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初恋と臆病者

東京のはずれにある一軒のバー、プルーズ。そこには今宵も臆病者が訪れる。

 

 カランコロンと音が鳴り、ドアが開く。

 「いらっしゃいませ」

 この店の店主が落ち着いた声でそう言った。扉からは1人の若い女性が緊張した面持ちでこちらをうかがっていた。

 「さぁ、こちらに座ってください」

 店主は女性をカウンター席の方へ案内した。女性は店内の様子をうかがいながら席に着いた。店内には現在客はおらず、ジャズ風の落ち着いた音楽が流れていた。

 「ご注文は?」

 「あ、あの私あんまりこういうお店来たことなくて…おすすめとかありますか?」

 店主は口元に手を当て、考えるしぐさをすると

 「カンパリオレンジはいかがでしょう。お客様にぴったりのカクテルだと思いますよ」

 「じゃあ、それでお願いします。」

 店主は慣れた手つきで作り始めると、最後にオレンジスライスを飾り付け提供した。

 「こちらになります」

 女性はグラスを手に取り、一口飲んだ。

 「あ、美味しい」

 「それは良かったです」

 その後は会話もなくしばらく静かで落ち着いた時間が流れた。そして、女性が戸惑いながらも口を開いた。

「あ、あの」

「なんでしょう」

「口コミで見たんですけど、ここに行けば私の、この臆病な性格を直してくれるって」

「ほう」

「それで、私の…私のこの性格も直してもらえませんか!」

女性はすがるような様子でそう求めた。店主は一瞬の後こう答えた。

「お客様、私にそんな力はありません。しがないバーの店主です。ただ、ほんの少し別の視点を提供するだけです。時折、お客様のお話を聞いて私の思ったことを言うだけです。きっと口コミを書かれたお客様もそれを少し誇張されたのでしょう」

「そうですか…」

女性は落胆した様子で言った。

「じゃあ、私の性格を前向きに変えてくれるわけではないんですね」

「はい、性格というものはお客様という存在を形作る重要な要素です。それを他者が簡単に変えることはできません」

店主は極めて落ち着いた様子で言った。

「…わかりました、それではこれで」

そう言うと、女性は席を立ち代金をテーブルに置いて店を去ろうとした。

「ですが、先ほども申した通り私は別の視点、考え方を提供することはできます。一人で悩んでも襲ってくるのは後悔だけでしょう。何であの時勇気が出なかったんだろう、どうしてあの一歩が踏み出せなかったんだろう。そんな後悔を一人で考えても、きっとお客様が苦しむだけです。話してみてください。私はしがないバーの店主。おそらく一生会うことありません。ですので、遠慮なく話してください。たとえ、それがお客様のプラスにはならなくともマイナスには決していたしません」

と力強い声で店主が言った。すると、か弱い足取りで女性は席に戻った。

「確かに…一人で悔やんでもしょうがないですよね…あの、全然ハッピーじゃない暗い話ですがいいですか?」

「ええ」

「わかりました」


私、日下京子っていいます。私が自分のことを嫌いになったのは高校生の時です。その高校は結構な進学校で、私もいい大学行きたいのもあって、高校2年間はひたすら勉強していました。そして高校3年生、受験生になりました。私は3年4組だったんですが、そこで初めて彼と会いました。

彼は加藤君っていって私と隣の席の子でした。加藤君は別に特別かっこよくはなかったんですけど、すごい親切な人だったんです。私と話してる時も私が口下手なのを察してくれたのか、積極的に話してくれて。だからすごい楽しかったです。今でも何を話したか細かく覚えてます。

それから、気づいたら加藤君のことを目で追ってるんです。彼とラインするときも、最初のころは特に何も思わずすぐに返信できてたのに、いつの間にかこう返したら嫌われないかな、とか返信の仕方をネットで調べていて。その時ようやく、私彼のことが好きなんだって自覚しました。思い返せば、あれが本当の意味で初恋だったと思います。小学校、中学校の時はなんかこの人いいなとかは思っても本気で人を好きになったことはありませんでしたから。

だから、勇気出して彼に好きな人っている?って聞いた時にいないと答えてくれた時には胸がギュってなりました。それから、私は彼を食事に誘いました。誘う時もすごく緊張したけど快く了承してくれました。当日、学校で会う彼とは違う雰囲気にすごく緊張しました。それからは何を話したか緊張して全然覚えてません。ただ、トイレに立って鏡を見たとき顔がにやけすぎててめちゃくちゃ焦ったのを覚えています。

同じころ、私の友達にはさすがに気づかれて正直に加藤君のことが好きだと話しました。友達は驚きつつも、私のことを応援してくれました。だけど、ずっとこのままって訳にはいきません。私たちは3年生なので、終わりはすぐそばにまで迫っていました。さらに、私も彼も受験生なのでしゃべる機会もなかなか取れなくなっていきました。

そして、3月になりました。受験に関しては私も彼も受かっていました。ですが、経済的な関係で私は国立大学にせざるを得なく、私立大学の彼とは離れ離れになることは決まっていました。だから、気持ちを伝えるのは卒業式の日って決めました。卒業式前夜は本当に眠れませんでした。

当日、卒業式もつつがなく終え、教室に戻るときに少しいい?と彼に言いました。そして、教室の端っこの方で彼と話しました。あの時の会話は今でもよく覚えています。


「なんか、もう卒業なんて実感わかないね」

「確かに、いろんなことがあったけど本当にあっという間だった」

加藤君が昔を懐かしむようにそう言いました。

「ほんとそうだね…」

言うんだ。今、言わなきゃ。今言わなかったらふられたとしても絶対後悔する!ほら、早く私の口。動け!

「あ、あのさ。最後だし、一緒に写真撮らない?あはは」

なにやってるの!今いうことはそうじゃないでしょ!!あああ、もう!あれ、なんか足が震えて…

「ああ、もちろん。俺の携帯でいい?」

彼は快く快諾してくれました。でも、そうじゃないのに!後、少しなのに。もうのどまで出かかってるのに!

「じゃあ、とるよ。はい、チーズ!」

シャッター音が響きました。撮った写真を見せてくれましたが、顔が引きつっててとてもひどい写真でした。

「それだけ?」

と加藤君が聞きました。その瞬間、力が抜けてしましました。

「うん、それだけ…」

「そっか、それじゃあな」


その日の夜、ベッドで本気で泣きました。何で自分には勇気がないんだろう。何でこんな臆病なんだろうって。そして、こんな自分が本当に嫌いになりました。その後も、彼とは少しラインでやり取りはしましたが、そこでも気持ちを伝えることはできませんでした。

高校卒業から2年経って、つい最近ふとインスタを見ると彼のストーリーが上がってました。そこには彼が、女の子と一緒にいる写真があって1年記念の文字が添えられてました。

卒業式から2年もたてば当然ですよね。でも、私はあれから一歩だって前に進んでいない。そんな自分に嫌気がさしてた矢先にこのバーを見つけました。


「私の話は終わりです。ほんとどうしようもない人間ですよね…告白できないに飽き足らず、新たに恋愛をするでもなくあれから一歩も前に進んでない。そして、そんな自分を自覚するたびに自分が嫌いになる。最近はその繰り返しです」

日下は、自嘲気味に笑い、そして黙った。

どれほど時間が経ったろうか、一瞬かもしれないし、数十分かもしれない。店主がゆっくりとその口を開いた。

「お話ししてくださりありがとうございます。自分の無力感にさいなまれる2年間、本当につらい日々だったと思います。ですが、私が思うに解決方法は一つしかありません」

店主がそう言うと日下は少し顔を上げた。

「本当にシンプルな方法です。それは、新たな恋をすることです。新たに好きな人を作って、その加藤君のことを思い出せないくらい刺激的な日々を送ることです」

日下はしばらく考え込んだのちに言った。

「でも、それができたら苦労はしないっていうか…それができないでいつまでも加藤君を

思い出しちゃうんです…」

「その気持ちはすごくわかります。私も初恋は非常に苦いものでしたから。ですが、当たり前のことですが、世の中にはいろんな人がいます。その中には、つまらない人もいれば、加藤君より魅力的な人も間違いなくいます」

「でも、そんな魅力的な人とどうやって…」

「簡単です。あなたが人と関わることです。人と人とのつながりはあなたのように苦しいしがらみを作ることもあれば、新たな出会いを作ることもあります。人とのつながりは心が忙しく時にはつらいものでもありますが、常に変化し前に進んでいきます。だから、今のあなたに必要なのは人とのつながりです。もちろん、いきなり男性の方と仲良くなるというのは難しいかもしれません。ですので、同性の友人との交友関係を広げてみること。これが、あなたが一歩前に進むための第一歩だと思います」

 店主の言葉に日下はしばらく考え込んだ。5分ほど後、日下は何か携帯を操作し、満足気に顔を上げた。

 「そうですよね、私も前に進まなきゃですよね。見てください!大学で仲良くなれそうな女の子をご飯に誘えたんですよ!今まで、大学の友達とご飯に行くことなんてなかったけど、ついにできたんです!」

 日下は携帯を見せ、興奮しながら店主に話した。店主は優しい微笑を浮かべた。

 「その調子です。そうやって新しい人とつながっていく。そうしていくうちに魅力的な人とも必ず出会えます。その時あなたは決して間違えません。あなたのように失敗の記憶のある人は強い。ですので自信を持ってください。そしてその繰り返しをしていくうちに、あなたの初恋は黒歴史ではなく、甘酸っぱく懐かしい思い出になります」

 日下の顔には自信を取り戻したような明るい顔が浮かんでいた。


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