたじいちゃんの孫やわ」

「ああ、そらそうやわな。やっぱり、難波も知り合いなんやろ?」

「挨拶ぐらいはするけどな。年は十ぐらい向こうが上やから、友達でもないよ。ただ、衝撃はあるよ。付き合い自体は長いから」

「…辛いな。二十歳そこそこのお前らが、目の前でツレが死んでも気丈に振舞ってるのを見よると、俺までなんか辛いわ」

「同情なんぞいらん。はよ犯人捕まえてくれ」

「ごもっともで」

「難波、むちゃくちゃ喧嘩強いらしいわ、銀が言うてたけど。せやし余計にあの死に様は受け入れられへんわ。熊に襲われたて思いたいくらいよ。あの難波をあんな風に出来るやる奴が、この街におるんやろ?」

「今もおるかはそら知らんけど、あん時はそういう事になるな」

「しかも幸助さんかて、まだ見つかってないんやろ?」

「まだやな。目撃情報もないしな、難波があの状態で山から下りて来たのを考えると、もうあかんのとちゃうかって、皆思うてる。その事もあって、今は逆に捜索範囲狭めて、山中心に死体探しよるようなもんよ」

 榮倉の沈痛な面持ちとは裏腹な、薄情とも思える正直な語り口に、春雄はいよいよ話の核心を突く決心をした。声を落とし、じっと榮倉を見据える。

「こんなん聞いてええか分からんけどよ。平助のじいちゃん、平左さんな。あん人が殺された時、やっぱ街中が噂しよったらしいわ。あの殺され方はおかしいぞって。その後、時期は知らんけどバリマツと今井っちゅう警官も殺されたと聞いたけど、その事は銀達街の人間は全く知らんかったって言うてた。それはやっぱり、俺が思うに、殺され方が同じやから、あるいはよう似てたから、あえて公表せんかったんと違うんかって」

 榮倉は体を引いてパイプ椅子に背中を預けた。春雄は一瞬、タイミングを間違えたかと思ったが、榮倉の表情を見る限り、そうとばかりも言えなかった。明らかに驚き、そしてどう返答したものか迷っている顔だった。

「お前、このまま黙って東京帰るつもりないやろ」

 と、榮倉が言った。

「帰るよ、仕事穴開けるわけにいかんしな、代わりはなんぼでもおるって、いつも言われてるから。ただ、置き土産ぐらいは考えとるよ、さすがに」

「正直やな」

「その方がええかな思て」

 榮倉は黙り、間を置いて、話し始めた。

「ご明察や。その通り、西荻平左、松田三郎、今井正憲。この三人には人間関係にも繋がりがあるし、その死に様をもってしても、連続殺人やと、ウチはハナからそう決めて捜査しとるよ」

「ちゅう事は、首へし折られて、高い場所から投げ捨てられとるんか…」

 春雄の言葉に、榮倉は彼を見据えたまま頷いた。

 もともと警察は表向き、今井殺害の件で聞き込みを行う事を建前に西荻家を訪れていた。しかし立て続けに起こる手口の酷似した怪事件を受けて、バリマツや身内である今井の線で解決の糸口を追うよりも、西荻家にこそ事件の鍵があると、成瀬が警察内部に強く進言していたと言う。強引な接触を試みたせいで門前払いを食らいはしたが、本来成瀬の狙いは今井に関する事よりも、殺された平左の話を家の者から聞き出す事にあったのだという。

 そんな警察内部の事情を初めて知った春雄は、どんぴしゃに嵌った自分の推理に驚いていた。確信があってした質問ではなかった。どちらかと言えば、突拍子もない話だと思っていたのだ。

「いやいや、その今井さんは知らんけども、…あの、バリマツやぞ?」

 春雄の言葉に、榮倉は首を傾げた。

「普通に考えたら、それは別に大した事やないよ。やりようはある。何らかの形で殺して、その後首の骨を折って投げ落としたいんなら、やろうと思えは俺でも出来るわ」

「…は」

「問題は、その儀式めいた方法を、自己アピールのように現場で残すって事がヤバイんや。連続殺人犯が、犯人は同一人物です、この俺です、って警察に挑戦するような真似やらかすと思うか? そんなもん、江戸川乱歩の小説やあるまいし、頭イカレてるやろ。ましてや犠牲者のうち一人は警察官や。普通の執念やないわ。例えば春雄。ガキの頃から警察にマークされるような危険人物であるお前が、何らか目的を持って人を殺したいと思ったとせえや。そん時お前、こんな事するか? こんな事考えつくか?」

 言われて春雄は、黙った。

 正直、人を殺したいと思った事は何度もある。しかしただの一度も、連続して誰かの首をへし折ろう、屋根の上から投げ落とそうなどとは思わなかった。殺意とは衝動だと春雄は思っている。しかし今回の一連の事件は明らかに計画性があり、衝動的ではない理性を感じる。その怖さを、榮倉は言っているのだ。

「ないやろ。お前ですらないんや。そんなもん、相手がバリマツやろうが誰やろうが、ひとたまりもないわ。正直俺は怖いよ。もし犯人が分かったとして、この手で追い詰めたとして、目の前のそいつをどうこう出来る自信が俺にはないわ。お前らくらい腕っぷしが強ければまだやりようはあるんかもしれんけどな。…十五年刑事やって来て、こんなに真っ黒い悪意は、感じた事がない」

 春雄は榮倉の言葉に、はっとして顔を上げる。

「なあ、一個聞いてええかな」

「何」

「連れの和明がよ、地元で漁師をしとる。そこでおかしな噂を仕入れてきた」

「どんな?」

「平左さんをやった犯人がまたこの街に戻って来とる、て」

「…ははは!」

 春雄の言葉に榮倉はぽかんを口を開け、そして声を上げて笑った。

「なんやその素人臭い与太話は!」

「まあ、言うてそうかもしれんけどな。ただ榮倉さんに向かってする話やないけど、港の人間はいわゆるそのー…情報通というか、な」

「ヤクザと関わり合い深いもんなあ」

「言い方」

「つまる所は時和からそういう話が回って来とるんやろう。人の口に戸は立て掛けられんとは言うけどな。そんな阿呆臭い噂話、お前が信じるなよ」

「阿保臭いかどうか、俺には分からんよ。素人やもの。それに火の無い所になんちゃらて言うやないの」

「お、学あるやんかいさ。ただでもお前、それはあれやろ。バリマツ殺しがあったから、面白おかしゅう言うとるだけやろ」

「俺はその噂話聞いた時、バリマツが死んでるて知らんもの。ああでも、あれか。手口が、同じやからか…」

「警察は公式に発表してないけどな。その話がヤクザもんの世界に出回る出回らんて議論してる方が、まだ現実味はあるよ」

「もう一個ええかな」

 と、春雄は体をぐっと前に倒して聞いた。

「ええよ、笑わしてくれ」

 余裕をかます榮倉に向かい、春雄は本当に尋ねたかった事を聞いた。

「警察は、黒の存在を認めてるんか?」

「黒て…。巣の事か?」

「ス?」

「『黒の巣』と呼ばれとる連中の事やろ?」

「お、おお。そういう言い方も聞くな。赤江やと、黒盛会とか言うとるな」

「知ってるよ。認めるってなんや? おるかおらんかで言うたら、そら公式には警察は認めんよ、絶対に」

「そうなんか」

「お前らが巣をどういう風に聞いてるかしらんけど、アレはいわゆる団体じゃない。時和会とか四ツ谷組みたいに看板を掲げてるわけやないし、どっかに本部があって支部を設けて、みたいな組織じゃないんや。怖い事言うようやけど、ここにも、お前んとこにもおるぞ」

「こ…警察にもか?」

「ああ、余計な事言うてもうた」

 榮倉は本気で後悔を滲ませ、唇を噛んだ。

「という事はつまり、知らん間にすれ違ってるかもしれんていうことか!?」

「でかい声出すな」

「えええ…」

「ただ絶対に自分から身バレするような真似はせんし、尻尾なんか掴ませへんで。どらい政治家とか警察組織のトップ中のトップみたいなんが裏で手を回して、権力闘争や揉め事の切り札として最後に使うんが黒の巣や。まあ、人消し、殺しの依頼やな。そういう存在は昔っから名前を変えてずっと存在はしてきてる。ただお前、おると分かってても実際、どないも出来んわ」

「どういう連中なんや。警察が手出しできんて」

「俺も成瀬さんから聞いた話でしかないけどな。その世代でホンマに黒を名乗れるのは、二人か、多くても三人程らしいわ。噂とか色々出回ってるらしいし、地下組織みたいなん想像してる奴多いけど、全然違う。親から子へと仕事の技術を継承する職人みたいな感じで、群れる事なく、途絶える事も無く、殺しを生業として連綿と生き続ける奴らの事を、黒の巣と呼んでるらしいわ。今この時代におる黒が寿命やなんやで死んでも、また別の奴が育って、出て来よる。だから、巣なんやと」

「なんじゃその話。ほんまか? 揶揄ってんのか? それこそ漫画みたいや」

「実際は、黒は各自何人かの使える手駒を持ってて、目くらましや諜報活動に使役しとるって話も聞くな。警察にも、赤江にもおるっていうんはそういう意味や。息のかかった奴がどこに潜んどってもおかしない。ただ、もちろん名乗りはせんけどな」

「まじかいや…」

「春雄は、今回の事件黒の巣が絡んでると思うとるんか?」

「という噂を聞いた。その程度やけどな」

「お前、黒ちゃうやろな?」

「俺が難波殺すんかい。ええ加減にせえよ」

「はは、悪い悪い。聞いたお前も悪いわ」

 春雄は、目の前で笑っている榮倉こそが黒なのではと疑い、冷や汗が止まらなかったと、後に銀一達に語った。もし榮倉の語る『聞いた話』が真実ならば、こんなに怖い話はないと思った。

 春雄は警察を後にし、この榮倉の話を銀一達に語って聞かせるまで、疑心暗鬼に陥り誰とも口を利かなかったそうだ。






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