4話
二年後。
俺の名は、ウェールズ国内で知られるようになっていた。
英雄――とまでは、まだ呼ばれない。
だが「英雄候補」としてなら、間違いなく最前線だ。
ダンジョン攻略の実績に、討伐記録。
どれも、若手としては異常な数値を叩き出している。噂話の中では、俺はもう少し盛られているらしいが、そこは放っておいた。
生活にも、だいぶ余裕が出た。
かつて泊まっていた安宿とは違う。
今いるのは、探索者向けとはいえ、明らかに格の違う宿だ。
静音結界に外部遮断。上位客用の専用階。
――贅沢になったものだ。
装備も、同じだ。
二年の間に、聖遺物級の装備を二つ手に入れた。
どちらも、偶然ではない。
危険な場所に踏み込み、
帰ってくるだけの力が、ようやく備わった結果だ。
英雄候補。
そう呼ばれる理由は、確かにある。
◇ ◇ ◇
部屋の中。
俺は、ひとつ深呼吸してから、カプセルを起動した。
淡い光が奔った後、展開。
現れたのは、白髪蒼眼の少女。
ノルン――ではない。
ノルンを基準に作られた、人形だ。
表情は穏やか。姿勢は控えめ。そして従順。
完璧だ。
「……問題なし」
声に出して確認する。
擬似人格は安定している。
反応速度、判断精度、応答の柔らかさ。
すべて最高水準だが…今日の目的はこれじゃない。
「カスタムモード、起動」
静かに告げると、人形の瞳がわずかに揺れた。
許可された領域。
ここまでは、完全に『セーフ』。
問題は――この先だ。
従順なノルンは、確かに理想だ。
しかし…どうしても、忘れられない。
あの尊大な態度。
人を、観測対象としか見ていない目。
世界の理屈すら、玩具のように扱う余裕。
神。
あれを前にして感じた圧と、不快と、畏怖。
……そして、奇妙な魅力。
「……やめとけ」
独り言が漏れる。
ノルン本人から、はっきり言われている。
――本人に向けたら、殺す。
――地獄行き。
分かっている。
十分すぎるほど。
だから二年間、触れなかった。
だが。
英雄候補になっても。力を得ても。装備を揃えても。
あの神の威厳だけは、焦がれたままであった。
「……今日だけだ」
言い訳にもならない言葉を、自分に向ける。
「全力で、近づけるだけだ」
越えない。
越えないつもりだ。
俺は指を動かした。
人格パラメータを、慎重に調整する。
尊大さ。
距離感。
感情の希薄さ。
人を人として扱わない――神の視点。
再現度を、段階的に引き上げる。
人形の立ち姿が、変わる。
背筋が伸び、視線が、僅かに下を向く。
「……ふむ」
声が変わった。
低くも高くもない。
だが、明確に上からの響き。
「まだだ」
俺はさらに詰める。
判断優先度を、自己基準へ。
他者評価を、観測値に限定。
――人は、素材。
――世界は、舞台。
その瞬間。
部屋の空気が、凍った。
背筋に、嫌な感覚が走る。
――来た。
確信した時には、もう遅かった。
「……」
人形の背後。
何もないはずの空間に、白髪蒼眼の少女が立っていた。
本物。
ノルン・ハーディス。
……いや。
神。
「……ほう」
楽しそうな声。
だが、目は笑っていない。
「随分と、頑張ったじゃないか」
心臓が、嫌な音を立てる。
(終わったか……?)
逃げ場はない。
言い訳も出来ない。
全身が強張る中、ノルンは人形を一瞥した。
「……惜しい」
ぽつり。
「九割。いや、九分九厘だね」
俺の脳が、一瞬理解を拒否する。
「視点は合格。感情の切り捨ても良い」
「だが――」
視線が、俺に向く。
「“退屈そうな慈悲”が足りない」
……え?
「私はね」
「人間を素材だと思っているが、嫌いではない」
怒気を感じない、静かな声。
「観測対象が、足掻く様子は嫌いじゃない」
「だから、ああいう態度になる」
ノルンは肩を竦めた。
「君は、私を怖がりすぎた」
「それが、最後の差だ」
……怒ってない?
「まあ」
「禁忌には近づいたが、越えてはいない」
そう言って、にっこり笑う。
その笑顔で、分かる。
―― 一歩でも越えていたら、終わっていた。
「褒めてやろう」
「二年で、ここまで来るとは思っていなかった」
俺は、ようやく息を吐いた。
「……殺されないんですね」
「今回はね」
即答だった。
「次は知らない」
部屋の空気が、ふっと緩む。
「英雄候補としては、上出来だ。
だからこそ、油断したのだろう?」
図星である。
「まあいい…
今日のところは、成果として認めよう」
ノルンは踵を返す。
「次に会う時は――」
振り返り、悪戯っぽく言った。
「もう少し、私を正確に理解してからにしなさい」
そう言い残し、神は消えた。
部屋に残ったのは、俺と、人形。
しばらく、動けなかった。
「……本当に、死ぬかと思った」
心臓を押さえ、深く息を吐く。
だが。
不思議と、後悔はなかった。
◇ ◇ ◇
「いや、帰らんよ、今日は用があって来たんだ。
二年振りだね、天童大貴。」
突然の再度の声に、思わず息を止めた。
相手が誰かは確認するまでもない。
「……ノルン」
白髪蒼眼の少女は、さも当然の如く部屋の中に立っていた。出入りの気配も、揺らぎもない。最初からそこにいたかのように。
「ふむ」
ノルンはゆっくりと俺を見回す。
装備。姿勢。身体の重心。
値踏みするような視線が、一通り巡ったあと――小さく頷いた。
「うん。悪くない」
軽い言い方だが、評価は本物だった。
「聖遺物装備を二つ」
「扱いも安定している」
「身体も、随分と人間の限界から外れてきた」
どこか楽しそうだ。
「英雄候補、という肩書きも伊達ではないね」
「ちゃんと、立派になった」
素直に褒められると、妙に居心地が悪い。
「……ありがとうございます」
「謙遜はいい、事実だ」
そう言ってから、ノルンは首を傾げた。
「ところで」
「まだ、それを使っているのかい?」
視線が、腰元に向いた。
俺は一瞬迷ってから、ナイフを抜いた。
刃渡りは短い。
装飾もない。
最初に持っていた、あのナイフだ。
「これですか?」
軽く振って見せる。
「正直……ずっと気になってまして」
「これ、今まで一度も欠けないし、歪まないし」
「今でも主力なんですけど……もしかして、凄い物なんですか?」
ノルンは一拍、沈黙した。
それから、あっさり言う。
「【不壊のナイフ】だよ」
「……は?」
「名前の通り、絶対に壊れない」
さらっと、とんでもないことを言う。
「刃が欠けない。折れない。摩耗しない」
「それこそ世界がどう歪もうと、壊れるという概念が存在しない」
ノルンは肩を竦めた。
「壊れないだけなら、似たような聖遺物は複数あるけど、それは違う。
そのナイフだけは、理の外にあるもの」
思わず、手元のナイフを見る。
……今さらだが、確かにおかしい。
「それ、然るべきところで売れば」
ノルンは何でもない調子で続ける。
「一生暮らせる」
「……一生?」
「うん。一生」
即答だった。
「ただし」
楽しそうに、付け足す。
「身寄りも無い」
「住所不定」
「後ろ盾も無い輩が、それを売ったところで」
小さく笑う。
「運が良くても、精々一年分の食費が関の山だったろうね」
……身に覚えがありすぎる。
「奪われるか、誤魔化されるか、殺されるか」
「そのどれかだ」
「……」
二年前と変わらない。軽い笑み。
だが、きっと事実なのだろう。
「君が使い続けて正解だったよ」
そう言われて、少しだけ胸が軽くなった。
◇ ◇ ◇
ノルンは話題を切り替える。
「さて。本題だ」
「依頼を出しに来た」
それを聞いて、俺の気が一段と引き締まった。
「場所はまたも、月影国との国境付近」
「山間の小さな村だ」
地図が、宙に展開される。
「瘴気が異常に集束している」
「まだ表に出ていないが、放置すれば確実に何かが起きる」
「未然に叩け、と?」
「そう。単純だろう?」
その言い方に、俺はほんの少しだけ身構えた。
ノルンがこうして依頼を出すのは、これで二度目。
傾向を語れるほど、付き合いが深いわけじゃない。
それでも――
『単純』という言葉には警戒が先に来る。
「……分かりました。やります」
ノルンは満足そうに頷き、「仮の話だけどね」と前置きしてから、続ける。
「英雄判定までを点数で区切るとしたら」
「今の君は、残り三点くらいだ」
点数。
制度なのか、感覚なのかも分からない。
「この依頼を片付ければ――」
「一点、あげちゃおう」
軽い口調。
だが、重みは十分だった。
「無理はしなくていい」
「逃げる判断も、英雄の資質だ」
「……はい」
「期待しているよ」
そう言って、ノルンは踵を返した。
気配が消える直前、振り返って付け加える。
「それと」
「今回は、少しだけ面倒かもね」
その一言だけ残して、姿は消えた。
一人になった部屋で、俺は小さく息を吐いた。
神様の真意は、まだ、正直よく分からない。
ただ分からないなりに、やることは一つだ。
「……行くか」
ナイフを鞘に戻し、装備を確認する。
瘴気の異常集束…明らかに面倒そうだ。
でも――悪くない。
俺は、少しだけ口角を上げた。
英雄への道は、確実に続いている。




