輝きの慣れ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
何事にも、「慣れ」というのは必要だ。最近になって強く考えるようになった考えのひとつだね。
若いころは無理がきいて、慣れていないことでも元々のスペックを生かして、強引に片づけられる場合がある。けれども年をとってくると、急な動きはまず無理だ。仮にできたとしても、どこかしらダメージが残っちまう。
少しずつ負荷をかけていって、でっかい負荷に耐えられる土台を作っておく。時間はかかるけれども、後々を考えたならば結果的にそちらのほうが時間をとられずに済む、て点はでかいな。
こうしている今も、慣熟のための仕事は進んでいるかもしれん。我々、人の手によるものでなくってもだ。
ちょっと昔に、私が体験したことなんだが聞いてみないか?
昔、私は鈍感人間と呼ばれていた。
人の機微にうといことも今に始まった話でなかったが、それ以前に体感温度の変化に鈍かったせいだ。
分かりやすいところだと、皆が薄着でいるところを、ひとり厚着でいるとかな。やせがまんのたぐいだとはた目には思われていたようだが、私自身としては特に問題ないと思っていたんだ。
周囲と感覚が異なるっていうのは、つらいもんだな。自分がおかしいと思えないときなどは、特にだ。みんなで寄ってたかって、こちらをいじめるか陥れようとしているんじゃないかとさえ思えてくる。
病院でも診てもらったけれども、特に異常と思われる身体の箇所はない、とのことでどうにも対策が取れなかった。他に日常生活を送るうえで困る点はなかったし、経過観察て流れだったな。
火とかの近くだったら、熱を感じはする。氷に触ったら、ちゃんと冷たいと思う。
ただひたすら空気の体感温度に絞られていた。誰かに話はすれども、共感はしてもらいづらく、私ひとりでこの妙な体質との戦いと研究を強いられていたよ。
皆の暑い、寒いに合わせられないこの状態は何なのかと。
そうして長く、無感ともいうべき時間が続いていたのだが、とある年の冬も近い日の朝のこと。
冷えによる震えを、私は久々に体験した。
朝起きたときに、この冷えは尋常じゃないと反射的に重ね着をし始めたところだ。
気温は例年よりは低いが、氷点下をさすほどのものではない。少なくとも、私のように5枚は服を重ねることは、ほとんどしないほどだ。
着込んでいる分には、まわりからそうつっこまれることはない。これまでの経験的に、薄着のほうが驚いた目で見られていたからね。
正直、これでも万全とは言い難かったが、学校がある日だし……と、とぼとぼ登校していったんだ。
学校についてからというもの、冷えは一段と増すばかりだ。
温度計を見る限り、気温にさしたる変化がないことは分かっている。やはり私のみの異状なのだろう。
問題はない。耐え忍ぶのには慣れている……と、昼へ差し掛かったところで。
にわかに、外から教室に入る光が黄色みを帯びてきた。陽の光にしては、少し強く色づき過ぎているような感を受ける。
まわりの人たちも、ややいぶかしく思っているようだったけれども、すぐに各々の仕事なりおしゃべるなりに戻っていく。私もぼんやりと、その景色を眺めているところだったのだけど。
一度一度は、ほんとわずかな間だった。
あの黄色い光は教室全体へ入り込んでいて、それに当たった人は肌から、にゅっと何かが生えたんだ。
最初は私も心の準備ができていなかったから、影の角度などが変わったのかと思った。けれどもそいつらは、皆の身体より一瞬だけ生えて、すぐに引っ込んでいく。
たとえるなら、黒く変色して、しわだらけになった「孫の手」だ。いずれの人にもそれが現れては消えていく。私以外の誰も気づいていないのか、指摘する者はいない。
目をぱちくりさせる私だったが、ほどなく全身がむずがゆくなってきた。
よもや、あの「孫の手」が生えるのか? と見られる限りで、自分の身体へ注意を払ったものの、それはなかった。
黄色い光そのものは、午後に入るとおさまっていったものの、家へ帰った私が厚着を脱いでいくと、無数の紅い斑点が浮かんでいたよ。
例の孫の手の先の形にさ。
あの光、何者かの慣熟訓練の一環だとにらんでいるよ。我々、人類に対するね。




