知識の残響、信頼の入口
フリーランズは、フリーランスの仲介をする実在する某サービスをモチーフにした、架空のサービスです。
作者の実体験をほんの少し反映した作品になる予定です。
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気がつくと、シンは知らない商店街の路地裏で目を覚ました。
アスファルトの匂いと、どこか懐かしい生活の気配。目の前の八百屋には、インクが滲んだ手書きの値札が揺れている。
「……渋谷? いや、違う……」
道行く人々の手にあるのは、スマートフォンではなく折りたたみ式の携帯端末。時間の流れだけが、十数年前に取り残されたような、奇妙な静けさが街を支配していた。
もっと驚いたのは、自分自身の姿だった。着慣れないジャージに、異様に軽い身体。
ポケットを探ると、見慣れたスマホとは違う、冷たい金属質のデバイスが指に触れた。画面には、無機質なゴシック体でこう表示されている。
【F-Lance β版に接続中】
【同期率:--%】
「……同期率?」
意味の分からない単語と、見慣れない紙幣の入った財布。
最後の記憶は、ブラック企業のデスクで疲弊しきって眠りに落ちたこと。副業で一発逆転を狙い、あらゆるクラウドソーシングサイトで提案を繰り返すも、誰にも相手にされなかった、あの夜。
どうやらこれが、異世界転移というやつらしい。
だが、不思議と恐怖はなかった。むしろ、心の奥底から歓喜が湧き上がってくるのを感じる。
(やっと来たんだ。俺の知識が、正当に評価される世界に)
マーケティング、SEO、SNS戦略、ChatGPT──現実世界で誰にも認められなかったスキルが、この“少しだけ古い世界”なら無双できるはずだ。競争が激しすぎただけなのだ。俺の価値は、もっと高いはずだった。
高揚感のままに覗き込んだ“仕事板”の端末。そこは、俺が求めていた宝の山だった。
【看板の文句を考えてくれる人募集】
【チラシデザイン依頼・初心者歓迎】
【ブログ記事ライター募集(試用あり)】
シンは笑みを抑えきれなかった。「全部いける。俺に任せろ」
デバイスを操作してアカウントを作り、現実世界で使い古した提案文のテンプレートを流用して、スキルと実績を過剰に書き連ねた。
──しかし、数時間後。彼の万能感は、冷たい現実によって粉々に打ち砕かれる。
誰からも、返信はない。
それどころか、仕事板の掲示板には、まるでシンを指し示すかのような匿名の警告文が張り出されていた。
「過剰な自己アピールにご注意ください」
「信頼感が薄く、コミュニケーションに難あり」
「……なんでだ」
路地裏に座り込み、頭を抱える。周りの喧騒が、急に遠くなった気がした。
その時、デバイスが短く震え、DMの通知を知らせる。
【送信者:ナギ】
一瞬、スカウトか、と心が浮き立つ。だが、そこに綴られていたのは、彼の傲慢さを静かに、的確に射抜く言葉だった。
「こんにちは。プロフィール見ました。まず、最初に感じたのは“怖い”という印象でした」
「実績もスキルもすごそうですが、どこか他人事のようで、誰に向けて書いているのかが分かりませんでした」
「正直、依頼したいとは思いませんでした。ごめんなさい。でも、もったいないとも思って」
……。
言葉が、思考を突き刺す。
完璧だと思っていた知識の鎧が、音を立てて崩れていく。伝わると思っていたものは、何一つ伝わっていなかった。むしろ、見えない壁を作っていた。
「そっか……知識だけじゃ、ダメなのか」
その呟きに呼応するように、再びデバイスが震える。
画面には、新たな文字が浮かび上がっていた。
【第1の課題:プロフィール──信頼の入口を整えよ】
シンは、ナギとのDM画面をもう一度開いた。
そして、震える指で、返信を打ち始める。
「もしよければ、プロフィールの書き方……教えてくれませんか?」
その一文が、この世界の歪んだ輪郭に触れる、最初の指先になるとは。
まだ、知る由もなかった。
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