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決断

十、決断

 一郎は迷った。どこから話せばいいのか。勝はどこまで知っているのか。昨日の電話で、粗方のことを勝はもう知っている、と聞かされていたが、一郎の心の内までは知らないだろう。それに、その背景の説明も必要なはずだ。


 迷った挙句、一郎は勝が産まれてから今日までの事を詳細に話すことにした。


「少し長くなるかもしれないけど、話しを聞いてくれるかい?」

 一郎が尋ねる。


 「うん」

 はっきりした返事で勝が答えた。


「初めに言っておくが、お前の本当の父親は俺なんだ。驚いているだろうが、話を最後まで聞いてほしい」

 一郎が勝の目を見つめながら話す。勝も目を反らさずに小さく頷いた。話を聞く決心は出来ていた。


 初めて一郎伯父さんの口から、本当の父親は俺だ、ということを聞いて、勝は一段と確信めいたものを感じた。目の前にいる伯父さんは、今はまだ伯父さんだが、そのうちにお父さんと呼ぶ日が来るかもしれない、そんなことを勝は考えていた。


 一郎が話を始めた。

「あれは、勝が生まれてすぐのことだ…」


 あの日、赤ん坊は元気に産まれたが、妻の恵の容態が思わしくないことを聞き、一郎は不安に駆られていた。。医師の話では今日明日が峠らしい。一郎は恵の回復を心から祈った。


 そんな時、一郎の心の支えは産まれたばかりの赤ん坊だった。名前は勝にすると以前から決めてあった。何事にも力強く勝ち抜いて行ってほしい。そんな願いが込められていた。


 新生児室で見る勝は、スヤスヤと眠っていた。親子三人での幸せな家庭。そんなのも悪くないな、と一郎は思った。小説家になる夢よりも、大切な宝物を手に入れた、そんな気持ちだった。


 恵の容態が急変したのは、その日の夜のことだった。一郎は急いで病院に駆け付けた。だが、一足遅く恵は帰らぬ人となっていた。二十八歳。あまりにも早すぎる死であった。取り残された一郎は、恵の亡骸の前で、只々呆然としていた。


 しかし、一郎はすぐに自分一人ではないことに気が付いた。勝がいるのだ。そして、これから自分一人の手で、勝を育てていかなければならないのだ。


 一郎の両親は既に他界していて、頼れる身内は妹夫婦だけだ。その妹夫婦も、この不況で経営している町工場の経営状態は思わしくなく、決して経済的に裕福であるとは言えない状況にあった。かく言う自分は、小説家を夢見る只のフリーター。一郎は途方に暮れた。


 恵の葬儀は。近親者だけで行う簡単な家族葬であった。それでも葬儀代になけなしの貯金はたいてしまったので、一郎は本当の無一文になってしまった。明日からどうやって暮らして行こう、勝をどうやって育てていこう、一郎の悩みは尽きなかった。


 妹夫婦からは多少の援助の申し出もあったが、一郎は丁寧に断りを入れた。一度だけならまだしも、この先ずっと援助をし続けてもらう訳にはいかなかった。一郎は、勝を両腕に抱えながら、先の見えない不安と闘っていた。


 この時、一郎が真っ先に考えていたことは、勝をちゃんと育てられるか、ということである。小説家になる夢を諦めて、どこかの会社に就職すれば、親子二人経済的にはどうにかなるであろう。しかし、乳飲み子の勝を一人にするわけにもいかないし、尚且つどうやって育てていけばいいのかもわからない。子供を預ける託児所は一杯だし、さらにその分お金がかかってしまう。


 それ以上に心配だったのは、片親だけの愛情で勝は本当に幸せになれるのか、ということだった。子供にとって母親というのは絶対無二の存在である。特に乳幼児期は尚更だ。母親の愛情を知らずに育つことで、勝の成長に悪影響を与えるのではないだろうか?一郎はそんな心配をしていた。


 一郎は悩みに悩んだ。宝物である勝を手離したくはない。しかし、母親の愛情を知って心豊かな子供に育ってもらいたい。一郎は葛藤した。


 そしてついに、一郎は苦渋の決断をした。勝を妹夫婦に養子に出すことにしたのだ。幸い、妹夫婦は子供が欲しかったが、中々恵まれずにいた。養子の提案をすれば、受け入れてくれる可能性が高い。妹夫婦は二人とも仲の良い優しい人柄だから、勝も幸せに育つに違いない。一郎はそう思った。


「最後の最後まで悩んだよ。けれどこれがお前にとってベストの選択だと思ったんだ」

 一郎が噛み締めるようにゆっくりと言葉を吐き出した。

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