9話
転移は一瞬だった。
空気が切り替わり、足元に固い岩肌の感触が伝わる。山間部。開けた地形。そして時差により…周囲を照らす明け方の薄光。
目の前には、掘りかけの大きな縦穴があった。円形に削られた地面。途中で止まった深さ。何かの準備段階のような……不思議な光景だ。
「……いるな」
俺が呟くより先に、気配が動いた。
「おや」
ねっとりした声。
振り返ると、灰髪の男が立っていた。
モノクル越しの視線が、最初から俺を貫いている。
「これはこれは。分身を壊してくれた異物さんじゃないですか」
レイグレン。きっと本体だ。
俺は一歩前に出て、距離を測る。
「随分早いですねえ。転移も出来たんですかあ?」
嗤いながら、彼は縦穴に目を向ける。
「ここは私の作業場でしてね。それはさておき――」
視線が戻る。
「あなたには余り興味を惹かれませんねえ。
分身越しに、戦闘時の動きは全部見ていましたけども」
その言葉に、背筋に冷たいものが走る。
共有されている。
分かってはいたが、改めて言われると厄介だ。
「空間ごと殴るという埒外な力…この世界の理とは異なる力。空間が悲鳴を上げる程の闘気。……いやあ、珍しいとは思いますよぉ?」
褒め言葉ではあるが…どうにも気には召さないらしい。
俺は黙って臨戦態勢を取る。
対して、レイグレンは気にせず続ける。
「戸籍が無い。出生も無い。三年前に突然現れた。なのに最初からかなり強い。理の外から来た存在――そう考えるのが自然でしょう」
分析は、ほぼ正解だった。
「そして」
彼の視線が、俺の横に滑る。
「ノルン・ハーディス嬢」
ノルンは軽く顎を上げただけで、何も言わない。
「あなたが彼に関与した時期と、ハーディス家の動きが一致する」
「名門貴族にしては、不自然な後付け感」
「国家の陰謀にしては、雑」
レイグレンは嗤った。
「……つまり」
「あなたは、この世界の理の外にいる存在だ」
断定ではない。
だが、ほぼ確信だ。
その瞬間。
「待て」
ノルンが口を開いた。
短い一言。
それだけで、場の空気が静止する。
「君は……この世界の外れ値だ。限りなく神に近い力を得た人間。誰よりも理に適合せず、その上で誰よりも理を解した存在でもある」
レイグレンの目が細くなるが、否定しない。
「そして」
ノルンは俺を見る。
「彼もまた外れ値だ。
外から来た異物…理の外の力を持つ存在」
俺は元々この世界の人間ではない転生者。
異物というのは正しいと自覚している。
「だから並べた」
ノルンは、レイグレンに向けて語り掛ける。
「君に見せたかったんだ。外部の外れ値を見た時、君という外れ値がどう反応するか…そしてそれを、間近で観測したかった。それがこの器…ノルン・ハーディスの出発点だ」
レイグレンは、ゆっくり息を吐く。
「……なるほど」
嗤いが戻る。
だが、それは先ほどまでの嘲りではない。
「つまり――」
視線が、初めてノルンを真正面から捉える。
「あなたは、この世界の内側に立つ存在じゃない」
「理の管理者でも、国家の後ろ盾でもない。
観測する側。干渉出来るが、属さない存在」
モノクルの奥の瞳が、確信に変わる。
「世界の外に立つ観測者」
「……神、ですか」
ノルンはただ、静かに笑った。
「そう呼ばれることも、自称することもある、というだけだよ」
レイグレンは、思わず両腕を組む。
「やれやれ……この世界が、この歪んだ世界が、やけに綺麗に壊れず回っている理由が、ようやく腑に落ちました」
そして、楽しそうに嗤った。
「ええ。確かにこれは――間近で観測したくなる」
彼は一拍を置き、そのまま、軽い調子で言った。
「……で?」
視線を細め、首を傾げる。
「神様なんでしょう? なら、起源種を殺してくれません?」
あまりにも唐突で、あまりにも軽い提案。
(起源種って何だ…)
(この世界をファンタジー世界とするための核だよ。でもこれのせいで星の寿命が縮んでる。説明は以上)
完全に蚊帳の外になりかけるが、ノルンが久々に念話で補足を入れてくれた。星の寿命とか初耳なんだけど……
そうこうしている内にも、レイグレンの追及は続く。
「多分、貴方なら出来ますよねえ? 殺ってくれるなら、神様でもノルン様でも、何とでも呼んで崇め奉りますよお?」
嗤いながら、冗談めかして。
だが、その目だけは、本気だった。
ノルンは、即座に答えない。
一瞬、ほんの一瞬だけ――
視線が遠くなる。
そして、静かに首を振った。
「……それは出来ない」
レイグレンの嗤いが、ぴたりと止まる。
「出来ない?」
「出来ない、じゃないね」
ノルンは言い直す。
「しない」
声音は、淡々としている。
「起源種は、この世界がそう在ると定めた存在。
それ故に、神が一方的にそれを否定することは出来ない」
「出来る力があっても?」
レイグレンは食い下がる。
「力の問題じゃない」
ノルンは、きっぱりと言った。
「それを殺すのは、この世界の内側にいる存在だけだ。
世界が選んだ手でなければ、意味が無い」
沈黙。
やがて、レイグレンは小さく息を吐いた。
「……なるほど」
そして、組んでいた両腕を解いた。
「やはり、神は、便利な存在じゃあない。
万能でも、救済装置でもないと」
「誤解しないでほしいな」
ノルンは静かに返す。
「私は、世界を良くするためにいるわけじゃない。
壊れないように、観測しているだけ」
「だから――」
その視線が、ゆっくりとレイグレンへと向く。
「君がやる」
一瞬、空気が止まった。
レイグレンは目を細め、もう何度めかの溜息を吐く。
「……やっぱり、そう来ますか」
嗤いはある。
だが、そこに皮肉はほとんど無い。
「星の寿命。地軸の歪み。起源種。
全部、私が気付いた問題だ」
モノクル越しに、ノルンを見る。
「神が動かないなら、観測者が手を出さないなら」
肩を竦める。
「まあ、私がやるしかない」
彼の結論に、ノルンが答える。
「そう。それが、この世界に生きる者の責務だよ」
◇ ◇ ◇
ノルンは、そこで話を切った。
「……さて」
軽く手を叩くでもなく、声を張るでもない。
ただ、その一言で空気が切り替わる。
「世界についての問答は、これくらいで十分だろう」
視線が、ゆっくりと俺へ戻る。
「本題は、そこじゃない」
レイグレンも、それに気付いたようだった。
「……ああ、そうでしたねえ」
モノクル越しに、今度は俺をじっと見る。
さっきまでとは違う。
敵意でも好奇心でもない、研究者の目だ。
「神が動かない理由については、正直、もうどうでもいい。神頼み等、とうに捨てた側の人間ですからねえ私は…」
その言葉に、俺は僅かに眉を動かす。
「今、目の前にいる結果の方が、よほど興味深い」
レイグレンは、一歩だけ踏み出した。
殺気はない。
だが、圧はある。
「外部由来の異物で、理の外の闘気を使い、分身を破壊。
そしてその実態は、外ならぬ“神”が拵え用意した存在」
口元が、愉しげに歪む。
「……力の再現性や起源種の殺害可能性だけで利用価値なしと断ずるには、些か惜しいものですねえ」
ノルンが、横から口を挟む。
「それで?」
促すような一言。
レイグレンは、嗤った。
「ええ。答えは単純です」
視線を俺から外さない。
「最初は、ただの実験材料だと思っていました。
外から投げ込まれた、都合のいい駒だと」
一拍。
「――訂正しましょう」
モノクルを指で押し上げる。
「研究素材として、間違いなく特級です。それに加えて力も本物の神由来……貴方、分身戦ではまだ本気を出していないでしょう?」
どうやらそこまでバレていたようだ……俺や神様がこの世界の外の存在だと看破してみせたその調査力に推理力……神様直々に「外れ値」と称するだけはある。
「ああ…確かに俺は、この世界に来てから本気を出したことは無いな」
「それは重畳」
レイグレンは、満足そうに頷いた。
「神の言うとおり――私とあなたが、どちらも外れ値であるのなら」
モノクル越しの視線が、鋭くなる。
「その力を、真正面からぶつけ合えば…もしかすると、起源種を殺す力の形が見えるかもしれない」
軽い口調だが、思考は深い。
「あるいは――」
一歩、距離を詰める。
「神が起源種を殺す力を持つのなら、神由来の力を持つ貴方を解析することで」
嗤いが、ねっとりと深まる。
「その権能の断片でも掴める可能性が万一にもある」
俺は、無言で聞いていた。
理屈としては、納得出来る。
そして何より――
(この男、本気で考えている)
研究者として。
狂気ではなく、徹底した合理で。
「価値は、十分過ぎる」
レイグレンはそう締めくくり、ふっと肩の力を抜いた。
そして、今度は視線をノルンへ向ける。
「……これで、満足ですかあ?」
どこか律義で、どこか茶化すような声音。
「神のご期待通りに、外部の外れ値と、世界の外れ値が……きちんと向き合おうとしている」
嗤いながら、だが礼を失しない。
「いやあ、観測対象としては、なかなか上出来な反応じゃあないですかねえ?」
ノルンは、少しだけ目を細めた。
「うん」
短く、満足そうに。
「ちゃんと、見たかったものが見えた」
それだけで、十分だと言わんばかりに。
俺は、二人を交互に見る。
「……つまり」
一息ついて、言った。
「やる、ってことでいいんだな」
レイグレンの嗤いを含んだ顔が、はっきりと戦う者のそれに変わる。
「ええ」
楽しそうに。
「研究者としても。この世界の外れ値としても」
そして、少しだけ声を低くして。
「あなたとぶつかるのは――悪くない選択だと思いますよお」
空気が、張り詰める。
ノルンは一歩引き、観測者の位置へ戻った。
「じゃあ、始めようか」
その一言が、合図だった。




