第10章
いよいよ、最終章に近づいてきました。応援よろしくお願いします。
十章
1
その日、谷村由香里は、自宅のある三鷹から総武線に乗った。
一つ目の駅、吉祥寺で降りて、駅ビルの「ロンロン」をぶらぶらと見て回っていた。
時計を見ると、午後六時五十分。待ち合わせ時間まであと十分だ。
由香里は、待ち合わせの店に向かった。
「ロンロン」の二階に上がり、JRのロンロン側改札口の脇を抜け、公園口に出た。
二十メートルほど歩いて階段を下りると、飲食店が軒を並べる狭いバス通りを右の方に歩いた。
若者が行き交う通りには、ホルモン屋、丼屋、そしてラーメン屋など、庶民的な店が押し合い圧し合いしている。
少し先の右手に背の高いビルが見えてきた。今日はそのビルの二階にある店で待ち合わせをしている。
由香里は周りを見回したあと足早に階段を上り、「鳥雅」という看板を確認した。
重い木製のドアを開けると、焼き鳥の芳ばしい匂いが鼻を擽った。煉瓦作りの店内は、霞がかかったようにうっすらと煙が籠っている。
予約している名前を告げると、着物姿の若いウェイトレスが左手奥の個室に案内してくれた。
磨ガラスを張った引き戸を開けると、男は既にビールを飲みながら待っていた。
お互いに目で挨拶を済ませ、男が白ワインを注文すると、ウェイトレスは丁寧に頭を下げてその場を離れた。
由香里は厚手のコートを取ると、掘り炬燵式のテーブルに静かに腰を落ち着けた。
紫色のニットセーターにグレーのタイトスカートを穿いている。
短めのスカートの右裾が二十センチほど割れて、黒いストッキングのペイズリー模様を浮き立たせている。
小顔からは想像に難い、こんもりとした形のいい胸がニットセーターを窮屈なものにしていた。
由香里はいい香りのする暖かいお絞りを、そっと冷たい手にあてた。
「早かったな」男が先に口を開いた。
「これでもロンロンで時間を潰してたのよ」
男は憂いを含んだ顔で由香里にビールを注いだ。
「お疲れ様」二人は人目を憚るかのようにそっとグラスを重ねた。
「とりあえず何か頼もう」
「お任せするわ」
ウェイトレスが、冷却用の木樽に入れた白ワインを運んできた。
「白肝、せせり、梅ささみを二本ずつ。それと手羽先の唐揚げ。あとはアスパラの一本焼きと油揚げポン酢」
「かしこまりました」
ウェイトレスは、再度注文の品を一つずつ読み上げて確認したあと、由香里に一瞬目をやり引き戸を閉めた。
「あのあと連絡がないんで心配したよ」
「あらっ、自分で言ってたじゃない。当分連絡は控えろって。でも無事に戻れたからほっとしたわ」
「勘は鈍ってなかったようだな」
男は上目遣いに由香里を見た。
「でも最初は不安だったのよ。やめようかとも思ったわ」
「おいおい、驚かせるなよ」
「でも・・・・・貴方に言われたら仕方ないじゃない。それにあいつも隣にいたからね」
由香里は、濡れたように輝る薄い唇を尖らせた。
男は人差し指で由香里のおでこを軽く突いた。
ようやく緊張が解けたのか、由香里は白ワインを口に含んだ。
「計画には時間が掛ったけど、実行に移すとあっと言う間だったな」
「そうよ、クラス会の前に打ち明けられた時はびっくりしたわ。みんな最初は躊躇してたじゃない。でも悠太が死んだあと、竜也の部屋に集まった帰り、あの時にみんなの気持ちがまとまったのよね。今考えると何だか不思議だわ」
由香里はじっと宙を見つめながら、白肝を頬張った。
「ところで、証拠は何も残していないだろうな」
「大丈夫よ。私、昔どこにいたと思ってるの?」
「まぁ、安心してるけどさ。どこから足がつくか分からないからな」
「もう―しつこいわよ。大丈夫。抜かりはないわ。それよりやっと会えたのよ。今日は飲んで、食べて、いやなこと忘れましょう」
「わ、分かったよ」
男は苦笑いを浮かべてワインを空けた。
「それから・・・・・このあとはあそこに行こうよ。久しぶりじゃない。私今日は遅くなってもいいの」
テーブルの下で由香里のつま先が男の足に触れた。
由香里の頬は既にピンク色に染まっている。
耳に光るダイヤのピアスが妖艶な輝きを放った。
2
久しぶりに暖かい土曜日だった。
何も予定のない竜也は、文庫本を抱えてすぐそばの善福寺公園に足を向けた。
東京女子大の横の道を抜けると、公園の入り口に出た。下の池沿いの道をただブラブラと歩いた。
道沿いには、蝋梅の木が薄黄色の蕾を膨らませている。
「もう春も近いな」竜也は両手を広げて深呼吸すると、池のそばのベンチに腰を下ろした。
あと三十頁ほどで読み終える文庫本を尻のポケットから取り出し、栞を挿んだ頁を開けた。
『中央ライン殺人事件・終章』文字をゆっくりと目で追った。
冬の日差しが本に反射して、竜也は何度も目を瞬かせた。
ふと対岸を見ると、目が霞み、景色がぼやけて見える。
しばらくして焦点が合ってくると、対岸のベンチに座る女性の姿が像を結んだ。
オレンジのジャケットにカーキ色のズボンを穿いている。手元に本らしきものを持っているようだ。
竜也の場所から距離にして百メートルほどあるだろうか。
水面から飛び立つ数羽のカモに驚いて、その女性は顔を上げた。
服装も顔の輪郭も理沙に似ているような気がする。
竜也は思わず立ち上がった。そして池沿いの道を対岸に向かって歩き始めた。
子どもを連れた夫婦が、楽しそうな顔をして竜也の横を通り過ぎていく。
近づいてくる竜也を見て、女性は怪訝そうな顔をした。
しだいに二人の距離が縮まり、竜也の顔がはっきりしてくると、女性ははにかむように笑みを浮かべた。
「理沙さんじゃないですか。奇遇ですね」
手に大事そうに握られている封書のせいだろうか、理沙は目を赤くしていた。少し潤んでいるようにも見える。
それを隠すかのように、理沙はハンカチで目頭を軽く押さえた。
「私のアパート、この公園のそばなんです」そう言いながら理沙は封書を上着のポケットに仕舞い込んだ。
「へぇ、そうですか。僕も近いんですよ。ここからもう少し西荻駅の方に行ったところです。今日は天気もいいし暖かいので、ブラブラ歩いてきたんですよ」
理沙は、話す言葉が見つからないのか、そわそわする素振りを見せた。
「隣に座ってもいいですか?」
「どうぞ」理沙は少女のような笑みを浮かべた。
竜也は封の中の手紙が気になっていた。
水面を見つめながら、さりげなく訊いてみた。
「さっき手紙を読んでいらっしゃいましたね。何か大変なことでも書いてあったんですか?」
「いいえ・・・・・実はこれ、木戸さんからの手紙なんです」
理沙はポケットからその封筒を取り出した。
「悠太からの手紙?」
死んだ悠太から手紙?竜也は不思議な感覚に襲われた。
「先日、自分の机の引き出しを整理してたら、私宛の手紙が書類の下に埋もれてたんです。今日はそれを読み直してたら、ちょっと涙ぐんでしまって。ごめんなさい」
「悠太の遺言ってことですか?」
「そうじゃないと思います。文面から推測すると・・・・・木戸さん、あのUSBに保存しているスクープを世に出したら、どこかに身を隠そうとしてたみたいなんです。そのスクープとは・・・・・歌舞伎町には大きな売春組織がありますが、それを牛耳る暴力団の実態を暴いたものじゃないかと・・・・・。それと、私の生立ちについても書いてありました。身を隠す前にそれを伝えておきたかったんじゃないでしょうか」
「君の生い立ちなんて、どこで分かったんだろう」
「松本の昔の事件を取材する過程で分かったんでしょうね。それはもう精力的に取材されていましたから。私のこと・・・・・私も知らなかったことが書いてあります」
今度は対岸の方にいるカモが数羽飛び立っていった。水面が砕ける音がした。
「その手紙、見せてもらうことできませんか?」
理沙は無言で頷いた。そして封筒から出した便箋を竜也にそっと手渡した。その手が少し震えている。
「失礼します」竜也はそう言って、三つ折になった手紙をゆっくりと開いた。
竜也は、二枚に綴られた悠太の手紙にじっと目を落とした。
しばらくすると、悠太の几帳面な文字が滲み始めた。
十数秒ほど経っただろうか、一瞬にして竜也の顔から血の気が失せた。
竜也は言葉を出そうにも、周りの時間が止まってしまったかのように、口もからだもすべてが凍てついた。
いつまで時間が止まっていたのかも、呼吸が止まっていたのかも分からない。かろうじて呼吸をして息を吐いた。
「そうだったのか。知らなかった・・・・・」
竜也はその場で頭を抱えた。
また、水面の砕ける音がした。
2
その日の夕方、柳田から電話があった。
渇いた声だった。
竜也は黙って柳田の声を聞いた。砂山をサラサラと崩していく海風のように聞こえた。
「池上さんを殺害したのは、やはり坂井でした。女鳥羽川の川底から、犯行に使われた医療用のメスが発見されました。中野城西高校の実験室で盗難にあったメスと、メーカーも型も一致しました。それから鑑定に時間がかかりましたが、池上さんのピアスから坂井の指紋も見つかりました。首を押さえつける時についたものと思われます。次に、坂井が殺害された公衆トイレから二種類の毛髪が発見されています。坂井のものと、もう一つは、驚かないでください。同級生のある方のものでした。えっと、それと・・・・・ヘリコプターの件ですが、永島さんの言われた通りでした。あの時間、テレビ局のヘリに混じって、救急ヘリが一台飛んでいました。皮肉なことですが・・・・・永島病院が保有する救急用ヘリでした。それから青酸カリの入手先も・・・・・永島さん―聞えてますか?永島さん・・・・・」
柳田の声が徐々に遠ざかっていった。
【一日目】
◇
橘健一、四十三歳。職業は厚生労働省に勤務する国家公務員です。
玲子とのことですか? 最初からいやらしい質問ですね。分かりました。
つき合い始めたのは、彼女がまだ離婚していない時ですから、一年ほど前になります。
彼女がご主人とうまくいかなくなっていたころに、ただ断っておきますが彼女によるとですよ。その日たまたま雨が降り出したので、僕が傘を買うために、偶然彼女が勤めるドラッグストアに寄ったんですよ。もちろん彼女が働いているなんて僕は知りませんでした。
お互い顔を見てびっくりしましたよ。その日は、懐かしさもあって、夜食事に行きました。でもその日はそれだけでしたし、その後もお茶を飲むていどだったんですけどね・・・・・いえ、本当ですよ。
去年の七月の初めだったと思います。ご主人が厚労省内の僕の部署を訪ねて来ましてね。そりゃもう、すごい剣幕でした。フロア全体に筒抜けだったと思いますよ。『女房を寝取った』だの『慰謝料取って別れてやる』だの吼えまくって帰りましたよ。ちょうど我々の下のフロアには記者クラブがありましたからね。かなり冷や汗もんでした。
そのあと僕の上司から厳重注意を受けましたが、僕は潔白だったんですよ。それなのにえらく恥をかかされました。何度も言ってますが、本当に二人は何もなかったんですからね、その当時は。
それから一ヶ月も経たないうちに玲子は離婚しました。ご主人も浮気していたみたいで、僕は慰謝料も請求されませんでしたよ。怒鳴り込みは自分の不貞に対するカモフラージュってとこでしょうかね。愛してもいないのに、少し玲子に近づき過ぎましたよ。
その直後ですよ、あいつから呼び出されたのは。
『お前の不倫ネタを記事にするために悠太が動いている』
あいつはそう言うんですよ。参りましたね。クラス会の誰かが悠太に漏らしたか、悠太が犬のように厚労省内部を嗅ぎ回ったかですよ。たぶん前者じゃないかと思います。あいつもそう言ってましたよ。
当時、僕は「沢山町の鉱毒汚染訴訟」の対策委員会の事務局長を兼ねてましてね。そんなことが、三流紙と言えども、新聞に出ると、
訴訟団の思う壺。公判にも大きな影響を及ぼしかねませんでした。
あっ、ここだけにしてくださいよ。その不倫の話は。しかし悠太は卑劣なやつですよ。
あいつが言うんです。『その記事と引き換えに、悠太は金を要求するつもりだよ』そして右手を開いたんですよ。五本という意味でしょうね。五百万ということですよ。
それから僕は、毎日毎日怯えて暮らしましたよ。仕事も一切手につきませんでした。
でも、あいつが悠太に何度も連絡を取ってくれました。僕が直接電話をするのはまずい、と言うんです。あいつの話では、悠太はこう言ったらしいんです。『記事は書くよ。鉱毒で生死の間をさまよっている人が何百人といるんだから。被告側の健一が誠実な対応をするどころか、女と遊んで、その女に離婚までさせたんだよ。これを世に問わなければ、鉱毒で死んだり、苦しんでる人に対して申し訳がたたないだろう。どうせ和解金はおりないんだ。政府は面子にかけてもびた一文払わないよ。だから俺はやるのさ。政府を窮地に立たせてやる』
三流の低俗紙がやることですよ。ただ金を直接要求されることはありませんでしたがね。
でも悠太がいなくなるためには何だってやろう。僕はそう思いましたよ。
クラス会を提案したのはあいつです。加奈子たちの発案だと思われていますが、本当はあいつがメンバーを集めたんです。我々の他に東京在住のメンバーはまだかなりいます。なのに、あいつが参加メンバーを絞ったんです。
そしてクラス会の案内を出す前に、みんなで集まって話し合いをしたんです。クラス会をうまく進行するためにね。普段からお互いに仲良くしてる加奈子と聡美は除きました。彼女らを事件に巻き込まないためじゃありません。何らかの形で彼女たちを利用できないか、考えていたんです。
悠太が死んだあともまた全員で集まりました。みんな何食わぬ顔をしてました。加奈子と聡美を帰したあと、残りのメンバーが再度集まって事件の善後策を話し合いました。
僕にとっては悠太が死んだから、もうそれでよかったんですけどね。坂井もカプセルを呑んでりゃよかったのに・・・・・。
えっ?加奈子ですか? 加奈子はどちらにしても殺すことになってましたよ。
僕ですか? そんなことあたり前じゃないですか。僕は首謀者ではありません。本当の首謀者は・・・・・あいつです―。
少し休んでもいいですか? 頭が割れそうに痛いんです。
△
羽山玲子、四十三歳。職業は薬剤師。ドラッグストアに勤めています。
私が健一と付き合い始めたのは、離婚する数ヶ月前でした。
ちょうど二月の寒い日だったのを覚えています。雲行きが怪しくなったと思ってたら、霙が降り始めました。それと同時に、彼が私の店に飛び込んできたんです。使い捨て傘を探している様子でした。
うちの店はドラッグストアですけど、傘は置いていなかったんです。
私は自分の予備の傘を差し出しました。「よかったら、これ使ってください」そう言うと彼は振り向いてにっこり笑ってくれました。よく見ると同級生の健一でした。びっくりしましたよ。
私結婚が早かったから、その後ときめくことって、まったくと言っていいほどなかったんです。主婦ってみんなそうかもしれませんけどね。
その時、なぜかときめいてしまって・・・・・こんな気持ち初めて、なんて思って、舞い上がっちゃいましたよ。
それから、ゆっくり、ゆっくり愛を暖めていきました。
えっ? そんなこと誰が言ってるんですか?もうやめてください。私は信じてますよ。
離婚の原因? それが原因かどうかは分かりません。彼に会う前から離婚願望はありましたから。まぁ、彼が背中を押してくれたって感じでしょうか。
高三と高一の子どもを抱えてる女なんて、恋愛なんてできないのが普通でしょ?でも健一と再会して、そういう重しがすっかり取れちゃったんです。厚労省のエリート官僚、そして独身。もう早く絡め取っちゃおう、って焦りましたよ。
だから健一の言うことは何でも聞きました。あの人から話があった時は、私も頑張ろう、って思いました。
ばかな女だと思いますか? でもいいんです。
それから、やっとクラス会の夜に彼と結ばれました。あの日悠太が死んだんで、キャンセルかなと思ったんですけど、健一は私との約束を守ってくれました。私のことを本当に愛してくれていたんです。
年末の沖縄旅行も最高でした。それも松本の事件が起こる直前ですよ。彼の愛が本物だと確信できました。
だから彼の言うことを聞いてあんな嘘を吐いたんです。「ホテルではずっと彼と一緒だった」ってね。
でもこんな嘘、可愛いもんでしょう。それ以外は何もしていませんからね。私は情状酌量でしょう? ね、そうですよね。
私の役回りなんて、映画のエキストラと同じですからね。
何だかお腹すいてきちゃったぁ―。
□
永島裕也、四十六歳。職業は大田区の糀谷製作所の工員です。
そうです。永島竜也の兄に間違いありません。現在は南蒲田に住んでいます。
良二のことは私が高校の時から可愛がっていました。貧困な家庭に育った良二に、時々小遣いも渡していました。
彼は貧しい環境にいましたが、それでも医者を目指していました。
彼が高校三年の時、私は地元の医科大の三年生で、彼は医科大の受験に関して色々と訊いてきました。本当に熱心でした。
当時、彼が和子に好意を寄せているのは薄々感じていました。でも私と和子は、古い言い方ですが、いいなずけのようなものでした。 親同士が親しくて、両家の親も私と和子の関係に見て見ぬふりをする、というか、公認していました。
そんな中、あの事件が起こったのです。和子が自殺したことを知って、どうしていいか分からなくなりました。思い出しただけでも、からだが震えてきます。遠い昔のことですが、一日たりとも忘れたことはありませんでした。
ちょっと水をいただけますか? すみません。
私はその事件のあと、松本を離れて東京に出ました。都内で転々とする度に、良二には連絡を入れていました。私の居所を知っていたのは彼だけだったと思います。私の両親も知りませんでした。
あれは三カ月ほど前のことでした。良二が突然私のアパートを訪ねてきました。
そして初めて私と和子の子どもが生きていることを知りました。私は子どものことを、そう、今は祥子というそうですが・・・・・最初
は何で早く教えてくれなかったんだ、と憤慨しましたが、良二が大事に育てて、医者にまでしてくれたことを聞いて、彼に深く感謝しました。
祥子の祖父、いわゆる私の父、謙造から多額の援助があったようですが、良二の苦労、苦悩は並大抵のことではなかったと思います。
すみません。涙脆いもので。ティッシュか何かあるでしょうか?
ありがとうございます。
それから、あのことを聞かされました。
「悠太が『母の自殺から二十五年、命を取り留めた娘が医者に!贈収賄に絡む汚れた金が学費に流れる!』こんなコピーで記事を出すかもしれない」と良二が言うのです。その件は良二が直接悠太から聞いたのではなく、あいつから聞いたらしいのです。その記事と引き換えに金も要求しているということでした。それも三千万という途方もない金額でした。悠太は、このスクープを週刊誌に持ち込めば三千万にはなる、と豪語していたそうです。
私は娘の生存を聞いて喜んでいたところに、突然地獄に引き戻された思いでした。その時は怒りと悲しみでこころはぼろぼろでした。
だから私は加担したんです。
そのあと、クラス会の直前になってまた良二が訪ねてきました。
青酸カリが必要になった、と言うんです。理由は教えてくれませんでした。仕方なく青酸カリを工場から持ち出しました。そして白いカプセルに詰めて良二に渡しました。
医科大を中退しましたが、それくらいの知識はありました。はい、そうです。カプセルは一つだけです。白いカプセルです。間違いありません。
そして年末・・・・・良二の運転で一緒に白馬村まで行きました。
良二がホテルにチェックインしたあと、そこから、岩岳スキー場と八方スキー場の間にあるヘリポートまで行きました。その時は私が車を運転しました。私は良二がヘリコプターに乗り込んだのを見届けてからホテルに戻り、車を駐車場に置いて電車で東京に帰ったのです。
私の役は脇役ですよ。あいつの役に比べたら。
でも、そんなことをしたのは・・・・・すべて「祥子」のためです。
▽
谷村由香里、四十三歳。主婦してます。
私が良二と親しくなったのは、六年前だったわ。
ちょうど娘が看護大学を受験する時、彼に娘のことを相談したの。
彼は自分の子どもの経験もあって、それは親身になって相談に乗ってくれたわ。
看護師は人気のある職業だし、看護大学はそれを目指す子どもにとって最高の目標なの。特に山手看護大学は超一流、刑事さんも知ってるでしょう?
パークシティーに集まったメンバーは、聡美と加奈子を除いて、たまに会ったりしてたの。だから良二にも相談できたのよ。
結果として大学は裏口。就職した病院の方も良二の口利き。
でも、掛ったお金はわずかだったからラッキーだったわ。その代り、私がからだで払ってたようなもんだけどね。
違う、違うのよ、刑事さん。誘ったのは私。私の夫は自衛隊員で堅物、本当に面白くない人なの。ずっと我慢してきたんだけど、子どもの入学が決まって、私ほっとしたの。良二は、教授へのわずかな謝礼以外何も要求してこなかったわ。本当よ。私の好奇心っていうのか、遊び心っていうのか、でも楽しませてもらったから、一挙両得よね。
刑事さん、煙草吸っていい? ありがとう。火までつけてもらっちゃった。
ヘリを操縦する時は、やっぱビビッちゃった―。なんせ、子どもが高校に入る前に自衛隊を退官しちゃったからね。そうねぇ、最後にヘリを操縦したのは八年くらい前かなぁ。
あいつが手配してくれてさ。まぁ当然と言えば当然よね、身内だもんね。でも横で五月蠅いのよね、あいつ。「指示奉行」って感じでさぁ。
病院から車で十分ほどの距離にあるヘリポートを発ったのが午前三時。あのヘリは・・・・・そうね、時速に直すと二百キロ弱で飛んだから、七十キロ先の白馬までは二十分ほど掛ったわ。でも操縦の勘は鈍ってなかったのよ。結局、白馬まで二往復。無事終わったわ。
あっ、言い方が悪かったかしら。無事じゃなくて何と言えばいいんだろう。
でもね。私がやったのは依頼されて操縦しただけ。たったのそれだけよ。
○
川瀬良二、四十三歳。山手医科大病院の医師をしています。
本当にすみませんでした。申し訳ないと思っています。私は大馬鹿ものでした。もう取り返しがつきません。
う―ん。何から話したらいいのでしょうか。
はい、分かりました。そうします。
私が「祥子」を育ててきたのは、和子への思いが断ち切れなかったからです。それ以外には何もありませんし、妻の裕子も愛してはいませんでした。
ちょうど和子の事件があった時、裕也先輩の父、永島謙造さんと、和子の父、梨田伸介さんは、遊休地の払い下げ問題で、親密な関係にありました。
しかし当然のことですが、和子が自殺した時、伸介さんは裕也先輩に対して、もう手がつけられないほど憤りを露にされていました。更に矛先は永島家にも向けられました。今思い出してもぞっとします。それで、裕也先輩は失踪したようなものです。
後日和子の遺書が見つかって、自殺の原因が妊娠ではないと分かると、二人の目はすぐに祥子に注がれました。そして貧乏な家庭環境の中で医者を目指している私に、祥子の養育についての話があったのです。
私にとっては願ってもないことでした。私はすぐにその申し出を承諾しました。二人が私の医大の授業料から生活費まですべて援助してくれる、ということでしたから。
私は医者の誤診で亡くなった父のためにも、何としてでも医者になりたかったのです。それに母親にも楽をさせてあげたかった。
ただ和子の姉の裕子と結婚することには抵抗がありました。でも祥子を看てくれる人が誰もいませんでした。私はある意味、結婚というものを捨てました。祥子の方を取ったのです。
そうです。今考えたら・・・・・歪んだ人生ですよね。
すみません、水を一杯いただけませんか?
和子が死んだのは七月です。そのあと裕也先輩が失踪しましたが、その時竜也は大学の文科系を目指していました。医者になる気なんか毛頭なかったのです。ですから永島家は後継ぎがいなくなってしまいました。
それで謙造さんと伸介さんの利害は一致したのです。血の繋がった祥子を医者にして、五ヶ所にある永島病院の経営者に据えるということです。伸介さんにしても、今永島家が経営している三つのホテルを、自分が持っている建設会社に吸収させる、という野心がありました。
今考えると二人からの援助はそのための投資だったのですね。
あいつから連絡があったのは、昨年の九月の終わりでした。『悠太が永島家と梨田家の癒着を暴こうとしている。当然それは祥子にも及ぶぞ。両親が共に実の親じゃないことも分かってしまう』といった内容でした。
私は驚愕しました。貧困の中から這い上がって作り上げたものが一瞬にして崩れる、という恐怖を覚えました。しかしそれよりも、和子の子どもである「祥子」のことが心配でなりませんでした。それから永島家、梨田家のことも・・・・・。
あいつによると、悠太は既に記事を用意しているようでした。金で解決できないかと訊くと、三千万は要求されるだろうとのことでした。その上悠太はギャンブルで多額の借金を抱えているとの噂もあったので、一度払えば何度でも要求されるぞ、と言われました。
だから・・・・・もうやるしかなかったんです。
何度も二人で考えました。それはどうやって悠太を翻意させるかではなくて、どこで殺すか。そのことだけでした。
「パクシティーホテル」に決めたのはあいつです。
【二日目】
◇
お陰さんでもう頭痛は治りましたよ。
でも・・・・・僕の人生はこれで終わりですよね。
クックックッ―笑えてきちゃうなぁ。そうでしょう刑事さん。
えっ? 気休めはよしてくださいよ。
加奈子の殺害についてですか? 彼女のことは僕は知りません。僕は坂井の殺害に加わっただけですから。
沖縄から帰ってきて、ビシネスホテルに泊まったのは、病弱な母親に心配かけたくなかったし、玲子がアリバイを証明してくれると思ったからですよ。なのにあいつ、しゃべってしまったんですってね。馬鹿な女ですよ。だからだめなんだ。玲子っていう女は。
沖縄? あんなのただの遊びですよ。
あの日は、大口を開けて寝ている玲子を置いて、公衆トイレのそばの土手で彼らを待ってました。午前四時ころにはもう着いてましたよ。うちのおやじは大工をしてましてね。倉庫から鑿を一本もらって行きました。
しばらくして、良二が坂井を背負ってきました。あいつがそれをうしろで支えてましたよ。お腹を殴ったか何かで坂井はぐったりしてました。解剖した時、彼の鳩尾に傷があったんじゃないですか?
それから、トイレの中に押し込みました。
足跡が三つ? だから坂井の足跡は残っていませんよ。さっき言ったように、坂井はおぶってきたんですよ。
そのあと、良二が坂井を羽交い絞めにして、僕が両足を押さえたんです。坂井は意識を取り戻しつつありましたからね。そして刺したのはあいつですよ。
その時のあいつの形相は忘れられません。妬みや苦しみ、そして怒りをたたえた「般若」。そう、まるで「般若」のようでしたよ。
どうしたんでしょうね。男なのに・・・・・。
だから、僕も良二も、直接手を下してませんよ。でもだめでしょうね。罪には問われますよね。分かってますよ、そんなこと。
なぜ坂井まで殺したかって? 確かに僕を脅してたのは悠太です。でも悠太にその情報を流したのは坂井ですよ。いいですか?玲子の娘は「中野城西」に通ってるんですよ。馬鹿な玲子がはしゃいで、PTAの仲間にでも漏らしたんですよ。その噂を父兄から仕入れた坂井が、更に悠太に流した。そんなところですよ。悠太は教育現場も取材してましたからね。坂井と通じてたんですよ。だから坂井も同類です。
それに、あのじいさんは狂ってましたよ。殺さなければ危なっかしいでしょう。
その上坂井は、加奈子が殺意を持ってカプセルを渡した相手ですよ。そのことも坂井から絶対に漏れますよ。それが漏れると間違いなく犯人は割り出されます。そうなったらすべてが終わりじゃないですか。まぁどちらにしても、警察によって終焉を迎えましたけどね。
坂井が情報を流したことを誰から聞いたのかって? それは決まってるじゃないですか。僕は悠太とも坂井とも、まったく親交はありませんでしたからね。
教えてくれたのはあいつですよ。悠太の大親友のあいつがそう言ったんですよ。信じるしかないでしょう。
妙な言い方ですけど。あいつ昔の自分に戻りすぎたんじゃないですか。要するに病気が治り過ぎたっていうか、本当の自分以上の自分に戻ってしまった。そんな気がします。
それに付き合わされた僕らはいい迷惑でしたよ。やっと分かりました。
もういいでしょう。この辺で勘弁してくださいよ。
△
あの人がカプセルを悠太に渡した状況? 私は幹事という役を演じてましたからね。そりゃぁ知ってましたよ。そして渡すところも見ましたよ。
坂井と悠太が喫煙コーナーで話してるところにあの人が加わったんですよ。すると、坂井はその場を離れました。その時にあの人が悠太に、胃薬だって言ってカプセルを渡したんです。悠太は慢性胃炎を患ってましたからね。悠太はあんな性格ですから・・・・・信用してたのは親友のあの人だけだったんじゃないでしょうか。
私なんかが渡しても呑まなかったと思いますよ。まったく信用されてませんでしたからね。
でも考えたら・・・・・。ちょっと待ってください。
そう、今回の事件は、クラス会という舞台で演劇を演じてたようなもんですね。何か学祭でやるような、そんな演劇。
演出家兼主役があの人で、大道具、小道具が私たち。
でも、あの人がなぜこの舞台を立ち上げたのか、それは分かりません。
あの人、何か自分探しをしてたような・・・・・そんな気がします。
インスタントでいいですから、コーヒーもらえませんか?
私だけは偽証罪でしょう? 幇助罪には問われませんよねぇ。
もう少し優しくしてくださいよ。ねぇ刑事さん、コーヒーくらい出してくださいよ。
□
昨日はよく眠れたか? 和子が夢に出てきて、何度も目を覚ましました。でも私の部屋より暖かでした。
私は東京に出てきたあと一度結婚したのです。子どもも一人できました。今度こそは、と思っていましたが、生活苦からまた失踪しました。和子の死から逃げて、また家内から逃げたのですよ。家庭を持っても和子のことを忘れることはできませんでした。それもいけなかったのでしょうね。
風の便りによると、家内は死んだようです。病弱でしたからね。
本当に苦労をかけたと思いますよ。子どもがどうしているのかは知りません。女の子でした。
でも・・・・・今回は悲惨な結末になりましたが、祥子だけは救うことができました。僕が継げなかった病院を祥子が継ぐのです。
おやじの謙造は和子が祥子を産んだ時に決断したそうです。必ず祥子に病院を継がせる。そのためには、金を惜しみませんでした。生活費、授業料。それから今回の事件に関しても金を注ぎ込みました。
ヘリコプターの手配もしかり。たぶん悠太が呑んだ青酸カリも実家の病院のものでしょう。
私が手配した青酸カリは緊急的なものでした。最初は悠太の分だけ用意していたようです。しかし、加奈子が坂井に殺意を抱いていることを良二が知って、あいつに相談したのです。そして二人で話し合った結果、加奈子を利用することになった。それで私にお鉢が回ってきたという訳です。私が勤めている工場のものを用意しました。
しかし、その青酸カリは使われなかったのですよね。まぁ使われたとしても、毒性を失っていたと聞きましたから人は殺せなかった。
そんな問題じゃない? すみませんその通りです。
あいつのことですか? 今考えると・・・・・あいつは昔と何ら変わりませんでしたよ。
いつの昔か定かではありませんがね。
▽
白馬のこと? 松本であいつと待ち合わせて白馬まで飛んだの。だって久しぶりの操縦よ。誰かが隣にいないと不安じゃない。
白馬につくと、良二が裕也さんと一緒に待ってたわ。良二をヘリに乗せると裕也さんは車で帰ったみたい。あとは三人で松本まで戻ったの。
女鳥羽川で起こったことはよく知らないわ。
ちょうど朝の五時ころだったかしら。二人がヘリポートに戻ってきたんで、良二だけ乗せてまた白馬まで飛んだわ。良二が急げって五月蠅く言うから、結構速度を上げたのよ。良二はヘリから降りると歩いてホテルまで戻ったみたいよ、迎えの車はなかったから。ヘリに乗ってる間は、何を訊いても良二は答えなかった。そう、能面のような顔をしてたわ。
そして今度は独りで松本まで戻って、神社で時間を潰してたの。でも、明け方のヘリは気分最高だったわ。ごめんなさい。余計なことを言っちゃったわね。
あいつと良二の関係? 結局あいつは良二を当て馬にしたのよ。良二は医者だし、警察は良二を疑わないかもしれないけど、それも最初だけよ。過去を調べれば最後は良二に目が向くわ。でも良二には完璧なアリバイがあった。それを作り上げたのもあいつ。あいつは警察に情報を流して、このゲームを楽しんでたのよ。
この犯罪を計画したのも、解き明かしていったのもあいつなのよ。
刑事さん。あなたがこの事件を解決した訳じゃないでしょう?
あいつがそう仕向けたのよ。そうじゃない?
ごめんなさい。少し言い過ぎたかな。
でもねぇ。未だに分かんないのよ。何であいつがこんなにまでして、この事件を計画しなければならなかったのか。
分かるとすればたった一つだけ。あいつは、このストーリーを作り上げる過程で何かを探そうとしてたわ。でもそれが何なのか・・・・・。
○
ご迷惑をおかけします。一晩寝て、少し気分が落ち着きました。
加奈子のことですか? 加奈子から坂井の件で相談があったのは、クラス会の少し前でした。あいつにそのことを打ち明けたら、言い方は悪いのですが、目が輝いていましたよ。『加奈子を利用しよう』あいつはそう言ったのです。
再度永島病院から青酸カリを持ってくることは時間的にも不可能でした。それで思いついたのが裕也先輩に協力してもらうことでした。
あいつは当初、悠太を殺すことだけを考えていました。
でも考えたら、あいつが私とか健一を守る理由は何一つなかったのです。そしてあいつが犠牲になることも・・・・・。悠太がスクープ記事を書いても、あいつには何も影響はないはずですからね。
だからあいつは、私たちだけのために完全犯罪のシナリオを考えていたんです。少なくとも私はそう信じています。
そして私が加奈子と坂井の話をしてから、あいつはシナリオに手を加えたのです。でなければ事件は松本まで波及しませんでしたよ。
あいつの動機ですか? 分かりません。私が知りたいくらいです。
あいつはまだ何もしゃべっていないのですか? そうですか。
【三日目】
二日間ゆっくり考えました。もう話せるかもしれません。
永島竜也、四十三歳です。無職。会計事務所はここに連行される直前にやめました。
何から話したらいいのでしょうか?
そうですか。分かりました。
でも前もって言っておきますが、僕はまだ自分が本当の自分なのか、よく分かっていません。
悠太と僕は俗に言う親友です。僕が「うつ病」で療養している時も、よく松本に会いにきてくれました。
病気が治って東京に戻ってからも、飲んだり、サッカーの試合を観に行ったり、仲良くやっていました。
そんなある時、悠太が僕に言ったのです。
『竜也、もう病気はすっかり治ったな。見違えるようだよ。うつ病の時は酷かったもんな。来る日も来る日も実家の広い庭を眺めて、ぼ~っとしてたよ。それと、昔の記憶も覚束なかったよな。でも完治して本当によかったよ』
【ならいいんだけどね】
『そういえば、竜也が病気になる半年ほど前から、お互い忙しくて会ってなかったよな。だから病気になる直前の竜也のことはよく知らないけど、きっとその時の竜也に戻れたんだよ。いや、ひょっとしたら高校生のころの竜也に戻ったのかもしれないぞ』
【俺もよく分からないんだ。いつの時点の自分に戻れたのか。周りの人がすっかり元の竜也に戻った、って言うんだけど、昔の自分がどんな性格で、どんな志向があったのかも思い出せないんだ。だから病気が治った、って言われても、どの時の自分と今の自分を比較すればいいのか、皆目見当がつかないんだ】
『でも元気になったんだから、そんなことどうでもいいじゃないか』
その時にふと思い出したのです。銀行に勤めている時に「リストラ」のプロジェクトを放り出して松本に帰ってきたことを。
僕は仕事を投げ出したままで銀行をやめたのです。僕がやっていたリストラは、頓挫して成功しなかったのですよ。
今までこんな無責任なことをやった記憶はありません。
それから不思議なことに、度々、ある「メール」が僕の頭の中に送信されてくるんですよ。それが青白く光っているのです。
それと供に遠い昔の自分が戻ってきて、今の自分に囁くのです。「投げ出した仕事は完遂しろ」繰り返し、繰り返し、僕に纏わりついて囁くのです。
リストラは人間の間引きです。
どうしてこんなこと・・・・・同じ歳の柳田さんに話しているのでしょうね。何をしているのでしょうか?今の僕は。まぁ仕方ありませんね。続けます。
間引くというのは、二つの意味があります。畑の作物などを間引いて、残された作物に養分を集中させること。または口減らしのために親が生児を殺すことです。どちらにしても同じような意味です。
もう銀行には一生戻れません。だから銀行でリストラの仕事に従事することはできません。もう仲間でやるしかなかったのです。
「間引き」を・・・・・。
おかしな考えですか? そんなことはないでしょう。
病気が治ってない? それは違います。「うつ病」患者による犯罪の発生率は、普通の人のそれと比べるとはるかに低いのですよ。調べてみてください。それは偏見です。柳田さんがそれじゃぁ困りますよ。
だから僕は完治しているのです。もっと言うなら完治し過ぎて、僕も知らない遠い昔の自分に戻ってしまったのかもしれません。
子どもの時、親に叱られて時々思うことがありますよね。「こんなことするなんて、自分は何て悪い人間なんだ。性格が歪んでる。もしかしたら、こころに悪魔が住んでいるのかも」ってね。
遠い昔の自分に戻った時に、こころの中にじっと潜んでいた邪悪な性格が、むっくり起き出して顕在化したのではないでしょうか。
その時点まで治ったのですよ、僕は。
要するに精神だけが時空を越えて、その時点の邪悪な性格を連れてきたのですよ。
何でこんな事件を起こしたか、それしか思い浮かびません。
人を間引いたのは僕だけです。良二も、健一も、そして玲子も、由香里も、それから卑怯な兄貴も、誰も人を間引いてはいません。
僕が悠太に青酸カリを呑ませて間引いたのです。坂井をやったのも僕です。残念ながら加奈子を間引いてくれたのは坂井でしたけどね。
なぜ悠太を殺したのか? 誰でもよかったのです。間引くのは。
でも、ちょうどそのころ悠太から聞いたのです。悠太はこう言っていました。
『松本市議のゼネコンとの癒着を取材してたら、竜也のおやじと和子のおやじが係わった昔の事件にぶち当たったよ。結構酷いことやってたんだよな。遊び半分でそれを調べていたら、両家の過去のすべてが分かったよ。和子の自殺の原因や祥子の出生の秘密までね。それとさぁ、健一も酷いことやってるんだよ。官僚があんなことしていいのかな。厚労省詰めの記者が言ってたよ。でもやつらも官僚には頭が上がらないから記事にはしないけどね』
その時、僕の中の邪悪な性格が蠢き始めたのです。その性格をすべて生かそう。そう思いました。
そして、悠太は更に続けました。
『でもなぁ、俺と親しい同級生の家族や、同級生自身の醜聞を暴き出すなんて俺にはできないな。卑劣な男なら、その記事を出版社に売って、三千万やそこらを手に入れるんだろうけどな。でも同級生を陥れるなんて俺にはできないよ』
悠太はこうも言いました。
『本音を言うとな・・・・・記事にするって言って、脅してでも金をまき上げたいよ。あることがあって、俺金に困ってるんだ。まとまった金さえあればなぁ、と思うよ。でも、こればかりは仕方ないな・・・・・』
そう言って寂しそうにしていました。
僕は【それって、ギャンブルで借金でもしたのか?】そう訊きましたが、悠太は静かに笑っているだけでした。
僕は、それをうまい具合に悪用したのです。
そのまま、悠太の話を捏造して伝えたのです、健一と良二に。
二人は怯えていました。面白かったですよ。
不謹慎?普通の人間の考え方じゃない? でも僕はいつのころの自分なのかよく分かりませんが、そのころの普通の僕ですよ。そう見えませんか? そうですか、分かりました。
どうしてそんなことしたのか? 未だによく分かりません。
たぶん無意識のうちに「リストラ」の舞台を作り始めていたのでしょうね。
良二と健一を作り話で脅したあと、クラス会を企画しました。そして聡美と加奈子を除いた全員で事前に作戦を練ったのです。と言うよりは、僕の計画をみんなに納得させました。
玲子と由香里が仲間に加わるか、が問題でしたが、ご存知の通り健一が玲子を、そして良二が由香里を納得させました。それからは話がスムーズに進みました。
最初は悠太だけを殺すつもりでした。ところが、加奈子が坂井に殺意を抱いている、という話が飛び込んできたので、加奈子が坂井と悠太をカプセルで殺したことにして、加奈子にすべてを押しつける。そして、その直後に口封じのために加奈子を殺す。そういう計画に変更したのです。
加奈子が二人を殺す動機ですか? 坂井に対しては、ご存じのように例のいやがらせです。悠太に対しては、悠太が坂井と加奈子の過去を記事にするという嘘を作るつもりでした。
どちらにしても、三人は間引きされる運命だったのです。
悠太は煙草を吸います。彼が喫煙のためにロビーに出た時を狙って、カプセルを渡しました。
悠太は以前から、胃炎という持病を持っていました。それで、特効薬が手に入ったから試してみろ、と言って渡しました。オレンジ色のカプセルでした。
そして実行したあと、悠太の死因について、良二が毒物による中毒死だと言ったのは作戦通りです。犯人は殺害の手の内を明かしたりしないからです。初期の段階で捜査の目測を誤らせようとしたのです。ただ、坂井が加奈子からもらったカプセルを呑まなかったのは誤算でした。
それで更に坂井を? そうですね。
悠太が死んだあと、坂井が加奈子に鎌をかけてカプセルの中身を訊き出しました。それを良二が知らせてくれたので、坂井から足がついたらまずいと思い、坂井も殺すことにしたのです。また計画を変更せざるを得ませんでした。
でも・・・・・それで間引きらしくなったじゃないですか。
今回捕まった全員は、話し合いの末、大晦日までに帰省すると決めていました。舞台の二幕目を開けるためにです。
坂井と加奈子には僕がメールで連絡しました。「二人のことは僕が仲裁をしてあげるから、とにかく元旦の早朝に集まってくれないか。話がついたら、すっきりした気持ちで初詣に行こう」そんな感じの内容だったと思います。大晦日の夜にメールを打ちました。
二人が松本に帰省しなかったら計画倒れだった? それはおっしゃる通りです。だから事前に玲子が、二人が帰省するように仕掛けてくれていました。
玲子は「東京のクラス会は後味が悪かったから、松本で元旦に再度クラス会を開こう。場所は大晦日までに連絡する」そう連絡してくれていたようです。二人が帰省しなければ何も始まりませんからねぇ。
殺害方法は柳田さんが捜査した通りです。坂井がその機会に加奈子を殺そう、と企んでいたことは誤算でしたが・・・・・。僕は時間通りに待ち合わせ場所に行きました。しかしその時はもう手遅れでした。坂井は既に加奈子を殺していました。そのあと自失した坂井を失神させて、良二と一緒に健一が待つ場所まで運びました。そして公衆トイレで殺したのです。
記憶がしっかりしていませんが、「うつ病」の時よりはましだと思いますよ。概ね事実じゃないでしょうか。
煙草を吸わせていただいてもよろしいでしょうか? すみません。
しかし、公衆トイレから僕の髪の毛が見つかったそうですね。
やはり見つかりますよね。切り揃えた髪が何本も落ちていれば。
そうですよ。計画通りです。
捕まるのも計画通りだった? そうかもしれませんね。だって捕まらないと、舞台に幕を降ろすことができませんからね。
あっ、ちょっと待ってください。
すみません。昔の邪悪なメールが頭の中でスパークしていたものですから。そうです、気分の悪い邪悪なメールですよ。
ところで、今の僕はいつごろの僕に見えますか? 教えてくださいよ、柳田さん。




