告白の仕方、教えます <実践編> 1
今までずっと王見(男)と付き合っていると思っていたのは、実はそら(男)の勘違いだった。
事実を知って動揺するあまり王見を避けまくるそらと、そらのいつもと違う行動に苛立ちと疑念を募らせていく王見。
そらの考えなしで的外れな言動がついに、感情をひた隠してきた王見の心にも火をつける。
果たしてこの捻れまくった関係にきちんと決着はつくのだろうか?
肝心なところで言葉足らずな二人が織り成す勘違いだらけの恋の行方を描いた、そら視点の少女漫画風味ライトBL小説です。
古風で趣きのある、お気に入りの木製の扉。
そこにつけられた握り心地のよい馴染みの取っ手を、俺は危うく自分の手で破壊するところだった。
「みぞれ今日来てるかっ!?」
カラン、という音など叫び声で掻き消し、俺はいつもの喫茶店に飛び込んだ。
「あら。そらちゃんと日曜日にここで会うなんて珍しいわね」
相変わらず他に客のいない店内で、小さめの本を片手に優雅に紅茶を楽しんでいたみぞれが、俺の立てた騒々しい音に驚くでもなくそう言ってこちらに微笑みをくれる。
そこで俺はようやく、生きた心地がしてホッと眉を下げた。
「どうしたの、そんなに慌てて?」
「ーっ…」
足音も鼻息も荒くみぞれの前まで進んだ俺に、みぞれがこてん、と首を傾げて。
俺は今にもその華奢な肩に縋り付きたい衝動を必死に抑え込み、みぞれの正面の空席に勝手に腰を据えた。
興奮と動揺でぐちゃぐちゃの俺に変わらず向けられる柔らかな微笑。
俺は運ばれてきた水を一気に飲み干してからようやく、事の次第を話し始めた。
「付き合ってないって…、は?お前、今、付き合ってないの?」
王見の衝撃発言に暫く完全に思考が飛んでいた俺は、意識が戻ってすぐ、王見にそう確認した。
その時にはもう王見は食べ終わった食器を洗って片付けているところで、もしかしてこれは悪い夢かと一瞬本気で疑った。それくらい現実味のない感覚だった。
「付き合ってませんよ。最後に付き合ったのは高2の夏頃だったでしょうか、すぐ別れましたけど」
「え…マジ、で?」
「何ですか、その反応。俺が誰とも付き合ってないことくらい、あなたも知っているでしょう?」
そんな言葉が返ってきて、俺はまた固まった。
その直後、王見のスマホに着信があって、どうやら休日なのに会社から緊急の呼び出しがかかったらしく。
俺は暫く呆然と、電話している王見の声を聞いていて、その内にドクドクと押し寄せて来た動悸とぐちゃぐちゃの感情にわけがわからなくなった俺は。
「あ、そら!どこ行くんです?」
まだ通話中の王見が驚いて呼び止めたのも構わずに、王見の家を飛び出し。
「今に至る、というわけね。なるほど」
俺の話を聞いたみぞれが考え込むように俯く。
ついでに一年ほど前の、俺が王見に告白された日の事も、みぞれに訊かれたので詳細なところまで全部話した。
落ち着かない様子の俺を神妙な面持ちのみぞれがじっと見つめる。
果たして。
「それは確かに、付き合ってないわね」
審判は下った。
「わーっ!やっぱりかーっ!」
俺は叫び、テーブルに突っ伏した。
みぞれに言われたらもう、それは揺るぎない確定事項である。
テーブルに額を擦り付ける俺の頭上で少し控えめなみぞれの苦笑が聞こえた。
「私もちょっとおかしいとは思っていたのよね。二人が付き合っているにしては王見さんがどうにも…」
自分の気持ちを誤魔化して距離を取ってる感じがして、というみぞれの分析なんて俺の耳にはちっとも入っては来ない。
俺は脳内で俺を指差して罵ってくる自分自身との闘いに必死だった。
うわぁ。勘違いした挙句、一年もその気になってたなんてダッセーのっ!バーカバーカ!
瞬殺された。
「だーっ!俺はこれから何を信じればいいんだーっ!?」
テーブルに突っ伏したまま、両手で頭を抱えて叫ぶ俺。
その時。
店の扉に取り付けられた鈴が鳴った。
「何を叫んでいるんですか?外まで聞こえましたよ」
俺が視線を向けるとそこには、ジャケット片手に扉に手を掛けた王見の姿があった。
はっ…、と短く吐いて呼吸を整える王見。
それを目にした瞬間、俺は弾かれたように椅子から立ち上がった。
「やはりここでしたね。どうしたんです?いきなり飛び出し…て…」
言いながら歩み寄ってくる王見の動きがぎこちなく止まる。
俺はその様子を、椅子に腰掛けたみぞれの背後に隠れるようにしてこっそり窺った。
「なぜ雨英先生の背後に駆け込む必要があるのか、聞いてもいいですか?」
怪訝に眉を寄せる王見の、低められた声。
良いわけあるかっ!何も聞くんじゃねぇ!俺は今、お前以上に色々混乱中なんだよ!
王見が一歩、こちらに向かって足を踏み出す。
俺は反射的に見を竦め、みぞれの椅子の背もたれを握る手にギュッと力を込めた。
まるで警官に睨まれた犯罪者の気分。
あー、そういや俺のファンにもいたな。ストーカーの勘違い野郎に恋人宣言されて困ってますって子が…ってその勘違い野郎、まんま俺じゃんッ!逮捕か?逮捕されんのか、俺!?
チラッと持ち上げた視線が王見とかち合い、慌てて逸らす俺。
鼻で笑われて終わりならそれでいい。馬鹿にされて罵られる程度ならまだ辛うじて耐えられる。
でももし、無断で恋人気取りだった俺を軽蔑した王見に気味悪がられたりしたら…
「み、みぞれぇ…」
気付けば俺は殆ど無意識に、そして自分でも恥ずかしいくらいに情けない声で、みぞれに救援を要請していた。
俺の態度があまりにも見るに耐えない惨めさだったのか、王見が大層不快げに目を眇める。
つかつかと無言で俺の方へやって来た王見は俺の片手を引っ掴むと乱暴に何かを握らせた。
「何の遊びか知りませんけど、俺呼び出しで今から出社することになったので。あなたはこれ持ってさっさと自分の家に帰ってください。いいですね」
一息に言って王見が俺に掴ませたのは王見の家に忘れてきた俺の鞄だった。
驚いて見上げる俺の顔を、王見の両目が映し出す。
あなたが俺の恋人?図々しいにも程がありますよ。
友人辞めてもいいですか。正直、気持ち悪いんで。
「ぎゃああああああっ!」
「なっ、何ですか、突然ッ!?」
いきなり叫び出した俺にギョッとして目を丸くした王見の腕を振り払い、俺は全速力で王見から後ずさった。
取り零した俺の鞄が王見の足元に転がったけれど、今はそんなことどうでもいい。
それよりも、何よりも。
担当変えてもらいましたので。もう二度と連絡してこないでください。
げ、幻聴が聞こえるんだけど!?王見の声の幻聴が聞こえるんだけどっ!?
「そらっ!?」
「ーッ!」
呼ばれた瞬間、俺は咄嗟に両手で両耳を塞いだ。
俺のその行為が王見の目にどう映ったかは、混乱を極めたこの時の俺に知る由もなかった。
あれからちょうど二週間後の日曜日。
俺は自宅のリビングで。
「ちゃんと聞いてますか。そら」
「…はい」
王見にこんこんと説教されていた。正座で。
「俺に一回も確認を取らずに一人で勝手に仕上げるからこういう事態になるんですよ」
膝を突き合わせて俺と同じく正座している王見が、横のローテーブルに並べられた原稿を指でトン、と叩く。
王見の指が触れた方、つまり手前に置かれた方が俺が勝手に描き上げた原稿の内の一枚で。
その隣に並べられているのが、今し方、俺が王見に怒られながら新しく描き直した差し替え分の一枚だ。
「確かにここはネームの段階から何度か練り直したページですから、最終稿がどれか戸惑ったのかもしれませんが」
昨日の夕方、俺は描き上げた原稿を王見の家の郵便受けにこっそり突っ込んでおいた。
それを見た王見の怒り狂った電話が来たのが今朝。昨日の夜中にかけてこなかったのはきっと、帰宅の遅かった王見の俺に対する配慮だろう。
「迷った場合はすぐ俺に訊いてください。そもそもどうして今回に限って、ペンを入れる前に俺へ一報入れなかったんですか?今までは連絡してきてたでしょう?」
「悪かったってば。あとは俺一人でも出来ると思ってつい。いいだろ、別に。締め切りにはまだ余裕で間に合うんだから」
「反論するとはいい度胸ですね。つまりあなたは、このまま直さないで雑誌に掲載されても全く構わなかったと言うんですね?」
「う…」
流石に次の言葉が出なかった。
黙るしかない俺を、王見の淡々とした口調が更に追い詰める。
「だいたい、原稿を連絡もせず郵便受けに入れておくとかふざけてるんですか?万が一、そのまま気づかなかったらどうするつもりだったんです?」
「お前のことだから郵便受けなら毎日チェックすると思ったんだよ」
「直接渡せば済む話でしょう」
太々しい俺の態度を受け、呆れ返った王見の声に苛立ちが滲む。
俺は膝の上に乗せた拳を握ったり開いたりして居心地の悪さを必死に紛らわせた。
王見の淡々と紡がれる言葉に終わりはない。
「それと、この二週間ずっと留守電だったのはどういう理由ですか?今朝の電話も留守電でしたよね」
「メッセージは聞いてたし。だから今朝もちゃんとお前が来るの待ってただろ、俺」
「聞いていたということは電話口にいたんですね。にも関わらず、敢えて出なかったと?」
「そ、れはその」
「何故です?」
ダチとしての電話の時は何コール目で取るのが自然なのかって考えてるうちに、毎回留守電に切り替わっちまうんだよ。とは言えない。
俺の墓穴発言を受け、王見の口角がみるみる引きあがっていく。
うわぁ。二週間ぶりに見た王見の笑顔だ。とか喜べる雰囲気はどこにもなかった。
「返答次第では、俺もこのまま笑って済ませるわけにはいきませんよ。そら」
いや、目が既に笑ってねぇだろ。
内心で突っ込み、俺は痺れた足を崩す風を装って腰をあげるとジリジリ後退を始めた。
王見も正座のまま器用に前進してくる。って、なんの競技だよ、これ。怖ぇよ、マジで。
無言でにじり寄って来る王見との距離が徐々に詰まっていく。
その時、不意に。
俺のポケットから転がり落ちたスマホが鳴った。
電話の着信音だった。
「あ、みぞれか。どうした?」
助かった。ナイスタイミングだぜ、みぞれ。さすが天使ッ!
俺はスマホを耳に当てたまま逃げるように立ち上がる。
王見とは目を合わせないよう気をつけて、俺はその場から移動した。
「予約取れたのか?マジで!?」
電話口から聞こえた内容に俺の声のトーンが上がる。
口調が少し浮かれてしまったのは、俺がずっと行きたかった行列の出来る有名なパンケーキ屋の予約をみぞれが取ってくれたと言ったからだ。
王見との距離感を図りかねて落ち込み気味だった最近の俺を心配してくれたんだろう。いいヤツだな、ホント。
リビングに背を向け、俺は仕事部屋の扉に手をかけた。
「わかった。じゃ、待ち合わせはいつもの駅の…」
にへら、と嬉しさに緩んだ表情で扉を引いた俺は。
バタンッ!
開きかけた目の前の世界が勢いよく閉ざされたことに驚き、笑顔のまま固まってしまった。
俺の耳の横を背後から貫いた一本の腕。
意志を持って扉を押さえつけるその大きな手を視界に入れて初めて、俺は真後ろに立つ王見の気配を認識した。
目の前の扉と背後の王見に挟まれて硬直する俺の手から、スマホがひとりでに飛んでいく。
プツ。短い電子音を最後に通話は強制的に終了した。
王見に放り投げられたスマホがリビングのソファに着地する。
「は!?おまっ、何勝手に切ってんだよっ!?折角みぞれが」
たっぷり二呼吸分の放心をしたあと、事態を把握した俺が振り返りながら苦情を言うと。
「普通に出れるじゃないですか。電話」
扉に手を突いたままの体勢で、王見がそう言ってとても穏やかな笑顔を作った。顔筋だけで。
そして瞳には今にも噴火しそうな怒気がありありと滾っている。
先ほど正座しながら見た時とは比較にならない立腹具合いだ。これはちょっと、いや、結構、ヤバいレベルの…
こ、これには色々と事情が…とか俺がしどろもどろに言葉を吐き出してみたところで王見が納得する言い訳が出てくるはずもなく。
そうこうしている内に王見の顔が徐々に近づいてきて、扉に背中を押し付けて逃げ道を探す俺を追い詰めてくる。
俺の背筋を嫌な汗が伝い、そして。
「…さて、覚悟はできましたか。そら」
王見は俺の耳元に吐息でそう囁いた。しかも、俺の恐怖を限界までたっぷり煽った後で。
ヒッ…息を飲んだ俺から顔を引き、王見がにこりと微笑む。
「怒らせたのはあなたですよ?」
頭が真っ白になった俺の耳に、掛け直してくれたみぞれからの着信を告げる音だけが遠くに鳴り響いていた。




