告白の仕方、教えます <実践編> 2
くすくすという控えめな笑い声が一向に途切れなくて、俺はグラスの氷をかき混ぜる手を止めて顔を上げた。
「笑い過ぎだろ」
「ごめんなさい。そんな素敵な事態になってるなんて想像していなかったから」
「全然素敵じゃねぇし。毎晩王見に監視されながらネームと向き合う俺の身にもなってくれ」
俺はストローでアイスティーを吸い上げながらみぞれに抗議する。
飴色の液体の中で、混ざり切らなかったミルクとガムシロップが幻想的な模様を作って揺れた。
「あいつ昔っからキレると仕事魔になるんだよ。ストレス発散に働くのは勝手だけど、俺を巻き込むんじゃねぇっつの」
ちなみに学生の頃はキレると勉強魔になる王見のお陰で、タイミングが良ければ俺の成績が一時的にグンと上がった。
親は手放しで喜んだが、俺は試験が終わるまで放課後必ず王見に図書館へと連行されてそれはもう大変だった。
ほぼ毎日のように日が暮れるまで勉強漬けとか、俺よく生きてたな。…って、今まさにその悪夢が再来しているわけだが。
「仕事上がってそのまま俺の家に直行してきた王見に終電まで延々見張られんだぞ。勝手に休憩でもしようものなら笑顔で嫌味言われるし」
「一週間、毎日ずっと?」
「そう。しかも三日目の昼間に俺がちょっと出掛けようとしたら」
たまたま他の作家との打ち合わせ帰りだった王見と、俺は運悪くマンションを出てすぐの路上で鉢合わせてしまった。
どこに行くつもりか考えずふらっと出ただけだった俺が行き先を問われて言い淀むと、王見は笑顔でこめかみを痙攣させた。物凄く怖かった。
「それでますます王見さんの不興を買ってしまったというわけね」
まだ笑いの余韻を残した声音で確認するみぞれ。
俺はため息混じりに頷くと、咥えたストローで行儀悪く液体を撹拌した。
一週間ぶりの喫茶店は例の如く俺とみぞれの貸切状態。
店員たちはカウンターの内側で黙々と何かを磨いたりしている。ここの経営は大丈夫だろうかとたまに本気で心配になる。
「お陰であり得ないペースでネームが上がって、もう下描きに入れそうな勢いなんだけどさ」
とは言っても週刊誌で連載出来る程ではない。あくまでも月刊誌レベルでのハイペースだ。
「予定より早く仕事が仕上がって困ることでもあるの?」
不思議そうに訊ねるみぞれ。
俺はストローから口を離すと、テーブルに頬杖をついて天井を見上げる。
照明の控えめな天井を眺めながら俺は、昨晩の王見との会話を思い返した。
「こうなったらさっさと入稿まで終わらせて、旅に出てやる」
半分以上ヤケを起こしている俺の背後には、物静かに座って他の作家のネームをチェックしている王見の姿。
鉛筆と消しゴムを交互に掴む俺に背を向けたまま、王見は事務的に言った。
「どうぞ、ご自由に。俺としては締め切り前に入稿さえして貰えればその後の事は感知しませんので」
「言ったな!今の言葉、忘れんなよ?」
「忘れませんよ。あなたじゃないんですから」
ムッとして俺が振り返ると、王見が傍らに置いた自分の鞄を開ける。
なんだ?と思っている間に俺の手に分厚い紙の束が握らされた。
お、重いぞ、これ。何枚あんだよ?ってか、何?
「あなたは構造物の立体的な描写が崩れやすいですからね。下描きに入る前に、それ全部描いて練習してください」
「はあ!?」
「それが終わるまでは下描き禁止です」
「なっ…!」
手にした紙束の重みがぐっと増した気がした。
「旅行、行けるといいですね」
意地の悪い王見の笑みが瞼の裏に蘇って、俺はギリッ、と奥歯を鳴らした。
「王見さんって外堀から埋めるタイプよね」
感心したようにみぞれが言う。
外堀?と頬杖のまま首を捻る俺にみぞれはふるふると頭を左右に振って、くすりと笑みを結んだ。
「意地悪の仕方がそらちゃんの為になる方法ってところが王見さんらしいなって」
「俺じゃなくて漫画のためだろ。これまでだって今どきの若い子に流行ってる服をファッション雑誌別の傾向で分類しながら散々描かされたり、女子人気の高い小物雑貨とかアクセとかやたら描く訓練させられたり」
「そらちゃんの漫画が全体的にとても女子力高い理由がよく分かったわ」
「ん?」
「いえ、王見さんくらい色々出来る人がどうして少女漫画の編集になることを選んだのかしら、と」
言ってみぞれが紅茶を一口含む。
どうしてってそんなの少女漫画が好きだからじゃねぇの?思って、いや、そうだっけ?と俺は思い直した。
考えてみれば知り合った頃の王見は漫画全般にあまり関心を示さない、よく言えば大人びた、悪く言えば可愛げのない高校生だった。
人当たりは問題ないのにどこか一線引いていて、同級生とつるんでいても笑いながら醒めた目をするという器用なヤツで。
そんな王見が変わったのはいつの頃だったか。
記憶を辿り、そして思い至る。
「あ、そういや俺が勧誘したんだった。高2の時に」
そうして俺は、その経緯をみぞれに説明した。
あれは俺が王見と知り合ってまだ半年ほど。
王見は俺の描く漫画に興味を抱いたようで、その頃には俺たちは何かとよく一緒にいるようになっていた。
「ええっ!?もう彼女と別れたのかっ!?」
シェイク片手に大声をあげた俺は、店内中の視線を集めた事に気付いて今更ながらに声を潜めた。
「だってまだ三ヶ月も経ってないだろ?告白されて付き合い出してからさ」
「二ヶ月半ですね。ああ、ここの話の流れですが、教室のシーンを先に持ってきた方が自然になると思いますよ」
「お、そっか。じゃ、こっちと入れ替えて繋ぎの部分の台詞を変えて…って、違ーよッ!今はお前の話してんだろっ!?」
またもや声を荒げてしまった俺。
そんな俺に対し、当の本人である王見は俺の漫画を評しながら淡々とポテトを摘んでいた。
店内には俺たちの他にも時間を持て余した学生たちが多くいて、ハンバーガーにかぶりついては談笑している。
窓ガラスから差し込む日差しはまだ夏の面影を残して熱を孕み、それでも幾分長めになり始めた影にはもう秋の色が混ざっていた。
「続くかどうかは相性の問題でしょう?時間は関係ないと思いますが」
「えー、だって体の相性はバッチリだったって…」
言いかけて慌てて口を押さえたがもう遅い。
俺の漫画が描かれたノートから顔を上げた王見が横目で俺を睨んできた。
暫し無言でやり過ごせないかと様子を窺っていたが、無理そうなので観念して口を割る。
「お前の彼女…じゃなくて元カノ?…が教えてくれたんだよ、俺に」
それまでも王見とどこにデートに行ったとか、いつキスしたとか。何故か逐一俺に報告にくる、隣のクラスのちょっと変わった女の子だった。
見た目は学年でも飛び抜けて可愛い子で、性格も成績も悪くない子だったが、その謎の行動だけが俺の感覚とは合わなくて。
でも王見も変わったヤツだからそれで丁度いい感じに収まっているのだろうと、俺は一人でそう解釈していた。
「別に俺が教えろって頼んだわけじゃねーぞ。念のため」
「わかってますよ。あなたがそんなことを知りたがるとは最初から思っていません」
怒った風に言って王見がシェイクを啜る。
そりゃ気まずいわな、普通。ダチに彼女とのあれこれを知られてたとなれば。しかも自分で教えたわけでもないのに。
「あんな人間に夏休みの一部を費やした俺が馬鹿でした。その分の時間を勉強に充てればもっと有意義に過ごせたでしょうに」
「勉強すんの好きだな、お前。やりたい仕事でもあんの?」
「特にはありませんが、勉強しておいて損はないでしょう。勉強は将来を有利にするための手段の一つです」
「親や教師みたいなこと言うなよ」
ふん、と鼻を鳴らして、王見はノートに視線を戻した。
勉強以外に時間を使うのは無駄みたいに言うくせに、俺の漫画の相談にはこうしてしょっちゅう付き合ってくれる。
時には作画の資料探しとか話のネタ探しとか言って、王見の方から自発的に俺を誘ってくれることさえある。
むしろ最近は王見から声をかけられることのが多いくらいだ。
もしかしてこいつ、自分が漫画を相当好きになってるって自覚してないのかな?
「俺とよくここで夕方まで漫画の話してんのは、お前の言う無駄には含まれないのか?」
「…。さぁ、どうでしょう」
「さぁって、ちょっとは無駄かなって思ってるって意味かよ?」
王見の顔を覗き込んで訊く俺に王見は曖昧に返事をする。
断言しないってことは、少なくとも毎回嫌々俺に付き合ってるってことはなさそうだけど。
「俺自身がつまらなくなければ時間を割くのも吝かではないということです」
謎かけみたいな答えを返された。
相変わらず、よく分からないヤツだ。
俺はテーブルに頬杖をつき、シェイクのストローを咥えたままじっと王見のことを眺めてみた。
いつも飄々として感情をあまり見せない王見だけども、こうしてノートに視線を滑らせる王見の表情は真剣そのもので、その瞳に灯る真摯な熱はとても誤魔化しようがない。
やっぱ、漫画好きだよな。こいつ。
それならそれで、俺と一緒に漫画家目指そうぜ、と誘ってみるのも一つの手なのだろうが、それには重要な問題というか、越えられそうもない高い壁があって。
あー、なんでこいつの絵はああも壊滅的に下手くそなんだろう。
美術の授業で王見が創造するタコのような宇宙生物を脳内に思い描き、俺はため息を零した。
「どうかしましたか?」
王見が反応して顔を上げる。
ビジネスマン的なかっちりしたスーツが映えそうな、眼鏡の似合う瞳が俺を映した。
刹那、俺の脳内で王見の職業が決定する。
思い立った俺は、真顔で王見に詰め寄った。
「お前、次に誰かと付き合う予定とかもう決まってんのか?」
「は?」
身を乗り出した俺に少し驚いて、怪訝に眉を寄せる王見。
俺の勢いに気圧されたのか後ろに上体を逸らそうとした王見を制し、俺は王見の腕を掴んでこちらにぐいっと引き寄せた。
「付き合うのか?他のヤツと」
「なんですか、いきなり」
「いいから答えろって。他にいるのか?付き合いたい相手とか」
全ての女の子がそうとは限らないのだろうが、とかく王見の元カノは独占欲の強い子だった。
俺が夏休み中に一度だけ、描き上げた漫画を見てもらおうと王見に連絡を取った時には、後日、その子に呼び出されて猛烈に怒られたことを今でも鮮明に記憶している。
あれでは流石にこちらも遠慮せざるを得ないというものだ。女の子って可愛くて怖いものだと、俺はその時に身に沁みた。
「いませんよ。他に、は…」
言いにくそうに答えた王見が歯がゆげに奥歯を噛む。
王見の返答を聞いて、俺はますます強気に王見の腕を引っ張った。言質は取った。これで誰にも遠慮は必要ない。となれば。
「じゃ、いいよな。俺が貰っても」
「…え?」
いつしか互いの前髪が触れ合うほどの距離まで顔を近づけていた俺は、王見の目を覗き込んでそう言葉を紡いだ。
「お前の空いてる時間全部、俺に寄越せ。お前を俺の、最高のパートナーにしてやる」
有無を言わせぬよう王見の視線を絡め取り、告げる。
見開かれた王見の瞳の中にいる、鬼気迫る表情の俺。
逃してなるものか。俺はお前を、お前をここで口説き落としてやる。必ず。少女漫画界の輝かしい未来のためにも。
「なっ…何、を言って…?」
あまり動揺を見せない王見が混乱した声音で俺の腕を振りほどこうとして。
俺はそれを力任せにねじ伏せ、もう一度、真剣な声に全ての気持ちを乗せて伝えた。
「いいから付き合えよ。お前を一生退屈させないって誓うから。絶対に」
だから俺と、漫画の星を目指そうぜ。という期待を瞳に込め、最上の笑顔を王見に捧げる俺。
かくして俺は、王見の未来予想図に少女漫画の編集になるという予定を強引にねじ込んだのであった。
「なんだか物凄く不憫になってきたわ。王見さんが」
「なんでっ!?」
特大のため息を落として視線を伏せるみぞれに、俺は心の底からの疑問符を叫んだ。
アイスティーが残り僅かとなったグラスの中で、氷がカラン、と溶けて崩れる。
みぞれはもう一度短くため息を吐いてから、俺に訊ねた。
「それでそらちゃんはその後、漫画編集になって欲しいってちゃんと王見さんに伝えたのかしら」
「いや?だって王見が編集の楽しさを知ってからのがいいかと思って。んで、とにかく暇があれば漫画の相談にかこつけて王見に編集させようと付き纏ってるうちに…そういや、そのこと言うのすっかり忘れたてたわ」
「そう。もう御愁傷様としか言えないわね」
呆れ混じりの笑みで呟くように言ったみぞれ。
ご愁傷様って、いやいや。俺に言われなくとも王見は自分で編集の道を選んだわけだから、結果オーライじゃね?
つまり王見には元々編集の才能があったってことだ。それを高校時代に見抜いた俺、凄い。
俺が内心で自画自賛していると、みぞれが紅茶を喉に通してからまた質問する。
「大学生の王見さんともそうやって一緒にいたの?そらちゃんは確か、専門学校だったのよね?」
「んー、俺が専門入ってすぐ彼女作ったからなぁ。彼女と付き合ってたのは一年ちょいくらいだけど、その間はずっと疎遠だった気がする。王見からもぱったり連絡来なくなったし」
顎に手を当てて記憶を辿る。
彼女出来たって報告した直後くらいから、王見に電話しても忙しいってすぐ切られるようになったんだっけ。
ま、こっちは比較的自由の利く専門学校だったけど王見は四年制大学だったしな。そりゃ、忙しさの次元が違ってもおかしくはない。
「そういや別れ話の時に相手の口から王見の名前が出てきてさ。よくわからないうちに俺フラれたんだけど」
「私にはなんとなく想像できたわ。その展開」
「うん?ま、いいや。それで彼女と別れてすぐくらいかな。また王見から電話とか来るようになって一緒につるむようになったって感じで」
そして今、こんな状態になっている。と。
「あー、十年一緒にいてもあいつの言動が今ひとつ理解できねぇ、俺」
言葉一つで告白だと勘違いさせられたり、いきなりキレられて連日プチ修羅場の仕事漬けにさせられたり。
俺の十年は王見に振り回されっぱなしだ。そしてそれはこれからも続くんだろうという確固たる予感で胸がはち切れそうだぜ。ちくしょー。
「高2の秋からというと、王見さんも一年半近く勘違いしていたってことよね。そらちゃんといい勝負だわ」
「勝負、って今の修羅場のことか?」
残り少ないアイスティーを懸命に吸い上げていた俺は、みぞれの言葉の最後だけを聞き取ってそう返した。
みぞれは哀れみとも呆れともつかない雰囲気を滲ませて俺を見ている。
みぞれに合わせて少しの間視線を返してみたが、みぞれが何もいう気がなさそうだったので俺はまたストローで氷を突いた。
「そらちゃんの誘ってるとしか思えないような発言にも、王見さんが理性を欠いて飛びついて来ない原因ってそこにあったのね」
しみじみ言ったみぞれの言葉は俺の耳を素通りしていく。
何故ならその直後、ポケットに突っ込んでいたスマホが俺に恐怖の到来を告げたからだ。
「やっべ、王見からだっ!」
俺は取り出したスマホの着信画面を確認してあからさまに動揺する。
また昼間から出歩いているのがバレたら課題が追加されてしまう。ここはなんとかして誤魔化さないと。
そうは思うのに、俺の指は通話ボタンに動かなくて。
「そらちゃん?出ないの?」
みぞれが促してくれるけれど、それでも俺はまだ躊躇っていた。
今、何コール目だ?もう取ってもおかしくないくらい時間が経ったのか?第一声は何て言うのがダチっぽい?
考えているうちに、留守番電話のアナウンスが流れ始める。
ピーっという電子音が鳴り響いて、電話口から王見の声が零れてきた。
「そら。何処にいるんですか?今日は資料作成だけなので早ければ四時過ぎには上がれると昨日伝えて」
ぎゃーっ、王見の声だーッ!って、当然だろ!王見からの着信なんだからっ!落ち着け、俺っ!
内心で叫んでる時点で落ち着けるはずなどなかった。
俺の手からスマホが滑り、慌てて掴もうとしたけど通話ボタンに指が触れただけでそのままテーブルに落下して。
「そ、そらちゃん、大丈夫?」
「ーッ…」
バランスを崩しそうになった俺は咄嗟に片足を振り上げて、テーブル裏に思いっきり膝を打ち付けて蹲った。
痛くて目尻に涙が滲む。
今の状況が全て頭から飛んだ。テーブルの上で沈黙したスマホのことも、一瞬、完全に失念していた。
「もしや…雨英先生、ですか?」
電話口から響いた王見の声に俺の体がビクッと竦む。
それは思わず膝の痛みも忘れるほどの、低く、抑揚のない口調だった。
「…」
「…」
「…」
居た堪れないような沈黙。
俺は涙目でみぞれに懇願した。
頼む、頼む、と口パクで何度も繰り返した。
みぞれは勿論渋ったが、最後には根負けしたのか情けをかけてくれたのか。仕方ないわね、という顔で苦笑して電話に出てくれた。
「王見さん。雨英です」
「…」
「今、そらちゃんはちょっと諸事情で電話に出られないので、私が代わりに」
静かな店内にみぞれの穏やかな声だけが木霊する。
その声を遮ったのは、電話口の、王見の冷ややかなのに怒気を孕んだ重い声だった。
「何処ですか?」
「え?」
「そこにそらもいるんですね。何処です?いつもの喫茶店ですか?」
「え、ええ。そうですけれど」
「わかりました」
ぷつり。
短い会話は向こうから一方的に切られて終了した。
漏れ聞こえてくる王見の淡々とした声音を聞いていた俺は、その時点で既に顔面蒼白になっていた。




