37 ロングロング・スリーパー
眠いなあ、超眠い。今ここで、3.2.1zzz できる自信がある。が、僕は黙々と体をいじめている。
ハムストリングの次は腹筋と背筋だ。眠くて眠くて目を開けてはいられないので、閉じたまま、体の筋肉を感じながら黙々とトレーニング。
筋トレが必要なわけではない。が、極端なロングスリーパーとしては体が衰えるばかり。そして寝てばかりだと正直腰にくる。将来マジで寝たきりになった時、人に迷惑はかけられないからね。
ただ眠ってるだけの、自分のことは自分でできるじいさんでありたいのだ。
「ねえ。まだねむい?」
「ねむそうに見えますか」
「ハイジみたいになってる」
どうやらフランクフルトのゼーゼマン家でノイローゼになったハイジが夢遊病になったときのことを言いたいらしい。
「もしくは自動運転のアンドロイド」
「ちゃんと動いているつもりですけれど」
「だからハイジなのよ。ハイジ、寝ながらちゃんと階段おりてたわよ、動けはするのよ……まあいいわ。足を持ってあげる。のびのび腹筋なさいな」
彼女が筋肉マッチョが好きでないのは知っている。ぼくも極端な筋肉質は好きではないし、脂肪がないといざというとき生き延びられない。だから筋トレはほどほどにしているつもりだ。山や海で遭難した時は、脂肪が少ないとエネルギーがすぐに枯渇するので。
「出かけたいんじゃないんですか」
僕は腹筋をしながら彼女に話しかけた。
「そうね、せっかく休みが合ったのだもの、それもいいわね。でもあなた、眠いんでしょう?」
「一人で行ってくれて構わないんですよ」
「わたしはあなたがいるところにお出かけしたいの。だから」
彼女は僕と並んで寝転んだ。
「わたしのお出かけ先は、ここ」
彼女の筋力もなかなかのもので、膝をのばしたまま(!)軽く腹筋をこなす。
膝や首に全く負担をかけることなく、腹筋だけで起き上がるのだ。かつ、歌っている。
これは……ディズニークラシックの有名な歌だ。
「君、腹筋だけはすごいよね」
「まあ失礼な。そりゃあ、高校生のときの走り幅跳びの記録は2メートルをこえませんでしたけど! それはあくまでも踏切線にそって飛べなかっただけで」
「普通、踏切戦で飛びますよ」
「うるさいです。わたしは料理もできます。卵を割ったら流血するあなたとは違います」
やり返された。
ロングスリーパーは欝の一種にあたる場合があるらしい。
他、ネットで調べる限り、限りなく僕は欝にあてはまる。
医者はけしてその言葉を使わないが、投薬されているものを調べればわかる。
原因もわかっている。
が、その原因は取り除けないもので。どうしても取り除くことはできなくて。
その全てを彼女は受け入れてくれている。
いつの間にか2人横になったままで眠っていた。
まるで幼稚園児のお昼寝の時間のように。
彼女はこのままでいいと思っているんだろうか。
ふと不安になることがある。
僕は仕事に就いているし、そこそこの給料を得ている。
彼女もなかなかのキャリアウーマンだ。
いつか結婚の話題もでるだろう。子供の話もしたいだろう。
「あなたは眠り姫なの。その間、わたしは王子様になっていわ。だかららゆっくり眠っていていいのよ。
あなたがいるだけで、わたしは幸せなんだから」
それもいつまで続くことやら。
申し訳無さでいっぱいになる。
意識が眠りの底から表層に浮かんできたとき、変な声がした。
「うわあー!!」
寝ぼけながら僕は「何?」とたずねる。
「もうこんな時間! あなたといると時がたつのを忘れちゃう。ごはん! ごはんつくらなきゃ!って冷蔵庫からっぽ!」
「調味料くらいあるんじゃないですか」
「調味料が晩御飯なんていやよ」
もっともです。
「ちょっと買い物にいってくるから、あなたは床じゃなくてベッドに移動していてちょうだい。いいわね?」
そう言い残すと彼女は部屋を飛び出して行った。
愛しい彼女は今日も元気だ。
☆
あの人はロングスリーパー。
まるでこの世から逃げ出したい一心で眠っている。憂き世の全てを忘れたいかのように。
彼の生きてきた道を知れば、それも無理はないと思う。わたしだってきっとそうなる。
あの人は何も悪くない。まわりが悪意に満ちていただけ。自覚のない悪意に満ちた人に囲まれていれば、だれだって逃げ出したくなるわ。
今はわたしと一緒だからこれで済んでいるんだろうと思う。
わたしが彼らと引き離したから。でも肉親であることを理由に、高給取りの彼を目当てに、いつまたあらわれることか知れない。
愛しいあの人をわたしは守ってみせる。
まだ彼は不安から抜け出せずにいる。けれど、いつかわたしがあの人の安らぎになってみせるわ。
わたしは強いから。弱いけど強いから。
どんな悪役になっても彼を守る。わたしたちには、幸せになる権利があるはずなんだから。
決してその権利は離さない。彼の手を離さない。
スーパーで山ほどのお買い物をして家路を急ぐ。
あのマンションはわたしの名義で買ってある。彼らに気付かれないためにそうした。
だってあの人が眠っている間は王子様なんだから。お城で待っているお姫様のために王子は命を賭けるのよ。逆があってもいいじゃない。
前向きに生きることを教えてくれたあの人のために。
あふれんばかりの愛を注いでくれるあの人のために。
そのためならば、わたしはどんな役にもなれるから。
なんてったって
「原始、女性は太陽であった」
だもの。
ずっとあなたの太陽であることができますように。
曇の日も雨の日もあるかもしれないし、ケンカだってたくさんするかもしれない。けれど、わたしがどんなにあなたのことが好きか。思い知らせてやるわ。
覚悟しておいてよ。
腕に食い込む重いエコバック二つをかかえてマンションへ向かう。コンシェルジュと目が合ったので、扉をあけてもらうことにした。
さてと、晩御飯の用意ですよ。それまでは憂き世をわすれて眠っていて。
やさしいキスで起こしてあげるその時まで。
おやすみなさい。良い夢を。
そして、また明日。




