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【現代】ショートショート

ガラスペンの妖精ちゃん

作者: 夏芽みかん

 転職して三か月。


 ようやく新しい職場に慣れてきた……と言いたいところだけれど、実際はまだ余裕なんてない。前の会社は金融機関の事務で、ひたすら数字と書類に向かい合う日々だった。今の会社はインテリア雑貨や小物を扱う通販会社。前から好きだったネットショップの運営会社の求人が出てたから、応募したら採用されたのだ。


「好きなものに関わりたい」と飛び込んだのに、毎日こなすのは受注の入力や電話対応で、夢見ていたようなおしゃれな仕事からはほど遠い。

 

 指導係の藤野さんは、誰もが一目置くベテラン社員。この会社の設立時からいるらしい。


「電話はもっとはきはき!」「伝票の数字、チェックが甘いわよ」

 

 毎日、私には彼女からの(げき)が飛ぶ。

 言葉はきついし、表情も厳しい。正しいことを言っているのは分かっていても、胸の奥が固くなるようで、私は藤野さんと話すたびに体が強ばってしまう。


 そんな折、上司から「最近ガラスペンが流行っているらしいから、文具店でチェックしてみて」と軽く言われた。休日、気の進まないまま街の文具店へ足を運んだ。


 けれど、お店に入った私は、棚に並ぶペンやノートの一角で、ひときわ光を受けてきらめく、そのガラスペンを見つけて、動けなくなってしまった。

 細いガラスに青い筋が流れ、光の加減で水面のように揺らめく。

 

「……きれい」


 思わずつぶやいて手に取ったときには、もうレジに足が向かっていた。調査という口実を自分に言い聞かせながら、私はそのガラスペンと小瓶入りの青いインクを買っていた。

 持ち帰って机に置いてみると、それだけで小さなオブジェのようだった。眺めるたびに胸が和らぐ。――けれど実際に使うことはなく、三週間ほどが過ぎた。


 

 ある日の夜。


 残業帰りでへとへとになって、荷物を置いてキッチンで冷凍パスタをレンジに放り込み、机に腰を下ろした。パスタが温まるまでの間、仕事のメモの見直しをしようと、ノートを机に広げた、その時。


 机の横の棚の上に置きっぱなしのガラスペンが、ふっと光った気がした。


 目を凝らすと、そこに小さな女の子がいた。手の平ほどの背丈で、淡いブルーのワンピースを着ている。とってもかわいらしくて、『氷の妖精』というような女の子だった。


「かわいい……、いやいや、おかしいでしょ?」


 何度も目をこすったけれど、女の子は、確かにそこにいる。


 女の子は「よいしょ、よいしょ」と声が聞こえてきそうな仕草で、あのガラスペンを必死に担いでいた。

 夢を見ているんだろうか。頭の中でそんな言い訳をしながら、私はただ、その子を凝視する。女の子は、棚の端っこにガラスペンを置くと、「ふぅー」と額をぬぐい、次にインク瓶へ向かった。小さな手で蓋を回そうとしている。でももちろん、びくともしない。

 

 ……そして、私を見た。

「助けてほしい」と言うような、潤んだ瞳で私を見上げる。


「開ければ……いいの?」


 聞くと、彼女は「こくん」とうなずいた。

 私はそっと瓶を手に取り、蓋を開けてやった。


 途端に女の子の顔がぱっと明るくなり、私に微笑んだ。

 それから、ガラスペンを担ぎ上げ、背中に背負うと、インクの瓶に漬けた。

 ――次の瞬間、彼女は机の上に跳び乗った。

 

 机の上に広げた私の業務ノートの上を、まるでフィギュアスケーターのようにくるくると回転する。ガラスペンの先から青いインクがするすると流れ、線を描いていく。ときに軽やかに、時に深く。ペン先が紙をかすめるたび、かすかな音と光が生まれた。


 やがて浮かび上がったのは、一輪の青い花だった。五弁の花びらが重なり、透きとおるような青。部屋の空気さえ染めてしまいそうな鮮やかさに、私は思わず息を呑んだ。

 

 女の子は満足げにうなずくと、ペンを抱えたまま私を見上げて、微笑んだ。

――そしてふっとその姿を消した。


 ~♪


 レンジの音が鳴った。冷凍パスタが温まった音。

 その音に私は我に返って目をこする。

 今見た光景は、現実……?

 

 ――けれど、机の上の業務ノートの上には、確かに女の子が描いた青い花と、ガラスペンが転がっている。その花は、文房具屋で普通に売っているインクで描かれたはずなのに、光を帯びているように見えた。


 図鑑の絵のように、とても精緻に描かれた青い花。


「何の花……?」


 私はスマホを取り出し、その花を撮影してAIで検索した。

 結果に表示されたのは「ブルースター(オキシペタラム)」。

 初めて聞く名前だった。


 今しがた見た光景に頭がついていけず、ぼうっとしたままパスタをお皿に乗せる。

 座ってパスタを口に運んだものの、一口食べたあと、スマホを手に取り、「ガラスペン 女の子」と検索してみた。

 すると、掲示板やSNSに、いくつも断片的な書き込みがあった。


 ――曰く。


『小さな女の子がガラスペンを担いでいた』

『インク瓶を開けてほしそうにしていた』

『机の上でスケートしていた』

 

 同じような光景を見た人が、確かに存在している。


「私だけじゃなかったんだ……?」


 一つの書き込みが目に入った。


『ガラスペンの妖精ちゃんを見た人は、みんなちょっといいことがあるんだって』

 

「ガラスペンの妖精ちゃん……」


 その響きは、とてもかわいらしく聞こえて、怖い気持ちはしなかった。

 『ちょっといいこと』が私にもあるのかな。

 そう思うと、むしろワクワクしたような気持ちで、眠りについた。



 翌朝、私は早起きをした。目覚めはすっきり。少し早めに会社へ向かった。

 天気は快晴で、気温も適温。駅から職場までの信号もスムーズに青になった。


 なんだか、『ちょっといいこと』が起こりそうな、そんな気配がした。


 通勤路の植え込みに咲く小さな花に、ふと足を止める自分に気づいた。昨日までは気にも留めなかった色とりどりの花が、やけに鮮やかに見える。


 会社のドアをくぐると、受付に花瓶が置かれていて、青い花が生けられていた。

 ――その花に、私は見覚えがあった。

 昨日、『ガラスペンの妖精ちゃん』が描いた花。


「ブルースター……オキシペタルム?」


 思わず口にすると、振り返ったのは藤野さんだった。


「まぁ、よく知っているわね!」


「い、いえ……昨日AIで調べたんです」


「そんなことができるの?」


「あ、あの、こうやって……」


 藤野さんが身を乗り出したので、私はスマホを取り出し、検索の仕方を見せた。昨日撮った花の写真をAIに聞いたトーク画面を見せると、藤野さんは目を丸くする。


「まぁ、すごいわねぇ。そんなことができるなんて。私も使えるようにならなくちゃ。今度教えてね」


 厳しい表情しか知らなかった藤野さんが、子どものように感心して笑っている。

 私はその横顔を初めて柔らかく感じた。

 花を愛でる人なのだ、と気づくと、怖いばかりだった印象が少し溶けていく。


「藤野さん、お花好きなんですね?」


「ええ。好きよ。このブルースターも、家の庭から朝とってきたの」


「えっ、受付の花って、藤野さんが用意してたんですか?」


「そうよ。お花があった方が華やぐでしょう? 趣味で育ててるし、ちょうどいいかなって思って。買いに行くのも大変だし」


「お庭にたくさんお花があるんですか?」


「写真見る?」


 藤野さんは、家の庭の写真を見せてくれた。

 たくさんの花が咲く庭で、麦わら帽子に作業着姿の農家の人のような完全装備の藤野さんが笑っている。横には小学生か中学生くらいのお子さんが。


「お子さん……ですか?」


「ええ。今年中学生になったの」


「そうなんですねえ」

 

 何だか家族がいるイメージがなかったので意外だった。


「もう、反抗期で大変なのよ。今朝も遅刻したし……」


 藤野さんと私の雑談は始業時間まで続いた。

 その日の仕事は、和やかに、いつもよりスムーズに進んだので、早く帰宅できそうだった。


 家に帰ったら、あのガラスペンで絵でも描いてみようかな。

 そう思って、私は帰りの電車で、ガラスペンの作画動画を見ながら帰宅した。


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