滅多にデレない恋人に合鍵を渡してみたところ 前編
少女漫画家でちょっとアホの子なそら(男)とツンデレ編集者の王見(男)は恋人のはずなのに、顔を合わせれば仕事の話ばかり。
もっと少女漫画チックな展開を期待しているそらの気持ちとは裏腹に、傍にいる王見の言動はどこまでも事務的でそっけなかった。
実際はちょいちょい束縛気質の王見なのだが、幸か不幸か、そこはそらにあまり伝わっていないようで。
どこか微妙に食い違っている二人の、そら視点の少女漫画風味ライトBL小説です。
前回よりも切なさ控えめ、ラブコメ度アップしてます。
Gペン、トーン、ベタ用のインク、羽に砂消しゴム。
俺の机の周りにひしめく、七つ道具の数々。
これらを使って、真っ白い紙に命を吹き込んでいく。
いうなれば俺は、魔法使い。いや、世界の創造主だ。
「くだらないことを口走ってないで、さっさと手を動かしてください」
妄想への逃避行を楽しんでいた俺は、王見の冷ややかな声で現実へと連れ戻された。
時刻は真夜中をとうに過ぎ、外の世界は暗闇に閉ざされている。
きっと今、このマンションで明かりがついているのなんてウチくらいだろう。
「言われなくてもやってるよ。…はい、ペン入れ終了」
「では、残りのトーン指定を入れてください。あとここ、効果線が抜けてます」
淡々とした口調で俺に原稿をつき返す王見。
仕事帰りのスーツ姿で、ワイシャツの袖をまくり上げてカッターと定規を器用に操る。
何度見ても、奇妙な光景だ。
ホント、何でもそつなくこなすよな。こいつは。
感心する。と同時に、ちょっとムカつく。
世の中、もう少しくらい平等でもいいんじゃないだろうか。
「何ですか?」
俺の視線に気づき、王見が手を止めて顔を上げる。
俺は椅子をくるりと回転させて、王見に向き直った。
「俺も他の先生んとこにアシ行ったりしてみたいなーと思って」
そうしたら、俺の技術も向上して、作品の幅も広がる。…かもしれないし。
それに、もしそれなりに親しくなれたら、こっちが修羅場の時に手を貸してもらえる、かも。
こいつだって他の作家も抱えてんだし、いつまでも俺のアシさせてるわけにはいかないよな。
王見の手首にくっついたトーンの切れ端を眺めながら、俺はぼんやりと考えた。
脳みそがだいぶ睡魔に侵されていたから、王見の目尻がぴくりと引きつったことには気付きもしなかった。
「それに、他人の家で苦いコーヒー飲みながら順番に仮眠とか、合宿みたいで面白そ…う」
言いながら、大きな欠伸を一つ。
馬鹿みたいに大口を開けた俺に、王見が鋭い視線を向けた。
眠気も一瞬で消え失せる、殺意でも込もっていそうな眼光だった。
やべっ!時間ないのに無駄話とか、マジでキレられる!
「やっ…やってるよ、手動かしてるって。効果線だろ、効果線」
俺は王見から逃げるように机に向き直ると、慌ててペンに手を伸ばした。
危うく線が枠からはみ出しかけたが、そこは漫画家の意地で何とか踏みとどまった。
背後で特大のため息が落とされる。
俺がびくっと肩を揺らすと王見が、予想したよりは落ち着いた口調で、言った。
「仮眠したければどうぞ。時間を指定してくれたら起こしますよ?」
思ったよりも親切な申し出だった。
あ、いやでも、俺は別に仮眠がしたかったわけではないんだが。
「それとも、コーヒー淹れますか?」
トーンを貼り終えた原稿を俺に手渡しながら、王見が訊ねる。
それと引き換えに、俺はまだトーンの貼られていない原稿を王見に差し出した。
「いや、コーヒーはいらない…っす」
「そうですか」
王見の申し出を丁重にお断りして、出来上がった原稿に目を通していく俺。
部屋に、紙の擦れる音だけが響く。
「一応、確認の為に言っておきますが」
暫くの沈黙の後で、王見がそう、言葉を発した。
「あなたは女性ということになっていますので。きちんと自覚しておいてください」
「何だよ、今更」
仰々しく前置きされたから何事かと思えば、内容は本当に分かり切ったことだった。
鼻で笑う俺に対し、王見は業務連絡のように言葉を続ける。
「素性を知られないよう他の作家との接触は極力控えて、何かあれば俺に直接連絡するように…」
「わかってるってば。お前、寝ぼけてんのか?」
「…」
突然、王見が営業モードを発動したので、俺はつい吹き出してしまった。
少女向けの雑誌に載せるのなら女性作者にしておいた方が何かと都合がいい。
と最初に言い出したのは王見だった。
俺はどちらでも良かったが、担当編集様がそう仰るのなら、と素直に従っている。
王見の策略のお陰か、俺の漫画は連載誌の中でもそこそこ評判が良い、らしい。
「任せろ。俺もいつか、連載誌の頂点に君臨してみせる」
深夜の変なテンションで、俺は手にした消しゴムを天高く掲げて宣言した。
俺の背後にいる王見は、俺の発言を聞いて諦めたように長く息を吐く。
それから王見は使っていた机の上を手早く片付け、立ち上がった。
「あれ、帰んのか?」
「はい。明日は朝一で会議なので」
「なら今夜は泊まってここから会社行けばいいじゃん。もう電車ねーぞ?」
トーンを貼ってくれた原稿を王見から受け取り、俺は時計を示した。
王見はちらっとそちらに視線を向けたが、すぐに首を振る。
「大丈夫ですよ。タクシーつかまえて帰りますから」
言って玄関へ向かうと、手短に連絡事項だけ伝えて王見はそのまま帰ってしまった。
「あいつ、枕変わると寝れないタイプか?」
閉めた扉に向かって呟く。
今までにも締め切り間際で王見に手伝ってもらったことは何度かあるが、一度たりとも王見がここに泊まったことはない。
ま、寝泊りしないと本気で間に合わないって事態にはまだなったことないしな。
王見の管理ってやっぱすげぇわ。
夏休みの宿題はいつも最終日に徹夜でやっていたあの頃が懐かしい。
思い出し欠伸を一つして、俺は一人、寝室へと向かった。
いつもの喫茶店での打ち合わせを終え、早々に立ち去ろうとした王見を俺は呼び止めた。
「同窓会、ですか?」
俺はスマホを取り出し、よく使っているコミュニケーションアプリを立ち上げる。
高校時代につるんでいた数人と、俺は今でも時々連絡をとっていた。
「こいつらなんだけど、お前もたまに一緒に遊んでたろ?覚えてないか?」
メンバーがそれぞれの顔写真をアイコンに使っていたので、その一覧画面を開いて王見に見せた。
王見は俺のスマホを覗き込むと、緩やかに、顔をしかめた。
「あぁ、このクズ…この人達ですか。覚えてはいますけど、それが?」
なぜ目を細める?眼鏡の度数、合ってないのか?
眉間に薄っすら縦ジワを刻んだ王見を見て、そんな考えがよぎる。
それからすぐ、真夜中にトーンを貼らせたりしている自分の行為を思い出して、俺はちょっとだけ、反省した。心の中で。
「えっと、何だっけ…。あー、そう。それで、久々に集まらないかって誘われてさ。今度の連休に」
王見の視力の心配をしていたら、一瞬、本題を忘れかけた。
俺は思考を元の軌道に修正して、聞くべきことを王見に訊ねた。
「王見も一緒に行かね?折角だし」
見上げる俺を、王見の視線が一瞥する。
「行きません」
王見は無表情のままきっぱりと答えた。
だよ、な。こいつ、仕事忙しそうだもしな。
主に、俺のせいで。という自分への突っ込みは、心の奥底へ沈めておく。
仕方ないから一人で行くか。と俺が考えていると、王見が更に続けて言う。
「あなたも断ってください」
「は?何で?」
スマホに落としていた視線を、俺は弾かれたように持ち上げた。
王見は変わらず無表情のまま、俺を見下ろして続ける。
「先程も話しましたが、次は巻頭カラーです。
今まで以上にスケジュールがきつくなるのは、当然理解していますよね?」
う。それは重々わかっているが。
「じゃ、週末までにネーム上げるからさ」
「それで週明けにネーム直し、連休中はカラーの原案ですね」
「…明後日までに、ネームやるから」
「今、何枚出来てますか?今回はいつもよりページ数が多いって、分かってますよね?」
駄目だ。
俺のスケジュール管理を今までずっとこなしてきたこいつに、口で太刀打ちできる気がしない。
俺は机に頭を預けて、恨みがましく王見を見上げた。
「うー…俺がボッチになったらどう責任とってくれんだよ?」
「責任、ですか?」
俺の言葉に、王見は呟いて口元に手を当てた。
一旦俺から視線を外し、ゆっくりとその視線を俺に戻す。
何を考えついたのかはわからない。
ただ、何となく嬉しくない答えが飛び出すことだけ、俺は確信した。
指の隙間から覗いた王見の口元が、緩やかに、笑みを結ぶ。
「そうですね。では」
それは不吉なくらい、穏やかな口調だった。
清々しいほどの胡散臭い作り笑いを湛えて、王見は俺を見下ろした。
「あなたが孤独を感じる暇もないくらい、死ぬほど仕事を入れてあげますよ」
刹那、俺の心臓は確実に止まった。
絶対、止まったに違いない。
俺を完全に停止させてから、王見は何食わぬ風に支払いを済ませて店を出て行った。
あれから色々考え、何とか王見を懐柔できないかと試行錯誤もしてみた。
結果、やはり正攻法で攻めるのが一番確実だろうという単純な結論に至った俺は今。
「王見のやつ、結構いいとこに住んでんだな」
王見の住むマンションの入り口に来ていたりする。
因みに時刻は、帰宅ラッシュをとうに過ぎた夜の九時過ぎ。
星が奇麗だな、と気を紛らわせてみても、夜風の冷たさは変わらない。
「寒っ。ちょっと薄着過ぎたか」
ロビーに入れれば良かったのだが、オートロックで侵入を拒まれた。
誰か帰宅する人間がいれば一緒に入ろうと思っているのだが、流石にこんな時間に出入りする人なんてそうそう捕まらないのが現実だ。
「今日は他の担当作家の家に行くので無理です」
俺が昼間に電話をかけたら、王見はあっさりとそう断って、さっさと電話を切りやがった。
折角、王見の立てたスケジュールより早くラフネームを仕上げたというのに、非道なヤツめ。
こうなったら直談判だ。覚悟しやがれ。というわけで、こうして意気込んでやってきたわけだが。
「わざわざ家に行くってことは、その作家、締め切りギリギリってことだもんな」
押しかけるとか、無謀だったろうか。まだ帰ってないってことは、今日はそっちに泊まり込みか?
ネームを入れた鞄に視線を落とし、俺は短く息を吐いた。
いやでも、王見って俺の家にも絶対に泊まらないし。他の作家の家になんか泊まるはず…
無い。とは断言できなかった。
仕事ならそれも仕方のないことだし、有り得る範疇だろう。
なんせ王見は仕事人間だ。
仕事でなければ、俺の家にすらまず顔を出さないくらいには筋金入りの。
そう。付き合っているという割に、王見は私用で俺の家に来たことがない。
ま、俺も王見の家に来たのはこれが初めてなわけで、要するに、その程度の関係だ。
その程度の…
「…」
いつ戻るのかわからない人間を待っていると、自然と思考がマイナスに傾いていくもので。
俺はわざと大袈裟に頭を振って、星空を見上げて、深く、長く、息を吸い込んだ。
風が足元を吹き抜け、砂埃の渦を巻く。
誘われるように風を追うと、俺の視線の先で、その影はゆっくりと歩みを止めた。
「そら?どうしてここに?」
あ、虚を突かれたって顔だ。ざまぁみろ。
王見の反応を見て、俺はにんまりと笑った。
胸の奥がムズムズとこそば痒い。
ああ、王見だ。認識した途端、先程までのモヤモヤも心の隙間風も全部消えて、ほんのり暖かな気持ちに体が満たされていく。
俺は立ち止まった王見にすたすた歩み寄ると、伸ばした人差し指を王見の左胸に軽く当てた。
「バーン、ってな」
言いながら、俺は銃の引き金を引くように人差し指を曲げて見せる。
王見は目を見開いてから、脱力して、苦笑した。
「何ですか、それ」
「何って、こないだ俺の心臓を止めたお前への、…報復?」
「は?意味が分かりませんよ」
王見が言う。僅かに笑って。
ふーん。なかなか可愛い顔して笑うもんだな。
とかこっそり思ったのは、勿論、俺だけの秘密だ。