5話
指定された山村は、すでに村として機能していなかった。
建物は残っている。
屋根も壁もある家が多い。
だが、人の気配が一切ない。
戸は開いたまま、干し場は風に晒され、道具もそのまま放置されている。
争った形跡は見当たらない。
燃えた痕も、血の跡も無い。
ただ、人だけが抜け落ちたような場所だった。
「……誰もいないな」
独り言が落ちるが、返事はない。
瘴気は濃く、視界が歪むほどではないが、確実に空気が重たい。
普通なら、長時間の滞在は避ける環境だ。
瘴気緩和の結界を張れる療術師がいなければ、探索自体が危険になる。
「……まあ、俺は別だけど」
肺に違和感はある。
皮膚にも軽い刺激は走る。
それでも、行動に支障はない。
この身体は、そういう作りになっている。
役割分担を考えずに動けるのは、楽ではある。
パーティで役割分担を考えなくていい。
前衛も、後衛も、探索役も、全部自分。
つくづく、チートだと思う。
村の中を進んでいると、魔物が寄ってきた。
二体、瘴気を帯びた獣型。
特別な動きはない。
こちらに気づき、警戒し、近づいてくる。
それだけだ。
一体が飛びかかってきたところで、正面から迎え撃つ。
拳を叩き込む。
衝撃と同時に、身体が崩れる。
もう一体は距離を取ろうとしたが、追いついて首を落とす。
終わり。
瘴気の濃さを考えれば、弱い部類だ。
だが、異常というほどでもない。
「……まあ、こんなもんか」
魔物は倒し、先へ進む。
目的は、瘴気がより濃い場所を見つけることだ。
特別な探査能力は無い。
気配も、魔力も、感じ取れない。
だから――
歩いて探すしかない。
家の中、倉庫跡、井戸の周辺…全部虱潰しだ。
瘴気は、村全体に広がっている。
一点に集中している感じはない。
(熟練のレンジャーや魔法使いなら、もう少し楽なんだろうな)
そんなことを考えつつ、足を動かす。
村の外れに近づくにつれて、瘴気は少しずつ濃くなっていった。
山へ続く細い道。
踏み固められてはいるが、最近使われた様子はない。
「……こっちか」
俺はそのまま、村を抜けて山側へ向かう。
人のいない村、濃い瘴気、寄ってくる魔物。
どれも単体では、珍しくない。
だが、まとめて見ると、やはり手間は掛かりそうだった。
俺は歩く。
瘴気の奥へ。
原因を探すために。
◇ ◇ ◇
「というか神様の案件て、ダンジョン外で瘴気が溢れる系統ばかりだな」
歩きながら、ふと思う。
ダンジョン内部ならまだ分かる。
構造も、発生源も、ある程度は想定できる。
だが今回は違う。
山村。屋外。しかも、自然発生にしては広がり方が妙だ。
「……地下か」
口に出して、納得する。
地表に異常が出ているなら、その下に何かある。
瘴気が溜まる場所。逃げ場を失った澱。
山道を進むにつれ、空気はさらに重くなった。
木々の葉が黒ずみ、土は踏むたびに湿った感触を返す。
獣の気配は、いつの間にか消えていた。
代わりに――
「……嫌な感触だな」
足裏から伝わる違和感。
瘴気だけじゃない。
意図的に整えられた感じがある。
数歩進んだところで、地面が沈んだ。
瞬間、周囲の土が弾ける。
鋭い杭が、下から一斉に突き出した。
罠。
だが、速度は読める。
身体を捻り、真正面から踏み込む。
杭は脚に当たるが、貫通はしない。
「浅いな」
続けて、上からワイヤーが落ちてくる。
絡め取るタイプの拘束罠だ。
掴まれる前に、腕を振る。
力任せに引き千切る。
さらに先。
地面に刻まれた術式が、淡く光った。
瘴気を起点にした、複合型の干渉陣。
侵入者を削り、弱らせ、内部へ誘導する類だ。
正直、面倒だ。
だが――解除する気はない。
拳を叩き込む。
術式の中心ごと、地面が割れた。
瘴気が一気に噴き上がる。
視界が黒く染まるが、構わず進む。
その後も、罠は続く。
落とし穴、幻覚誘発、重力干渉。
「……複雑にしすぎだろ」
呟きながら、正面突破。
踏み、壊し、進む。
迂回もしない。解除もしない。
数分後。
瘴気の濃度が、明確に変わった。
「ここだな」
開けた空間。
岩盤をくり抜いたような、即席の広場。
その中心に――人影が立っていた。
灰色の髪に片目のモノクル。
人間だ……だが、気配が薄い。
「……」
こちらを見て、男が微笑んだ。
「いやはや」
軽い拍手。
「全部壊して来るとは思いませんでしたよ」
男の声は、どこか楽しげだ。
「罠は、侵入者を選別するためのものだったんですがねえ」
粘つくような視線が、俺の足元をなぞる。
「君は……随分と雑に通って来た」
俺は構えない。
ただ、距離を測る。
「誰だ」
こちらの問いに、男は肩を竦める。
「名乗るほどの者ではありません。
と、言いたいところですが……」
目が、わずかに細くなる。
「そうですねえ…分身とでも言っておきましょうかあ」
分身?
その言葉に、理解が追いつく前に――
男の背後で、瘴気がうねった。
「この場所は、実験場です。周囲の瘴気が濃くなりましたから、生活が難しくなったんですねえ……近くの村人は逃げましたよ。村の魔物は、勝手に寄ってきただけ」
そして、にこりと笑う。
「瘴気がどう振る舞うか」
「どこまで集束するか」
「――それを、少し観測していただけですよぉ」
俺は、一歩踏み出した。
こいつが元凶で間違いないだろう。
「……俺の依頼主が『未然に叩け』と言っていてな」
それを聞き、分身は、楽しそうに目を見開いた。
「ほう…やる気ですねえ、それでは」
灰髪の男が、両手を広げた。
「少しだけ、お相手しましょうか」
◇ ◇ ◇
(神様は……いないのか?)
戦闘が始まる直前、念じてみるが、返事は無い。
観測は間近でするに限る――そう言っていた筈の神の不在。
訝しく思うが…流石にもうそんな余裕は無いようだ。
分身が、静かにこちらを見る。
「さあ」
その一言で、空気が張り詰めた。
俺は一息に踏み込み、距離を詰め、拳を振りぬく。そこに一切の迷いはない。元が一般人であれど、伊達に三年間探索者をしていない。
しかし――衝撃は皆無。
拳は確かに振り抜いた。
空を殴った感触ではない。
なのに手応えが存在しない。
「……?」
間を置かず、体内のエネルギーを解放する。
掌から放った波が、正面を薙いだ。
放出されたエネルギーが男を包み、着弾地点が大きな爆発を起こす。
だが――分身は、そこに立ったまま。
服も、髪も、微動だにしない。
「なるほど」
分身が、少しだけ感心したように呟く。
「出力は十分」
「ですが……」
一歩、前に出る。
「位相が違うのでねえ」
次の瞬間。
空間が、弾けた。
視界の至る所に、呪具が展開される。
刃。杭。弾体。拘束具。
人一人には過剰な程の、圧倒的な量だ。
「――っ!」
反射的に跳ぶ。
地面を蹴り、さらに空を蹴る。
二段、三段と無理矢理高度を取る。
幾つかは避け、幾つかはナイフで弾く。
だが、全ては無理だ。
鈍い衝撃。
肩、脇腹、背中。
連続して、何かが叩き込まれる。
「ぐ……!」
身体が弾かれ、地面に叩きつけられる。
だが――
「……まだ、立ちますか」
分身が、少し首を傾げた。
俺は歯を食いしばり、身体を起こす。
痛みはある。確かにある。
だが、骨は折れていない。
内臓も、致命的な損傷は無い。
「やはり」
分身の声が、わずかに変わる。
軽さが消え、どこか冷静な響きになる。
「君は、ちょっと頑丈すぎますねぇ」
周囲に浮かぶ呪具が、ゆっくりと配置を変える。
「普通なら、今ので動けなくなる筈……
いや、動ける前提で組んだ方が良さそうだ」
完全に、分析に入った声。
俺は構え直す。
――攻撃が、通らない。
力の問題じゃない。
技術でもない。
「……なんなんだ、こいつ」
思わず漏れた言葉は、正直な感想だった。
殴っても、撃っても、届かない。
触れているのに、触れていない。
どこまでも異質な存在。
分身は、こちらを見て微笑む。
「いい目をしますねえ。そうでなくては、観測のし甲斐が無い」
刻一刻と増え続ける周囲の呪具。
だからどうしたと。俺は一歩、踏み出した。
理解はまだ追いつかない。
だが、はっきりしたことが一つある。
――こいつは、今までと同じ感覚で戦う相手じゃない。
その認識が生まれた瞬間、ようやく本当の意味での戦闘が始まった。




