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オオカミ少年異譚

 むかしむかしのその昔。


 ドドイツ国は大河テンメートルのほとり、モールラックの村のこと。

 裏のお山のその裏に、羊飼いの少年と彼のお祖父さんとが暮らしていました。


 このお祖父さん、どこにでもいるお爺さんでした。

 たったひとつの自慢を除いて。

 なんと、生まれてこの方、たった一度もうそをついたことがないのです。

 本人もひとつ語りのように自慢しますし、村の皆も認めています。

 「ソニー爺さんが嘘をつくなんて、お天道さまが西から昇るよりありえないさ。」

 でも村人のみんなは、その口で続けてこう言うのです。

 「それなのに、孫のトニーは、どうしていつも嘘ばかりつくんだろう。」って。


 今日も、裏のお山から、トニーが駆け下ってきます。

 「オオカミだお!オオカミが出たんだお!」

 

 村の皆は取り合いません。

 なぜって?

 トニーの親友、村長の息子アンドリューが種明かしをしてしまったからです。

 「トニーが嘘をつく時は、語尾に『お』がつくんですよ」ってね!


 それでも、村の若いお父さんたちはこう言います。

 「バレバレで無害だと言っても、嘘をつくのは良くないと思うぞ。今のうちにやめさせないと」って。

 村のおかみさんたちはこう言います。

 「トニーは寂しいんですよ。大人に構ってもらいたいだけよ。目くじら立てることはないわよ」って。

 この話題になると、いつもケンカです。 

 

 

 トニーとソニーが住んでいるのは、裏のお山のその裏です。

 アンドリューが住んでいるのは、山のふもと。テンメートル川から離れた、村の高台。

 

 それでどうして二人が友達になったかって?


 裏のお山に、聖十字教の神父さまがやってきたからです。

 アンドリューは神父さまのところに、お勉強に通っています。

 こんな村を出て、大きな街の学校に通いたかったから。

 トニーは神父さんのところに、遊びに来ています。

 羊飼いの仕事を、さぼりたかったから。

 二人はそこで知り合いました。


 この神父さま、「とてもとてもえらい人」なんだそうです。

 そんなえらいひとが、どうしてこんな田舎の村に来たかって?

 「モールラックの村には、主の教えが届いていないと伺いました。皆さんには、ぜひ主の教えの素晴らしさを聞いていただきたいのです。」

 そういう理由だそうです。

  

 神父さまは、うそつきトニーを叱ることはしませんでした。

 トニーのうそは、かわいい悪戯に過ぎなかったから。それで何か利益をむさぼろうとか、そういううそではなかったからです。


 それに、トニーは、一番最初に神父さまの話を聞きに来てくれたんです。

 一番たくさん話を聞きに来てくれて、一番熱心に話を聞いてくれるんです。

 悪い子のはずがありません。


 トニーはなんで神父さまのところに遊びに来るのでしょう?

 おかみさんたちは、こんなことを言っていました。

 「神父さま、たくましいじゃないか。お父さんの面影を重ねてるんだよ、きっと。」 

 お父さん達は、こんなことを言います。

 「おい、神父さまがたくましいとか、お前、どういう目で見てるんだ」って。

 それで、またケンカです。


 神父さまの体がたくましいのには、理由があります。

 裏のお山に来てからというもの、自分で開墾して菜園を作ったからです。

 「清貧は主の教えです。」

 神父さまの口癖でした。


 それだけではありません。

 若い頃の神父さまはそれはそれは信心深い方でした(今だって変わりません!)。


 オフランス国の南のほうに、ルーズヘッドという港町がありました。

 その街では、なんとおそろしいことに、異端派がはびこっていたのです!

 

 「異端派って何か」って?

 わたしもよく知りません。

 神父さまによると、「許してはいけない人たちなのです」ということです。


 若い頃の神父さまは、ルーズヘッドに赴きました。

 上司に連れられ、後輩を連れて。

 神父さまらしく、棍棒(メイス)を担いで。剣なんて野蛮なものは持ってはいけないのです。


 上司の司教さまも、「許してはいけません」とおっしゃいました。

 後輩は尋ねました。「司教さま、神の教えを信ずる人と、おぞましき異端派と、どう区別すれば良いのですか?」って。

 司教さまは言いました。「区別する必要はありません。なぜなら、おぞましき異端派は、土に帰るからです。良き聖十字教徒は、天に迎えられるからです。ああ、なんと幸いなことでしょう」って。

 

 神父さまはため息をつきました。

 目をかけていた後輩が、そんなことも分からないなんて思ってもみなかったからです。


 信心深い神父さまは、深い信仰心の赴くままに、棍棒(メイス)を振るいました。

 ああ幸いなるかな!

 異端派は滅びました。

 主の教えの前にあっては、悪は必ず滅びるものなのです。


 神父さまの後輩は、この事件以来、少し変わりました。固い決意が目に表れるようになりました。

 神父さまは、変わりませんでした。固い信仰心の赴くまま、あちこちで布教活動をして……。

 そうして、モールラックの村にやってきたのです。

 そうして、トニーとアンドリューに出会ったのです。

 


 

 ある日のこと。

 羊を追っていたうそつきトニーの前に、光り輝く天使さまが降りてきました。

 「トニーよ、村人に伝えなさい。大河テンメートルがあふれます。洪水がやって来ます。今すぐ山に逃げるよう、伝えるのです。」

 三度伝えると、天使さまは、再び高い高い空へと帰っていきました。


 腰を抜かしたトニーの前に、ソニー爺さんが駆け寄りました。

 「と、トニー。い、今のは天使さまだな!?何を、何をおっしゃったのだ?」

 

 「大河テンメートルがあふれるって。洪水が来るって。今すぐ山に逃げるよう、村人に伝えろって。」

 トニーはやっと正気に帰り、立ち上がって駆け出しました。

 「村の皆に伝えないと!」  


 「待てトニー、ワシも行くぞ!」

 ソニー爺さんも、必死で走り出しました。


 トニーはお山の教会に駆け込みました。

 「神父さま!大河テンメートルが洪水を起こします!今すぐ村人を山に逃がさないと!」

 

 「どうしたのですか?トニー。そんなに慌てて。」

 いつものように、神父さまが優しく尋ねました。


 「天使さまのお告げがあったんです!」

 そのひと言に、神父さまが、これまで見せたことのないような恐ろしい顔になり。

 鍛えられた二の腕が、年を経た樫の根のように盛り上がりました。


 「天使の存在を騙るか!異端者が!どこで吹き込まれた!うそをつくにせよ、事欠いて!」

 トニーの喉首をぐいぐいと締め上げます。


 「神父さま、お待ちください!」

 ちょうど勉強に来ていたアンドリューが、神父さまの腕に、必死にすがりつきました。

 「トニーは、ウソを言ってはいません!語尾に『お』がついていません!」


 ちょうどソニー爺さんも駆け込んできました。

 締め上げられて真っ赤になっている孫の顔を見て、思わず叫びました。

 「神父さま!トニーの見間違いです!王さまのところから来た騎士さまが、あんまり美しかったから、天使さまと見間違えたのです!『大河の向こうから、敵が洪水のようにやってくる』というお言葉を聞き違えたのです!」


 生涯一度もウソをついたことがないソニー爺さんのひと言に、神父さまも冷静さを取り戻しました。

 「良いですかトニー。見間違えても、そのようなことを口にしてはいけませんよ。後でもう一度しっかり、聖典のお勉強をしましょう。」

 神父さまが、トニーの頭を優しくなでました。

 でも、謝ることはしませんでした。当然です。教えを枉げることは、許されないのですから。


 「村の皆に伝えなくては!」

 さすが村長の息子、アンドリューは冷静でした。

 「神父さま、ソニーさん。お二人の言葉なら皆も信用します。急いで伝えに行きましょう!」


 さあそれからが大変です。

 最初は信じてくれない人もいました。

 それでも、村長の息子と、息子に言われた村長と、神父さまと、正直者のソニー爺さんが言う事です。

 最後にはみんな信じて、山の上の教会に集まりました。


 その晩のこと。

 嵐がやって来ました。

 この世の終わりかと思えるほどのすさまじさ。

 石づくりの教会も、ガタガタと揺れています。

 村のみんなは、震えながら一晩を過ごし……。

 夜が明けると、一斉に教会を飛び出しました。


 モールラックの村が、ほとんど消えていました。

 濁流に呑まれています。

 大河テンメートルが大増水したのです。

 

 嘆き騒ぐ人々。

 「ああ、なぜこのような!主よ!私の何がいけなかったのですか!」

 誰かの声が、高く響きました。

 

 すると。

 その声に応ずるかのように。

 天の一角から、光が差し込みました。

 

 光に目を凝らすと。

 何かの姿が浮かび上がりました。

 こちらに近づいてきます。


 「天使さまだ!」 

 「天使さまだぞ!」


 みな、震えおののいて平伏します。

 

 天使さまは、うそつきトニーの前に舞い降りました。

 「トニー、よくぞ成し遂げました。主もお喜びです。」

 

 それだけを伝えて、天使さまは再び高い高い空へと帰っていきました。


 さあ大変です。


 うそつきトニーは、村の皆に平伏されてしまいました。

 初めての事態に、パニックになっています。


 そんなことをしていても仕方ありません。村をどうするか、考えなくては。

 アンドリューは、頼りになる神父さまに縋ろうと思いました。


 「私の信仰は、浅かった……。」

 神父さまは、茫然自失しています。

 「主のみ言葉を、天使の存在を疑うとは。その託宣を信じることができなかったとは……。」


 ここでトニーに媚を売ったりしないあたり、立派な人だと、アンドリューは思いました。

 状況がどうあろうと、いつだって信仰のことを考えているのです。本当に立派な人です。

 でも、今の状況を考えて欲しいな。

 そう、アンドリューは思いました。


 「よし、まずは私の屋敷に戻るぞ。当座のことは、どうにかできる。」

 強い声を挙げたのは、お父さん、村長でした。

 頭のてっぺんはいつも以上に光り輝き、湯気まで放っています。

 「お、アンドリュー。お前は呆けてないな。」

 ベシッと背中を叩かれました。


 父さんはいつも乱暴で。おなかも出っ張ってて、あぶらぎっていて。

 かっこ悪いおとなだと思っていました。


 「アンドリュー。地下の倉庫に、蓄えがあるんだ。覚えておけ。こういう時のために、少しずつでも積みたてておくんだぞ。」

 いつもいつもお金のことばかり口にして、こそこそしていたのは、このためでした。

 

 「さて、当座はいいとして、どうするかね。」

 下の村を二人で眺めます。ふつふつと、よく分からない思いが、アンドリューの胸に沸き起こりました。

 「天使さまが来たんだよ?奇跡の村として売り出そう!」

 「さえてるな、アンドリュー。勉強させた甲斐があった。もっと勉強するか?」

 「父さん、街には行かない。この村を立て直そう。」

 もう一度、ベシッと背中を叩かれました。



 いろいろありましたが、天使さまが舞い降りた奇跡の村です。

 「めでたしめでたし」になるのは、間違いないところでした。

 そうなるようにしなければ。聖十字教の面目にかかわります。


 

 この辺一帯、ドドイツ国西部を担当する司教さまは、神父さまの後輩でした。

 若き日の固い決意の赴くまま、出世街道を驀進していたのです。


 そのコネと、神父さまへの信頼もあって、この村は聖地として認定されました。



 うそつきトニーは、聖人扱いです。


 あちこちに引っ張り出され、綺麗な服を着せられて、美味しいものをいただいて。

 トニーは、うそを口にすることがなくなりました。   

 代わりに、うそを体全体に貼り付けるようになりました。

 もともとうそつきですから、お茶の子さいさい!

 でも、そんなことは誰にも知られていません。


 皆が知っているのは、臨終の枕元に、古びた聖典が置かれていたこと。

 神父さまにもらった聖典でした。ずっとだいじに、肌身離さず持っていたのです。


  

 トニーのお祖父さん、正直者のソニーも、話題の人となりました。

 

 でも、ソニー爺さんは、不機嫌でした。

 村人を救うため、孫を救うために口にした、たった一つのウソ。

 そのたった一つのウソをついたことが、正直者のソニー爺さんを苦しめ続けたのです。

 

 教会で、後任の司祭さまに、このことを告解したこともあります。

 当然のように、許されました。

 

 許されてからのソニー爺さんは、かえってむしろ、元気がなくなり。

 苦しみの中、天に召されました。

 

 「罪無き人など、この世には存在しませんが、限りなくそれに近い人でした。」

 司祭さまの弔辞に、村人全員が頷きました。

 


 神父さまは、後輩だった司教さまと久しぶりに話をしました。


 「先輩……。あえて先輩と呼ばせてください。村人の、あなたへの信頼が村を救ったのです。先輩ほど固い信仰に生きる人を、私は知りません。どうかとどまって、この村を訪れる人々に、信仰を説いてはいただけませんか?」

 海千山千の司教さまが、十代の頃の顔を見せました。


 神父さまも、二十歳の若々しさを取り戻しているかのようでした。

 「司教さま、私の信仰は、まだまだ不足しておりました。人に教えを説く資格はありません。はじまりの聖地へと巡礼し、荒野にて修行をし直してまいります。」

 「しかし、先輩。はじまりの聖地は、いまや異教徒達の支配下に……。」

 「ありがとうございます、司祭さま。私は決断したのです。」

 

 メイスを肩に担ぎ、神父さまは旅に出ました。

 その行方は杳として知れません。



 父のように、司教さまのように、強く生きようとしていたアンドリューですが。

 神父さまの背中を見送っているうちに、どうしても我慢できなくなりました。


 「司教さま。どうしても、お話しせずにはいられないことがあります。」 

 「何でしょう。」

 若い頃の自分と全く同じ決意を固めた少年に、司教さまが優しい笑顔を見せました。

 

 「あの時。私は、トニーと向かい合う側に立っていました。天使さまが降りて来たとき、私が目にしたのは天使さまの後ろ姿です。」

 「ええ。それで?」

 この少年は何を言い出すつもりだろう、司教さまは少し不安になりました。


 「平伏したときには、衣の裾が目に入っていましたが……そこから、しっぽのようなものが見えたような気がしたのです。」

 司教さまの顔が強張りました。

 でも、アンドリューは、口にせずにはいられません。

 「そのしっぽの先は黒く、トランプのスペードのような形をしていて……。」


 「アンドリュー!」

 司教さまが厳しい声を発しました。

 はっと気がついたアンドリュー。

 「いえ、あまりのまばゆさに、何かの影が見えたのだと思います。」


 「その通りです、アンドリュー。あなたは若いが、賢い。」

 「もったいないお言葉です。この村は街となります。天使さまの降りたところに、大きな教会を建てなければ。そのために、私は励みます。」

 「その信仰を、主も嘉してくださることでしょう。」



 いまも、モールラックの街には、聖人トニーの銅像と、大きな大きな教会が残っています。


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[良い点] 予測できない展開が読み手の注意を物語に強く惹きつけている感じがしました。 [一言] 一番最後の、天使さまが先がスペード型で黒い尻尾の悪魔だったとは思いませんでした。 嘘と真が入り交じり、…
[良い点] それぞれの人物の信念が描かれたコミカルなお話だったと思います。 [一言] 初めまして。 異教徒に暴力を振るう神父の信念、嘘を絶対につきたくないおじいさんソニーの信念、等々。 信念も行き…
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