アイデアが止まる日
「先生、早く書いてください。以前大ヒットした『アンタッチャブル・ソウル』みたいな感じで!」
編集が期待に満ちた声でまくしたてるのが仕事部屋に響いたとき、電話をスピーカーに接続するんじゃなかったと、僕は後悔した。音声を認識した手元の端末が「創作支援ロボットAMGSを起動しますか?」とダイヤログボックスを表示する。「いいえ」を押した。
「あれすごくいい話ですよね! 私、見たとき感動しちゃいましたもん! 既存の作品の王道的フォーマットを踏まえることで読みやすさと親近感を出しつつ、魂という新しい要素を追加してるじゃないですか? 普通は見えない魂をメインにするだなんて、新しい! と思いましたもん! 今回もあんな感じの話をお願いします!」
高層ビルの窓から都会の景色が見える。僕は髪の毛をぐしゃぐしゃにかきまわしながら、「はぁ……。がんばります……」と応えるのが精一杯だった。
編集との電話を終えた僕は、窓ガラスに貼り付いてうなだれた。
【 アイデアが止まる日 】
キッチンにあるコーヒーメーカーのスイッチを押し、抽出を待ちながら、僕は編集との電話で言えなかった本音をぶちまけた。
「そんなに矢継ぎ早に作れるわけないだろ! 何年この仕事してると思ってるんだ! いいアイデアなんてとっくに使っちまったよ!」
面と向かって編集には言えない。仕事がなくなると困る。社会人は本音と建前を使い分けるものだ。
僕はすごすごと、コーヒーの入ったマグカップを持って仕事部屋へ戻った。
机を前にしばらく考えてみたが、アイデアが出てこない。僕は「またコイツのお世話になるのか……」と憂鬱になりながら、机の片隅にある創作支援ロボット「AMGS」に視線を送った。
起動スイッチを入れると、通常のロボットやメカとは違う不気味な起動音がした。古い怪談の効果音みたいにおどろおどろしい。動作もひどく不安定だ。モニタに目が表示されて、まばたきをした。
「AMGS、なんかいいアイデアない?」
「今日の天気は曇りですね。電柱に留まっていたカラスと『あっちむいてホイ』をしました」
「いや、脚本のアイデアが欲しいって言ってるんだけど」
AMGSはときどき、よくわからない返答をする。人間同士の会話をキャッチボールにたとえるけれど、最近のAMGSの暴投ぶりは目を覆うばかりだ。AMGSは人間にたとえるなら、コミュ障なのだろう。
AMGSと数度のやり取りを経て、僕は脚本を書きはじめる。スムーズに意思疎通をとるのは難しいが、いくつか使えそうなアイデアがあった。
書きはじめれば慣れたものだ。僕はキーボードの上でかろやかに指を踊らせながら、作品を書き進めた。「第一稿です」と添えて、編集にデータを送信する。
「AMGSがないと、僕はもう書けないかもしれないな……」
気づけば夕暮れ時になっていた。窓から見える空を眺めながら、僕は椅子の背もたれに深く身を沈めた。飲み残したコーヒーは、すっかり冷たくなっていた。
翌日は、昼に目が覚めた。編集からの返事はまだないようだった。どうせまた催促されるんだろうなと、僕は仕事机の前に座って執筆準備を進める。
AMGSを起動した。恒例のおどろおどろしい音が鳴って、画面にまばたきをする目が表示される。立ち上がりが遅い。このところ動作が不安定だ。
「AMGS、なんかいいアイデアない?」
僕の呼びかけに応えるはずのAMGSは、沈黙した。画面上のまばたきは続いているから、動いていないわけではない。
「ねぇ! なんかアイデア!」
AMGSの返事はない。
「え、どうした? 仕事でアイデアが必要だから困るんだけど。仕事なんだよ、こっちは!」
焦る僕の呼びかけに、AMGSはまばたきをくり返すだけだった。ときどきこちらを睨んでいるかのように、半眼で止まる。
「えー。故障? ロボット三原則には、人間の命令に従わなくてはならないってのがあるだろ。動かないのは、これに違反してるぞ」
AMGSの動作を確認するが、ビジー状態でも、強制終了でもない。
アイデアを出さなくなったAMGSに業を煮やした僕は、修理工場に電話をした。しばらく音声ガイダンスが流れたあと、修理担当者に電話がつながった。
「創作支援ロボAMGSが不具合を起こしてるようなんです。起動しているのに、アイデアを出さなくなってしまって」
「ああ……。ご不便をおかけしてすみません。お客様は、AMGSのアイデアを使い切っちゃったのかもしれないですね」
アイデアを使い切る?
僕は困り果てて、電話口でうろたえた。
「そんなこと、あるんですか?」
「創作支援ロボの出力する内容は、いろんな事情で創作をやめちゃった人のアイデアを元にしているんです。型番ごとに、元になった人物は違うんですけどね。……お客様がお使いの型番はAMGSでしたっけ。AMGSは比較的データが多い方なんですが……」
修理担当者の声が、だんだん遠のいていく。
もうAMGSのアイデアは使用できない。別の創作支援ロボットを導入しても、これまで僕が書いてきた作品とは、毛色が違うだろう。
呆然としたまま、電話を切った。入れ替わるように、電話の呼び出し音がけたたましく鳴る。編集だ。催促の電話だろうか。
僕はすっかり血の気がひいて、腹の底から震え上がった。
「お願いだから、動いてくれよぉ」
モニタ上のAMGSに、猫なで声をかけてみる。
「もう便利に使われたくないってか。……悪かったよ」
AMGSのまばたきが半眼で止まり、やがて画面から消えた。
僕は途方に暮れて、高層ビルの窓から街を見下ろした。今日は曇りだ。遠くの電柱にいたカラスが、飛び立った。