出生
四、出生
重苦しい空気が二人を包んだ。話をしたいけど、話せない。何をどう話していいのかわからない。そんなもどかしい時間が、刻一刻と流れていった。すると、恵が重い口を開いた。
「ねえ、どうする?」
恵は、真向かいに座る一郎に問いかけた。しかし、一郎は無言のまま俯いていた。
恵が続けた。
「私はね、やっぱりこの子を産みたいわ。あなたの子供だもの」
「しかし、今のままじゃ子供を育ててはいけないだろ?」
一郎は俯いたまま、独り言のように呟いた。
恵は一郎の方へと身を乗り出して言った。
「何とかなるわよ、きっと。私、今まで以上に働くし」
「そんなことしたら、君が体を壊してしまう」
一郎が恵を見て言った。そしてまた、二人の間に沈黙の時間が流れた。
一郎はわかっていた。子供を育てるには、自分が働くしかないということを。しかしそれは、小説家になる夢を諦めることを意味していた。
恐らくは、恵も一郎の葛藤をわかっているのだろう。わかった上で子供を産みたいと言っているのだ。
恵が不意に言った。
「あなたは今まで通り、小説家を目指して。子供は私が何とかするから」
「何とかするって言っても…」
一郎が声にならない声で呟く。
恵ははっきりした口調で言った。
「大丈夫。何とかなるわよ」
話しはそれで終わりとなった。恵はスクッと立ち上がると、「夕飯作るわね」と言って、台所の方へと消えて行った。
一人になった一郎はまだ悩んでいた。本当に子どもを育てて行けるのだろうか?不安でたまらなかった。
それから、二人にとって産む/産まないの話はタブーとなった。恵が産むと言っている以上、一郎にはどうしようもないことでもあった。一郎は、お腹が段々と大きくなっていく恵を、ただ見ていることしか出来なかった。それでも一郎はまだ悩んでいた。
お腹が目立つようになっても、恵は仕事を休まなかった。それどころか、今まで以上に懸命に働いた。少しでもお金を貯めておくためだ。一郎は、そんな恵に何もできない自分に対し、自責の念に駆られていた。
出産は突然にやって来た。予定日の二十日も前のことである。出産ギリギリまで仕事をすると言ってきかない恵は、その日もいつものように仕事に出掛けた。さわやかな秋晴れの日だった。すると突然、恵はお腹に激しい痛みを感じた。職場で陣痛が始まってしまったのだ。救急車で病院へ運ばれた恵は、お腹の痛みに只々耐えていた。すぐに緊急手術が始まった。
一郎が病院へ駆けつけたのは、手術が始まって一時間ほど経った頃だった。一郎は、手術室の前で恵と生まれてくる子供の無事を願っていた。
そして手術が始まって三時間後、赤ん坊の泣き声が手術室から聞こえてきた。しかし、手術室のドアは一向に開かなかった。一郎はとてつもない不安感に襲われた。