光と影のさざなみ
ナギとのやりとりを終えた午前、シンは街の広場にある噴水の縁に腰を下ろしていた。
彼女の文面からは、日に日に自信が満ちていくのが見て取れる。昨日まで他人の言葉を借りていた人間が、今日には自分の言葉で立ち上がろうとしている。その成長は、シン自身の喜びでもあった。
だが、とシンは思う。
この街の空気に触れるたび、奇妙な既視感と、それを裏切る僅かなズレに思考をかき乱される。
看板のフォント、商品の陳列ルール、人々の会話のテンポ。そのすべてが、シンがいた世界の“少し過去”の残響のように響く。彼の知識が通用する土壌は、確かにある。
しかし、それは万能の鍵ではない。時にその知識は空回りし、誰の心にも届かず、まるで価値観そのものが根底からズレているかのような断絶を感じさせる。
(今朝のアドバイスも、ナギだから通じた。他の誰かなら、ただの戯言だと思われたかもしれない)
その時、風に乗って、通りを歩く老人たちの会話が耳に届いた。
「聞いたか? 北の市場で長年やってきた“魔導職人”が、仕事を畳んだらしい」
「おお、あの紋章をガラスに刻む…? なんでも、“文字の提案屋”なる新しい商売に客を奪われたとかでな」
──文字の提案屋。
その言葉に、シンの背筋を冷たいものが走った。
自分と同じ。いや、まさしく自分のことではないのか?
好奇心よりも先に、得体の知れない不安が心を覆う。自分の行動が、この世界の生態系に静かな、しかし確実な波紋を広げている。それは小さな誇らしさであると同時に、自分が何かの天秤を壊してしまったかのような、底知れぬ怖さでもあった。
宿に戻り、一人きりになった部屋でその重さを噛み締めていると、デバイスがメッセージの受信を告げた。
ナギからだった。
──「シンさん。もしお時間があれば、明日、直接お会いしませんか? ちょっと、相談したいことがあるんです」
思わず、息をのむ。
ついに、この世界の人間と、リアルで会うことになる。
今の自分は、彼女がメッセージから感じているような、頼れる存在だろうか。もしかしたら、全てが通じないかもしれない。
だが──。
(会わなければならない)
それは、ただの義務感じゃなかった。
彼女に起きている不思議な現象、この世界の歪んだ輪郭、そして「文字の提案屋」がもたらす影。
その答えの糸口が、きっと彼女との間にある。そんな予感がしていた。
「ええ、構いませんよ」
画面を見つめたまま、シンは静かに、しかし強く、肯定の返事を打ち込んだ。
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