告白の仕方、教えます <講義編> 前編
少女漫画家のそら(男)が満を持して提出したネームも、悉く冷淡にダメ出ししてくるツンデレ編集者の王見(男)。
王見による容赦のないダメ出しの嵐の中、そらがここだけは譲れないとネーム直しを突っぱねたのは漫画の山場となる告白のシーンだった。
自分が過去にときめいた大切な記憶を漫画に重ね、王見に歯向かうそらだったが。
そしてここにきてついに明らかになる、二人がいつも食い違っていた今更過ぎる理由とは。
新たな局面を迎えた二人の、そら視点の少女漫画風味ライトBL小説です。
複雑な形状のミシン目に沿って一枚の厚紙から次々に切り抜かれていく大小様々なパーツ。
カラフルなイラストに彩られた幾つものパーツは一旦ローテーブルの上に並べられてから、一つずつ順番に、別のパーツと組み合わせられていく。
次第に立体へと変貌していくそれを、俺はリビングのソファに寝転んで食い入るように見つめていた。
「読み終わりましたか?」
組み立てる手は止めずに、手元に視線を固定したままの王見にそう問われて我に返る俺。
うつ伏せに寝転んだ俺の顔の下には、最後の広告ページを開いたままの雑誌が静かに横たわっている。
「ああ、うん。後は巻末コメントのページくらいかな」
「ならそろそろ打ち合わせを始めますよ。飲み物は麦茶でいいですね、俺が飲みたいんで」
完成品をテーブルの脇にまとめて置き、王見は厚紙の切れ端をゴミ箱に捨ててからキッチンへ向かう。
俺はソファから降りて絨毯の上に腰を下ろし、王見が作ったそれらを手にとって眺めた。
六角形ペン立てにドーム型の小箱、香り付きレターセットと…あとは可愛いシールが数枚。お、定規と分度器もある。小さ過ぎて仕事には使えないサイズのが。
「王見ってめっちゃ器用だよな。俺が作ると絶対どっか千切れたり凹んだりすんのに」
俺が感慨深く呟くと、グラスに麦茶を入れて戻ってきた王見が顔を顰める。
ちなみに一応、ここ俺ん家だからな。何、勝手知ったる感じになってんの、お前。…ってそれは修羅場のたびに俺が散々こいつの世話になるからだろうけど。
「付録をここまで完璧に仕上げられる奴なんてそうそういねーよ。さっすが、俺の相棒だな」
満面の笑顔で褒めたのに、返ってきたのは何故か特大のため息だった。
不思議そうにグラスを受け取る俺を見て、王見が呆れた声で訊く。
「うちの連載誌の対象年齢、知ってますよね?」
「カチューシャの?知ってるよ、小・中学生だろ。それが何?」
「…もう結構です」
もう一度ため息を吐いてから、王見は俺の向かいに座った。
ちなみにカチューシャっていうのが、俺の少女漫画を掲載して貰っている月刊誌の名前だ。
王見が自分の鞄を開け、持ってきた一枚の紙を取り出す。
付録を端に寄せて広くなったローテーブルの真ん中にその紙を置くと、王見はゆっくりと口を開いた。
「で、昨日の退社間際に俺宛でこんなFAXが届いたわけですが、これは一体何ですか?」
そこに描かれていたのは俺が現在連載中の漫画のキャラクター達で、ウエディングスタイルで仲睦まじく微笑み合う夫婦の図。
次の付録でポケットティッシュカバーの描き下ろしイラストを依頼された俺が満を持して描き上げた、一大傑作である。
「すげぇいいだろ?それ、ライバルの少女の両親なん…」
「却下です」
俺の解説を聞き終える前に、王見は手にしたペンでその紙に真っ赤なバツを描き殴った。
「あー!何でだよ!?せっかく仲良い感じに描けたのに」
「そういう話ではないでしょう?」
「そういう話なんだよ!悪いか!?」
因みに、本誌ではまだ2コマしか登場していないキャラクター達である。
勿論、本編には一切関わらない。ヒロインを除けば俺の中で今ダントツの一押し、心のオアシスだ。
この夫婦のサブストーリーだけで、読み切り一本描ける自信がある。
「事前に電話でイラストの内容を指定したはずですよ。メインキャラ三人で、構図はこう…」
バツを描いた紙を裏返してペンを走らせる王見。
中央に主人公で左に担任の先生、それから右にはクラスメイトの幼馴染。
彼らが主人公の両脇に立ち、主人公を奪い合うようにそれぞれ主人公の肩に手を回して、…ってか。
「お前って手先は器用なのに、絵を描かせたら驚くほど壊滅的だよな。何だ、そのタコみたいな奴ら」
「…」
思わず突っ込んだら、王見の手がピタリと止まった。
あ、やばっ。王見の絵見たの久々過ぎてつい口が勝手に…
「あー、いや。違くて!俺が言いたかったのは、えっと…そう。まだそいつらってそんな関係じゃないよなってことで」
「…そんな関係じゃない、とは?」
「う…うん。だからさ」
努めて明るく言いながら、王見の気が逸れてくれたことに俺は内心で胸を撫で下ろす。
そういや高校一年の時の美術のポスターもこいつのは別格だったな。色んな意味で。
それですぐに名前を覚えて、二年で初めて同じクラスになった時に俺から声かけたんだっけ。
それなりに仲良くなってから絵の話をしたら半分本気で殺されかけたんだった。とかそんな恐ろしい記憶も蘇ってきた。
俺は引き攣る唇をなんとか制御し、なんとか平静を装って続ける。
「まだ本編では手も握ってないのに、二人していきなり肩抱くのとか有り得ないだろ。という結論になったわけだ」
立てた人差し指をずいっと押し出し、俺は真面目くさった顔でそう言い切った。
王見がタコの絵からペンを引く。
それ以上描き足されても正直理解できる自信がないので早々にペンを収めてくれて助かった。とは言わないでおこう。
「いいんですよ、そんなことは考えなくても」
「へ?」
タコが気になって聞いていなかったわけではないが、あまりにもあっさりそう言われたので俺は少々面食らった。
間抜けな声を上げた俺に、王見が説明の言葉を継ぐ。
「この二人のヒーローは読者アンケートでも人気が拮抗していますし、それなら両者描いた方がいいというのが上の判断です」
「でもそういうのってなんか…」
「それに、これはたかが付録のイラストですよ。そこまで気を使うことですか?」
王見の言葉に今度は俺のこめかみがピクッと痙攣する。
おいこら、ちょっと待て。今なんつった、てめぇ!
「たかがとは何だッ!付録ってのはただのオマケじゃないんだぞ。夢と希望の詰まった大事なアイテムなんだからなっ」
「その大事なアイテムも来月号が出る前には結局いつも燃えるゴミになってるじゃないですか、あなたの場合は」
「うっ。お、俺は使い込む方なんだよ」
「はいはい。何でもいいですから、とにかく今すぐ描き直してください」
「嫌だ。絶対描き直しなんかしねーっ!」
不毛とわかっていても、売り言葉に買い言葉というか。
俺は意固地になってプイと王見から顔を背けた。
すると王見が、ふっと不気味なくらい静かに吐息で笑う。
顔を戻した俺の視線の先ではなんと、王見の手が組み立てたばかりのペン立てを握っていた。
「早く描かないと一つずつ握り潰しますよ?」
「おまっ…、汚ねーぞ!人質取るなんてッ」
「描くんですか?描かないんですか?」
ニコッと笑って質問してくるその顔は、完全に悪役のそれだ。
わなわなと全身を震わせながら立ち上がる俺に王見は、追い討ちのように訊いてくる。
「さあ。どうするんですか?そら」
「っ…!」
だから俺は追い立てられるようにして。
「ッわかったよっ!」
叫び、仕事部屋へと駆け込むのだった。
そして。
それから数十秒ののち。
「…ほらよ。これで文句ねーだろ」
一枚のカラーイラストを引っ掴んでリビングに戻ってきた俺は不貞腐れた顔で王見にそれを渡した。
王見の指定した通りの構図の、王見のタコみたいな絵ではないちゃんとした一枚絵だ。
受け取って、王見は特に驚いた様子もなく微笑する。
「描いてあると思ってましたよ」
「…」
あー、そうだろうとも。でなきゃ、いくら発売日だからって買ってきた連載誌を呑気に熟読してる俺を、こいつが黙って放置したりはしないよな。くそっ!
「ああ、先日言ったネームの直しは次の打ち合わせまでで結構ですので」
「お前、ほん…っとにいい性格してるよな」
「ありがとうございます」
「褒めてねーっつの」
歩き慣れた通りを抜け、いつもの取っ手に手をかける俺。
味わいのある木製の扉を引くと香ばしいコーヒーの香りが鼻を擽った。
カラン、と扉に付けられた鈴の小気味良い音が鳴る。
打ち合わせの時間より早めに着いたはずなのに、見ると既に王見が座っていた。
「あれ?俺、時間間違えた?」
いつもなら忙しい王見がギリギリか、場合によっては予定より大幅に遅れてやって来るのだが。
「いえ。俺が少し早く着いただけです」
「へぇ、珍しいな」
店員にアイスコーヒーを頼んでから椅子を引く。
王見の前に置かれたコーヒーはまだ殆ど口をつけていないようだったが、それは王見が来て間もないということの証明にはなり得なかった。
こいつ、たいがい飲み残して帰るからな。いくら経費で落ちるからって、店の人に失礼だぞ。
「昨日、会社にFAX送ったんだけど。お前に言われたネームの直し」
「これですね。確認してあります」
「今回は完璧だったろ?いやー、俺もやれば出来るってことだな」
鼻高々な俺の目の前に、王見が鞄から取り出した紙を数枚並べる。
王見に言われて散々直し尽くしたはずのネームには更なる赤が加えられていて、俺は頬杖をついて肩を落とした。
採点大好きだね、お前は。赤ペン先生になれるんじゃねーの。これ。
「ここのコマ割りはわかりづらいので、この形に変更してください」
「へいへい」
「こっちは背景よりトーンで埋めて雰囲気を」
「うーす」
「ここは台詞が逆になってましたよ。ネーム直しで別の間違いを増やすのはやめてください。余計な手間が増えるので」
「…すみませんでした」
怒られている俺の手元へ、店員が遠慮がちにアイスコーヒーを置いてくれた。
俺はストローをさして冷えた液体を吸い込みながら、モヤモヤした気分をなんとか喉の奥に押し込む。
「ああ、あとはこのページですが」
「ん?」
ストローを咥えたまま首を傾げる俺。
「ヒロインのアップに描き直すよう指示しましたが、やっぱり元のままでいきましょう。引きの絵の方がこのあとのシーンが映えますので」
王見はサラッと言って、俺の直したページにデカデカとバツを入れた。
って、おい待て。そこは前回の打ち合わせの時に絶対に直せってお前が言ったんだろ!?
「だっ…!」
「他の直しとの兼ね合いです。わかりましたね」
身を乗り出しかけた俺を笑顔で制し、ね?と王見が念を押してくる。
「もう、ほんっと嫌だ。お前」
「大丈夫ですよ。あなたの都合のいい脳なら、変更を取り消したことすらすぐ忘れますから」
「それって俺の記憶力が低いって言ってんのか?」
「否定はしません」
しろよ!
と眼力で訴え、俺はムッとした顔でまた頬杖をつき、ストローを咥え直した。
「それで、一番の問題はここなんですが」
言って王見が示したのは、幼馴染がついに主人公に自分の恋心を伝えるシーン。
担任の先生しか眼中になかった主人公の心を大きく揺るがせる、今回の山場である。
「ここだけ台詞も何もかも一切直ってないのはどういうことなんですか?」
「直した結果、やっぱそれで行こうってことになったの」
俺の中で。
俺の言葉を聞いて、王見の表情が僅かに険しくなる。
しかし、俺だってここは引かない。俺にとって、そこが今回一番描きたかった場面なんだ。
王見はすっと目を細く引き、俺を正面に捉えた。
わざと空気に緊張感を持たせて俺をビビらそうって魂胆だろうが、誰がその手に乗るか。
舐めんなよ。何年お前と一緒にいると思ってるんだ。
「ここは、ヒロインに初めて面と向かって気持ちを伝える場面ですよ?」
「んなの分かってるよ。だから普段はしないくらいの神妙な顔つきで、ヒロインの前に立たせてんだろ」
冷静に聞くと、男二人で何を語り合ってんだって感じだが、幸いにして今、店内に俺たち以外の客はいない。
ありがたいことだ。
「理解しているのなら、もっと言葉を尽くすべきです」
「付き合ってほしいんだけど…、のこの一言で十分伝わるんだよ。今までの積み重ねがあるんだからさ」
これでもか、というくらいに、この幼馴染がヒロインを想っている描写を毎回入れてきた。
むしろヒロインは何でこいつの気持ちに気づかないんだよ、馬鹿なのか?と作者自身が思わず突っ込みたくなるくらいに、だ。
王見は少し冷却時間を設けるように、ゆっくりとコーヒーを口に含む。
俺は頬杖を外して胸を張り、鼻息荒く王見にガンを飛ばした。
「あなた、それでも少女漫画家ですか?」
呆れたようにため息を吐く王見。
「こんなありふれた台詞で、ヒロインや読者がときめきを感じるとは到底思えません」
重ねてため息を吐かれて、俺はカチンときた。
俺の経験を全力で否定された気がして、気づくと俺はテーブルを叩いて立ち上がっていた。
「お前が俺に言ったんだろうが!それで俺はときめいたんだよ、文句あんのか!?」
一息に叫び、肩で大きく息をする。
立ち上がった俺が見下ろすと、王見は怪訝な表情で眉を寄せた。
「…俺が、何を言ったと?」
「はぁ!?だからお前、が…」
喧嘩を売られたんだと一瞬思って、でもどうにも様子が違っていて、俺は口を開けたまま、肩で息を繰り返した。
「俺はここの台詞を直すようにと、そう言いませんでしたか?」
確かに前回の打ち合わせの際には、王見はそう言っていた。
それは覚えている。
だけど、俺が言いたいのはそういうことではなくて…
苛立ちと混乱で怒った表情のままの俺を見据え、王見は肩を竦めて立ち上がった。
「話しになりませんね。今日は帰ります」
「な、待てよ。まだ話は…」
「他はこの直したネームで下描きに入って貰って結構ですが、そこは俺が良いというまで下描き禁止です」
それだけ言って王見は俺から視線を外すと、伝票を持って、さっさと席を離れた。
店員が慌ててレジに向かって行く。
テーブルの上に置き去りにされた紙の中では、ヒロインたちが無邪気に頬を染めて見つめ合っている。