『君の名をもう一度・下』
僕はこの後の展開をただ見ることしかできなかった。
さよなら、久代。
樹は悩んだ末に、友美と会うことを選択した。
家を出るとき、「ちょっと高校の同級生に会って来る」という嘘ではないことを言ってきた。
駅の改札付近で待っている。
ちょっとオメカシして来てしまった。それはつまり、友美を女性として見ているかもしれない。
待ち合わせの時間に五分と少ししてから、友美がやってきた。これも付き合っていた時を思い出させる。
「ごめん、待たせた」
「ううん、大丈夫」
「じゃあ、お茶しよう」
お茶だけで樹の気持ちが収まるわけがなかった。二人はカウンセリングのようにお互いの生活がいかにつまらないことかを話し合った。それが二人の関係を盛り上げた。
結局、二人は一線を越えてしまった。
行為が終わったあと、友美は泣いた。それは罪の意識から来るものではなく、自分の抑えられた気持ちを解放できたことによるものだった。
樹は友美を抱きしめた。
それから、樹と友美の関係は続いた。
月に一回が隔週になり、毎週なり、週に二回になった。
さすがにそこまでいくとバレる。
「あなた、どういうこと?」
「どういうことも、僕が好きなのは友美だ」
「はっ? 自分の言っていることわかってる? 正気?」
「僕は正気だよ」
「どこがよ? あなたはキチガイよ。もう、顔を見たくない! 離婚よ!」
「いいよ」
「腹立つ!」
樹と妻の仲は引き裂かれた。だけでなく、妻は樹を相手取って裁判を起こした。
僕は座り直した。
「これから、久代寛之の裁判を行う」
暗がりの中から黒崎先輩の声が聞こえた。
明転すると今までやってきた裁判の配置なのだが、おかしい点がいくつかある。裁判官は黒崎先輩だということ。原告側にみさきさんがいること。弁護士はミズキだった。
舞台中央には、樹役の久代がいつもと同じように立っていた。
彼の顔は狐につままれたような顔をしていた。
「これは?」
「これから、久代寛之の裁判を行う」
黒崎先輩が冷静な声で言った。
「えっ?」
ミズキが入ってきた。
「被告人久代寛之、あなたは自分の地位を利用して女性に近づき、わいせつな行為をしてきた。違いますか?」
「全然違う。俺は、愛を持って女性と接しているし、女性の了解を得て愛しているから」
「そうですか」
「そうだよ。嘘じゃないよ」
「じゃあ、ここにいる、川上みさきさんはどうなの? あなたに対する愛はあるのに、あなたには全く相手にはされなかった。あなたは、みさきさんの気持ちを利用してお金をたかったりしていた。そうじゃありませんか?」
「そうだったけな?」
「まだ、しらばっくれますか。じゃあ、これはどうでしょか」
「なんだよ」
「真鍋裕子さんっていう、劇団の衣装の方からですが。彼女は、衣装探しに原宿に行ったとき、帰りにご飯を奢らされたそうです。しかも、帰りの方向が違うのに一緒についてきて、『ちょっと休もうよ』としきりに言ったそうです。池内綾子さん、劇団の制作からは、劇団のお金をよく着服していると言っています。最後に、寺井あずきさん、元演劇部のスタッフの方ですが、彼女は合宿のときに襲われたと言っています。さて、こんなに集まっている情報は全部嘘なんでしょうか?」
久代の悪事が暴かれるとみさきさんは涙を流していた。
「嘘だね、証拠がない」
久代は強情にも否認をした。
「そうですか。じゃあ、最後の手段ですね。証人を用意しました。お願いします!」
そこに入ってきたのは、友美役の斎藤葉子だった。
「葉子ちゃん!」
久代は若干驚いた様子だった。
「実を言えば、斎藤葉子はこちらが用意しましたハニートラップです」
「えっ?」
誰もが唖然とした。僕も声を出してしまった。
「まったくイヤになっちゃうよね、こんなボクをハニートラップに使うなんてね。ボクだって好きな人がいるのにさ」
「あんまり素にならない方がいいんじゃないの?」
えっ? 宮副先輩だったの。それは驚きだ。だから、喫煙所で甘い匂いがしたんだ。
「んで、葉子さん、どうでした?」
「とりあえず、ヤられそうになりました。あと、お金をたかられそうになりました。それから、ボクの家に居座るようになりました」
「わかりました。ありがとうございます」
「これ、証拠の写真です」
舞台に急に画像が映し出された何枚かの画像。もう言い訳はできない。
「やめろー、やめろー! おしまいだ。もうおしまいだ」
久代が崩れ落ちる。
「一件らくちゃ……」
みさきさんが久代に近づいた。そして、抱きしめる。
「いいじゃない。大丈夫だよ。もう一回最初からやり直せば。寛之ならもう一回できるよ。平気。私が応援してるから」
それを聞いた久代はみさきさんを抱きしめた。
二人を見た黒崎先輩は拍手をした。それがミズキが加わり、宮副先輩が加わり、舞台から客席に広がった。
そして、ひと段落したところで、ミズキが客席の方を向いて言った。
「えー、申し訳ないですが、この公演は以上をもちまして終演となります。お見苦しい点が多々ありましたが、本当に申し訳ございませんでした。これからも、演劇部をよろしくお願いします!」
みんな、客席に一礼してはけていく。客席からは割れんばかりの拍手だ。
あー、良かった。僕はホッと胸をなでおろしたが、まだ、場内整理の仕事があった。




