表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/17

心の翻訳、空気の言葉

古本カフェの店主からの依頼は、一見すると単純なものに思えた。

秋限定メニューのチラシ作成。そして、添えられた一文。

「お客様に、“あったかい気持ち”になってほしくて」


その抽象的な願いが、この世界の「依頼」の本質なのだと、シンはまだ理解していなかった。

彼はすぐに、現実世界で培った知識を頼りに言葉を組み立てる。秋、読書、コーヒー、そしてケーキ。要素を並べ、それらしい情景を描写する。


秋の午後、ページをめくる音とコーヒーの香りに包まれながら、

「栗とかぼちゃのスパイスケーキ」で、ほっこりと一息。

読書の秋に、小さな甘さを添えてみませんか?


悪くない。むしろ、そつなくまとまっている。

だが、心のどこかで微かな不安がよぎり、彼はその草案をナギに送っていた。まるで、答え合わせを求める生徒のように。

返信は、すぐだった。

「うん、素敵。でも──ひとつだけ、いいですか?」

「“お客様”が何を求めてカフェに来るのか、もう一歩想像してみてください」


──もう一歩。

その言葉が、シンの思考を鈍く殴る。彼はもう十分、想像したつもりだった。

しかし、ナギの次の言葉が、彼の見落としていた核心を静かに暴き出す。

「店主さんは、“カフェそのもの”の雰囲気を伝えてほしいのかもしれません」


──あっ。

シンは自分の文章をもう一度読み返した。そこにあるのは、ただの「モノ」の説明だ。これでは、コンビニのスイーツPOPと何が違う? 店主が伝えたかった「あったかい気持ち」は、ケーキの甘さだけではないはずだ。


その夜、シンは頭を抱え、モニターと向き合い続けた。

文章を書き、削り、また書く。図書館のような内装、静かに流れる音楽、常連客たちの穏やかな気配──会ったこともない店主の想いや、訪れたこともない店の「空気」に、ただひたすらに寄り添おうとした。


それは、知識を並べる作業ではなかった。心を澄ませ、異世界の誰かの願いを翻訳するような、静かで孤独な挑戦だった。

やがて、震える指で打ち込んだ、これが今の彼の精一杯だった。


扉を開けると、静かなページの音が迎えてくれます。

ほんのり甘い、栗とかぼちゃのスパイスケーキ。

秋の空気と一緒に、言葉を味わう午後を──


数時間後、店主から届いた返信を読んだとき、心の中に小さな灯火がともるのを感じた。

「素晴らしいです!カフェの雰囲気がすごく伝わってきて、読んでるだけでほっとしました」


ナギにも報告すると、短いながらも印象的な言葉が返ってきた。

「“文章”は、心の翻訳機なんです」


“翻訳機”。

その言葉に、シンはハッとしてポケットのデバイスに触れる。

その夜、彼は初めての「報酬」として、数枚の銀貨を受け取った。ずしりとした重さはない。だが、それを握りしめた時、デバイスの画面が一瞬だけ明滅し、変化したことに気づく。


【同期率:--% → 1%】


ただの知識ではダメだった。でも、誰かの心を「翻訳」しようとした時、世界はわずかに輪郭を変える。

シンは手のひらの銀貨を見つめた。それは確かな「実感」として、この世界と彼を繋ぐ、最初の糸のように思えた。


少しでも、面白いかも、と思われた方は、ブックマーク登録していただけると励みになります。

よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ