7話
約束の三日後。
朝の王都は、いつもより少し騒がしく感じた。
理由は単純。俺自身が、誰よりも緊張しているからだ。
集合場所に向かう前に、最後に襟元を整える。
昼用の服装は、貴族向けの仕立てを基調にしつつ、堅すぎないもの。
色味は落ち着いた濃紺。動きやすさを重視し、装飾は最低限に抑えた。
――ローウェンの顔が脳裏をよぎる。
◇
「貴族令嬢のエスコート?」
真顔で聞き返されたのは、三日前。
酒場の奥で、ローウェンは頭を抱えた。
「お前……よりにもよって、そこ行くのか」
「行きます」
こちらが即答すると、ローウェンは眉間に指を当てて言葉を絞り出す。
「えーと…お前のことだし、多分相手はノルン嬢だよな…二年前の依頼から急に目を付けられだしたのは分かるんだが、結局どういう関係なんだ?」
「御免なさい。そこはノーコメントで……不躾ですがアドバイスだけください。ここは奢りますんで」
流石に「神様と転生者で、天国行きを賭けた観測中です」とは言えない。こちらが平身低頭頼み込むと、彼は吝かでは無い様子で答えてくれた。
…そこそこ経験あり気な雰囲気は、伊達では無いようだ。
「昼と夜は分けろ…昼は気負わせない、夜は格を落とさないを意識すること」
「あと、先を歩くな。半歩前が限界だ」
「仮に相手が神様でも?」
「相手が誰でも同じだ。敬意は距離で示すもんだろ?」
◇
約束の場所は、王都中央の噴水広場。
人混みの中に、彼女はいた。
白髪蒼眼の、誰よりも輝いて見える女の子。
だが今日は、いつもの神様の装いではない。
淡い色合いのドレスに、軽めの外套。
上品だが、街歩きに不釣り合いではない。
「……ほう」
ノルンが俺を一瞥する。
「思ったより、ちゃんとしているじゃないか」
「死にたくなかったので」
「賢明だね」
口元だけで笑う。
――貴族周りの仕事をしていた人物の言葉を思い出す。
◇
「最初の一言で決まる」
そう言ったのは、王都で儀礼を担当していた元官吏だった。
「褒めすぎるな。値踏みもするな」
「当然そうある存在として扱うのが一番だ」
「あと、歩き出す前に必ず相手を見る」
「それだけで、安心する」
◇
俺はノルンの前に立ち、軽く一礼する。
「お待たせしました」
「今日は、よろしくお願いします」
ノルンは一瞬だけ目を細め、それから頷いた。
「うん。及第点だ」
そう言って、腕を差し出す。
心臓が跳ねたが、動揺は表に出さない。
半歩前に立ち、歩き出す。
最初の目的地は、甘味処だ。
◇
この三日間、王都の甘味処を虱潰しに回った。
味、雰囲気、客層。
『貴族でも浮かない』
『でも堅すぎない』
条件を満たす店を探し当てた時、店主は言った。
「ここはね、誰かと一緒に来る人が多い」
「静かに喜びたい人向けだよ」
◇
店内は落ち着いた香りに満ちていた。
ノルンは出された甘味を一口食べ、少しだけ目を見開く。
「……良い選択だ」
それだけで、報われた気がした。
昼は街を歩き、話をする。
神様の話も、世界の話も、時々どうでもいい雑談も。
夕方、宿に戻る前にノルンが言った。
「夜は、少し改めようか」
◇
夜の装いは、完全に別だった。
ノルンは名門貴族の令嬢として不足のない姿。
俺も、昼とは違う正装に着替える。
――高級なバーで聞いた言葉を思い出す。
◇
「夜景は、連れていく理由が必要です」
「ただ綺麗、では駄目」
「なぜ、そこなのか」
「なぜ、その人と見るのか」
「それを説明出来ないなら、連れていくべきではありません」
◇
食事の後、俺はノルンを王都でも限られた場所へ案内した。
高台の、夜景が一望できる場所。
灯りが星のように散らばり、風は静かだ。
「……なるほど」
ノルンが夜景を見下ろす。
「ここを選んだ理由は?」
想定された中で最もクリティカルな質問。
「街全体が見えるからです」
「今日、歩いた場所も、食べた店も」
「全部、ここから見える」
少し間を置いて、続ける。
「……あなたと一緒に、ちゃんと振り返りたかった」
ノルンは何も言わない。
ただ、しばらく夜景を見つめてから――
「合格だ」
そう言った。
それだけで、胸の奥が熱くなった。
神様とのデートは、まだ終わらない。
だが少なくとも、この一日は――
間違いなく、成功していた…と思う。
◇ ◇ ◇
夜景を背に、ノルンは一歩だけ前へ出た。
次の瞬間。
何も無かったはずの高台に、小さな丸テーブルと二脚の椅子が現れる。
深紅のワインボトルと、グラスが二つ。
「……」
言葉を失っていると、ノルンはどこか得意げに言った。
「元々、ここにあるべきものだからね」
「問題は無いよ」
どう見ても 今出した。
だが、神様が言うならそうなのだろう。
椅子に腰を下ろすと、不思議と風が収まった。
高台特有の冷たい風は消え、周囲の景色はそのままに、音だけが遠のく。
街の喧騒が、薄い膜の向こうに押し出される。
――完全に、二人きりの空間だ。
ノルンがグラスにワインを注ぐ。
「さあ」
「今日の締めだ」
グラスを掲げる仕草は、妙に自然だった。
俺もそれに倣い、軽く触れ合わせる。
澄んだ音が、夜に溶けた。
一口含むと、深く、柔らかい味がした。
沈黙。
だが、居心地は悪くない。
先に口を開いたのは、俺だった。
「……聞いてもいいですか」
「うん」
ノルンは夜景を見たまま答える。
「どうして、俺を選んだんですか」
視線が、こちらに向く。
少しだけ、考える間。
「深い意味は無いよ」
あっさりと言った。
「たまたま死んでいた」
「愚鈍でもなかった」
「思考も、魂も、醜悪ではなかった」
グラスを揺らす。
「それなりに、綺麗だった」
「だから拾った」
それだけ、とでも言うような口調。
「神様にしては、随分ざっくりですね」
「神様だから、だよ」
即答だった。
「私は世界を管理する側だ」
「一人一人に物語的な理由を用意していたら、きりがない」
少しだけ、目を細める。
「君は、たまたま基準を満たしていただけだ」
否定しようのない事実。
だが、不思議と傷つく感じは無かった。
今度は、ノルンがこちらを見る。
「じゃあ、次は私から」
少し嫌な予感がしたが、黙って聞く。
「お前は、私に惚れているのかい?」
思った以上に直球だった。
「……」
「地獄行きのリスクを取ってまで、わざわざデートに誘った。
その理由を聞いている」
逃げ場は無い。
正直に言うしかなかった。
「……惚れてます」
ノルンは、少しだけ目を丸くする。
「ほう」
「自覚はあります」
間を置かずに続ける。
「神様だって分かってます」
「危険だって分かってます」
「殺される可能性も、割と現実的だって」
グラスを置く。
「それでも、誘いたかった」
ノルンは、しばらく黙っていた。
やがて、肩を竦める。
「残念だけどね」
軽い調子で言う。
「私に性別なんて無いよ」
「まあ、この器は別だけど」
そこで一拍置き、ワインを一口含み、飲み干す。
グラスを置いてから、ただ一言。
「脈は、無い」
はっきりとした否定。
それを受け止め、胸の奥が、少しだけ痛んだ。
だが――
「でも」
ノルンは、続けた。
「今日のデートは、悪くなかった」
視線が夜景に戻る。
「むしろ、楽しかった部類だ」
俺には、それだけで十分だった。
◇
次の質問は、少し話題を変える。
「……天国って、どんなところなんですか?」
ノルンは、即座に答えた。
「人が望むなら、どんな幸福でも手に入る場所だ」
少し自慢げに、意気揚々と説明してくれる。
「美食も、美酒も、景色も」
「酒池肉林でも」
「思い人との恋物語でも」
「実現出来ないことの方が、少ない」
グラスを揺らしながら続ける。
「こう言うとね」
「変に意地を張って、ディストピアだの」
「偽りの楽園だのと腐す者もいる」
小さく笑う。
「でも、深層心理では」
「誰も、そうは思っていない」
視線がこちらに向く。
「……お前は、どうだい?」
俺は、少しも迷わなかった。
「最高ですね!」
少し喰い気味だった気がする。
ノルンは、一瞬きょとんとし――
次の瞬間、くすりと笑った。
「可愛いやつだ」
その言葉は、どんな祝福よりも柔らかかった。
夜景は、まだ静かに輝いている。
この時間が永遠ではないことを、
二人とも分かっていながら。
それでも今は――
ただ、グラスを傾けるだけでよかった。




