三話目【位牌】
「それでは今から料理をつくり始めますから少しの間、ここでくつろいでいて下さいね」
女性は二人を居間に案内してからお茶を入れてそう言うと、部屋の奥の方に入っていった。恐らくそちら側が台所になっているのだろう。
「いやーいい人だよねぇあの人、泊まらしてくれる上にわざわざ手料理までご馳走してくれるって言うんだからさぁ」
女の子は「ああ神様はまだ私を見守ってくれてたんですね。その御心に感謝いたしますですよ」などと言いながら手を組んで蛍光灯を仰いでいた。
男はテーブルに置かれた茶を啜りながら部屋のなかを見渡してみた。
床には白い毛でできた絨毯がテーブルの下敷きになるような形で敷いてあり、さらにその絨毯の外側、壁際には様々な鳥の置物が乗っている戸棚がある。また、その横には小さな仏壇が置いてあった。
男はその仏壇のなかを覗きこんで見た。
なかには二つ位牌が安置されており、その下には中年の男女が笑って写っている写真も置いてあった。
二人が女性の家に泊まることが決まった後、男は女性に家族の事について聞いてみていた。
そのとき女性は、
「今は一人で暮らしています」
と話していたがこれを見ればその理由も察しがつく。
「おっさーん、何見てんのさー」
男が見ているものに興味を示したのか女の子はゆっくりとほふく前進で男のほうに近づいていく、その様子に男は女の子の足があるであろうあたりに視線を向けた。
女の子の足は膝から下が無い。
両足とも膝が足の先端部分となっており、元からそのような形であるかのごとく流線型で、まるで先が丸い大根のようであった。
さきほども家にあがる際、カゴから降ろした女の子の姿を見て、女性が少なからず驚いていた。
女の子は、
「別に気にしないでいいよ〜」
と軽く流してはいたが。
「なに、これ?」
男の膝の上まで登ってきた女の子はそこに腰を落ち着けて男が見ていた物、仏壇を覗いて首を傾げた。
「これ、とはなんのことだ」
「いやなんというか……その、『これ』はなに?」
女の子は仏壇の前に手を拡げ、回りの空間を手の平で撫でるようにして言う。
「仏壇だろう。お前、見たことなかったか?」
男がそう聞くと女の子は「うん」と軽く頷く。
「これは仏壇と言って仏や亡くなった人を仏として祭って置いておくための物だ」
「ほとけ?」
「神様のことだ」
男の答えに「へぇ……」と女の子は少し感心したように呟き、
「今日は本当にありがとうございました」
と言って手を組んだ。その様子に男は女の子に気付かれない様に静かに苦笑を漏らす。
「でも、なんでほとけを祭っとく必要があるの?」
「お前、その発言は罰当たりな気がするぞ…。そうだな……さっきお前がやったみたいに礼を言うためじゃないか?」
「ぬ?」
「それで、またいいことがある様にとお願いしたりするためにこうやって祭ってたりするんじゃないか?まあ、俺もあまり詳しいことは知らんけどな」
男は再び茶を啜る。
「ふうん………」
女の子はわかったのかわかっていないのかそう相槌を打ったあと、
「じゃあ亡くなった人を祭るのは?」
と違う質問を投げ掛けてくる。
「それは………」
男はしばらく口ごもった後、
「自分で考えろ」
そう答えた。
「……ごめん、バカなおっさんに聞いても分かる訳無いよね」
男はその声を聞いて湯のみを音も無くテーブルに置き、女の子の腰を持ち上げ「バっ!尻さわんな!」天井に向かって放り投げた。
「みきゃーー!!」
叫び声を部屋いっぱいに響かせて女の子は天井にぶつかるかと言う程の距離まで鼻先を近づける。男からは一瞬『それ』が大の字で天井に張り付いている様に見えた。やがて重力に引かれて落ちてきた『それ』を男は両手でキャッチする。
突然のことに女の子はショックで目を回していたが、すぐに気を取り直して、
「な、な、何してくれとんのじゃこらボケー!」
と男に文句を言いながら殴りかかろうとした。が、
「ハッしまった!」
体を掴まれているせいで動くことができない。
「ちきしょう!はなせ!はなせー!」
「何を話そうか?」
「離せっつってんだろがー!」
「昔々あるところにお爺さんとお婆さんが」
「だまれー!」
しばらく女の子はじたばたと暴れるが男の腕はびくともしない。やがて暴れ疲れたのか動きを止めた。
「………………」
抵抗をしなくなったのを男は確認して、ゆっくりと手を離す、が
「バカめ!しねい!」
その時を待っていたとばかりに女の子は男の顔面に拳をはなつ。
パシッ
「な、なに!?」
だが至近距離から繰り出されたはずの拳は楽に男の手に受け止められ、男は再び女の子を上に投げ飛ばした。
「高い高ーい」
「ヤメレー!!」
しばらくそんなやり取りを二人は繰り返した。
───────
「ゼェ、ハァ、ハァ………もう、降参………」
「…………………」
「………まいりまし、た、から、もうやめ………て」
男は恐る恐る女の子の拘束を解く。
今度こそ反撃はなく、女の子は男の膝の上でだらりとうつぶせで横になった。
「あ〜あつい〜しぬ〜」
「暴れすぎだ。しばらく大人しくしとけ」
ぐぬう、と女の子はくぐもった声をだし、そのまま力尽きた様にぐったりとする。完全に憔悴しきっておりもはや体を動かす余裕はない様に見えた。
「おい」
男は完全燃焼し燃え尽きた女の子に向かって声をかける。
「ぬ〜〜?」
女の子はあおむけになりながら返事をするがその目は男を向いておらず、どこか意識の外で返事している様だった。
一応は反応を返した女の子に向かって男は言葉を告げる。
「馬鹿」
「………………」
ヒュッヒュッと女の子が拳を振るう音がするが男には当たっておらず天井に向かって空を切った。
「自分が言われて嫌な事は人に言うな。わかったか?」
「しね〜」
聞こえてるのか聞こえてないのか、なにも反省しようとしない態度の女の子に男はため息をつく。
女の子は放っておくことにしたのか男は三度、茶を啜りながら仏壇を覗き込んだ。
位牌には亡くなった年と日にちが書いてある。二つの位牌には同じ年月日が書かれており、まだそんなに年月は経ってないようだ。
「………………」
男は黙って女性が入っていった部屋を見ながら茶を啜る。
「………む」
やがて飲み続けたせいで湯のみが空になったのか、男は少し湯のみの底を見てから立ち上がろうとした。が、女の子が膝に乗っていたのでその動作を止める。
「………………」
しばらく男は女の子を眺めていたがやがて決心し、湯のみをテーブルに置き、女の子を持ち上げて脇にどけようする。
「わきゃー!もう投げないでー!」
「落ち着け」
女の子がまた慌てて抵抗しようとしたが男は冷静に女の子を押さえ付けながら脇に降ろす。
女の子はそこで再び力尽きてごろりと絨毯の上で丸くなった。
「寝るなよ」
男はそう一言だけ声をかけて、湯のみを持って台所があるであろうところに向かっていった。