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俺の漫画のヒロインのモデルは男なわけで 後編

店員の元気な挨拶で最初に店から送り出されたのはみぞれ。

それに続いて出てきたのは、スーツ姿で頭を下げる王見だった。


「本日はすみませんでした。どういう経緯かは存じませんが、結果的に雨英先生をこんな店にお連れする羽目になり」

「構いません。誘われて来てみたいと言ったのは私の方ですもの。私、牛丼なんて珍しいものを頂いたのは初めてなんですよ」


にっこり微笑んだみぞれと、それでも申し訳なさげに苦渋の表情を浮かべる王見。

そんな二人の耳に、牛丼屋の店内でまだ店員と盛り上がっているそらの笑い声が扉越しに届く。

こめかみをぴくりと痙攣させた王見の横で、みぞれは変わらず微笑んで言う。


「きっと実際に見せようとしてくれたのね、そらちゃん。先日も漫画のことで沢山お話を聞かせて貰ったから」

「はぁ…。…?」

「そらちゃんの漫画にはそらちゃんの色々な好きって気持ちがいっぱい詰まっていて、聞いててとても楽しいんですよ。特にヒロインの話になるとそらちゃん凄く力が入るみたいで」

「…」

「あんな風にいつでもそらちゃんに想われているなんて、ふふ。素敵ですね」


含んだ様な笑みを零すみぞれ。

その直後、無言で向けられていた王見の目が僅か細く引かれたのをみぞれは見逃さなかった。


「もしかして王見さん、そらちゃんが描くヒロインのモデルが誰なのかご存知ないのですか?」


小首を傾げ、訊いてみる。

案の定、王見の顔に貼り付いた笑顔の裏で不機嫌さが膨れ上がった。

あら。当事者だと案外気づかないものなのかしら。思ってみぞれが眺めていると、王見が言った。


「やはり、モデルがいるんですね」


やはりという王見の言葉が示す通り、確証はなくとも予想はしていたのだろ。

それでも目に見えて王見が不愉快そうなのは、当たって欲しくない予感があっさり裏付けられてしまったからか、それもと自分にはきちんと説明されていないことをみぞれが先に知っていたことに対してか。


「興味の移ろいやすい質のあの人が特定のキャラの言動にここまで固執し続けること自体そもそも異例のことですし、しかも脳内で構築しただけのキャラにしては軸がブレず主張に一貫性があるので絶対におかしいとは思っていましたが」


ぶつぶつ言いながらみぞれから視線を外し、何もない空間を睨みつける王見。

まるでそこに存在する見えない何かを敵視するみたいな、威圧的な眼差しだった。


「誰ですか?」

「え?」

「ですからヒロインのモデルですよ」


みぞれが見上げたすぐそこに王見の顔がある。

人一人分の距離なんて初めから存在していなかったかのように、王見は既に音もなくみぞれに詰め寄っていた。

穏やかでいて脅迫めいた何かを含む短い問いかけの言葉。

添えられた完璧な笑顔にも、王見の気迫が滲んでいる。


「誰なんですか?」


ジャリ…。

王見の靴底がアスファルトの砂を踏みしめた、次の瞬間。


「あれ?何やってんの、お前ら?」


ようやく店から出てきた俺は、対峙する二人を見つけてそう声をかけた。

首を傾げる俺を視界に入れた王見がみぞれからサッと距離をとる。


おお、こうして並んでるとなんか兄妹みたいだな。こいつら二人とも癖っ毛で眼鏡だし。


そんなことを思いつつ、俺は握っていたガムやら飴やらをみぞれに手渡した。


「さっきの店員がみぞれにやるって。サービスするからまた絶対みぞれを連れて来いとか言われた」

「そう。ありがとう、そらちゃん」

「おう」


ふわりと微笑んだみぞれと、それを横目にどこか不服そうな王見の眼差し。

二人の醸し出す微妙な空気には全く気づくことなく、俺はニカッと笑って王見の方へ視線を向けた。


「それよりも俺、食いながらずーっと考えてたんだけどさぁ。ヒロインの夏服、やっぱ地味過ぎないか?」


問いかけて、上から下まで王見を眺める。

きっちり着込んだスーツ姿で、きちんと締められたネクタイが目を引く。

俺はスーツを着ることなんてまずないから窮屈そうだなんて思うこともあるが、食事していると箸の移動経路に必ず存在するそれは、否が応でも俺の視界に入るのだ。


こう、働いてますって感じがいいんだよ。と内心で拳を握る俺。


「だからヒロインにもリボンかタイがあった方が絶対良いって。イラスト的にも華やかになるし、なんつーの?えっと、ほら。萌えるだろ?」


刹那、王見の表情が止まった。そして次の瞬間には物凄い形相で睨まれた。


「そんなこと考えながら食事していたんですか、あなたは?」


呆れた風を装った口調の中に、確かに忍ぶ微かな怒りの炎。

それでもさして気にせず俺はあっけらかんと王見に言う。


「だってふと、いつも俺そこばっか見てるなぁって思ったら急に気になったんだよ」

「いつも…?」


かくして俺の発言は見事、王見の逆鱗に触れた。


「くだらないことを考えている暇があるなら、こないだのネームの直しでも考えてください!」

「くだらないとは何だ!?めっちゃ重要だろっ」

「どこがですか!?そもそも、もう夏服になってどれだけ話数が進んだと思っているんです?今更変更できるわけないでしょう」

「じゃ、今のネームでヒロイン転校させるか。いっそ女子校とかに」

「話が繋がらなくなりますよ!その後どう展開させる気なんですか!?」


白熱していく俺たちを遠巻きに眺めていたみぞれは一人、ふふ、と吐息混じりに笑みを零す。

いつのまにかそこは背景が違うだけの、いつもの喫茶店でよく見かけるみぞれにとってはお馴染みの光景になっていた。


「だいたいにしてあなたはこのヒロインに拘りを持ち過ぎなんじゃないですか?」


みぞれを駅へと送る道すがらで王見が思い出したようにぼやく。

俺はみぞれが譲ってくれた飴玉を口の中で転がしながら、隣を歩く王見を見上げた。


ちなみに転校に関しては、今後ヒロインにバイトをさせることがあったらバイト先の制服を俺が好きに決めていいという条件で、転校させない方向で決着した。うん、満足満足。


「全く、特別扱いも度が過ぎると読者が引きますよ。ヒロインに」

「安心しろ。俺なんてしょっちゅう引いてる」

「は?」


王見が怪訝に顔を歪める。

ああ、そういう反応も今度ヒロインにさせてみようかな。なんて考える俺はちょっと職業病なのかもしれない。でも、楽しいから、ま、いっか。


「それに特別扱いじゃなくて、特別なの」


なんてったってお前がモデルだからな。よくあるヒロインの枠なんかに収めてやる気はねぇぞ、俺は。


ふふん、と鼻を鳴らして笑ったら、王見の大きな手が俺の頭をガシッと鷲掴んだ。


「本っ当に、物分かりの悪い頭ですね。担当編集の意見は素直に聞くものですよ、普通は」

「いつも聞いてるっつの。お前こそ、たまには漫画家の好きなものを自由に…ってか頭押さえんなよ。縮むだろッ!」

「どうせ元が小さいんですから多少縮んだところで大して変わりません」

「ち、小さいって言うな!」


斜め後ろを歩くみぞれが微笑ましげにこちらへ視線を寄越しているけれど、押さえ込まれた俺の視界には全く入ってこない。

傍目には仲良さげにじゃれ合っている俺たちをやや離れた位置で眺めながら、みぞれは下唇に指を当てて呟いた。


「この場合も恋敵って言うのかしら?あ、でもそらちゃん達はもう付き合っているのだから王見さんの片思いというわけではないものね。となると、そらちゃんの浮気相手?」


みぞれが何やらボソボソ呟いている声も勿論、俺の耳には届かない。


「でもこれ、ヒロインのモデルが王見さんだって伝えたら一気に解決しちゃうことよね」


控えめなみぞれの声に王見の苛立った声が被る。


「俺としては、ヒロインはもっと没個性的な感じに…」

「嫌だ!そこは絶対譲らない」


みぞれは唇に触れていた手を持ち上げて、口元を覆い隠した。

胸に浮かんだささやかな悪戯心がみぞれの唇を三日月の形に誘う。


「もう少しくらい、このまま黙っていてもいいかしら」


誰にともなく言ったみぞれの言葉は、駅の人混みに紛れて消えた。


睨む王見と噛み付く俺と、それを眺めるみぞれの笑顔と。

今日も今日とて賑やかな一日が俺の記憶に降り積もる。


そうして家に着いたら俺はきっと。

今日の色んな王見を思い出しながらまた、一人で笑ってペンを取る。

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