第3章
第三章
1
パークシティーホテルのフロントでクラス会の会場の場所を尋ねた。
目鼻立ちのはっきりした女性のフロント係は、優しそうな目をして会場を案内してくれた。
「松本城西高校様のクラス会会場は二階の『飛鳥の間』でございます。前方のエスカレーターをご利用下さい」
竜也はフロント係に礼を言って腕時計を見た。五時十分、開始時間に十分遅刻だ。
聡美も当然来るだろう、と少し躊躇している間に電車に乗り遅れてしまったのだ。
二階の宴会フロアに着くとすぐ右手に部屋があった。
入口で、まずゆっくりと深呼吸をした。
ドアを押して部屋に入ると、大きなテーブルを囲んだ数人が一斉にこちらを向いた。
「お久しぶり~」みんなは声を揃えて歓迎してくれた。
「遅くなってすみません」テーブルのみんなを見回した。
「永島さんこっちよ~」入口に一番近い玲子がはにかみながら手を振った。
ショートカットの髪が小顔によく似合い、深緑色のワンピースが清潔感を与えている。
テーブルには上座に五席、下座に四席。合計九人の席が用意されている。
竜也が入口から奥の方にある下座の席につくと、左隣の席とその正面の席が空いていた。
「あと二人ね。でももうそろそろ始めましょうか」
玲子がうしろを向いてウェイターを促した。
長方形のテーブルの上座には、中央に当時の担任の坂井仁志が座っていた。
彼は高校三年の時の担任で、今年五十三歳になるはずだ。髪には少し白いものが目立ち始めているが、青白く飄々とした顔つきは昔とちっとも変っていない。
坂井は「確か永島君だよね。待ってたよ」と言って右手を上げた。
「ご無沙汰しています」と竜也は丁寧に頭を下げた。
「竜也、元気そうだな」竜也の正面に座っている木戸悠太が声をかけてきた。
「悠太、お前もな」竜也は高校で同じサッカー部だった悠太とは、たまに会う仲だ。相変わらず細身で真っ黒に日焼けしている。
悠太は現在、夕刊紙「東京日報」の社会部の記者をしている。
頭脳明晰な記者とはほど遠いイメージの彼は、今日もブルゾンにジーパンという出で立ちだ。そしてギャンブル好きは今も治らない。
ウェイターが次々とみんなにビールを注いでいった。
じきに全員にビールが行き亘った。すると玲子が立ち上がり開催の経緯を話したあと、乾杯の音頭を取る橘健一を紹介した。
健一は有名な国立大学を卒業して、現在は厚労省のキャリアだ。クラスの誰もが彼の近況を知っている。
色白の顔に度の強い黒ぶち眼鏡は彼のトレードマークだ。健一は黒いスーツに身を包んでいた。
彼も竜也と同じで未婚のままのようだ。
上座で一番右側に座っている健一が、少し緊張ぎみな顔をして立ち上がった。
隣の席の谷村由香里も、眼鏡をはずして背の高い健一を見上げた。
健一は挨拶の中で、この会が坂井の歓迎会であることを強調した。
そして形通りに坂井の業績を称え、最後に全員でお祝いの乾杯をした。
挨拶の内容によると、坂井は今年の十月に松本城西高校から都内の姉妹校である中野城西高校に、教頭として転勤になったということだった。
乾杯のあと、やっとみんなの緊張が解けたのか、会話が始まり場がいくぶん和んだ。
みんな隣同士で近況を話し合っている。
「あと二人、来てないのは誰だ?」
竜也と玲子の間に座っている川瀬良二が幹事の玲子に訊いた。
良二は新宿の山手医科大病院で産婦人科医をしている。
「聡美と加奈子よ。少し遅れるって」
「えっ、それ誰だ?」良二は思い出せない様子で首を傾げた。
「川名聡美と池上加奈子。加奈子は旧姓中山よ。知らない訳ないでしょう。だってこの間、彼女と・・・・・」
良二は咄嗟に目配せした。
「ちょっと待ってくれよ」良二は天井を仰いで記憶を辿るふりをしている。
「あぁ、そうだ。クラス会の件で打ち合わせしたんだった」
良二は、悠太を気にしながらいくぶん硬い笑いで答えた。
「参加者名簿くらい送ってくれれば良かったのに」
正面の悠太も思い出すのに苦労をしているようだ。
「わざと作らなかったのよ。だってその方が、誰が来るのか楽しみじゃない?」
玲子は冷ややかな笑いを作った。
竜也は聡美が来ると聞いて内心穏やかではなかった。
聡美に対する懐かしさと憎しみがこころの中で交錯した。
それと同時に、聡美の最後のメールが蘇った。
しばらく歓談が続き、五時四十分ころになって二人が現われた。
「すみません遅くなっちゃって」
二人は走ってきたのだろう、息を弾ませている。
加奈子に子どもの用事があったため、仲のいい聡美が付き合って一緒に遅れてきたらしい。
竜也はからだを少し固くした。
やっぱり来たんだ。竜也は周りに聞こえないように軽く舌打ちをした。
聡美は竜也から向かって左奥に座った。
竜也を無視して目を合わせようとしない。
このままでは会の雰囲気が気まずくなると思い、竜也はテーブル越しの聡美に軽く会釈をした。
その会釈のために、竜也はかなりの努力を要した。
聡美も顔を引きつらせて軽く頭を下げた。二人の間に重苦しい空気が流れた。
「ご無沙汰しています。竜也さん」
左隣に座った加奈子が丁寧に話しかけてきた。
「久しぶり。元気だった?」竜也はこれみよがしに言った。
「元気、元気。竜也はもう結婚したの?」加奈子はすぐに高校時代の口調に戻った。
「残念ながらまだ一人だよ。加奈子は結婚して今どこに住んでるの?」
「旦那が製薬会社に勤めてるんだけど、今大阪に単身赴任してるの。だから高一の娘と中野のマンションで二人暮しよ。気楽な生活してんのよ」
「そうか。じゃぁ近くだな。俺は西荻」
「じゃぁ、今度新宿あたりで飲みましょうよ」
たわいもない話が続いた。
聡美も隣の悠太と仲良く話をしている。竜也と目を合わせようとはしなかった。
少々お酒も入り、クラス会は徐々に盛り上がっていった。
会場の時計は六時十分を指していた。
幹事の玲子がおもむろに立ち上がった。
「ご静粛に。ではこの辺でみなさんから自己紹介。じゃなくて・・・・・近況報告をしていただきます。先生は最後ということで、まずこちら側の席の私から順に進めていきたいと思います」
竜也は聡美の前で話すと思うと、憂鬱で仕方がなかった。俯きかげんで顔を顰めた。
聡美もたぶん同じような気持ちだったに違いない。
入口に一番近い席の玲子から、時計回りで進めることになった。
そうなると、下座の席は玲子、良二、竜也、加奈子。そして上座に移り、聡美、悠太。坂井を飛ばして、由香里、健一の順番になる。
竜也は年がいもなくこころがぐずり始めた。聡美の前で近況を話すことなど、いやで仕方がなかった。
しかし、すぐに玲子が先陣を切って話し始めた。
玲子は松本で市会議員をしている弟から先生の転勤の話を聞いて、今回のクラス会を思いついたらしい。
今年離婚をして、今は二人の子どもを育てながらドラッグストアで働いているようだ。そういえば彼女は東京の薬科大を卒業している。
次は良二の番だ。
良二の妻は、みんなも薄々知ってはいるが、同級生梨田和子の姉で、良二より三つほど年上だ。
彼は、妻の連れ子の祥子が、良二と同じ山手医科大病院に、脳外科医として勤務していることを謙遜しながら話した。
そのあとは竜也だった。竜也は額の汗をひたすらハンカチで拭っている。
東洋銀行を五年前に退職して、現在は渋谷の会計事務所に勤めている、というありきたりな話をした。
『リストラ』のプロジェクトを放り出して、超一流銀行を辞めた無念さが、竜也の全身を襲った。
話はしどろもどろになったが、最後に結婚の予定などまったくないことをつけ加えて挨拶を終えた。
聡美は面白くなさそうな顔をして聞いていたが、竜也が結婚の予定について触れた途端、少し表情を緩めた。
下座の最後は加奈子だった。
加奈子は全身に吸いつくような黒いニットのワンピースを上手に着こなしていた。スレンダーな体型は昔のままだ。長い栗色の髪を背中の中ほどまで伸ばした姿は、高校生の子どもがいるとはとても思えない。
加奈子はニコニコしながら、夫が大阪に単身赴任していて娘と二人で暮らしていることなどを報告した。
みんなの緊張は完全に解れ、話の途中でチャチャをいれる者さえ出てきた。
いよいよ聡美の番がきた。
もう自分の話が終わった竜也はかなりリラックスしていた。
できたら二人が別れてからの話を聞きたかった。
聡美は「富士生命」の渋谷支社に勤務していることから話し始めた。そして昨年課長に昇格した、と少し自慢げに披露した。
竜也は「話が違うじゃないか。課長昇格までにそんなに時間が掛るなんて。結婚に関しては自分の方向性の方が正しかったんだ」と改めて憤りを覚えた。そしてどうして自分の意見に耳を貸さなかったのか、と哀しい気持ちにもなった。
しかしそのあとの聡美の言葉には驚いた。と言うよりも嫉妬を禁じえなかった。
「今日集まった女性の中で独身は私一人です。でももうすぐそれも解消できるかもしれません・・・・・」
「おめでとう聡美、私も独身よ。バツイチだけどね」
玲子の発言にドッと笑いが起こった。
竜也も顔を引きつらせながら作り笑いをした。
隣の加奈子は口元を押さえて首を傾げている。
そのあとは悠太が新聞記者の苦労話をし、今年のダービーで大穴を当てたことを自慢した。
次に、一番子どもっぽく見える由香里は、まず上の子どもが良二と同じ「山手医科大病院」に、看護師として勤務したことを披露した。そして自衛官である夫が出張ばかりしている、と愚痴った。
由香里はチャーミングで小柄な女性だが、彼女は防衛大学を卒業して陸上自衛隊に入隊。今でこそ退官して主婦をしているが、昔は銃器などを操っていた猛者だ。
健一の番になると竜也はもう近況報告に興味を失っていた。そして最後の坂井の挨拶などはもう耳に入らなくなってしまった。
聡美に対する屈折した気持ちが、頭の中をぐるぐると回り始めていた。そしてもう一つ、今後の展開。それが気になって仕方がなかった。
聡美は竜也の方をチラッと見ながら「課長の件は負けたけど、結婚の件では勝ったわ」とこころの中でチョコンと舌を出した。
聡美の悪い癖だ。変なところに妙なライバル心を燃やすのだ。
「よくあんなこと言えたわね」加奈子は小声で言って、テーブルの下で聡美の足を突っついた。
終わりの時間が刻々と近づいてきた。
終了時刻は七時半だが、腕時計を見るともう五分前だ。
「そろそろこれで・・・・・」幹事の玲子がおもむろに立ち上がった。それと同時に、向かいの席の悠太が顔を顰めた。
「うぅ、うぉ―」悠太は突然嗚咽するようなうめき声を出した。
口を押さえながら、小刻みにからだ全体を痙攣させている。そして前に倒れるようにして、テーブルに上半身を伏せてしまった。
ゴツン、とテーブルに頭を討ちつける大きな音がした。
すると今度は、ブルブルと激しく両肩を震わせた。と思ったらそのまま聡美の方に崩れ落ちてしまった。
「キャーッ」静まりかえった部屋に女性たちの悲鳴が響き渡った。
男性は全員が慌てて悠太に駆け寄った。女性たちは部屋の隅で肩を寄せ合い震えている。
ウェイターは他のスタッフを呼ぶために部屋を飛び出した。
「救急車だっ―、救急車を呼んでくれっ―」
竜也はウェイターの背中に向かって大声を上げた。
「悠太どうしたんだ。しっかりしろっ―」
健一が口から泡をふいている悠太を抱き上げて、頬を叩たこうとした。
その瞬間、「動かすな。離れろっ―」良二が大きな声でそれを制した。
医者の良二は悠太の呼気を吸わないように、ハンカチで自分の鼻と口を覆った。そして脈を取り、ポケットからペンライトを取り出して瞳孔を確認した。
「だめだ・・・・・」良二は唇を震わせて力なく呟いた。
悠太は既に絶命していた。
2
警察の到着は早かった。部屋の時計の針は七時四十五分を指している。
十人ほどの捜査員が部屋になだれ込んできた。
部屋の外にはいくつもの背の低いポールが立てられ、「KEEP OUT」と書かれた黄色いテープが張られた。
部屋の中では、男性は悠太の周りで呆然と立ち尽くし、女性はみな隅に集まりハンカチで目を押さえている。嗚咽をもらす者さえいた。
良二以外の人間は、死体のそばから押されるように遠ざけられた。
繰り返しカメラのフラッシュがたかれた。捜査員たちは慌ただしく動き回っている。
検視官と思しき捜査員が良二とともに死体の確認をしている。
すると背の高い銀縁の眼鏡をかけた男が立ち上がり、竜也に近寄ってきた。
「早速で申し訳ありませんが、クラス会のメンバーの方は隣の『天平の間』に集まっていただけますか」
四十前だろうか、色白で彫りの深い顔をした男は渋谷西署の柳田と名乗った。
良二以外の七人は、隣の部屋に用意された八人がけの大きなソファーに腰を下ろした。
全員がいまだに信じられない顔をしている。
聡美が横に座った竜也に声をかけた。
「テレビの刑事もので見る事情聴取をされるのかしら」
聡美は自分が話しかけた相手が竜也だと気づき、あっ、と消え入りそうな声を出した。そして慌てて口元に手を当てた。
聡美のおっちょこちょいは昔のままだった。
「詳しいことは後日になるだろうけど、氏名、住所、悠太との関係とか、一通りのことは訊かれるだろうな」
竜也は落ち着いて聡美の質問に答えた。
脇で一人がけのソフファーに座る坂井は、かなり憔悴した様子で下を向いたままだ。しきりにポケットの中を触っているように見える。
自分の歓迎会がこんな結末を迎えたことにショックを隠せないのだろう。右ポケットに手を突っ込んだままで体を丸めた。
竜也の左に座る加奈子は、その坂井をじっと見ていた。
じきに柳田と良二が一緒に部屋に入ってきた。良二は悲痛な表情を浮かべている。
もう一人若い刑事が後ろについてきた。背は高くもなく低くもなく体に幅がある。相撲を取っていたような体型をしている。年齢は三十前後だろうか。
柳田は淡々として言った。
「お待たせしてすみません。これから用事がある方もいらっしゃるとは思いますが、申し訳ありません。少しお時間をいただけますか。彼は野見山といいます。私と一緒に担当しますのでよろしく」
野見山はぺこりと頭を下げた。
特に女性たちは、こんな時間からか、と思ったようだが友人の死を前にして素直に頷いた。
「それは構いません。しかしその前に教えていただきたいのですが。いったい死因は何だったんですか?心臓発作とか、くも膜下出血とか、色々考えられると思いますが」
竜也がしびれを切らして訊いた。
「竜也、悠太は病気でも何でもない。薬物による中毒死だよ。たぶんシアン化系の物だ」
良二が事実らしきことを告げた。今にも泣き出しそうに顔を歪めている。
周りのみんなは凍てついた。
部屋はし―んと静まり返っている。部屋の外では捜査員の足音だけが響いていた。
「他殺なんですか?」
健一が眉をよせて小さな声を出した。
「事件性があるかどうかはまだ分かりません。川瀬さんは薬物によるものと言われましたが、まだ疑われるという段階です」
柳田はみんなを制した。
「だってクラス会の席ですよ。劇薬を飲んで自殺するやつなんかいますか?」
健一が柳田の言葉を押し返した。
「でも反対に、クラス会の席で毒薬を飲ませる人なんている?」
聡美が首を傾げながら言った。
「まぁそれは司法解剖が済んでからのことです。今、自殺か他殺かなんていう話はやめておきましょう。故人の冥福を祈ることが先です」
全員が押し黙った。部屋は冷気が流れ込んだように寒々としてきた。
隅には小さな机が用意されている。そこに一人ずつ呼んで、事件が起こった状況を確認するようだ。
ちょうど小声で話しをすれば、ここのソファーからは聞こえない距離だ。
すると玲子が申し訳なさそうに手を上げた。
「すみません、うちは母子家庭なんで先にやってもらえませんか?」
他のメンバーも携帯で家に電話をし始めた。
坂井はやおらハンカチを取り出して、額の汗を拭い始めた。
聡美は手持ち無沙汰なのか、上目遣いでじっとみんなを見ている。
「構いませんよ。それじゃぁこちらにどうぞ」と言って柳田と野見山は机の方に向かった。
柳田は壁を背にして玲子に話しかけている。こちらからは柳田の表情がはっきりと見てとれる。玲子から視線を外すことなくしつこく繰り返し訊いているようだ。その傍らで野見山が一生懸命メモを取っている。
しばらくすると良二が言った。
「このままじゃ、何かいやな終わり方だな。事件の真相さえも分からないよ。また来週の日曜日にみんなで集まらないか。集まって悠太のために少しでも手掛かりを捜そうよ」
みんなはゆっくりと唾を飲み込み、一様に黙って頷いた。
「俺たちの誰かが悠太を殺したのかもしれない・・・・・」
その傍らで健一がボソッと独りごとを言った。